厄介な時間
 伸びたり縮んだりする時間には、厄介な点がある。定時法に慣れ た我々には、それが結局現在の何時に当たるか、が、理解しづらい のである。草木も眠る丑三つ時は、現在の何時頃か。辞書などでは 、丑の時を「現在の午前二時頃」などと記しているが、これは、昼 夜の長さがほぼ均等の春分の前後を境にした便宜的な目安である。 この目安によれば丑三つ時は三時半頃であるが、実際は季節によっ て若干ずれが生じてくる。もっとも、こういったことは、不定時法 に慣れない我々現代人が勝手に「面倒臭い」とケチをつけているわ けだから、実際に使って日々を送っていた江戸人たちからは「ほっ といてくれ」と言われそうなものである。しかし、実は、江戸の人 にとっても厄介な点はあるにはあった。時計である。      
 先に述べたように、江戸の時間制度は不定時法であった。昼と夜 とでは「一時」の長さが違ってしまうのである。したがって、現在 のそれのような時計、同じスピードで動いてしまう時計では、役に 立たないのである。そうした時計、つまり西洋時計は、十六世紀に はすでに日本に渡来、以降結構な数のものが輸入されてきたが、見 世物になってしまったものも少なくはなかった。実用品として使用 するには改良が施されなければならなかったのである。「日本の時 間」に合った時計とは、季節によって早くあるいは遅く調整可能で なければならない。その点が楽な日本式時計(和時計)も開発され たが、精密で小さな部品を作る技術の面で問題があった。結局、時 計を持ちたければ、高価な西洋時計を改造し、あるいはちょこちょ こと調整してゆくよりほかはなかったのである。