寄席さんぽ2002正月二之席

 誰も何にも言ってはくれないが、たとえ誰が何と言おうとも、ワタクシはフツーの会社員である。とーぜんのことながら、正月休みが明ければ、会社に出勤して仕事をする。これまたとーぜんのことながら、まとまった休みの後のデスクの上は、未決事項の書類の山なのである。そしてさらにとーぜんのことながら、寄席なんかに長時間潜伏している余裕は、物理的にも精神的にもないのであった。

 それでも週末は寄席に居たい。だらだらと、句読点の無い時間を過ごしたい。ついでに日曜版の寄席コラムのネタもひろいたい。ああダメだダメだ仕事が頭から離れていないじゃないかーと反省している間に、池袋についてしまった。

 落ち行く先(?)には、小三治のトリが待っている。待てよ待てよ、今日は篭城モードなのだから、食料の調達が必須ではないか。西口から取って返して、東武デパートのB2へ。とりあえず目に付いた「穴子と鯖の押し寿司」を買ったが、どう見ても量が少ない。ついでに好物のいなり寿司(しょーもないけど、好きなの!)を1パック追加してと。おっとっと飲み物もいるな。「おーいお茶」のボトルも買っちゃおう。意外に“かさ”のある東武のビニール袋に満足感を覚えながら、地上に戻った。

 買い物に手間取って少し遅れてしまったが、池袋演芸場はまだ二ツ目の出番の出番ぐらいだろう。ま、いーやとヨユーシャクシャクでテケツをのぞいたら、どこか江東区大島中の橋商店街の畳屋の職人を思わせるS支配人が一言。

 「立ち見だよ」

 うっそーーーーーーーーーー!この一週間、週末の寄席三昧だけを楽しみにマジメにお仕事してきた善良な会社員の僕は、普段は一人で一列ぐらい受け持つことも可能な池袋の窮屈なイス一つを与えられることすら許されないのか!それよりもなによりも、あのクソ狭い通路で立ち見見物をしながら、両手のビニール袋いっぱいの押し寿司とおイナリさんをどうやって味わえというのであろうか。

 ううう、嘆いているうちにも次々と新手の客がやってくる。ままよ、将来のビジョンはまったくないが、ここは前進の一手しかないのだ。悲壮な覚悟で階段を下り、中に入ると、ひやーーーーーーー、入ってるよーーーーーー。迷える会社員は、やっぱし立ち見なのであった。

      ★ ★

一月十四日(月)

<池袋・昼の部>

三之助:のめる 一琴:アジアそば 小猫 福治:狸の札 さん八 扇橋:つる 小円歌:のんき節&かっぽれ 文楽 喬太郎:鍼医堀田とケンちゃんの石(短縮版) 三語楼:町内の若い衆 アサダ二世 馬生:あくび指南 円窓:佐々木政談 仲入 たい平:紙屑屋 小さん:三棒 権太楼:代書屋 喜多八:竹の子 志ん五:うなぎや 順子ひろし 主任=小三治:千早ふる

<鈴本・夜の部>

 さん坊:子ほめ 亀蔵:堀の内 円太郎:あわびのし 菊代 蔵之助 円鏡 伯楽 太神楽社中:寿獅子 志ん駒:弥次郎&深川 正楽:雪国・獅子舞・ビンラーディンの行方 花緑:宮戸川 一朝:芝居の喧嘩(仲入まで)

      ★ ★

 狭い寄席で少しでも快適に立ち見をしようと思えば、重要なのはポジショニングである。入り口の脇、つまり下手側の端っこは、客の出入りが頻繁なので落ち着けない。最後尾も似たようなものである。ここは動きが少ない一番奥、上手側脇の通路がよろしいのではないか。そんなことを考えながら「スミマセンスミマセンあ足踏んづけてゴメンナサイコート落ちてますよ」とジワジワ移動しているうちに三之助の「のめる」が終わっちまった。

 やっとこ目標地点に到達したと思ったら、高座から甲高い声が響いた。

 「ハーイ、ワタシ、インド人デース、アミーゴ!」

 一琴は最近、こればっかし。白鳥原作の「アジアそば」である。

 「ウチのそば粉、匂いかいだだけでハッピー、ハッピーになるそば粉デース!」

 さほど好調とも思えないのだが、なんか異様にウケているのは、狭いところにぎっしりの、宗教系の秘密集会のような状況おける群集心理とでも申しましょうか、カケフさん。

 濃いグリーンのジャケットに、真っ白なパンツ。むんむんむれむれ(?)の客席とは対照的に、小猫のいでたちは実にサワヤカである。

 「ウチのオヤジのなによりの幸福は、いいセガレを持ったこと」という、いつもの挨拶に、今日は嬉しいオマケがついた。

 「僕のセガレも(物まねを)やりたいって言うんですよー」

 そういえば、最近読んだA新聞の「オヤジの背中」という読み物に、「小猫の、二十四歳になる息子が、物まね修業を始める気になった」とあった。物まね三代が、四代になる。「代を重ねるごとにイイ男になる」という噂もあるが、これはどうだろうか?

 「新春特別リクエスト大会」への注文は、「ウグイス」と「馬」。ウマのひづめの音は、ほっぺたを叩いて出すのだが、いい音を出す秘訣は「叩きながら、口で本当にパカポコパカポコと言う」んだそうな。

 「では、最後にもう一つだけリクエストを」

 「盛りのついたネコ!」

 「すばらしー!」

 江戸家の物まね芸に精通した、文句のつけようの無い注文ではないか。

 人のよさそうな福治は、学校寄席の失敗談。

 「『母ちゃん、パンツ破けたよ』『またかい?』ってのをやったんですが、子供さんはウケるとこが違うんですよね。『パンツ破けた』で、ギャハハハハと笑っちゃうの。これじゃ、後が続かない~」

 さん八は、秘芸「さる高貴な方々の物まね」。その前に、落語界の高貴な方のお噂である。

 「小さん、このごろ見ないでしょ?でも、生きてます。昨日、ここに出たんですよー。アタシが来たら、楽屋にいるの!亡霊かと思いましたよー」

 「待ってました!」の声がかかったのは、扇橋だ。

 「すごい入りですねー。まあ、立っていられるのというのは健康のしるしですから。それにしても、成人式でいい天気ってのは数十年ぶりなんですってねー。ところで、池袋の客席の後ろにある時計、なんか位置がずれてるでしょ?真ん中にあるとね、ライトで光っちゃって、高座から見えないんですよ。新宿や上野の時計も、薄暗くて見にくい。国立は、さすがに見やすくてねー」

 この人のマクラは、いつも話題がぴょんぴょん飛んで、つかみ所がないんだよなー。

 小円歌は高座に現れるなり、「まー、ようこそいらっしゃいました。今日はよく見ておきたいと思います。明日から元に戻りますからねー」。今日はいつもの「見世物小屋」ではなく、「最近、復活させようと思いましてね」と、なつかしの「のんき節」を。

 「二〇〇二年初の競馬へ、硬貨握り締め行きました。途中で屋台の匂いに惹かれちゃって、馬券買わずにウマカッタ、ハハのんきだね~」

 喬太郎も出てくるなり、「なんですか、みなさん。来る気になれば、こられるんじゃないですか。普段どこにいるんですか?」。

 扇橋、小円歌、喬太郎、この後の三語楼と、出る芸人出る芸人が「客の入り」をネタにしている。そりゃーまー、普段の池袋に慣れてる連中には、今日の超満員はチョー異常事態なのではあるが、こう何度も念をおされると、素直に笑って入られない。「平均してきて欲しい」というなら、そういう魅力のある高座をやってもらわんとなー。誰にとはいわないけど。

 で、喬太郎のネタは、このごろ盛んにかけてる「鍼医堀田三郎」シリーズの、寄席向きショートバージョンである。ホールなどで演じる長編版は、池袋北口の洋食屋とソープランドを舞台にした人情喜劇だが、こっちは小児科の診察室で繰り広げられる滑稽噺。堀田三郎のキャラクターも相当アブナイ人になっている。題名も展開も同じだが、まったく違う印象が残る。不思議な二編の落語なのだ。

 「初めての人、おめでとうございます。今年はね、ちゃんとやりますよ」といって出てきたアサダ二世は、てきとーに芸をやって、最後にとっておきを一発。一番前の客にカードを一枚取らせ、みんなに見させて、さんざ気を持たせた挙句、「あーたはね、そのカードが今年のラッキーナンバー。もっと占ってあげてもいいけど、今日はこれまで」と帰ってしまった!

 馬生の「あくび指南」。「あくび」の種類に、あまり聞いたことないのが一つあった。

 「寄席のあくび。これは習わない方がいいなあ。特に○川流の時は…」

 あわわわわ。

 仲入前の円窓は、いつになく力が入っていて、この位置では珍しいトリネタ「佐々木政談」をみっちり。このあたりから、のんびりムードの高座の雰囲気が急に変わってきて、熱演が続くのだ。

 食いつきのたい平は「正月ボケで三分ぐらいの高座しかやってないから、これから元に戻していかなくちゃ」と「紙屑屋」を。アンコに入れた虎造の「石松代参」が意外に上手い。

 と、ここでいきなり聞きなれた出囃子「序の舞」が鳴った。

 えっ?これって、もしかしたら、あれだよね。ということは……、目白?

 そうなのだ。高座に釈台が置かれて、プログラムに名前のない柳家小さんが、ぬっと高座に現れたのだ。

 「皆々様には、今年も池袋演芸場をよろしく」とかなんとか、ボソボソしゃべった後は、三棒の小噺をボソボソボソ。三分ちょいで切り上げて帰ろうとするが、座布団に足を取られてなかなか立ち上がれない。

 「この座布団、ちょっと」なんか言ってて、ハラハラしたぞー。足はかなり悪そうだが、間近で見た御大の顔色はすこぶるいい。今月で満八十七歳。さんぽのついででも何でもいいから、また寄席にでてください。お願いします。

 なるほど、いきなりの熱演モードは、楽屋に小さんが現れたからか。御大の高座が過ぎても場内の熱気は収まらず、続く権太楼の「代書屋」がウケるウケる。

 これも間近で見るとかなり毛深い喜多八。「正月は、時間がなくてさっさと終われるのが好き」なんていいながら、「竹の子」でしっかり笑いをさらっていく。

 「春は芽、夏は葉、秋は実で、冬は根を食うといいますが。おーい、べくない!」という導入部に、季節感がある。

 志ん五は十八番の「うなぎや」だ。

 「おまいねー、うなぎの自由を奪っちゃいけないよ」

 「うなぎに自由なんてあるんですか?」

 「あるよー。うなじゅーって」

 出てくるなり、相方のひろしにビンタを食らわす順子。威勢のよさとは裏腹に、着物地を使ったドレスが大正モダン風でおしゃれなのだ。ひろしも負けずに、白いスーツに赤いポケットチーフだったりして。

 「成人式、思い出すなあ」

 「なによアンタ、兵隊検査じゃないの」

 さて、トリの小三治。やっぱり口開けは「客の入り」である。

 「初席の、大座布団の厚さかな。我々もびっくりしてます。お客さんたちも驚いたでしょ。これは池袋じゃないよー。おそらくこの寄席始まって以来じゃないですか?」

 振り返ると、人人人で入り口が閉まらず、開け放したままになっている。たしかにここまですごいのは初めてかも。

 ここで湯飲みのお茶をずずずずずーっとすすった小三治、なんだか得意のマクラに弾みがついちゃったみたい…。

 「今年はいい年だなあ、行って欲しくないなあという、そんな年は一回もなかったですよ。来年こそ、来年こそと思ってきた。今年はね、東武デパートで財布を落としました。地下二階のトイレ、入って右のところにある、とてもいい便所です。そこで尻に入れてた財布をね、紙巻きの上に置いたんです。いい気持ちでねー。また、そのときの作品がとてもよくて、誰かを呼んでみたくなるような…。心嬉しく、ついそのまま出てしまった。たまたま免許書が入ってなかったんですよ。何かの加減で、取り上げになってた(笑)。で、交番に行きました。カードなんかとめるのに、十分ぐらい交番にいたら、『財布忘れた』って人が三人来ました。(急に声を落として)どうもね、池袋ってのは、財布がたくさん落ちてるらしいですよ」

 さんざしゃべって、ネタはまたもや「千早ふる」。マクラとネタの比率は、七三ぐらいだったかなあ。

 

 途中から奇跡的に座れたとはいうものの、久しぶりの立ち見と、空気の薄さでかなり消耗した。昼がハネて、かなりの客が帰ったようだが、体が疲れてどうにも立ち上がれない。もともと今日は長居をするつもりだったけど、この体調では、夜の仲入ぐらいが限度かなあと、思う間もなく夜の部が始まってしまった。あ、そーか、昼トリが長かったから、夜は始めっから押してるんだねー。

 でかくて柔らかそうで、お供えの御餅が着物を着たような亀蔵。マクラのダジャレがまったくウケず、早くも汗をかきだした。

 「みなさん、冷静なんですねー。疲れちゃったんですかー?……寝ててもいいですよ。あとからちゃんとプロが出ますから」

 自虐的なギャグがまたまたすべるー。「堀の内」で、行き先を忘れた主人公が、通行人に道を聞くくだり。「ちょいとちょいとちょいとちょいと、ウケるまでやってみようかな、ちょいとー」が、まさに師匠・円蔵の呼吸である。亀ちゃん、ウケなくても最後まで泣かないで走りましょうねーって、それじゃ徒競争か。

 亀蔵の後だと、さすがの円太郎がスマートに見える。

 「ただいまは、ぶよぶよした若者がパアパア言ってましたが、すぐ忘れていただくよう」

 はははは。円太郎は堅そうだもんねー。

 時間の関係か、「あわびのし」は、魚屋で、鯛の代わりに鮑を買うところまで。

「この後、江戸にチャンチャンバラバラ、地の雨が降るという、これからが面白いんですが」

 おいおい、お前は宝井琴柳か。

 菊代のビールサービス付マジックの後は、蔵之助が自分で座布団を持っての登場だ。

 「相撲と我々噺家は、よく似てます。お客さんがいなくちゃ、どうにもならない。でも、体型は似てません。亀蔵はともかく」と「相撲風景」へ。しかし亀蔵はよくネタにされるなあ。

 「十二月二十五日に浜松で、最後の披露目をやりました」って、まだ襲名披露やってたのか、円鏡。

 「四代目円鏡とかけて、盛岡ととく。その心は、センダイを超えて参ります」

 「四代目円鏡とかけて、壊れた新幹線ととく。その心は、果たしてセンダイまで行くかしら」

 前の人がインパクト強いと、後が大変だよね。がんばれ~。

 伯楽のところで、客席に、紙切りおっかけのお玉ちゃん出現。ということは、正楽、すでに楽屋入りか。急にお仕事モードに切り替わって客席を脱出。左楽、朝馬を聴かずに(ごめんね~)、ロビーで正楽と打ち合わせをしたりして。

 高座では「弥次郎」を終えた志ん駒が立ち上がって、「お師匠さん、いつものやつ」。深川を踊るのである。ヨイショの達人は、座布団を片付けに来た前座にも、きちんと気配りをする。

 「あ、おめー、誰の弟子?」

 「円鏡の弟子で、かがみです」

 「生まれは?」

 「松戸です」

 「千葉はいいよー。松戸じゃ、マブチモーターの若旦那がスポンサーなんだ」

 正楽が池袋に出ると、客の多い少ないに関わらず、紙切りの注文が殺到する。さすがマニア度ナンバーワンの寄席である。

 「ご注文は?」

 「雪国!」

 「小説?ふつうの?」

 「……まかせます」

 「……まかせられると困るんです」

 「ビンラーディンの行方!」

 「さっき何か出てました?」

 「獅子舞が出てたよ」

 「ビンラーディンの行方を捜す前に、獅子舞を」

 でも、正楽はその後ちゃんとビンラーディンを切るのである。

 「そんなもん、どう切ったらいいのかわからない……」

 「(他の客から)俺と女房の仲、切るかい?」

 「今、それどころじゃない!」(爆笑)

 最後は見事にビンラーディンの似顔を切って、「池袋演芸場にいました!」。ぱちぱちぱち。

 続く花緑は感心したように「すごいですねえ。落語の場合、ビンラーディンって、いわれてもねえ……。『ビンラーディンさん、お入りよ』なんて、やれないもんねー」

 成人式の話題をひとしきりふって、ネタの「宮戸川」につなげようと、花緑が「僕は今夫婦のことを考えているんです」といったとたん、客席から「オメデトーゴザイマス!」の声がかかる。婚約報道の直後だもんねー。

 半七よりも、お花の方がはるかに積極的な花緑の「宮戸川」。楽しい仕上がりだが、サゲがいただけない。

 「……海老名みどり、峰竜太、カカア天下由来の一席」

 こと一言で、それまで築いてきた噺の世界が、ガラガラと崩れていくのがわからない花緑ではないはずだが。

 一朝「芝居の喧嘩」は、大入りの中村座で繰り広げられる旗本と町奴の派手な出入り。一つ立ち回りが終わるごとに、駄洒落ギャグが入るのが愛嬌になっている。

ふとした油断で張り倒された金時金兵衛は、「金時だけに、甘く見た」。

「闘犬権兵衛をひっくり返すやつがいるかね?」

「さあ、ケントウもつかない」

おっとうっかり忘れるところだった。オチがポイントになる噺なので、「冗談オチ」のマクラがついていたのだ。

 「落語にはオチがありまして、偉い先生が分類してたりしますが、実際のところ、寄席で一番多いのは冗談オチですね。噺の途中で適当に切って『冗談いっちゃいけねえ』でサゲちゃうの。こないだ寄席で冗談オチが七つ続いたら、お客さんが立ち上がって『冗談いっちゃいけねえ!』って。これが講談だと『切れ場』ってえのがあって、『この先どうなりますか、これからが面白いんですが、本日はこれまで』ってやるん」

 小さんの飛び入りはあったし、小三治の長いマクラも堪能したし、久々、楽しい寄席見物だったが、さすがにそろそろガス欠だ。これからが面白い、かどうかはわからいけれど、本日はこれまで。寒風吹く西口ロータリーを横切って、芸術劇場前の台湾料理屋でエネルギー補給にいそしんだ。

      ★ ★

 一月十七日(木)

<鈴本・夜の部>

 扇遊:肥瓶 扇好:権助魚(代金時) 遊平かほり 市馬:厄払い 文朝:粗忽長屋 仲入 勝之助勝丸 小金馬:看板のピン 志ん輔:あくび指南 元九郎 主任=金馬:試し酒

      ★ ★

 寄席時間では一月いっぱいが「お正月」らしいだが、月中の平日夜席ともなれば、場内はもう「普段の客席」に戻っている。午後六時入場で、場内は四十人。高座の上に飾られた注連飾りが、風もないのにほんのり揺れている。

まったりとした静寂に包まれた草原の、ほぼ中央辺りだけが、にぎやかだ。横一列に並んだ、熟年女性六人組。丸太が転んでも可笑しい年ごろ、なのかもしれないな。

高座では、扇遊の「肥瓶」が佳境に入っている。

「これ、何の瓶です?」

「何の瓶って・・・。おめえら五十銭しか持ってねえんだから、そーゆーこと聴いちゃダメッ!」

ぽんぽんと調子のいいやりとりのうちに、次第に格安の水がめの実態が明らかにされていくと、六人組が喜ぶ喜ぶ。「いやだぁー」なんて、隣同志で肩をどつきあってるじゃん。

こういう客を、色っぽい扇好が逃すはずはない。

「男性は惚けても最後まで忘れないのが、妻の顔と声だそうですね。そこいくと女性は、まず初めに忘れるのが、ダンナの顔と声」

あきらかなピンポイント攻撃に、六人組の甲高い笑い声がとまらない。

「権助魚」のサゲは、「網打ち魚だ」とニシン、スケトウダラ、サメの切り身を広げる権助を、番頭がちらりと見て、「サメの切り身?やっぱりアイツは人を食うやつだ」。

“婦唱夫随”の遊平かほり、最近はちょっとだけ遊平のセリフが増えたような・・。

「今年はスゴイねー。二〇〇二年だよー」

「何よいきなり。何がスゴイのよ?」

「だって上から読んでも下から読んでも同じ・・」

「あ、そういうこと言いたいのー。あたしもね、二十一世紀になって、子供作ろうかなーと考えたんですが、一家の大黒柱が産休とってる場合じゃないと思ってやめたの」

「えー、君が大黒柱?じゃ、僕は何なの?」

「決まってるじゃない、扶養家族よ」

 

「今、おいしいですよね、鍋」

「鍋はおいしくない。中身がおいしいの!」

「せっかく僕がギャグいったのに、ケータイがなっちゃって、こんな状態になってさあ」

「気が済んだ?漫才続けていい?」

ううむ。ここまで徹底すると、ダンナいじめも爽やかですらあるな。

 「寄席には格言がありまして、一月十七日に来た客を大事にしろと。今日は(いきなり声を高くして)ぐーぜん、その日でありまして」と、文朝のいつものヌケヌケマクラで爆笑する六人組。「粗忽長屋」が始まると、たちまち噺に引き込まれていくようだ。「うまいわねー」。そうそう、文朝、いいんですよ。

仲入休憩後、太神楽の勝丸は、五階茶碗の「扇はずし」をはずしてしまい、もう一度やり直し。横で笑顔の師匠・勝之助、「今、彼の心臓はドキドキのはずです」って、プレッシャーかけたらカワイソーだろー。ねえ六人組のおねえさん、と目で同意を求めるはずが、客席の真ん中にはだれも座っていない!いつの間に帰ったのだろう。一列空いただけなのに、客席が広々と見える。さんざサカナにしちゃったけど、考えてみたら、今夜はあの六人にずいぶん助けられてるんだよなあ。

小金馬は、たしか権太楼の競馬仲間。「看板のピン」のバクチ好きを、生き生きと演じている。演者の遊び心が、詐欺ネタのいやらしさを消して、小気味のいい噺になった。

「けいこ事って、続かないんですよね。どうしてお金を取るかなあ。無料の落語の稽古に慣れ親しんでいる自分たちにとっては、何とも納得がいかなくて・・」

妙に説得力のある「おけいこ談議」から始まった、志ん輔の「あくび指南」。うわっすべりで調子が良くて、腹の中にはなーんにもない。江戸の町のどこにでもいたろう、町内の若い衆が弾んでいる。こういうやつなら、「女の師匠」目当てに稽古所に行くだろうし、「あくびの稽古」なんという、しょーもない習い事にも興味をひかれるんだろうなと、思えてくる。

「夏のあくび。これ、何度もやってると、前の方で本当にあくびをする人がいるからねえ。ぬははははは」

「あくび指南」を品よく演じる噺家が多いが、志ん輔型が案外「ほんと」だったりして。

「正月の寄席はいつもいっぱいで。お客様も『また来るわね』なんて言ってくれるんですあ、これが信用できない。(客席を見回し)中旬過ぎると、こんなもんですかねえ」

マクラは威勢が悪いのに、トリの金馬は満面の笑顔である。「試し酒」は、大店のダンナ同志の子供じみた賭けに、久蔵というトンチンカンな怪物が絡む滑稽噺だが、金馬が演じると、二人のダンナぐっと庶民的。とても大店のあるじにはみえないのだ。そのぶん、金持ち遊びのいやらしさがなくなり、久蔵の好人物ぶりも際だっている。

いい人ばかりの楽しい遊び。聴いてるこっちも、賭けに加わりたい気持ちになってくるのが、なんとも心地よい。

五升に五升、大酒をぺろりと飲んだ久蔵の高笑いで、明るく打ち出し。幕が下りた後も、金馬は楽屋に戻らず、「ありがとうございます。お忘れ物、ございませんよう」と、最後の客(おそらく僕たちに違いない)が引き上げるまで、頭を下げ続けていたようだ。昔の寄席、という言葉がふいと浮かんだ。

 

つづく


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