浅草寄席さんぽ 

その弐「天丼と涼風」

 とき:平成十二年七月十三日(木)
 ところ:浅草演芸ホール・昼の部
 しゅにん:桂歌丸
 いり:八割以上(一時五十四分入場時)
 おみせ:多から家(天ぷら)


 田原町へ向かう銀座線。三越前から乗った女性客の紙袋から、香ばしい油の匂いが
流れ出してきた。地下食品売り場で買った天ぷらに違いない。三越だとあっさり系の
「天一」かな、などと考えていたら、無性に天丼が恋しくなった。
 元旦の未明に心筋梗塞で倒れ、結局数か月を棒に振った。その後も食事制限やら何
やらで、考えてみると、今年はまだ好物の天丼にありついていないのだ。
 「食事に気を使いすぎると、それがかえってストレスになります。天丼でもカツ丼
でも、食べたかった食べちゃってください。そのかわり、そのあとの食事を野菜中心
にすればいいんです」と、主治医のシマブクロ先生(苗字でわかると思うが沖縄出身、
当然顔は濃い系である)は言ってくれるのだが、「集中治療室飲まず食わず一週間の
旅」という夢のようなツアーを経験してる僕としては、揚げ物コッテリな食い物(実
は目がない)に関しては臆病になるんだもんねー。
 しかし、やせ我慢もそろそろ限界だ。それでなくても本日の目的地・浅草は、トラ
ッドなご馳走の宝庫。中でも天丼ときたら、ごま油コテコテの「大黒屋」、丼から巨大
なエビがはみ出している「尾張屋」、バスツアーが入る大衆店でありながらナカナカの
味「三定」などなどなど、豪華絢爛群雄割拠、いずれがアヤメかカキツバタ状態なの
である。
 ああもう、今日こそは天丼の封印を解いちゃうおう、田原町で下りて国際通りをま
っすぐ。天丼天丼天丼天丼と怪しげな呪文のように唱えながら歩いていたが、いやは
やなんとも、ものすごい湿気である。二分と歩かないうちに汗だらだら。こりゃもう
「大黒屋」だ「尾張屋」だと店を選んでいる場合じゃない、天丼さえ食べられりゃい
いのだからと、ROXの手前の小さな天ぷら屋に飛びこんだ。

 くすんだ土間にテーブル席が三つ、四つ。無造作にスポーツ新聞が置かれている。
丸イスがぎっしり並んだカウンターの中では、意外に若そうな主人が大きな黒ぶちメ
ガネをずり上げながら黙々と天ぷらをあげている。あまり今時の店とはいえない造り
だが、テーブル席に腰を下ろすと、不思議な居心地の良さがある。横の壁には、林家
今丸が切った「宝船」の額。素通しのガラス戸の向こうを、ギターケースを抱えた、
どうみても堅気とは思えない中年男が横切っていった。

 注文したA天丼が出来あがった。タネは、やや小ぶりな海老天が二本と、これも小
ぶりなかき揚。豆腐の味噌汁が付いて千四百円である。浅草らしい「大きな海老天」
を期待していただけに、肩透かしをくった感じだが、ここの天ぷらはなかなかのもの
なのだ。ぷりっと締まった歯ごたえ、海老の甘味を生かす抑え目のタレ。さらにうれ
しいのは、かき揚である。サクッと上がった衣にかじりつくと、中は一転ふわりとし
ていて、海老と小柱のうまみがじわっと…。天ぷらも店構えもオヤジの風采も、なん
と控えめな店だが、「多から家」はまぎれもない、浅草の天ぷら屋だった。

 天丼の快楽を久々に味わった後は、家に帰ってひと寝入り…。おいおい、帰ってど
うする。今日のメインは浅草演芸ホール見物だった。考えてみたら、ここへ来るのも
今年初めて。いやあご無沙汰してすみません、松倉しゃちょー。

 呼びこみのおじさんに押されるようにして、中へ入って、びっくり。いやぁ、入っ
てるねえ〜。平日の真昼間にこの人数。○○や△△あたりじゃ考えられないもんなあ。
さすが浅草。誉めおく、って「三井の大黒」じゃねーや。

 高座はちょうど神田陽子が終わったところで、前座が釈台を片付けている。まんべ
んなく席が埋まっているので、最後列のそのまた後ろ、壁に張り付くように置かれて
いる丸イスに腰掛け、汗をぬぐった。
 夢楽「転宅」は、丁寧な仕上がり。忍び込んだ家の、色っぽいお妾さんに丸め込ま
れ、「よく見りゃいい男だよ。顔の真中に鼻がある…」なんて言われてやに下がってい
る間抜けな泥棒のオハナシなのだが、夢楽の口調が江戸前過ぎて、泥棒が間抜けに見
えない。イキ過ぎるが唯一の難点である。

 漫才のWモアモアも快調だ。
 「昼間っからこんなに来てて…。みんな仕事ねーの?」
 「夜の仕事かもしんないじゃん。水商売とか」
 「(年齢層の高い客席を見まわして)これじゃ店、暇だろうね」
 「だまれー!」
 客いじりネタだが、ウケるウケる。
 「子育てって、金かかるんですね」
 「そりゃ、お前んとこの子がバカだからだよ」
 「なんでヒトの子の悪口言うんだ!」
 「そりゃ、知ってるからだよ」
 後は中高年ネタのオンパレード。ボケとツッコミの役割分担がはっきりした、師匠
のWけんじを思い出した。

 中トリの文治はお休みで、柳昇がピンチヒッター。「カラオケ病院」を気持ち良く演
じて、喝采を受けていた。それにしても、柳昇の歌唱力はなかなかのものだ。「北国の
春」や「星影のワルツ」はもちろん、「お久しぶりね」なんてアップテンポ(?)の曲
も軽快にこなすんだもんね。

 後半一番手は、スキンヘッドの富丸。自慢のアタマを見せながら「ご来光です」っ
て、もう七月だぜー。
 「噺家は一日十五分しゃべっておしまい。それで食えるかって?ルート3ですよ、
人並みにって…」
 場内シーン。
 「いやあ、今日のお客さんは、わかんないみたいだなあ。お孫さんにでも聞いてく
ださい」
 シーン。
 気を取り直して、「噺家の夢」へ。ネタのほうはウケていたけど。

 客いじりが得意な玉川スミは、満員の客席に満足そうだ。
 「前の方のあんた、もてなさそうな顔して…。(上手前をむいて)そっちも扇子なん
か使って場合じゃないよ。(正面に向き直って)みんなおさまっちゃって、芸者でも呼
んだ気になってるんだろ。これだけの芸者、二千円じゃ呼べないよっ!」
 もう、言いたい放題である。

 元気なおスミさんのあとは、柳橋の代演、アッサリ味の茶楽の登場だ。勢いはない
が、抑えた口調の中に江戸の長屋が浮かび上がる「厩火事」。年下のヒモ亭主の真情が
わからずやきもきする髪結いのおさきさんが楽しい。「離縁したい」とねじ込んだはい
いが、亭主の悪口を言われると、「うちのヒトだって、やさしいとこあるんですよ。夜
は荒々しいとこも…」。ははははは。

 「待ってましたっ!」の声に迎えられた小柳枝。とうに還暦は過ぎているのに、肌
はテケテカ、様子がいい。いつもの歌い調子で、居候の川柳を並べ、若旦那のマクラ
を振れば、ちょいと落語を聴いたことがある客なら「湯屋番」だな、と思うじゃない
の。ところがどっこい、てっきり湯屋へ奉公に行くと思われた若旦那が、「船頭になる」
といいだした。おいおい、これって夏の大ネタ「船徳」ではないか。
 はなしは長いし、演出も難しい、その上期間限定のネタだしということで、ポピュ
ラーなわりには寄席であまりお耳にかかれないネタなのだよ、「船徳」は。それが昼席
の、それもトリの邪魔にならないよう軽いネタをやるのが当然の「ひざ前」という出番
でかかっちゃうのだから、ビックリ仰天である。
 どこかの会で演じるためのお稽古か、スポンサーのリクエストかと、ついついいら
ぬ詮索をしてしまうが、客の立場からすれば、四万六千日が過ぎたばかり、暑い盛り
に小柳枝の「船徳」を聴けるのは、うれしいかぎりである。
 へなちょこ船頭の若旦那が、客二人を乗せて大川に出るあたりから、小柳枝の口調
がちょいと伝法になってくる。ねじり鉢巻で見得を切る船頭、扇子の骨をねじって出
す「ギギギッ」という櫓の音、橋の上の芸者を見上げながら「そばのぉ〜、お客の〜、
ひどい顔〜」とうなる都々逸――。夏のお江戸の川遊び、いいねえ。

 冷房が利きすぎたか、ひざ代わりのキャンデーブラザースの出番で、トイレに立つ。
ロビーに出ると、小柳枝の「船徳」で満足したのだろう、老夫婦が帰ろうとするのを、
それを見つけたモギリのハナザキさんが「今帰っちゃもったいないよ。トリの歌丸が
いるよ」と引きとめていた。

 小柳枝が時間を使ったので、キャンデーは調整役に徹する。傘の上で駅ろ(駅鈴)
をコロコロと鳴らし、高座に涼しさを運んで、たった五分で高座を下りた。

 さて本日のトリ、人気者歌丸の出番である。冒頭、「笑点」のエピソードから入るの
は、この人らしいサービス精神だろう。
 「大喜利の語源は、笑点と言う教育番組からとお考えの方もいるでしょうが」と笑
わせておいて、「昔、入りの悪い二月、八月は、トリ一席でバラシをかけず、なぞ掛け、
都々逸、娘拳なんかをやったんです。大ぜい入るし、客は普段見ない芸で喜ぶ、そし
て芸人にも利がある、というわけで大喜利というらしい」と、実にもっともらしく解
説する。さっき笑点の話にゲラゲラ笑ってた客が、ふむふむとうなづいている。

 「(天井を見上げながら)今日は上(フランス座東洋館)でコントやってるみたいで
すが、さっきからドタンバタンと…。芸のねーやつは暴れるしかしょうがない」とひ
としきりぼやいてから、ようやくマクラに入る。
 「噺のマクラでよく、ネタと関係する川柳をよんだりしますが、川柳の中で最も多
いのが、間男、つまり姦通を扱ったもので」と言いながら、間男モノの「紙入れ」に
入る。秀逸なマクラである。
 テレビ番組で見せる顔とは違って、高座の歌丸は古風な味が身上である。とりわけ
最近は、円朝モノに力を入れるなど、硬派な(?)芸が売り物になっているが、この
日の「紙入れ」は、かなり色っぽい演出だった。「よく聞けば 猫の水飲む 音でなし」
なんてね、真面目な僕にはよくわからないが、けっこうきわどいのではないだろうか。
くすくすと忍び笑いの出る客席、間男モノとしては出色の出来というべきだろう。

 「厩火事」、「船徳」、「紙入れ」と、後半に入って、時間も内容もたっぷりの落語を
堪能できた。浅草演芸ホールは、華やかでバラエティに飛んだ芸を見せるのがポリシ
ーで、大ネタをじっくりという客には物足らない時もあるのだが、この日はまったく
文句なしである。帰りがけ、モギリの脇で、ここんちの若旦那・松倉専務が僕の心の
中を見透かしたように、「今日はお徳だったでしょ」と声を掛けてきた。




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