あほまろとモモちゃんの今朝の浅草日記
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平成22年9月16日(木)
- マッチの日 -

日記写真

 朝から本降りの雨になってしまいました。おまけに、かなり冷え込んで外に出た瞬間のひんやりが久しぶりの感覚でした。それでも、連日の暑さから開放されたのは嬉しいかも。それと、見慣れたいつもの光景、雨の日は別物に見えてしまうのもステキかな。
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 最近のあほまろ、右腕を肩以上に上げると痛みが走ってしまうのです。荷物やカメラを持つだけなら問題は無いのですが、棚の上から物をとれなくなってしまったんですよ。特に困るのが、シャツを着たり脱いだりする時に腕を上げなければいけないことかな。脱ぐ時は、無理しても最初に左腕を抜き、左手を挙げないように脱ぐのは良いのですが、シャツを着る時が大変。どうしても一度は右手を上げなくちゃいけないんですよね・・・。

 無理しないで病院で看てもらおうと、昨日、浅草寺病院に行ってみました。さすがに地元の病院だけあって、お医者さんも事務員も知ってる顔だらけ、おまけに、待合室でジャム君のおかあさんにも逢ってしまったり、知り合いだらけでしたよ。とりあえず、レントゲンを撮って、寿司屋さんでしょっちゅうお逢いする方が、お医者さん。結果は肩の筋が切れているとかで、湿布薬を貰って様子をみることにしたのです。手を上げる行為は極力抑えて暮らすようにとの注意を受けてね。

 あ〜ぁ、かつて、あほまろが恋をしていた頃。脱臼で腕が使えなくなった時には、毎朝、愛人が手を添えて着せてくれたの、思い出すな・・・。あれから永い永い歳月が流れて、かつての愛人は、あほまろが苦労しているのも知らんぷり、朝っぱらからソファーに寝転んで、鼻くそほじりながら屁こいて、韓国ドラマに夢中なんだよな・・・。

 今では、あほまろに気を遣ってくれえるのは、ナナちゃんだけ。
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 さて、今日は「マッチの火」じゃなくて、「マッチの日」です。
国産マッチの開祖、金沢藩士清水誠が、明治2(1869)年にフランスに留学、パリ工芸大学で理工科系科目を習得し、ここで身につけたことがのちのちマッチの開発に役立つことになったのです。その、清水誠が横浜港を出航した今日、5月12日(もっとも当時は旧暦ですが)を「マッチの日」と制定されたのです。

 あほまろはマッチラベルのコレクター。自負する訳じゃありませんが、長年の成果で、今では数十万枚のマッチラベルを保有するまでになったほどの、マッチ狂いの一人、そんなことで、以前は「マッチの日」になると、亀戸天神社境内に建立されている「清水誠顕彰碑」を詣でていたほど。でも、今日は雨なので・・・、考え中。
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 今日の「マッチの日」にちなんで、あほまろの創作マッチの一部をご覧にいれましょう。この戯絵(あじゃらえ)シリーズは、マッチの本票(ほんぴょうといって、かつての市販マッチラベル)をモチーフに、明治時代の美人絵葉書を配した創作ラベルです。(原画は総てA3サイズ)
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 題して「當世風俗百姿燐票」。百枚構成の作品です。あほまろの作品は、このように、マッチラベルをモチーフにした作品がとっても多いのですよ。現在、開催中の「明治の美人展」のポスターもこの流れです。
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 土砂降りの雨の中でも、ナナちゃんを待っててくれたヒロちゃん。他の猫はどっかに隠れてしまったのに、この律儀さが、あほまろとナナちゃんが大好きになった理由でしょうね。
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 帰り際、暫くここで鳴きながら座っていたのでしたが、我々が鳥居を出ようとすると、土砂降りの雨の中にも関わらず走って近寄って来たのです。今朝はよっぽど別れが辛かったのかな・・・。
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 我が家のヤマト君。外は雨でも関係無し。我が家の主人にすら愛想が無いんだよね・・・。
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 何でこんな猫を買って来たんだよ・・・、全く。もし、我が家にヒロちゃんが居てくれたらな・・・。
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