たすけの定点観測「新宿末広亭」
その七十
番組 : 平成十二年五月上席・夜の部
主任 : 春風亭柳好
日時 : 五月九日(火)
入り : 約五十人(六時二十分入場時)
「落語をやらせていただきます」
四代目春風亭柳好、通称「川崎の柳好」(「野ざらしの」は先々代、
三代目柳好である)の高座は、いつもこのトボけたセリフから始った。
律儀に刈り上げた七三の髪に、細長い顔。太く短い眉毛の下に、細
いきれ長の目が二つ(あたりまえか)。いかにも人の良さそうな、ふ
わふわとした雰囲気が、寄席の高座、特に古風な末広亭の高座にしっ
くり合っていた。「かぼちゃ屋」「お見立て」「蒟蒻問答」…。特別
好きだったというわけでもないのに、亡くなって八年たった今、柳好
の顔を思い出すたび、懐かしいと言う言葉だけではあらわせない、複
雑な感情がわいてくるのはなぜだろうか。思い出の中で、柳好の高座
はなおも続く。
「あたしのやり方はちょっと変わっておりまして、初めのうちはあ
んまり面白くないんです。でも、だんだん聴きこんで、ちょうど中ほ
どまでまいりますと、退屈をイタします(笑)。でも、その先を少―
しお聴きになりますと、やがて眠気を催す…(笑い、さらに広がる)。
そこでがっかりなさらないで、お終いまでお付き合い願いますと、う
ーんやっぱりヘタだった(爆笑)、ということになっておりますんで
…」
この懐かしい柳好の名前が、復活した。五代目柳好になるのは、柳
門下のひょうきん者、春風亭柳八である。丸刈り頭に開襟シャツ、い
つもにこにこしながら、昇太の横で酒を飲んでいるちょっと昔風の好
青年という印象が強い。襲名の話を初めて聞いた時、やっぱりねと思
ったのは僕だけではないだろう。柳八を見ていると、なぜか「川崎」
を思い出してしまう。生まれ育ちも違えば、芸風も違う。太い眉毛の
下の細い目ぐらいしか類似点はないだが、噺家としての風情というか、
フラの方向性というか、言葉では表現しにくいところが、見事に似て
いるのである。
柳好襲名の話がでるずいぶん以前に、四代目の弟子で、柳八のはる
か兄弟子にあたる小柳枝に、「どうして師匠が柳好にならないのか」
と尋ねたことがある。小柳枝はその質問にはすぐに答えず、四代目の
思い出ばなしをはじめた。
「あたしは川崎の師匠が大好きでね、惚れて惚れ抜いて弟子になっ
た。ところが当時、大師匠にあたる(先代)柳橋師の世話をする前座
がおらず、柳橋師のとこにあずけられてちゃったんだ。こっちは柳好
のそばにいられると思ったら、離れ離れの毎日でしょ。さびしくって
ねえ、時々我慢できずに寄席を抜け出して、公衆電話で川崎に電話を
かけた。『もしもし、師匠ですか』『ああ、お前か、なんだい?』『
…いえ、なんでもありません』――、しょうもない会話だけどね、そ
れで元気がでるんだよね」
小柳枝がいかに四代目を慕っていたかがわかる、いい話である。話
はここから核心に触れることになる。
「そんなに好きだった師匠も、亡くなってしまった。でね、その後
柳八の顔を見るたび、師匠を思い出してね、たまらなくなっちゃうの。
そりゃあ、あたしは川崎の一番弟子だから、柳好にって声があるのも
知ってますよ。でもね、小柳枝と言う名前に愛着があるし、それより
も何よりも、柳八に柳好を継がせたいなあと思ってるんだよ」
この話を聴いた数年後の平成十二年五月、柳八は、五代目柳好を襲
名し、披露目の口上に小柳枝が並ぶのである。
すっきりと晴れた五月の夕暮れ。寄席に行く天気じゃねえぜと思い
ながら木戸をくぐると、さすがに披露目の興行である。地味な末広亭
の場内が、花が咲いたように艶やかで、というか、本物の花があちこ
ちに飾られている。高座には中央に大きく「寿」を染め抜いた芸協の
後ろ幕、ファンの贈り物だろう、色とりどりランの花束が四隅を飾り、
上手に美酒爛漫、下手に菊水のひと樽がどーんと置かれている。よく
見ると、下手の変形床の間(ちょっと斜めなのね)の掛け軸も、「あ
やめ」に変わっているではないか。花づくしの末広亭も、悪くない。
遊三「子ほめ」、北見マキのマジックと、ベテランの安定した高座
が続く。桃太郎はダジャレマクラ&「裕次郎物語」。「巨人不調の理
由」はいつもやるネタなのだが、本当にジャイアンツの調子がイマイ
チなので、ギャグが冴える冴える。で、五項目の理由はというと、「
一・調子が悪い、二・点が取れない、三・勝てない、四・弱い、五・
相手が強い」だって。ま、その通りなんだが、身もふたもないよなー。
ご贔屓の小柳枝は「かわり目」。これ、「定点観測」の中で、最も
よく聴かされた噺なのだ。調べてないけど、確信があるね。もう聴き
すぎてうんざりなのだが、それでも小柳枝のはいいね。特に奇抜な演
出があるわけでもないのだけれど、聴いていて、ほんわかした気分に
なる。ギャグか言い違いかは定かでないが、「そんなこというと、亭
主のコカンにかかわる」には、大笑いした。
音曲扇鶴は、めずらしや「天丼の歌」。「上中下とありますが、今
日は披露目だから、特上でいきましょう」というから、どんな歌かと
思ったら、「トントン節」の替え歌だった。「駕籠で行くのは、エビ
ではないか」で始って、天丼の作り方を講釈が続き、元歌の「トント
ン」でなく「テンドン」でさげる。すかさず場内から「カツどん!」
のリクエスト。「えー、来週やります」と、そそくさと帰っていった。
仲入前は、新柳好の師匠、柳昇だ。冒頭、いつものツカミ「大きな
ことを言うようですが、今や春風亭柳昇といえば」までいったところ
で、客席から「ガタッ!」と大きな物音。缶ジュースか何かが転がっ
たようだ。柳昇、少しも慌てず、「何か落としましたか?…というわ
けで、どーぞよろしく」。この日のネタは、十八番の「結婚式風景」。
久々に聴いたが、ものすごくだらないのに、たまらなく楽しい。「あ
たしのかみさんは奄美大島出身で、ハブと一緒に育った。それで、巳
年でさそり座。口とお尻に毒があるんですよ」がオカシイ。
仲入休憩の時間がいつもより短いようで、あわててかっこんだ「米
八おこわ弁当」のおかずがだいぶ余っている。口上の邪魔になっては
と、ふたを閉めて、高座に集中である。インゲン豆とヒジキの煮付け
はあとで食うか。
チョーンと柝がなって、というのは右団治の時にも書いたが、口上
はこれでなくては始らない。「寿」の後ろ幕が、東京農大落研&OB
特製の「大根をかじるネズミ」にかけかえられ、下手から、昇太、小
柳枝、柳好、小遊三、柳昇と並んで頭を下げている。
「この状態では、顔がわかんないから、顔あげさせてもらって」と
いう昇太の声で、、ひょいと顔を持ち上げ、にっこり笑う新柳好。会
心の笑顔である。昇太の口上が続く。
「柳好というのは、春風亭ではこれ以上ないというぐらいの大名跡
ですけどー、平成四年の僕が真打ちに昇進したときには、こういう大
きな名前を継ぎなさいと言う話は何にもなくて−、こうなったら柳昇
が死ぬのを待つしかないかとー」。ひざ立ちになって、昇太のほうを
見る柳昇がオカシイ。
「あたしは今でこそ、柳昇門下の高弟として君臨していますが(昇
太、小遊三がげらげら笑っている)、実は先代柳好の一番弟子で、こ
のあたしを差し置いて、柳好を襲名するのは」と、小柳枝が満面に笑
みを浮かべながら、カゲキ(?)な発言をする。
小遊三の口上も楽しい。「五月の連休の混みようと言ったら、こん
なんじゃなかったんですが、その混雑の中、柳好のお父さんが来てる
というので、客席を探したら、一発でわかりました。ああいう顔です
から」
締めはもちろん柳昇である。「先代の柳好は、あたしとは同い年で
ね、『お笑いタッグマッチ』でライスカレーとカレーライスの違いっ
て問題で、柳好さんの回答が」といったところでセリフをかんじゃっ
て、あとはメロメロ。隅で昇太が体をよじって笑っているのを横目で
見ながら「こほん、同じギャグでも間が悪いと笑えないと言う見本で
…。とにかく、上座に座れるような噺家に」と何とか口上を締めた。
柳昇の音頭でめでたく三本締め。みんなに愛される五代目柳好の前途
は明るいぞ、たぶん。
後半一番手は、夫婦漫才のひでや・やすこが、「ただいま、四対一
で巨人が勝ってます」とニュース速報。寄席にいても、このぐらいの
世間の動向がわかるのである。
「デイビー・クロケット」の出囃子にのって、軽快に登場の昇太は、
自作「宴会の花道」でご機嫌を伺う。軽くて、罪がなくて、何度聴い
ても笑える。寄席の定番といえる新作である。
小遊三の出囃子は「ボタンとリボン」、いわゆるひとつのバッテン
ボーである。寄席の出囃子で洋楽が続くというのも珍しい現象だよね。
マクラで粗忽者の小噺を連発、「よくいますよねー、メガネかけたま
ま顔洗ったり、マスクしたまま唾はいたりする人」と言いかけて、ふ
と思い出したように「弟弟子のとん馬てぇのが、粗忽なやつでね、『
メガネかけたまま唾はいたりして』なんていうんですよ」。ぎゃはは
はは。ネタは「粗忽の釘」。勢いのある高座である。
喜楽喜乃の太神楽。「お父様」喜楽が十八番の「卵落とし」を見事
に決めた後、卵に以上がないか調べるところで、卵をグシャリ。結局
二個割ることになって、「もったいない」と情けなさそうな顔。
トリの新柳好は、意外に落ち着いた高座ぶり。
「打ち上げがあるんで、金をおろしてきたんですが、財布を二階の
一番奥の楽屋に置いて来ちゃったんで、今一番心配なんですが」と言
ったとたん、楽屋からステテコ姿の小遊三が件の財布を持って登場、
「ありがとうよ」の一言で大爆笑である。これ、毎日やってるらしい
けど、イキがあってておもしろいぞ。
マクラはコワイ話のオンパレード。「悪の十字架」「恐怖の味噌汁」
「呪いの亀」と題名は仰々しいが、「今日の味噌汁、中身は麩だけ。
キョーフの味噌汁」なんという、罪のないハナシばかり。で、ネタは
「のっぺらぼう」。夜道で会う人が軒並みのっぺらぼうで、という夢
を見た男。起こしてくれた女房の顔を見ると…。途中からネタが割れ
てしまうのがナンなのだが、このたわいのない噺を、大真面目に熱演
する柳好がすがすがしい。まず絶対に嫌われることがないという、得
がたいフラを持った眠れる大器。開花したらどうなるのか、ほんとに
開花するのか、考えるだにオソロシイ、いやオモシロイ。
末広通りから見あげる夜空は、きれいに澄んでいた。
たすけ
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