あほまろとモモちゃんの今朝の浅草日記
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平成22年3月4日(木)
- つくば道 -

日記写真

 お天気下り坂で寒い朝の散歩、辛いけどナナちゃんのためには、やめられない、止まらないカッパえびせん。いったいいつまで続くのでしょうね・・・。

 あほまろが浅草に越して来たのが10年前の平成11年11月、朝の散歩は純粋に愛犬のために行っていたのです。気持ちの良い朝には時々カメラを持って当時のモモちゃんを撮っていたのでした。あの頃は、まだデジカメの性能も悪かったので、最初の半年間は散歩用のバカチョンカメラで撮っていました。それも週に36枚撮りフイルム1本程度でしたね。フイルムなので当然現像を終えるまではネットに載せられなかったのですよね。

 最初に散歩用に購入したデジカメは、キヤノンから普及型のデジタルカメラとして登場した、57万画素のCCDを搭載した超高画質(笑)デジタルカメラ「PowerShot 600」でしたよ。あほまろのカメラ購入記録を見ると、この仕様で128,000円もする高級品だったんですよね。しかし、デジカメを持ち歩くようになってから、それまでは文字だけだったあほまろの散歩日記に写真が加わるようになったのです。まだ、世の中に「ブログ」なんて便利な機能が登場する4〜5年前のことだったのです。

 あれよあれよと言う間に、デジカメの画素数が増加すると反比例するかのように価格が下がっていったデジカメ。散歩を始めて2年経たずに、Canon-D30(330万画素)の一眼レフを持ち歩くようになっていたのです。その頃からでしょうか、あほまろの意識は、愛犬のためというより、毎朝の記録を撮るための散歩に変わってしまったのでした。

 最初の散歩犬だったモモちゃんが亡くなり、ナナちゃんに変わっても記録だけは変わり無く続けています。あほまろが毎朝定点で記録している場所に来ると、ナナちゃんの足も自然に止まるのです。そして、次の撮影ポイントまで誘導するほどになったのですよ。もし、誰かがあほまろに変わってナナちゃんを連れて行ったとしたら、ナナちゃんが足を止めた場所で写真を撮る、それだけで、あほまろの日記写真と同じポジションになっていることでしょう。

 いつか、そんな実験もしてみたいな・・・。
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 午後から雨が降り出し、夕方以降は本降りの雨になるようです。夜遅い時間ほど強く降り朝まで続くとか。きっと、明日の朝も降っているのでしょうね。それでも、散歩は欠かせません。もちろん、カメラを持ってね。
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 昨日は、つくば道の取材に行ってきました。その一部だけ、ご覧にいれましょうね。

 江戸城から見て、筑波山は鬼門に当たることで、三代将軍徳川家光が、筑波山神社に伽藍(知足院中禅寺)を再建するため資材運搬用の道路として整備したのが「つくば道」です。その起点となる北条の町には、つくば道の入り口の碑が今も残り「これよりつくば道」と刻まれています。
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 「つくば道」は、筑波山詣での登山口あり、「日本の道百選」にも選ばれているのです。
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 北条の町は平氏ゆかりの里で、筑波山を北に仰ぎ東西に伸びる街道沿いには、古い民家が立ち並んでいます。
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 住宅地を抜けて「つくば道」を辿ると、神郡の集落に入る手前に地方豪族・小田氏の祈願寺で、約700年の歴史がありつくば市周辺では最大規模の寺として名高い「普門寺」が見えてきます。

 本堂は18世紀末から19世紀初めの寛政年間に建てられたものでしたが、残念ながら昨年の12月8日午後0時40分頃、木造平屋約500平方メートルを全焼し、その姿を見ることはできませんでした。
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 そのお隣の石井邸。五層の茅葺屋根を持つ母屋は、旗本屋敷の面影を今に残しています。
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 「つくば道」沿いの桜井邸。店蔵は江戸時代の建築ですが、戦時中の空襲から逃れるため、黒く塗られたままで残っています。遠くに筑波山を望めます。
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 昭和27年建築の米倉。現在は、アトリエとして使われているようです。
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 神郡の街並みを抜けると筑波山がすぐそこ、この辺から登り坂の始まりです。
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 一の鳥居。ここから筑波山神社の大鳥居まで、勾配が更に急になって行くのです。
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 筑波山神社の御神橋。寛永10年11月(1633)三代将軍家光公寄進の切妻造小羽葺屋根付で、年越祭を除き、参拝者の渡橋は許されていません。
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 帰りに立ち寄って筑波山梅林では、紅梅が終わり白梅が五分咲きの状態でした。
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