あほまろとモモちゃんの今朝の浅草日記
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平成22年9月8日(水)
- 大学ノート -

日記写真

 台風9号の接近で、午後から強い雨になるようですね。今朝の散歩に出掛ける時間から、すでに小粒の雨が舞っていました。おかげで、暑さも和らぎ、時々吹き付ける強風に秋の空気も感じましたよ。これでそろそろ季節の変わり目になってくれそうですね・・・。

 今日は二十四節気の「白露」です。説明によると、

 「陰気ようやく重なりて露にごりて白色となれば也」
 野には薄の穂が顔を出し、秋の趣がひとしお感じられる頃。朝夕の心地よい涼風に、幾分の肌寒さを感じさせる冷風が混じり始めるころ。
 
 台風のおかげで、暦通りの「白露」。ようやく恵みの雨が降り、息絶え絶えの. 植物たちも一息ついたことでしょうね。
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 昨日、とある打ち合わせに出向いたのでしたが、うっかりメモ帖を忘れてしまい、先方の事務員に何かメモ用紙を貰いたいと申し出たところ、これをお使いくださいと一冊の大学ノートを差し出されたのでした。

 そういえば、最近のノートといえばほとんどがルーズリーフになってしまい、いわゆる昔ながらの大学ノートなんてのは、見る機会も少なくなってしまいましたよね。頂いたのは、「ツバメノート」と記されているので、さっそく調べてみると、台東区浅草橋で、昭和22年からかたくなに重厚感のある表紙の大学ノートを作り続けている会社のようですね。

 そこで、ひとつ疑問。大学ノートの表紙は、どうして、まるで賞状のような枠が描かれているのでしょうか?最近の疑問は、ほとんどのことがインターネットを検索することで解決できるはずなのに、この疑問に答えてくえる回答を見付けることができないのです。

 「大学ノート」の名称の由来も二つの見解があるようです。

 「明治18年、本郷赤門前の洋書屋が留学帰りの教授にすすめられて、輸入筆記用紙を綴じ合わせたノートを、東京大学の学生用に売り出したのが最初」

 「神田の丸善がその評判を聞きつけて、イギリス製筆記用紙を特別注文で大量に輸入してノートを生産し、大学ノートの名で売り出したのが、その名称のきっかけになった」

 それがどっちでも良いとして、あほまろが「大学ノート」の名称で信じて来たのは、小学校の頃、先生が、「大学ノート」を使って一生懸命勉強すれば、必ず大学に入ることが出来る。そんな言葉がず〜っと脳裏に残っているのです。あほまろは、それを信じ「大学ノート」で勉強をし、ようやく大学に入ることが出来た暁には、もう「大学ノート」の必用も無くなり、それ以来、ルーズリーフに変えてしまったっけ・・・。そっか、大学合格の意味で「大学ノート」の表紙が賞状の意匠になったのかも。それって、かなり説得力有る考証だと思いませんか。

 ♪大学ノートの裏表紙に さなえちゃんを描いたの・・・

 大学時代、ケメ、確か佐藤公彦の歌にそんなのがあったっけ。あほまろは「さなえちゃん」は描かなかったけど、漫画家を目指していた頃、落書き帳としても活躍してたっけ。その中から、産まれた漫画の主人公、今も世の中を飛び回っているんだよね・・・。そんな懐かしいノートの束、今も、どこかに仕舞っているはずです。きっと、実家の押し入れの中かも。
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 今朝のヒロちゃんの項目を作る訳じゃ無いんだけど、最近は、しょっちゅう「気まぐれ日記」にも登場しますよね。
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 実は、いつのまにか、どんどん項目数が多くなってしまったので、現在、日記の縮小方向を模索中なのです。
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 たぶん、これからは「今朝の○○」を止めるつもりで、検討中なのでありますだ。
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 今朝のヤマト君。寝ているのを起こされ機嫌悪し。
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 おまけに室内も暗かったので、
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 あまり良い表情は撮れませんでした。
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 だったら、起こすなよ。
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