大名は、時の太鼓で登下城 江戸城には土圭(時計)の間があって、そこには立派な和時計が置か れていて、土圭の間坊主が時計を守っており、時許によって城中の太鼓 を打たせていた。江戸城の時報で一番重要なのは、明六つの太鼓と暮六 つの太鼓で、これによって城門の開閉が行われたが、もう一つ重要なの は四つの太鼓であった。これは大名諸臣の登城の合図であった。 四つの太鼓は、四つより大分遅れて打ち始めるのが習慣であったが、 これは登城の時間を少しでも遅くしようという配慮にもとづくものであ ろうか。今日でも、会社によっては、出勤時刻になると、タイム・レコ ーダーをしぱらくのあいだストップさせて、遅刻者を出さないようにし ているところがあるが、あるいは江戸城の故知にならったものだろうか。 もっとも、四つの太鼓は諸臣の登城が終わったのを見計らって打ち止め にしたというから、もっと念が入って親切である。それにしても、太鼓 番は諸大名、旗本諸臣の登城が終了するまでの間えんえんと太鼓を打ち 続けるわけだからたいへんな労働といわなければならない。 しかしながら、太鼓の音は騒音の少なかった当時でも、それほど遠く までは間こえなかったらしく、登城する大名のなかには、家臣を城の近 くへ派遣して太鼓の音を聞かせ、そこから屋敷までの辻々に家臣を立た せて扇子をかざして合函を逓送したという。 すでに登城の支度をして屋敷の玄関口に供揃えをして待っている大名 行列の一行は、合図の到着と同時に「お立ち!」という次第である。 江戸在住の大名屋敗でも、太鼓で時を知らせた家があったらしい。ま た地方では、江戸城と同様に時計によって、太鼓を打って登城下城の合 図としていた。