ロイヤルエクスプレス北海道の旅は終わりましたが、あほまろと息子はもうちょっと北海道に残っております。今日は、札幌駅で超久しぶりのお蕎麦を食べ、55年ぶりに日本の最北端の稚内宗谷岬に行って来ます。
札幌駅のホーム売店で札幌名物の駅弁が売ってましたが、名物に旨いモノ無しと言われていますが、もうちょっと種類が有っても良いのでは。あほまろは美味しそうには見えなかったので買いませんでしたけど、息子は新鮮な鮭おにぎり買ってましたよ。
東京からの連続乗車券も稚内で終わります。
列車は、JR北海道が誇る、キハ261系基本番台特急「スーパー宗谷」であります。
宗谷本線向けの0番台は、1998年(平成10年)から2001年(平成13年)にかけて富士重工業で全14両が製造されたグループです。
キロハ261-201のグリーン客室。連休初日なので超満員でしたが、我々はかろうじてグリン車が取れました。グリン車の定員は9名です。
車窓からは、借り入れを終えた田んぼの光景が続きます。
途中で特急が鹿をはね、その処理で多少遅れてしべつ駅に到着。何か縁起の悪い名前は、鹿との死別を連想させる駅。遅れたので、10分間の連絡待機でした。
停車中の跨線橋から撮ってみました。
なつかしの旧名寄本線跡で、「キマロキ編成」を見ながら名寄駅を通過。
終着は枕崎駅より3099キロも離れた最北端の稚内駅です。
あっちもこっちも終点がいっぱい。それだけ稚内駅は有名だってことでしょうね。旧駅舎はここまで線路が延びていたようです
町に出ると、総ての道路標識にはロシア語も表記されておりました。
商店街の看板やポスターにもロシア語が記されている、特殊な町ですね。
特殊な町で特殊な昼食「稚内焼きそば」。何が特殊化と言えば、中にイカが入っているだけ。
特殊な町でも普通なマンホール。残念ながらカラーマンホールは見つかりませんでした。
定番の観光。まずは利尻富士が眺められるノシャップ岬なのに尻富士は眺められません。
丘の上には、北の守りの自衛隊基地。
その後、タクシーでハマナスの海岸線を通って宗谷岬まで行きました。
間宮さん家の林蔵君は、ここから樺太に旅立ったのです。
真剣になって見ようと思えばロシアが見えるけど、あほまろは真剣じゃなかったので、全く見えませんでした。樺太まで約43kmです。
前回訪れた時には、こんなの無かったんですけど・・・。昭和63年(1988)この地に建てられたとのことでした。北緯45度31分22秒「日本最北端の地の碑」。
当初は緯度にちなんで、4.53mでしたが、一回り大きく建て替えられたとのことでした。
モニュメントの裏側が、ほんまの最北端なのに、危険なので誰も来ておりません。
本当の出発地よりかなり離れている場所に、間宮さん家の林蔵君が立っておりました。間宮林蔵が樺太に渡る決意を固め海の先を見つめている姿のようでした。
丘の上の展望台にも昇ってみましょう。
展望台の建物は降るそうなので、昔の監視場跡だったようです。
展望台に登ると、日本海の先に樺太がかすかに見えているようでしたが、気のせいかな。
こちらはオホーツク海。2つの海を同時に眺められる場所でした。
様々なモニュメントが建っておりました。
宮沢賢治詩碑。表面は「平和祈念碑」で宗谷要塞重砲連隊宗谷会が建立した碑の裏側です。
碑文「はだれに暗く 緑する 宗谷岬の たゞずみと 北はま蒼に うち唾る サガレン島の 東尾や 」
世界平和の鐘。
世界の恒久平和を願うモニュメントとして昭和63年(1988年)に建てられました。
この公園には、鹿が戯れていましたよ。
宗谷丘陵は標高400mのゆるやかな山並みで、なだらかな丘の上に3000頭の肉牛が飼育され、57基の風車が建ち並んでいるとのことでした。
この光景は日本で、ここでしか見られない絶景
とのことでした。
タクシーの運転手は、日本にいながら外国の景色が楽しめる場所と自慢してましたよ。
丘のてっぺんに丸山レーダーサイト、立ち入ることが出来ません。
そろそろ日没も近いので、我々の観光はここまで。
帰路は、稚内空港より飛行機でした。
この空港を利用するのは初めて。展望デッキからの眺望です。
ANAにて千歳空港に戻りました。
機内からの夕焼け。雲が多かったので、残念ながら利尻冨士は望めませんでした。
千歳空港より、733系 快速エアポートにて札幌駅まで。
指定席で戻りました。
札幌に着いて夕食は、寿司屋でしたが、新コロ緊急事態宣言中なので、アルコール無し。
とりあえずお茶でお疲れさま。明日は留萌線に乗りますよ。
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