あほまろとモモちゃんの今朝の浅草日記
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平成22年4月13日(火)
- 喫茶店 -

日記写真

 春は来てるのか来ていないのか、ころころ変わるお天気には嫌気がさしますよね。昨日の寒さと一転し、今日の日中は初夏の陽気になってしまうとか。空もそのための準備を急いでいるようですね。日の出直前から雲の流が加速しながら、345メートルになった東京スカイツリーをまるでマジック・イリュージョンを見せているかのように、消えたり出たりを繰り返しているのです。

 我が家を出たのは午前5時10分頃、昨夜来の雨がまだちょっと残り、霧雨が舞っていたのですが、それも雷門に到着した頃には消え、悩んだ末に傘を置いてきたことに安堵したのです。

 今朝の日の出は午前5時11分です。陽が昇るのに比例しながら、気温もぐんぐん上昇してくるのでした。この調子で、今日と明日は初夏のような暖かさになるようです。しかし、それも長続きはしないようです。明後日はまた冬のような寒さに逆戻りとか。体毛を抜き、夏への準備を終えたナナちゃん、この目まぐるしい体感音頭の変化に、耐えられるのかな・・・。あほまろは、寒けりゃもっと着込めば良いんだけなんだけどね。
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 今日は「喫茶店の日」です。明治21(1888)年の今日、東京・下谷上野西黒門町に日本初の喫茶店「可否茶館」が開店したのを記念して制定された記念日なのです。経営していたのは鄭水寧と言う中国人で、二階建ての青ペンキで塗られた洋館。1階はビリヤード場で2階が喫茶店になっていたそうです。

 当時の日本は、文明開化の全盛期でしたが、鹿鳴館での高級官僚らの表面上だけの西洋文化の導入にあきれ果てたエール大学留学経験をもつ鄭永慶は、庶民や学生・青年のための社交場、知識の共有の場、情報交換の場としてのカフェの開店を決意したとか。でも、そば1杯8厘〜1銭の時代に、コーヒー1杯1銭5厘、更にミルクを入れると2銭と高く、それでも、カフェが市民による近代民主政治の出発点でもあったとか。

 しかし、まだコーヒーは庶民にとって一般的な飲み物とは認められず、開店から4年後に閉店したようです。

 あほまろ所蔵の絵葉書の中で「可否茶館」を見付けました。看板の文字は読み取れませんが、位置的に、たぶんここであろうと思われる建物が写っています。
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 日本に本格的なカフェの誕生は、同じく日本がデモクラシーを迎えて都市住民の文化が花開く、明治44(1911)年のカフェ・プランタン開店からでしょうね。「可否茶館」の誕生は時勢が早すぎたといえるようです。

 写真のモデルは明治44年頃の新橋芸者「音丸」です。絵葉書にもなったほど、コーヒーは一般的になった証拠でしょうね。
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 コーヒーの余談として面白い絵葉書をご覧にいれましょう。

 「Japanese Teahouse Yokohama Prague. 」
  (プラハの日本茶屋 横浜)

 第一次世界大戦終結後の1918(大正7)年、オーストリアハンガリー帝国が解体し、チェコスロヴァキア共和国が成立。プラハ城に大統領府が置かれプラハが首都となりました。

 下の絵はがきは、その頃にプラハで開催された博覧会、もしくは見本市会場内の日本茶屋のようです。
 
 日本茶屋とはいっても、見たまんま喫茶店ですよね。それもそのはず、メニューにはコーヒーしか書かれていないようです。
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 それにしても、外国人の和服姿ってどことなくチグハグ感が漂っていますね。これでも着付けは正しいのでしょうか。
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 きっと、着物を通じ日本の様々な文化やお作法なども、在住の日本人がお手伝いをされていたのかもね。日本女性が外国の民族衣装、たとえば、インド料理屋でサリーを着てインド人に成り済ましているのと一緒でしょうね。
 インド人もビックリ、Wow!! stupid look! とかね。
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