東京寄席さんぽ2月上席

 考えてみたらこの一年、公私を問わず、富士山より西に行ったことがないでは
ないか。ついこないだまでは、毎月のように出張取材があり、九州へ、北海道へ
と飛んでいた。忙しいときには、朝一番で大阪に飛び、その日のうちに寝台特急
で日本海を北上し、札幌に二時間いただけで羽田にとんぼがえり、という旅の噺
のマクラになりそうな出張まで体験している。それなのに、一度病気をすると、
このテイタラク。体力面での不安から、ついつい腰が重くなって、関東近辺で用
事がすむような取材ばかり入れてしまうのである。
 今月も、愛唱歌のルーツを探る「うた物語」の順番が回ってきたので、「洒落
男」を選んでしまった。浅草オペラ出身の二村定一と榎本健一が歌ったジャズソ
ングの草分け。これなら、浅草と東京の取材でいけちゃうもんね〜とチンタラ取
材を進めていたら、なんと物語のキーパースンになる二村定一の研究者が下関に
いることが判明、2月1日、僕は一年ぶりに富士山を右に見て、本州の端っこの
港町に出かけたのであった。
 取材はともかく、下関といえば、ふく(地元では、縁起を担いで「ふく」とい
うのだ)である。こういう出だしにしちゃうと、今までイヤというほど書いてき
た食い物ルポになってしまうが、もっかワタクシメは塩分、脂肪分、カロリーに
気をつけなければいけない身分なのである。一泊二日のタイトな日程でもあるし、
とにかく「国産流行歌手第一号」二村定一の足跡をたどることが第一だぞと「努
力目標」をつぶやきながら取材を開始したら、一発目の取材相手に「ま、とりあ
えず昼飯でも食いながら話しましょう」と、ふく料理屋に拉致されてしまった。
おいおいおい、昼間っからいいのかなー。カロリー制限が、塩分はまあいいかな、
なんといってるうちに、湯びき、煮凝り、唐揚げ、さしみ、なべ、ぞうすいと出
てくる出てくる。ま、いいいハナシも聴けたし、今日はこのぐらいでゆるしやろ
うかって、だれに言ってるんだオレ。
 ふくのフルコース付き一泊二日取材コースは、思った以上に体にこたえてしま
い、週末に落語を聴く気力がわかない。思いアタマをゆらゆらさせつつ、土曜日
の昼下がりの浅草に向かった。単行本<新宿末広亭 春夏秋冬「定点観測」>を、
浪曲定席・木馬亭に置いてもらう約束をしながら、忙しさにまぎれてそのままに
なっている。せっかくの根岸席亭のご厚意を無にしてはならじと、出版社の営業
担当ヤスダ氏に二刷の本を浅草までもってきてもらったのだ。
 この本を売るはめになってから、末広亭と池袋演芸場の場所を知ったというヤ
スダ氏が、木馬亭の存在を知るわけはない。しかたがないので、雷門前で待ち合
わせして、浅草初心者コースを歩くことにした。本が入った紙袋(これが重い!)
をぶら下げて、仲見世をまっつぐに。そのまま境内に入るが、本堂までは行かず、
右側の鳩のたまり場を斜めに横切って、五重塔通りへでる。怪しげな浅草温泉の
看板を右に見ながら、みやげ物屋の前を通るとすぐ「浪曲定席」の看板が見えた。
 「あら、遅かったわねえ。こないだアナタが置いていった本、もう売っちゃっ
たわよ。何冊持ってきたの?」と根岸のおかみさんが優しい言葉をかけてくれる
ので、うれしくなった。いっつも木馬亭の楽屋に入る(住んでいるんじゃないだ
ろうな)五月小一朗が、ロビーの机と、テケツの横に僕の本を置きながら、「僕
もロックスの上の本屋で立ち読みしましたよ」と言う。ごめんねー。芸人さんに
は差し上げたいんだけど、諸般の事情でそうもいかんのですよ〜。
 「今日は週末なのに、お客さんの出足が遅いのよねー。いい顔ぶれなんだけど
・・。あななたち、聴いていきなさいよ」  おかみさんの言葉はうれしいのが、
あとの予定もあるので、そうゆっくりもしていられない。トリの五月一朗も風邪
っぴきで休演らしいし、もうしわけないけど、またにしておこう。
 以前、さん喬さんに教えてもらった洋食「ばいち」でランチ(ヒレカツ&しょ
うが焼き、サラダたっぷり)、浅草は不案内というヤスダ氏に「アンヂェラス」
のアンヂェラス(古いケーキ屋さんの、なつかしい洋菓子)を教えて、地下鉄の
駅で別れた。
 銀座線で、上野広小路へ。目的地はいわずと知れた鈴本演芸場である。しっか
しですねー、寄席のはしごをしながら、演芸を見る暇が無い。鈴本行きの目的は、
読売日曜版連載「寄席おもしろ帖」の挿絵に使うカラー紙切りの原稿を、正楽さ
んにもらうためなのだ。
 鈴本を訪ねてみると、浅草でゆっくりしすぎたためか、正楽さんはすでに引き
上げており、前座さんが封筒を預かってくれていた。その場で中身を確認すると、
今回の紙切りは草原に群れをなすキリン。寄席読み物のカットになぜキリン??
?と首をひねる前に、あまりの見事さに言葉を失う。オレンジの背景に、すっき
り伸びたキリンのシルエットが美しい。一緒にのぞきこんだ前座さんもしきりに
感心していた。楽屋口で背伸びをすると、高座はちょうど仲入前、雲助の熱演を、
袖で何人かの若い噺家が食い入るように見つめている。いい風景である。
 週明けの火曜日、北海道新聞が送られてきた。正月に取材を受けた「定点観測」
本の著者インタビューがついに紙面に乗ったのである。日曜日の読書面の右肩、
かなりスペースが大きいのがうれしいが、著者の写真は、ねえ・・。末広亭をバ
ックに、へらへらと笑っている中年オヤジは、たしかに僕なのだが。ま、論評は
控えておこう。  その日の午後、上野広小路に「定点観測」本の宣伝ビラを持っ
ていく。広小路亭は毎月、芸協の興行が行われているので、現在流通している演
芸本の中で最も芸協にページをさいていると自負している僕の本の宣伝には絶好
ではないか!!と頼みに言ったのだが、案ずるよりなんとやらで、担当のオオヤ
氏は「そんなら本も置いてあげるよ」と言ってくれるではないか。帰り道、さっ
そく出版社のヤスダ氏に電話したら、「ありがとうございます〜」と海老一染之
助なみの愛想良さで礼を言われた。なにせ地味な本なので、読者のみなさんの目
にふれなければすぐに他の本の山に埋没してしまう。なんとか宣伝場所を考えて
いるのだが、素人のかなしさ、なかなか良い知恵は浮かばないんぽだ。上席もも
う六日目になるが、まだ一度も寄席に行ってない。この間同僚のウエダくんと話
していたら、僕よりも「堅気」に近い彼のほうが、よっぽと演芸会に通っている
ということが判明したが、この忙しさは、いかんともしがたいのである。
 翌7日は、会社を早引きして、埼玉県八潮市の循環器病院に行く。退院後一年
たったので、心臓の検査をしなければならないのだ。ルームランナーのようなも
ので走りながら心電図をとり、一分ごとに血圧を図って変化を見る。トレッド・
ミル検査というらしいが、走るペースは思った以上に速く、小走りに近い。さん
ざ走らされながら、この一年で、こんなに運動したのは、これが初めてだという
ことに気がついた。もう鈍っちゃって鈍っちゃって。雨の中、帰りのバスを待つ
足が重かった。
 9日は、またまた正楽さんのカラー紙切りの回収のためだけに末広亭に行く。
ケータイを見ると、午後四時ちょっと前(僕は時計を持っていないので、時刻は
ケータイか、とおりがかりの美人に教えてもらう)。昼の部のトリは小朝である。
ううううううううううーん、一時間ぐらいさぼってもいいかなあと、思いきって
(あんまり思いきってないが)、中に入った。この芝居、初めての見物である。
 小朝出演の効果だろう、かなり入りがいい。椅子席はほぼ満員なので、桟敷の
一番後ろに、ちんまりと腰かけた。ひざ前の玉の輔が「今日はミス・ユニバース
の予選会みたいですねえ。ま、予選ですから、誰でも出られますけど」といつも
のツカミでわかせ、のんびりした「生徒の作文」で客席をなごませていく。ペペ
桜井のギター漫談をひざがわりに、小朝の登場だ。あれれ、釈台がでてきた。最
近の小朝は、講談ネタではないときでも、よく釈台を使うのだが、どういうわけ
か。太りすぎで正座が続かないってわけでもないだろうに。などと思っていると、
マクラもそこそこに「池田屋」に入った。これは講釈ダネだねって、ベタな洒落
じゃないよ。新選組の池田屋襲撃から、近藤勇の処刑までを淡々と描いて、サゲ
もない。なぜ、小朝がこんな面白みの薄い噺を手がけるのか、一度聴いてみたい
な。それにしても、こういうネタに、オレンジの着物はあわんと思うが。
 十日間に四つの寄席に行って、聴いた演芸が三本、四十数分。これでは「寄席
さんぽ」が看板倒れだ。次の芝居はガンバ・・・・れるかな?

つづく


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