たすけの定点観測「新宿末広亭」

その六十四   番組 : 平成十二年四月上席・昼の部  主任 : 三遊亭金馬  日時 : 四月十日(月)  入り : 三十九人(午後一時四十五分)  四月初めの薄曇りの午後、目黒川まで花見に行った。明日から職場復帰だというの に、気温が低くサクラも五分咲きだというのに、我が家から一時間半以上もかかると いうのに、何も目黒まで行くことはないじゃないかと、途中埼京線に揺られながら考 えた。それでも出かけたのは、その日の花見が、文楽(あばらかべっそんではなく、 人形浄瑠璃の方)仲間の集いだったからである。  湯布院、内子、京都南座と各地の人形浄瑠璃を訪ね歩き、観劇の後土地のうまいも んで宴会を開くという、能天気な集まりを続けていた僕たちは、もののはずみで秋田 県小坂町の古い芝居小屋で文楽公演を開くことになった。花の盛りのみちのくで「義 経千本桜」の道行きを観る。心踊る夢に酔いながら、二年ごしで進めていた企画が今 年の春、ようやく実現するのである。元旦に心筋梗塞で倒れた僕は、半ば秋田行きを 諦めていたのだが、なんとかぎりぎりで公演に間に合いそうだ。秋田での本番へむけ ての景気付けとの意味合いもある目黒川の花見、どうしてネグることができようか。  というわけで、参加メンバーのココロザシは高いのだが、見た目は川沿いの散歩道 に新聞紙を敷いただけの露天宴会である。鈍曇りの空を背景にした早咲きのサクラは、 まだ少し寒そうで、今いち意気が上がらない。サクラ鑑賞はそこそこに、持ちこみ禁 止のバーベキューセットに炭火をがんがん入れて、バーベキュー熱燗ビールおでん焼 きそばキムチお好み焼きばんばんの、いつもの大雑把な飲み会になってしまった。午 後二時過ぎに始った宴会は、日が暮れても終わらない。みんなの体力も相当なものだ が、これだけの時間飲み続けて、なお在庫がなくならない缶ビールというのもあっぱ れなものだ。提灯に明かりがともるころ、ながいさ〜ん、元気になってよかったね〜、 秋田で宴会の続きやろうね〜と、ろれつの回らぬ仲間たちの声に送られて、体力不足 の僕は一足先に目黒駅に向かった。夜の明かりに照らされて、昼間は貧弱に見えたサ クラが、艶っぽく揺れていた。  それから一週間余り。新宿へ向かう丸の内線は、赤坂見附を過ぎて四谷駅に入る直 前に地下道から外に出る。そのとたん、向かって左側の窓がぱっと明るくなった。満 開のサクラがホームすれすれまで枝を伸ばしているのだ。今日あたり、末広亭でも花 の芸が見られそうだなと主ながら、つかの間の車中花見を楽しんだ。  さて、末広亭だ。木戸をくぐると、何やら高座が華やかである。マジックの松旭斎 美智が本芸を終えた後の彩りに、「奴さん」を踊っているのだ。夏の吉例住吉踊りでも 中心メンバーとして活躍する美智だけに、動きに切れがある。客席の手拍子もはずん で良いムードである。  円菊の代演は、川柳は、空席の目立つ場内を見まわして「表は春爛漫だけど、中は 冬ですねえ」。そういえば、客の大半が真中より後ろにすわっていて、高座から見れば イスの背ばかり目立つのだろう。  「みんな、こっちおいでよ。会社で長いこと端っこにいるから、なれちゃってるん だな。よし、今日はヤケだから、軍歌やっちゃおう」って、いつも軍歌だったような 気がするのだが。川柳の激が外まで聞こえたか、「大東亜決戦の歌」のあたりで、ぞろ ぞろと客が入ってきたのには驚いた。  次の出番の一朝もお休みで、世之介が代演だ。マクラの酒のみ同士の会話、「あたし が死んだら墓石に一升酒をかけてくださいな」「ええっ、もったいない。一度アタシの 体を通してからじゃいけませんか?」がオカシイ。ネタは得意の「辰巳の辻占」。たわ いのない廓ばなしだが、主人公の男が茶屋の二階でオンナを待ちながら、巻きせんべ いの辻占を読むくだりに、何とも知れぬ情緒が合る。  和楽・小楽・和助のトリオ太神楽をはさんで、仲トリ文平が「牛ほめ」をのんびり と演じる。大名跡「柳亭左楽」の襲名が決まったそうで、めでたいことだ。先代は芸 よりも政治力に関するエピソードが多いようだが、年代的に間に合っていない僕には、 今一つピンと来ない名前である。  仲入には、持参の缶入り「充実野菜」を飲んでほっと一息。入院前はこの手の健康 飲料はやらなかったんだけどね、今は玄米茶と野菜ミックスジュースばかり。代われ ば代わるものである、我ながら。  後半は、小金馬は「かわり目」でスタート。漫才のにゃん子と金魚がにぎやかでオ カシイ。まっ黄色のミニドレスで、けっこうガチンコのどつき漫才を演じるのだが、 張りきりすぎて金魚が後ろの戸襖に激突。「何やってんの、夜は披露目があんだかん ね!」「ごめんなさ〜い」。ははははは。  「陽気にやろうよ。これから面白いのやるからさあ」と言うだけあって、ベテラン 小せんの「無学者」が楽しい。難問奇問にも弱みを見せない、知ったかぶりの兄貴が 「オレは知りすぎた男。体中、字で固まっているんだ」と珍妙な見得を切る様に、思 わず吹き出してしまった。  続く菊丸は、得意の季節ネタ「人形買い」。五月の節句、もうすぐだなあ。  ひざ代わり、俗曲の小円歌は、三味線もいいが、語りに独特の味が出てきた。  「うちの一門は、全部逆の名前がつけることになってて、兄弟子の若円歌は若くな いし、アタシは小円歌でも小さくない。これでも百六十八センチ、あるんですよ〜」 とやって、眉毛をぴくぴく動かしたり。最近お気に入りの「見世物小屋」を聴かせた 後、立ちあがって「かっぽれ」を。「下から覗いても見えません」といわれると、後ろ の席にいながらドキンとするのはなぜかしら。  花の噂が出ないうちに、昼の部の終わりが近づいてきた。トリの金馬には、せめて 「長屋の花見」と期待をかけていたら、花見ネタにはちがいないが、なんと大作の「百 年目」が始った。お堅いことで知られる大店の番頭が、芸者幇間持ちを引きつれて屋 根船で花見と洒落こんだが、花満開の向島で店の旦那と鉢合わせ。くびを覚悟で店に 戻った番頭に、旦那からの呼び出しが…。  この噺、実は数日前に三遊亭鳳楽の独演会で聞いたばかりだが、印象がまるで違う のである。鳳楽の「百年目」は大師匠・円生譲りの堂々たるもので、ゆったり品の良 い語りで大店の人間模様が丁寧に描かれる。  それに対して金馬が描写する大店は、ぐっと庶民的なのである。旦那も番頭もほど よくくだけていて、金持ちの大商人と言うより、長屋連中よりもすこーし小金をため ているという感じで、鳳楽演出のような重みはないが、身近に感じる分だけ現実感が あるのである。物語が複雑で時間もかかる。時と場合によっては敬遠したくなるよう な大ネタも、この人で聴けば、肩の力を抜いて楽しむことが出きる。それが、金馬の 持ち味なのである。大きなホールではなく、寄席サイズの「百年目」。花の季節の寄席 でめぐり合えたことに、感謝しなければいけないだろう。  帰りの足は、来たときと同じ丸の内線。四谷駅のサクラがもう一度見えるようにと、 先頭車両の右手窓側に席を探した。 たすけ


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