浅草寄席さんぽ 

 その壱「穴子と雷」

 とき  : 平成十二年七月三日(月)
 ところ : 木馬亭
 ばんぐみ: 浪曲七月定席
 とり  : 東家浦太郎
 いり  : うーむ


 浅草へ行く時は、仲見世や浅草寺の人ごみを避けて、田原町駅から国際通りを歩く。
梅雨の終わりの、刺すような日差し。たまらず八ツ目鰻屋の三叉路を右に折れ、一本
目のアーケードの道へ迂回した。
 寄席見物の前に、まずは腹ごしらえだ。「すしや通り」という名のわりに鮨屋が目立
たぬ小道の中ほど、「十和田」という蕎麦屋ののれんをくぐった。
 こぎれいな店内にテーブルが四つ、五つ。右奥にコの字型のカウンターがある。天
ぷら屋のような作りだなと思いつつ腰を下ろすと、中で本当に天ぷらを揚げている。
ははあ、揚げ物が自慢なのか。それなら、穴子天ざるで勝負だっ!
 とまあ、何も力む事は無いのだが、梅雨穴子というぐらいだから、ここは海老天よ
り穴子だろう。ほどなく出来あがった穴子天ぷらをためつすがめつ。浅草で天ぷらと
いうと、大黒屋の天丼のようなごま油コッテリ系を思い浮かべるが、ここのはあっさ
り軽い。力強さはないのだが、さっぱり風味が、油ののった旬の穴子の邪魔をしない。
早い話が、おいしいのね。あつあつの穴子にハフハフ言いながら食らいつき、帰す刀
でコロモ同様すっきりした「十和田周辺で取れたそば粉を使った手打ち蕎麦」をずず
ずずずっ。いやあ、会社をサボって平日昼下がりの浅草ランチ、けっこうなお手前で。

 いかんいかんいかん。てなことをやってるうちに、一時半を回ってしまった。今日
のメインディッシュは手打ち蕎麦ではなく、木馬亭の浪曲定席なのである。十二時半
には開演してるはずだから、もう三本目が始っている。慌てて勘定を済まし、すし屋
通りから、六区映画街へ。ROXのビルを過ぎ、浅草演芸ホールを左に見て、斜め右
の道へ入ると、五重塔に続く細長い道の真中辺り、強烈な日差しに照り付けられてう
なだれている木馬亭ののぼりが見えた。
 汗を吹き吹き中へ入ると、「あらあら、めずらしい」と声がかかった。木馬亭のおか
みさんが、テケツの脇の小さなイスにすわってにこにこしている。春夏秋冬いつ来て
も、おかみさんは同じ場所のイスにちんまり座っている。春先に来た時と違うのは、
傍らの石油ストーブに火がついてないことだけだ。
 「ここんとこ夕方になると、にわか雨があるでしょ。前の五重塔通りが川みたいに
なっちゃって、出番が終わった芸人さんたちが足止めくっちゃうのよ。うちは昼席だ
けだけど、夜席の小屋は出バナくじかれて大変よね−。そうそうそういえば、この間
やった若手公演が新聞で取り上げてもらったんだけど、○○さんだけ一言も書かれな
かったのよ。がっかりしてるから、励ましてやって」
 おかみさんとの雑談は、木馬亭通いの楽しみなのだ。しばらく楽屋裏話をうかがっ
ていたので、結局、前座の沢恵子、講談の神田ひまわり、着流しが似合う五月小一朗
と、若手三人を見逃してしまった。

 テーブル掛けが変わって、高座は、天中軒三代子である。この人を聴くのは今日が
初めて。写真で見るかぎりでは、ふっくらやさしそうなオバ様だなあと思っていたが、
実際に生で見た感想は、「すっごく小さい」だった。もう、ほんとに小柄なの。顔も手
足も着物もみーんなミニサイズで、テーブルの隅に置かれた湯のみまで手が届かない。
思いきり体を伸ばして手繰り寄せ、一口すすった後、また遠くまで湯のみを戻すのだ。
近くに置いとけばいいものを、なんて律儀な人なのだろう。
 「お客様からご希望がありまして」と断って、「佐倉宗五郎・甚兵衛渡し」へ。浪曲
ではおなじみの人情ばなしの、泣かせどころである。貧窮する領民のため、命がけで
将軍に直訴をする下総国佐倉の名主の物語。雪の夜、家族との最後の別れのために、
宗五郎がこっそりと佐倉に戻ってきた。渡し守、甚兵衛の手引きでなんとか我が家に
たどり着くが…、と、ここまで聴いたところで、不覚にも意識を失ってしまった。天
ざるを大盛りにしたのがまずかったか…。気がつくと、とっくに幕が下りていて、当
の三代子はというと、あれれ、僕の横の席で贔屓客らしい年配の女性二人組と話しこ
んでいるではないか。
 「何時に帰んの?車あるから、送っていくわよ」「すみませんねえ」
 客と芸人の会話というより、近所のおばさんの世間話のようなのが、ほほえましい。

 続いて登場は、イエス玉川。神父の衣装で出てきて、聖書を片手に浪曲をうなると
いう不思議な芸の持ち主だが、浪曲のホームグラウンド・木馬亭に出演するときは、
紋付袴で正統派の浪曲を聴かせてくれる。お笑いで鍛えた話術と、実は骨格のしっか
りした浪曲芸がかみ合って、実に楽しい。今、聴き頃の中堅なのだ。
 「さっきでた講談の神田ひまわり。僕と同町内の出で、幼稚園の後輩なんですよ。
広島県の大和町の。こういう世界で、自分以外にあんな田舎の出身者がいるなんてね。
今じゃ自分の出世より彼女の成長が楽しみです」
 笑わせた後は、すっと背筋を伸ばして、「お笑いを長くやってきましたが、昔舞台の
袖で鳥肌を立てて聴いていた先生方がみんな亡くなって、あたしごときにも出番が回
ってきた。今一度浪曲ブームの再来をと願って、一席聴いていただきます」。ようよう、
いい料簡だねえ。
 ネタは、自作の『たぬきと和尚さん』。ちょう今日がカセットテープの発売日だそう
で、力が入った高座である。
 越後国湯沢の山の庵。雪の夜、裏山の狸が「寒さをしのがせて」と訪ねてきた。老
和尚と仲良しになった狸は、それから毎年冬になるとやってくるようになったが、あ
る年「自分の葬式を出す金がほしいなあ」という和尚のつぶやきを聞き、金集めの旅
に出るーー。普段の口八丁手八丁の高座とはガラリ代わった、民話調のほのぼの浪曲。
先ほどの“決意表明”といい、改心したのか、イエス玉川。今後がますます楽しみに
なった。

 幕間を待ちかねてトイレに直行。どこかの寄席と違って、木馬亭のクーラーはしっ
かり仕事をしているようで、少し寒いほどだ。用をすませて戻る途中に、「月刊浪曲」
の布目英一編集長にばったり。浪曲専門誌などという、どう考えても儲かりそうもな
い(ごめんなさい)お仕事なのに、いつ見ても血色が良い。色白の大衆演劇の二枚目
役のような色白でっぷりの姿で、出来あがったばかりのチラシをくれた。
 「昔ね、元編集長の芝清之さんが浪曲、講談、落語から若手を選んで『三扇会』と
いうのをやってたんですが、今度それを復活させます。八月五日、ここ(木馬亭)で
旗揚げするんで、来てください」
 メンバーは、浪曲=五月小一朗、東家若燕、講談=神田ひまわり、小金井若州、落
語=古今亭菊之丞、柳家三三。第一回公演には、旧メンバーの柳家さん喬が補導出演
するという。あえて厳しいことを言わせてもらうが、参加の顔ぶれをみると、浪曲が
やや見劣りする。こういう形で他の芸にもまれることは、きっと実となり、肉となる
だろう。頑張れ、浪花節。

 沢孝子が高座に現れると、突然、ゴロゴロゴロという音が響いてきた。ここのとこ
ろ連日のにわか雨だ、今日もそろそろ雲が動き出してきてもおかしくはない。
 「雷がなってますねえ。それでは今日は、おにぎやかなお話を」
 十八番の甚五郎モノ「竹の水仙」デアル。東海道鳴海の宿の脇本陣、大杉屋に腰を
落ちつけた名工・左甚五郎は、朝一升昼一升夜一升と酒浸りの毎日だ。心配になった
主人が「勘定を」と切り出すと、「無い」の一言。さあ、どうするかと思っていたら、
裏の竹やぶから手ごろな竹をとってきて、部屋に閉じこもったーー。生真面目な芸に
時々はさむ、ぶっきらぼうなクスグリが妙にオカシイ。寄席の浪曲師として知られた
師匠広沢菊春。落語浪曲を受け継ぎつつ、さらに多彩な浪曲をト、看板になった今で
も攻めの芸を見せてくれるのがうれしい。

 さて、本日のトリは、オールラウンドプレーヤー、東家浦太郎。とにかく、先代譲
りの侠客モノはもちろんのこと、時代物、人情モノもいけるし、歌も歌えば、怪しげ
な新作までこなす。ネタは多いのはけっこうだが、一度聴いてもう一度と思っても、
同じネタになかなかぶつからないのが、ファンにとってはもどかしい。今日は何をや
るのかとネタを想像しても、当然の事ながら、あたったためしがない。
 今日あたり「野狐三次」でも聴きたいなと密かに思っていたが、やっぱり大はずれ。
「太閤記」の中から、若き日の秀吉を描いた「三日普請」の一席だった。
 二百十日の嵐で倒れた城壁を、「三日で直す」と大見得を切った木下藤吉郎。さて、
どんな思案があるかというお話だが、外の雷鳴は激しくなるばかりで、二百十日の臨
場感たっぷり、鳴り物入りの「太閤記」になった。
 「外はゴロゴロ〜、気になるのではございますがぁ〜、やってる本人はぁ、気にす
るわけにはまいりません〜」とアドリブも入って、浦太郎は絶好調。こまっしゃくれ
て才気煥発の木下藤吉郎と、やはり小柄でセンスの塊のような浦太郎のイメージがぴ
ったり重なり、小気味の良い高座。現時点では、浪曲界のエースといって間違いない。
浦太郎もまた、今が聴き時である。

 帰りがけ、とどろく轟音に、木戸口で足踏みしていると、贔屓客への挨拶に出てき
たのだろう、沢孝子と出くわした。
 「今度ねえ、弟子の恵子が年季明けで、披露目の会をやるの。来てくれるわね」
 後ろで、普段着姿の恵子が、何遍も何遍もアタマを下げている。
 若手勉強会の旗揚げに、沢門下の年季明け、中堅どころのイエス玉川、東家浦太郎
の頑張りも目に付いた。不勉強で、年に数回しか足を運ばなかった浪曲定席、今年は
しっかり見守ろうと思いながら、稲光の参道を駆け抜け、浅草駅へ急いだ。

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