今朝は発達した低気圧と、南からの暖かい風が流れ込んだ影響で風が強く小雨もが降って、気温が急上昇。

朝の外気温がこの時期としては考えられない18℃でした。そんな中、いつもの格好で散歩に出かけたので汗ばんでしまうほどでした。きっと、この強風が「春一番」なのでしょうね。

しかし、週明けは寒気が流れ込んで来るので、再び冬の寒さになってしまうようですね。火曜日の最低気温の予想は1℃ですよ。激しい気温変動であほまろもナナちゃんも気が狂いそうだね。

今日は、あほまろの思い出話を聞いてください。あほまろが浅草を終の住み処にしたのが平成11年11月ですが、学生時代にも浅草に下宿して、浅草でアルバイトをしていた時期もありました。もちろん友人との飲み食いも浅草か上野でした。

浅草の下宿時代、あほまろは北海道で、同室の友人が秋田県の小野小町の生誕と終焉地なのだと自慢していた雄勝町(おがちまち)、そのほとんどが口伝として伝わっているだけで確証はありませんが、今でもちゃんと生家が残っているので、それはそれとして。
そんな縁で、浅草の秋田料理店「あらまさ」には、頻繁に顔を出すようになり、50年近くも常連のお店です。店内には古い家具と秋田の民芸品が並び、壁には秋田の観光ポスター、そして店員は東北なまり、その温かみが、まるで東京を離れ秋田の雪の中で鍋をつついているような雰囲気のお店は、青森出身の我が女房のお気に入りのお店でもあるのです。
「あらまさ」の店名は秋田の銘酒「新政」に由来し、昭和21年に、現在の社長だった鈴木雄三さんと新政酒蔵の御子息によって創業されたお店で、今年は創業70周年記念会を催すことになっていた矢先の昨年12月7日、残念ながら永眠なされてしまいました。(享年92〜3才だったかな)

去年の秋、突然鈴木雄三さんの様態が悪化し、アメリカに住んでいた娘さんが子どもたちを連れて帰国して、お店を続ける予定でしたが、日本語が達者で無い息子には存続が無理とのことで、残念ながら今年3月末日をもって65年の歴史に幕を閉じることになってしまいました。

鈴木雄三さんは、旧東京外事専門学校(現在の東京外語大学)にて、何処の国の言葉だったのかの記憶は無いけど、マイナーなアジア語を学んでしまったことで就職も出来ず、自分たちで居酒屋を営むことしか出来なかったことをお聞きしたことがありました。
秋田と言えばきりたんぽ鍋としょっつる鍋が有名だけど、「しょっつる」って何ですかって来かれることが多いのですよ。そんな時、私はたぶん「塩汁」がなまって「しょっつる」になったんじゃないのでしょうかと、お教えしているのです。そのようなことを謙虚な秋田弁で語ってくれた鈴木雄三さんのお声が今も脳裏に残っているのです。ご冥福をお祈り申し上げます。もちろん、「あらまさ」には、3月末日までは、何度もお邪魔しますね。

おはようございます。いつも元気な自転車おじさん、ラジオ体操前のお参りは欠かしません。

おはようございます。いつも元気なおかあさん、朝のお参りは欠かしません。

いつも元気な自転車おじさん、ラジオ体操から帰って行きました。

淡島堂の白梅。

奥山の白梅も開いてきました。

さて、今日は何か娘の手伝いで忙しい予感。その前にナナちゃんを抱っこしてお昼寝するか。

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昨日の「浅草六区ゆめまち劇場」は、パニクルーとグッドチョイス & BIGUP「PANI VALENTINE DAY SPECIAL LIVE2016」。若者が集まるイベントなので、リハーサルの一部を観て帰ってしまった。おかげで、昼夜共満席だったようでした。

昨日も暖かい日だったけど、いつもの蕎麦屋に入ると、意に反し勝手に鍋焼き蕎麦を頼んでしまうこの口が悪いんだよ。

昨夜は、久しぶりに女房と秋田料理「あらまさ」。店内のメニューと絵は鈴木さんがお書きになったものです。

秋田と言えばきりたんぽ鍋、新正を飲みながら優しいかった鈴木さんを思い出してまいりました。

Memo
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「浅草六区ゆめまち劇場」
『2月公演』

「浅草六区ゆめまち劇場」の詳細とチケット購入については、こちらをご覧ください。

アミューズカフェシアター「虎姫一座」

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