浅草寄席さんぽ 

その三「メンチカツとアコーディオン」

とき :  平成十二年七月二十一日(金)
ところ:  フランス座東洋館
主任 :  ローカル岡
入り :  六十人くらい
お店 :  ぱいち(洋食)

 地下鉄の田原町駅で、柳家さん喬さんと会った。
 噺家とぐうたら記者、朝の遅い商売どうしが昼前に待ち合わせをしているのだから、
遊びの相談のはずがない。とーぜんのことながら、仕事の打ち合わせ。で、その内容
というのは……、やっぱり現時点ではヒミツにしておこう。どこのどいつがチェック
してるかわからないネット上で、コカイン密輸ルートのハナシなんかできんもんな(っ
て、ウソですよー)。

 駅の階段を上がって外に出ると、ぬめーーーーーーーっとした湿気が、国際通りに
とぐろを巻いている。とにかくまずは腹ごしらえと、八つ目鰻屋の角を曲がって雷門
通りへ。二つ三つ路地を通りすぎた左手奥に、小さな洋食屋の看板が見えた。
 「そうだ久しぶりに『ぱいち』へ行こう。ナガイさん、入ったことある?」
 「いえいえ、『ぱいち』と『キッチンイナバ』はまだデビュー前なんです」
 「『キッチンイナバ』!行ってやって行ってやって。ドリアなんかウマイよー。でも、
昼時は手の込んだの作らないから、ハンバーグかな」といきなり饒舌になるさん喬さ
ん。「キッチンイナバ」は、本所吾妻橋の古い洋食屋。あの辺だと特製オムライスの「レ
ストラン吾妻」がやたら有名だが、「イナバ」だって負けてはいない。トラッドな東京
の洋食が味わえる、知る人ぞ知る名店なのだ。
 とまあ、そういう講釈は抜きにしても、この「いなば」、演芸ファンは抑えていなけ
ればいけない店だ。なんたって、柳家さん喬の実家なのだから。今はお兄さんがシェ
フをやってるらしいけど、門前の小僧なんとやらで、さん喬さんもカンタンなメニュ
ーならササッと作れるのだという。
 三十数年前の修業時代、目白の小さん邸では、前座が交互に朝飯を作ることになっ
ていた。さん喬さん(当時は小稲=イナバさんの稲ね)の番の時、「ここが忠義の見せ
どころ。師匠に栄養のある朝飯を」とハッスルして、本格的な「ポークピカタ」を目
白の食卓に出した。
 「(皿をジロリと一瞥した小さん師)おい、コリャなんだ?」
 「(元気いっぱいに)はい、ポークピカタです!フランス料理なんですよ」
 「バカヤロゥ!朝からこんな脂っこいモンが食えるか!」
 結果は大しくじり。昭和三十年代のホームドラマでも見ているような、ほのぼのと
したエピソードではないか。
 おっと、冒頭から脱線してしまった。本日の昼食は、同じ洋食屋でも、「キッチンイ
ナバ」ではなく、「ぱいち」なのだった。

 古びた二階家の、玄関を開けると、左手に細長いコの字型のカウンター、右手は大
きな四角のテーブルがいくつか。後ろの壁には、三社祭の写真と、関敬六・橋達也「お
笑い二十一世紀」のポスターが飾られている。昭和十一年創業の老舗だが、モダンな
洋食屋というより、民芸風トンカツ屋といったたたずまいである。
 「えーっとね、メンチカツとライス、あと、豚汁もらおうかな」
 さん喬さんと同じものを注文して、コカインの商談(しつこいようだが、ウソです
からねー)をしつつ待つことしばし。揚げたてのメンチカツが、大皿に乗って登場で
ある。
 たっぷりのキャベツとポテトサラダを左右に従え、主役のメンチカツがほかほかの
湯気を立てている。あらかじめカットされているのをお箸で食べるのね。小丼に盛ら
れた豚汁は実だくさん。浅草の洋食は、やっぱり和風なのだ。

 膨れた腹を、オレンジ通り「アンヂェラス」のブレンドコーヒーで落ちつかせ、さ
ん喬さんは浅草演芸ホールの昼席へ。僕はといえば、演芸ホールの正面をぐるりと右
方向に旋回して、フランス座東洋館へ入った。
 東洋館は、浅草演芸ホールの四階にある、演芸バラエティの専門劇場。演芸ホール
の大ボス松倉社長が「浅草には落語の常打ちはあるけど、他の演芸の道場がなかった。
東洋館から、いつか欽チャン、たけし級のスターを育てたい」と、ストリップ劇場「フ
ランス座」をつぶして作ったものだ。あああ、とうとうフランス座のストリップ、一
度もみないうちに締まっちゃったんだなあ…。あ、いやいや、東洋館、りっぱですよ
ぉ。
 とにかくっ。今年正月のオープン(落語協会の初席が柿落としだった)以来、東洋
館では、上席(1〜10日)を漫才協団、中席(11〜20日)を東京演芸協会、下
席(21〜30日)をボーイズバラエティー協会が受け持ち、頑張っているのだ。「ぱ
いち」へ初めて入った勢いで、東洋館の定席興行へデビューと行こうかぁ。

 東洋館の入り口から中を覗くと、おやおや、こないだ演芸ホールの昼席で雑談した
ばかりのハナザキさんがテケツをやっている。
 「おやまあ、暑いのにご熱心で」
 「いえいえ、ちょっと涼みに、あわわわ、そうじゃなくて、寄席に出ない芸人さん
とか見たいなあと思いまして。はは、はははは」
 何とかごまかして、エレベーターで四階の客席へ。下の演芸ホールは超満員という
感じだったが、こっちは半分程度の入りか。「週末の浅草というとねー、客席の後ろ半
分が競馬の時間つぶしの客で、みんなラジオ中継聞いてて、演芸と関係の無いとこで
ウケたりするんですよー」というハナシを、某新宿末広亭の高座で聞いたりすること
があるが、客席を見渡すと落ちついた熟年夫婦、和やかな中年男性のグループ中心の
ほんわかムード。馬券の行方を心配して目を血走らせているオヤジの姿は見当たらな
いのであった。

 この日は、下席二日目だから、ボーイズバラエティー協会の興行である。今東京で
聴けるボーイズといったら、モダンカンカン、玉川カルテットに東京ボーイズ、変わ
ったところで、ワハハ本舗の音楽ユニット「ポカスカジャン」ぐらいのものか。だか
ら、「ボーイズバラエティ」といっても、バラエティの方が圧倒的に多い。
 誰が出ているのか。プログラムをアタマから読んで見よう。
 漫談・いか八郎、コント軽罪新聞、歌謡曲・紫八重子、物まね・玉川平太郎、マジカ
ルダンス・マイウェイ昌彦、声帯模写・丸山おさむ、法律漫談・ミスター梅介、歌謡
漫談・アンクルベイビー……。がーん、ここまでで三組しか知った名前がない。ここ
に挙げたのは、すでに出番が終わった人ばかりだから、どういう芸人さんかわからな
いまま帰らなければならないではないか。「アンヂェラス」でなごんでないで、もっと
早く来るべきであった。

 ここで、ようやく高座を見る。すでに中トリではないか。細縁メガネにチョビヒゲ
の怪しげなオトコが、派手なアロハシャツで登場した。元ナンセンストリオの前田隣。
「親亀の背中でこけ」ていた、あの忍者三人組の生き残りである。
 「いやあ、東洋館が出来てね、方々に散らばってた仲間が久々に再会しちゃって。『久
しぶりだねー』『生きてたのー』だもんね。あたしも六十四歳だからなー(と、感慨深
げ)。浅草も昼はいいけどね、五時半過ぎたら誰も通ってない。ホームレスも通らない
し、犬も通らない。煮込みにされちゃうからね」
 とんでもない挨拶で漫談がはじまった。
 「でもね、それなら何で浅草に出るかと言うと、文化人に会いたいから。今の時代、
笑いを見にわざわざ足を運ぶのは、文化人ですよ。外を歩いているのは非文化人ね。
ま、下のホールがいっぱいで、上にあげられた人もいるようだけど」と、真面目なん
だかふざけているんだか、ひょうひょうとした調子で日常生活を活写して行く。客の
年齢層が高いせいか、病気のハナシがもっとも反応がいい。
 十五分の高座のラストは、おなじみ「親亀の背中に」の替え歌。場内からリクエス
トをとって、亀の個所を、他の動物と入れかえるのだ。で、本日のリクエストはカバ。
 「親カバの背中に小カバをのせて、小カバの背中に孫カバのせて、孫カバの背中に
ひぃ孫カバのせて」と歌って、サビ(?)の手前になると「あ、そうそう、網膜剥離
になった時ね…」と他の話題に脱線する。その繰り返しが笑いを呼ぶのだが、これっ
て何度も繰り返しながら、替え歌の練習をしてるのではないのだろうか。結局最後の
最後で、「親カバこけたら、小カバ孫カバひぃ孫カバこけた」。ナンセンストリオとい
うと、この早口言葉歌ばかりが印象に残っているが、グループ名通りの軽いナンセン
ス芸だったのを思い出した。

 仲入を挟んで、後半一番手は歌謡曲の岡史朗。下積みン十年の苦労人といった感じ
である。名前から想像するに本日のトリ、ローカル岡の一門かなと思ったら、なんと
岡晴夫の弟子なのであった。
 「あこがれのハワイ航路」をチラッと歌ってから、持ち歌の「親」を熱唱。風采は
むむむだが、いい声である。
 「大ヒット曲『孫』より、『親』の方が上。結婚式で歌ってほしいなあ。ロビーでテ
ープも売ってますから」
 続いて師匠譲りの「泣くな小鳩よ」をノーマイクで。「うちの師匠は、東洋館の何倍
も大きな劇場でもノーマイクでした」と懐かしそうな目をした。

 「岡晴夫さんが一声を風靡した時代は、浪曲も凄かったんですよ」とこれまた遠い
目をする、浪曲漫談の大空かんだ。白い背広でナカナカの恰幅、メリハリのある口調
は、演歌リサイタルの司会者のようだ。
 「浪曲の名人上手、ほとんど死んでしまいましたね」といいつつ、雲右衛門「南部
坂雪の別れ」、初代浦太郎「野狐三次」、虎造「石松代参」と名調子を披露。浪曲にな
じみの無い人には、格好の入門篇である。
 高座はますます講座調になって、「『遠くちらちら明かりが見える。あれは言問、こ
ちらをみれば』って、三門博の『唄入り観音経』は節が調子いい。春日井梅鶯のドラ
声は、やけくそのような感じでやると感じが出ます」と実にわかりやすい。盲目の浪
曲師、浪花家綾太郎の“解説”の時に、いきなり最前列の客に「お弁当?うまそうだ
ねー、さっきから気になっちゃって」と話しかける。件の若い客、一瞬ぴょんと飛び
あがった。
 高座の最後は、やはり持ち歌の披露。今年三月に出したという「紋三郎の秀」とい
うまた旅演歌を浪曲調に歌い上げて「テープはロビーで売ってますぅ」。はいはい。

 男女コンビのおこさまランチは、本日の最年少ではないだろうか。紅白の忍者ルッ
クで、忍術講習のコントである。オモシロイのが、「羞恥心をなくすため」という「恥
じらい除去運動」。ラジオ体操の感じで、ワキをごしごし、胸をもみもみ、オマタをか
きかき。これを、くの一にやらせるのだ。字で説明すると、ヒヒオヤジ系のコントみ
たいだが、このしょーもない体操を、くの一役の女性(名前がわからんので書きにく
いなー)が、満面の笑顔で颯爽と演じてみせるのだ。恥じらいのかけらもないばかり
か、さわやかですらある。「頑張れよ〜」と客席から声がかかるのも納得である。チャ
ンバラトリオ張りの殺陣でにぎやかに終わろうとしたが、女性の方が段取りを間違え
て、もたもたした殺陣になった。もっと勉強しましょうね。感じ、いいんだから。

 お次は、アコーディオンボードビルのハウゼ畦元だ。人の良さそうなフツーのおじ
さんといった外見に加え、腕まくりした開襟シャツにゴルフズボンという普段着のよ
うな衣装。高座に出て来たとき、手伝いのスタッフかとおもってしまいました。ごめ
んんなさい。
 気を取り直して、芸のほうは…。まずは、アコーディオンの伴奏で、「ステンカ・ラ
ージン」「コサックダンス」とロシア民謡メドレー。続いて、鳩笛の口真似で「夜霧の
しのびあい」。アコーディオンをウクレレに持ちかえて、ハーモニカの曲弾きを合わせ
たハワイアンを披露する。んで、再びアコーディオンに戻って、「最近、『ベサメ・ム
ーチョ』って流行ってますよね。あれ、最近でもないかな」。………、この時代感覚が
たまらないなあ。
 アコーディオンで「時報」をきかせるという???な芸をはさんで、ラストは「黄
色いリボン」。ウエスタン調のハーモニカと、合いの手に入るカウボーイの掛け声が、
ノスタルジックで、すっかり和んでしまった。今時の人でないのは明らかだが、選曲
のセンスといい、さらりとした演出といい、古きよき時代の浅草芸の一端を垣間見た
ような気がしたのは、……気のせいだろうか。

 ひざがわりは、マジックジャパン。細身のスーツをビシッと着こなした、一時代前
の気障な二枚目をいった感じだな。細かなネタを数多くこなすスタイルだが、一つ一
つが丁寧で、そのうえ妙に自身たっぷりなので、大したネタでもないのに、一瞬もし
かしたらこの人名人なのかしらと錯覚させられてしまう。
 「次は、私の師匠、ローカル岡の出番です」といって高座を下りたが、まてよまて
よまてよ。漫談のローカル岡に、何で奇術師の弟子がいるのだ。奥が深いぞ、ボーイ
ズバラエティー協会!

 「待ってました!」の掛け声に迎えられて、恥ずかしそうに登場した青い背広のロ
ーカル岡。「雪印にもらった」というネクタイは、ホルスタイン柄である。
 「(客席を見渡して)土曜のこの時間に、これだけだもんね〜。明日の日曜が頼りだ
なぁ」と、ナンとも力の入らない挨拶の後、得意の時事漫談へ。
 「森さんと野中さんじゃ、政治の先が見えないね。森の中……」
 「野中さんは言葉にトゲがあるね。野中のバラ」
 「政治家はボケててもいいんだね。中尾栄一さん、六千万もらって覚えたないんだ
よ。オレに六百円くれてみな……」。このせこさが、岡の真骨頂なのだ。

 ダジャレ時評をさんざ並べて、「八月七日の独演会で、こんなの一時間やるんだけど、
来る気ある?」。とたんにパチパチパチと拍手が来て、本人、目をぱちくりである。世
評をダジャレで皮肉るイジワルさと、時たまひょいっと顔を出す人のよさ。愛すべき
芸人である。

 終演後、下の演芸ホールの前を通ると、夜の部に入ろうとする客の行列が。若ダン
ナの松倉専務が、汗まみれで客の整理をしている。目があうと、「上も、もうちょっと
入ってくれればなあ。頑張んなくちゃねー」と言って、あっけらかんと笑った。




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