浅草寄席さんぽ
その五「相撲と肉じゃが」

 とき  : 平成十二年八月二日(水)
 ところ : 木馬亭
 ばんぐみ: 木馬亭浪曲定席
 しゅにん: 玉川福太郎
 いり  : いまひとつかな
 おみせ : 一文(居酒屋)

 「浅草さんぽ」を始めて五回目、初めて下町歩きの連れが出来た。文楽仲間、というより、僕の人形浄
瑠璃鑑賞のお師匠さんである「Y・I」という女性である。このお嬢さん、文楽のためなら大阪の本公演
はもちろん、京都に四国に九州にと全国各地に出没し、時折辛口の劇評などをものすという、末オソロシ
キ人物だが、最近、落語講談浪曲に並々ならぬ興味を持ち出したのである。それも、「忠臣蔵ネタを、歌
舞伎文楽落語で聴きくらべたい」とか、「義太夫の出てくる大衆演芸はどれだけあるか知りたい」といっ
た、まことにディープなアプローチなので、このぶんでは文楽だけではなく、演芸部門でも近々アタマが
上がらなくなるなるだろうなと考える今日このごろなのだ。
 
 ぬめーっとした熱風が吹き抜ける東武浅草駅の入り口で待ち合わせ。雷門辺りの問屋で履物を買うと言
っていたY嬢は、「そのついでに、馬賊でつけ麺を食べて来たよ〜ん」とにこにこ顔である。ええーっ!
もう「馬賊」に行っちゃったのぉ〜。
 「馬賊」というのは、日暮里駅前にある小ぶりな中華そば屋なのだが、店頭でドシーン!バターン!と
ワイルドな手打ち麺のパフォーマンスをやってて、その手打ち麺は歯ごたえ十分の極上品なのだ。そんな
わけで、日暮里サニーホールで落語会がある時は必ずここんちで坦々麺やらつけ麺やらをズルズルやって
いたのである。その「馬賊」の系列店(店主の兄弟か何かの店らしい)が、浅草雷門にあるという極秘情
報をキャッチしたのがついこのあいだのことである。おお、「浅草さんぽ」にぴったしのB級グルメ、さ
っそく言ってみるべえと手ぐすねひいていたのに、抜け駆けされてしまった。ま、後で行けばいいのだが、
なんか、ざんねんじゃん。

 「日暮里よりはつゆがしょっぱいかな。でも、麺はしこしこだもんね〜」とまだ「馬賊」について蘊蓄
をたれたそうなY嬢を引きずって、新仲見世に入る。すぐに右に折れてメトロ通りをとことこ、永井荷風
が好んだという洋食屋「アリゾナ」を右に見て、観音通りから仲見世へ。また右におれて、観音様の境内
を入ると、左側にたくさんのハトがたまっている。近づいても避けもしないので、こちらが遠慮して大回
り、五重の塔の前を横切って、木馬亭の通りへ出たころには、額にじんわり汗が浮いて来た。

 木馬亭の浪曲定席は、毎月一日から十日までの昼席だ。ゆっくり歩いて来たせいもあり、番組はもう半
ばに差し掛かっているようだ。さて入ろうと思ったが、ととととと、テケツにもモギリにも人がいない。
いつもロビーに座っている根岸のおかみさんの姿さえ見えないのである。このまま入るわけには行かない
し、帰るのももったいない。どうしようかとまごまごしていたら、外から「あらあら、ごめんなさいね
〜」という、おかみさんの声が。
 「すみませんねえ、もうお客さん来ないかとおもって、八百屋さんで買い物してたのよー」
 あちゃー、野菜の買い出しとはだったとは。しかも、おかみさんの少し後から、八百屋の店員がビニー
ル袋持って追いかけてきて、「はい、これ品物ね」と手渡していたりして。た。どういう買い物をしてる
んだろうか。
 ただでさえ遅刻しているのに、ロビーで延々おかみさんと立ち話をしてしまったので、演芸半ばという
よりもう終盤である。やっとこさ客席に入ってみると、富士琴路の高座が大詰めを迎えているではないか。
となると、あと二本しか残ってないではないか。

 琴路のネタは「小猿七之助・花川戸の改心」である。世話講談の代表的な長編ネタでありながら、船頭
の七之助と芸者のお滝が結ばれる発端ばかりが演じられているが(江戸情緒たっぷりの談志版がお勧め)、
その後の長くて複雑なおハナシは、まずよっぽどのマニアじゃないと聴いた事がないよね。この日の琴路
のネタは、その中でもレアな最終エピソードである。いろいろな事件に巻き込まれたあげく、離れ離れに
なった七之助夫婦が、ひょんなことから浅草・花川戸で再会する。なじみのないネタなので聴いてる僕は
筋をおうので精いっぱいだが、琴路のほうは余裕たっぷり。節に舟唄を盛り込むなど、変化に飛んだ演出
で、明るくパワフルに語り込んだ。無駄ばなしをしないで、最初から聴けばよかったな。

 いつも元気いっぱいの沢孝子、「幽霊貸し屋」は落語浪曲ということだが、そんな噺、あったっけ?
 「これは、めずらしいんですよ。先代の金原亭馬生師匠がむかーしやっていたのを、(劇作家の)大西
信行先生に浪曲にしてもらったものなんです」
 ははー、してみると新作なのかしら。落語事典にはのってないんさけどなあ。
 やもめ暮らしの若い衆のウチに、「まだ成仏したくない」という色っぽい幽霊が現れて、そのまま長屋
に居すわっておかみさんになってしまう。金は欲しいが仕事はしたくないというグウタラな亭主が、かみ
さんの仲間の幽霊を人に貸し出してひともうけしようとたくらむが・・。なんて噺なんだが、やっぱり聴
いたことがない。先ほどの「小猿」といい、「幽霊貸し屋」といい、木馬亭は勉強になるなー。

 浪曲定席は、どの演じ手も三十分とたっぷり聴けるのがうれしいが、ただ一つ、仲入休憩がないのは考
えものである。弁当持っていっても食べる時間がないし、そういえば昔、まだこのシステムに慣れてない
時、休憩になったらお手洗いに行こうと思っていて行き損い、トリの時間が我慢大会になってしまったこ
とがあった。そんな失敗があるから、木馬のトリの前には、したくなくても小用をすます。一分以内でさ
さっと用をすまし、戻りがけに場内を見回すと、吉沢英明先生の長髪がなびいている。吉沢先生は講談研
究の大家だが、最近は浪曲にシフトしたのか、本当によく木馬でくわすのだ(まあ、僕もそれだけ木馬亭
に通っている事になるが)。面白いのは吉沢先生の座る席で、必ず中央通路の右側の、前から六番目なの
である。
 「この位置は、前の人の頭が気にならないし、芸人の顔も程よい大きさでね、一番見やすいんですよ」
 そうなのか。でも、「一番良い」席はいつも吉沢先生に占領されているので、ウソかマコトか、いつに
なっても試してみる事が出来ないのだ。ううむ。

 本日のトリは、「次代を担う」と呼び声の高い中堅どころの玉川福太郎。この日は相撲ネタの「梅ヶ谷
江戸日記」である。腕も力も人並み以上、上方相撲でならした梅ヶ谷は、意気揚々と江戸に乗り込んでき
たが、連日勝ち続けているのに、いっこうに人気が出ない。こんなに頑張っても花のお江戸で目が出ない
なら、いっそ上方に戻ろうかと思案しているところに、江戸に出てきて初めてひいきの客が来た。ところ
が、待望のひいき客は、おこもさんの頭領だった・・・。相撲取りの意地と江戸っ子気質が、真っ向から
ぶつかり合う、きもちのよい人情ばなし。いかつい顔の福太郎には、相撲のはなしはもってこいだろうと
単純に考えてしまうがが、その節回しは意外に繊細で、押すいっぽうではなく、巧みに引き技も織り交ぜ、
緩急自在のやわらかな仕上がりになった。どうどうのトリである。

 木馬亭にいた時間は短いが、十分に内容の濃い高座に接する事が出来た。よい気持ちのまま、ロック興
行街をそぞろ歩く。浅草演芸ホール前で呼び込みをしていた花崎さんに挨拶したが、中には入らずUター
ン。ひざご通りを北へ北へ、といっても吉原に着く前に適当に左へ曲がると、古い民家のような建物の前
に出た。知る人ぞ知る(らしい)居酒屋「一文」である。

 入り口のわきに、懐かしい駄菓子が置いてある。どこからどうみても大人の居酒屋で、誰が菓子を買う
のだろうかと、思う間もなく案内された。右にくすんだ木のカウンター、左に大きめなテーブルが二つ。
奥の座敷はすだれで仕切ってあった。
 座敷の小さなテーブルに落ち着いて、とりあえず酒だろうと、聞いたことのない「窓の梅」を注文した。
薄暗いと思う一歩手前といったカンジ微妙な照明の店内に、低ーくジャズが流れている。大声で楽しくと
いうより、じっくり話を聞くといった雰囲気が、妙に心地よいのだ。
 売り物らしい肉じゃがは、民芸風の容器にぎっしり。ほくほくのイモと、とろとろのタマネギがうまい。
つみれだんごに、ゆでタンに、一文サラダ。はじめに何文と値段が書かれた木の札を買い、一つ注文する
たびに、その札をかえすというシステムも気が利いている。六時すぎに入って二時間あまり、飲み食い以
上に、じっくり話が出来るのがうれしい。外に出ると、浅草の夜はかなり暗い。焼き肉屋の明かりだけが
目立つ国際通りを、ゆっくり歩いて帰った。



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