寄席さんぽ2002二月中席

 丸の内線の階段を上る。地下通路を直進して東武の横のエスカレーターを上ると地上に出る。西口交番を横目にロータリーを右へ…。池袋演芸場へ向かう道すがら、ふと考えた。今までに何度、この道を通ったのだろう。

 喬太郎のマクラを聴かなくたって、池袋には学生時代から、たくさんのなじみがある。

 西口に出るのが多いのは、もちろん仲入前後の割り引き時間を狙って演芸場へ行くためである。東口は文芸座・文芸地下で安い二本立を見るのが目的、と言えばもっともらしく聞こえるが、ほんとは、金は無いのに暇がある、その有り余った時間を浪費するための場所を探していただけのこと。池袋という町の「たそがれ加減」が、貧乏学生だった僕の気分にしっくりあっていたのだろう。

 東口の大戸屋は、今は各地に増殖してヘルシーメニューで若い女性を集めているが、元はすすけた定食屋で、金の無い学生と若いサラリーマン(男ばかり!)の溜まり場だった。 西口は、ロサ会館裏の怪しい映画館「ロサ」と「セレサ」、じゃなくって、ロマンス通り側の洋食屋「チェック」によく行った。オムライスにジャンボハンバーグ。フリーの客、それも貧乏学生とアブナイ商売の方々と仕事の無い二ツ目がうろうろしているだけの、ざわついた飲み屋街の真っただ中という、ぜーーーーーーったいウマイもの屋のなさそうな立地で、真っ当な洋食を食わせる、数少ない店。数年前、この店で○太楼、○助にばったり会って仕方なくオムライスをおごってしまった時も、「師匠に初めて連れて行ってもらったとき、これが東京の洋食なんだと感激した」なんて、○太楼が遠い目をしていたなあ。

 てなことを考えていたら、もうテケツの前に着いてしまった。駅から演芸場までの距離は、昔の思い出に浸っている暇も無いほど近いのだった。

 「大戸屋」はこぎれいになったが、「大戸屋ランチ」や「おろしとんかつ定食」など昔ながらの駅前定食メニューは残っている。「チェック」も、次々と衣替えする周囲の居酒屋のけばけばしさに埋没しかけながら、オムライス950円は健在だ。寄席の帰りに、久しぶりに行ってみようかな。

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 二月十四日(木) <池袋・昼席>

 正夢:元犬 正二郎:太神楽 楽輔:黄金の大黒 茶楽:真田小僧 北見伸&スティファニー 夢太朗:竹の水仙 仲入 恋生:湯屋番 陽子:関取千両幟&深川 扇鶴 主任=夢丸:太公望

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 さて、仕事をドガチャガにしてやってきた平日昼間の池袋。三笑亭夢丸が一般公募した落語台本を上演する「新江戸噺」シリーズの最後の一本を聴くべく、珍しく早い時間に席についた。

 二ツ目正夢の「元犬」。「ただしろ」の職探しをする上総屋のダンナと、変わった使用人を募集中のヘンクツ隠居が、まーったく同じ口調なので区別がつかない。うまいヘタ以前に、人物の演じわけを見直さねば。

 続く太神楽の正二郎は、若手ながらピンの高座だ。師匠であるボンボンブラザースのヒゲ二郎さんが、彼の才気を見て初めからピンでやらせているそうだ。

 「ワタクシまだまだ若手ですので、お客様にスリルとサスペンスをお届けします」

 とはいいながら、客をハラハラさせない、落ち着いた高座姿だ。五階茶碗が完成した後の「抜き扇」を見事に決めて、客席にピースサイン。いやいや、やるではないか。

 「英語と落語、字で書くとほとんど同じですが、全然違うんですね」と、楽輔のマクラはいつもヘンテコだ。

 「長屋はロングハウス、大家がビッグハウス、八っつぁんはミスターエイト、そうそうバレンタインデーというのがありますが、和菓子業界が、饅頭でやったらどうかと考えたんですが、義理チョコがあるから義理○○、あわわわ」

 こういう落としどころのヨレ加減は、天然なのだろうか。ネタに入っても不思議なノリは同じで「ほ、ほ、ほ、ほ、本日は、けっ、けっ、けっ、けっ、けっこうな、うけたま、うけたま」と続く口上のおかしさは、ならではの味になっている。

 池袋の明るい高座で見ると、地味な茶楽が一段と地味に見える。茶色っぽいから茶楽なのか。まさかねー。

 「コウザと言うと、銀行さんとご縁があるように思えますが、融資をいただくほど信用はなし、強盗に入るほど勇気はなしで、普段は古典落語をやっております」

 なるほど、そーでしょうねー。

 一転、派手な高座を見せてくれるのが、北見伸と“魔女軍団”スティファニー。

 「魔女軍団も、十人並ぶ事もあるんですけどねー。今日は高座の広さを考えて一人だけ」

 ええと、あれはリーダー格の並木ゆうに違いない。なんてことがわかる私はいったい…。

 仲入前の夢太朗は、元気一杯に「竹の水仙」を。明るく力強い芸風が身上なのだが、甚五郎ものでこのテンションはいかがなものか。なんたって、変わりもんで名人気質の甚五郎が、愛想のよい商家の旦那にしか見えないのだ。

 どうでもいいが仲入が短い。昔の池袋は、客がつばなれスレスレだったりすると(つまり、いつも通りの入りだとすると)、客を逃げる余裕を与えぬために仲入休憩を省いて、そのまま後半戦に突入したものだが、今日はもうちょっと入っているような気がするぞ。

 ともあれ、後半一番手は、夢丸トリの今シリーズ、ずっと食いつきに起用されている恋生だ。「アタシがだれに似てるかと言うと」と言ったとたん、客席から「ビンラーディン!」の声。「客席から言われたの初めてですよ」とびっくりしていた。それにしても、噺家にあるまじき、ビビッドな風情ではある。

 久々にみる神田陽子は相撲ネタ「関取千両幟」。キャピキャピ講談で売り出した人とは思えぬネタだが、意外や(失礼!)丁寧な仕上がり。オマケに愛嬌たっぷりの「深川」を踊るサービス満点の高座だが、これだけやってくれたら、膝がわりはいらないよね。

 というわけで扇鶴は省略して(ごめんねー)、トリの夢丸へ。

 「新江戸噺」三本目の「太公望」を聴く。吉原・万十楼(漢字がわからない~)の障子襖絵に墨絵で描かれた太公望が、絵からすり抜けて、絵師と花魁の恋の手助けをする。三十分を超す熱演だが、噺自体は、人情ばなしの掌編といったところ。今まで聞いた中ではもっともまとまった作品だが、その分、小味な印象はぬぐえない。吉原、花魁、幽霊に大川と、夢丸好みの題材を集めた三篇、どれが残っていくのかはわからないが、いずれもまだ未完である。今後は何度か高座にかけて練り上げる、地道な作業が必要だろう。近々、第二弾の台本募集も始まるらしいが、今度は滑稽噺も取り上げてほしい。いずれにしても、夢丸の心意気は十分に伝わる、気持ちのよい高座を見せてもらった事に感謝したい。

 ハネた後、北口へ入る通路のそばにある喫茶店「フラミンゴ」に入った。ここも昔よく行った店で、ショートケーキやモンブランのような当たり前のケーキが美味い。当時の東口によく似合った、時代に取り残されつつある雰囲気が好きだったが、いつのまにかスタバ、エクセルシール系の、シャレてはいるが薄っぺらなコーヒー屋になっていた。

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 週末は、国立の小遊三と決めていた。国立演芸場の十日間は、普通昼席だけなのだが、金曜日のみは昼夜興行となる。その夜席にあわせて時間を作ったのだが、急な会議で遅れてしまい、大あわてで永田町へ。ああ、これなら二本目ぐらいから見られるかなと思いつつ、現地に到着したが、あれれ、入り口のところで、客と思しき数人が呆然と立ち尽くしている。なにやってんだろ。早く入ればいいのにと思いつつ先客の視線の先をたどると、「本日貸切」の掲示が…。

 え”~~~~~! それはないでしょー。チラシにもかわら版にも、「貸切あり」なんて書いてなかったぞー。……しかし起こっている場合ではない。これからどうするか。無理矢理作った時間があるのに、行く場所が無い。そうだどういうわけか見逃していて周囲の話題についていけなくなっていた映画「千と千尋の神隠し」でもみようかと、国立入り口のとこにある日曜休み(!)のコンビニで立ち読みしつつ時間チェックをしたが、もう最終回が始まってる~。それじゃ鈴本か池袋だな。今から行けば、仲入前ギリギリで入れそうだ。池袋なら、芸協五日間興行の後半で、トリは鶴光。よし、これだ!と、永田町から有楽町線で池袋へ。こないだとおったばかりの西口ロータリーを、今回は思い出に浸っている時間もなく小走りである。

 なんとかテケツに辿り着いて番組表を見ると、「鶴光休演 代演は枝助」。

 なんだこりゃー!今日は寄席に来るなということなのか。ううむ、のこり数本で、お目当てが出ない。代演の枝助は嫌いではないが、鶴光の代わりでは、ちと軽すぎる。ううむううむううむううむ。モニターで仲入前の遊三(ぬあんと「水屋の富」をやっている)を見ながらしばし考えて、入るのをやめた。やはりテケツ前で煩悶していた同類と、肩を落としつつ飲み屋街を歩き、「椿三十郎」なる店にて、互いの来し方行く末に思いをはせたのであった。

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二月十八日(月) <鈴本・夜席>

 (吉窓:動物園) 志ん輔:強情灸 順子ひろし こん平 権太楼:人形買い 仲入 正楽:雪だるま・鈴木宗男・五輪の清水 一朝:看板のピン 金馬:孝行糖 仙三郎・仙一 主任=小金馬:一人酒盛 <り、東方見聞録>

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 というわけで、夜席は週明けの月曜日。さすがに今度は池袋方面を避けて、鈴本演芸場である。上野にも思い出の店は数々…、なんて始めると、また何が起こるかわからないので、さっさとモギリを通過する事にした。

 席に着いたとたん、吉窓が「俺も百万円で雇われた」とサゲたので「ははあ、『動物園』か」とわかっただけ。ちゃんと聴いたのは、次の志ん輔からである。

 「われわれ噺家もね、『強情灸』なんて噺をやってるんだから、お灸のひとつもやってみなくちゃと思って、買ってきたんですよ。そしたら、こないだ禽太夫で真打になった小のりが来た。ちょうどいいやってんで、小のりの足の裏にお灸を五ミリぐらい据えたらね、百九十センチ近い大男が『ギャオ!』と言って30センチ飛び上がった。何やってんだって、アタシも据えてみたら、これが痛いの。焼いた針を、ブスッと差し込まれたような感じですな」

 そんなマクラをふって入った「強情灸」の勢いのいいこと。明るくって調子がよくって、こういう能天気な連中なら、浅間山のようなお灸を据えるかもしれないなって、納得できるのである。こないだ聴いた「あくび指南」でも同じような事を思ったということは、志ん輔の演じる江戸っ子が、それほど生き生きしているということだろう。勢いの戻った志ん輔、その勢いで矢来町亡き後の一門を引っ張ってほしいと思ってしまうのは僕だけではないはずだ。

 順子ひろしは、別の意味で勢いがあるというか。

 「(出てくるなり同時にしゃべりまくり、相方のひろしに)うるさいわね、アンタは立ってればいいの。立ってるだけで絵になるんだから」

 「(少し照れて)それほどでもないよ」

 「男は顔じゃないのよ。内臓よ」

 なんじゃそりゃ。

 今日は口八丁の順子の調子が、やたらとセリフを噛んでいる。相方のひろしがフォローすればいいのだが、アドリブのきかない人なので、ただ笑っているだけ。そこがまたオカシイのである。

 「(ダンスの場面で)アンタ、何でアタシのこの柳腰を抱きに来ないのよ」

 「それ、柳腰か?」

 「雨が少なくて育ちすぎたのよ!」

 ここでひろしが、思わず「ウフツ」と吹いてしまう。

 「汚いわねえ、ツバキ飛ばさないでよー。(笑い続けるひろしに)何笑ってんのよー(と怒りつつ、自分も吹き出す)」

 いやもう、楽しいコンビ。「二人の年齢をたすと百五十。アタシが五十で、この人が百」というギャグがあるけど、合計二百ぐらいまでは、がんばってほしいぞ。    

 次はこん平かあ、このところいつも同じ漫談だからなあ、ちょっと疲れたからお休みタイムかなあ、でも声がバカデカイから熟睡は出来ないなあ、などと不謹慎な考えをめぐらせていたら、当のこん平は、客席をずっと見渡して最前列に目をとめた。

 「えー、今日は客席に渋谷のキレイどころのお玉ちゃんもいまして、この人は十日間の興行のうち二十六日ぐらいお見えになるんですな」

 お玉ちゃんといえば、泣く子も笑う寄席の有名人、紙切りおっかけ姐さんではないか。正楽目当てに通ってくるうちに、こん平に顔を覚えられてしまったらしい。ご本人は迷惑かもしれないが、おかげでこん平の漫談がいつもと違う展開になっている。

 「昨日の日曜日は大変なお客様で。こういうときに来るお客は、利巧とはいえません。今日のようにゆとりがあるところに来るのが賢いお客様。さっき消防署の人が視察に来て、ちょっと場内を覗いて『あー、こんなに空気がいいのか』って、喜んで帰っていきました」

 こんな事を言いながら、寄席の楽屋の紹介に入り、話題はいつのまにか「前座の一日」てな感じに。一番太鼓から追い出しまで、わかりやすく前座の仕事を解説し、最後は「昨日の前座が手を抜いたから、今日はこんな入りになった」。こういう話の時もあるのかしら。いじられたお玉ちゃんに感謝しなければ。しかし「十日興行に二十六日通う」って……。

 権太楼のやや早い季節ネタ「人形買い」で仲入休憩。例のおたまちゃんが目を輝かせながら「ヒミツの正楽応援計画」を聞かせてくれた。

 「あのね、東京かわら版の演芸年鑑の裏表紙にね、正楽師匠の広告出そうと思ってるんですよ。あの広告、一枠一万円なんだけど、年鑑十五冊いただけるのね。そしたら、十五人有志を募れば、一人七百円の出費で、八百円の年間が手に入って、しかも正楽師匠の宣伝が出来るんですよー」

 す、すばらしい!僕も及ばずながら、賛同必至の演芸仲間を紹介する事を約束する。

 お玉ちゃんの謀略(?)を知って知らずあ、食いつきの正楽はいつものユラユラペース.「雪だるま」「スズキムネオ」「オリンピックの清水」と切って、またユラユラと揺れながら戻っていくばかりである。

 いつもの「今日はイッチョウケンメイやります」がウケなかった一朝。

 「…反省してます。毎日毎日同じこといってて、はっきりいって飽きちゃった。でも、これ言わないと、あとが出てこないんですよー」

 「待ってました、金馬さん!」という掛け声に聞き覚えがある。まさか、おたまちゃん?

 十八番「孝行糖」のマクラは、物売りの声だ。

 「今は物売りが来なくなりましたねー。残っているのは、石焼いもぐらい。いもだって昔は、つぼ焼き、西京焼き、大きな鍋に薄く切ったやつなんて、いろいろあったんですよ」

 石焼いも、もう何年も食ってないなあ。

 膝がわりは、仙三郎親子の太神楽。途中に挟まる仙三郎のバチのとりわけがカッコイイ。鼻の上にバチを一つ立て、それがすーっと落ちたところから三本の取り分けが始まるのだ。あざやかー。

 太神楽が終わると、お玉ちゃんが帰っていく。「必殺ひざがえり」は誰にでもできる技ではない。

 トリの小金馬は、いつにもまして、にこやかな表情で酒のマクラに入った。

 「落語界で酒飲みといえば、林家こん平師匠ですよ。ざるのこん平、ウワバミのこん平。あの人に、何人の噺家がつぶされた事か。梅橋、小円遊、早死にした噺家はみんな…」

 「アタシはねえ、こういう商売をしていて申し訳ないんですが、飲めないんでございますよ。師匠の金馬が、『そーかー、お前そんなに飲めないんなら、今日は目一杯ご馳走しちゃうから』って、目の前にドーンと一升瓶を置かれました。しかし、飲めないもんですねえ。一合、二合…、残したぐらいで」

 じゃあ飲めるんじゃねーか!

 今夜のネタは、めずらしや「一人酒盛」だ。そういえば、こないだ金馬の「試し酒」を聴いたばっかし。師弟で酒のトリネタを聞き比べである。

 「一人酒盛」というネタ、聴いててあまり気分のいい噺ではない。到来物の酒をちらつかせながら、酒好きの友達にあれこれ用をやらせ、話の相手をさせながら、結局友達に一滴も飲ませず、自分だけで全部飲んでしまうという展開だが、どう同情的に見ても、この主人公はいやなやつとしか思えないのだ。元の噺がこんなだから、うまく演じれば演じるほど、後味がよくない。この噺を得意にした円生なんて、考えてみれば、「一人酒盛」「包丁」「なめる」とか、十八番にはやたら「やな噺」が多いんだよね。

 で、小金馬の「一人酒盛」。聞いていて、不思議にいやな気持ちにならないのだ。

 べつに小金馬が「うまくない」ということではない。よだれをたらさんばかりに、実にうれしそうに酒の薀蓄を傾ける男が、あきらかに「いい人」、つまり小金馬自身であるからだろう。

 「今の聞いてた?俺が飲む時、コクッ、コクッっていうだろう?コクのある酒ってのは、こういうのをいうんだね」

 「街の明かりと話がしたく 夜の千鳥となるはしご~」

 「最後の一合は、アツアツー! フーッ、アチー、でもうまいねー」

 実にいろんなこと言って飲む酔っ払い。酒ののめない僕には、永久にわからない感覚なのが、ちょっと悔しい。寄席がハネた後、筋向いの「東方見聞録」で、梅酒のソーダ割を一杯だけ飲んだ。

 

つづく 

 


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