激しい雨の朝になりました。こんな日の散歩は勿論ナナちゃんですが、さすがのナナちゃんも玄関から出ようとしないほど激しい雨でした。おかげで、今朝のナナちゃんは全く用を足してくれません。そのまま帰ってきたのですが、このままで大丈夫なのかな・・・。小降りになったらもう一度女房に行ってもらいますよ。
我が国の電機産業の創成期に活躍した藤岡市助氏が革新的な製品を顕彰する第1回「でんきの礎」に選ばれました。この「でんきの礎」は、社団法人「電気学会」が創立120周年を記念して制定したもので、日常生活で当たり前になっている電気技術の中から、特に技術革新や社会生活の変革に影響があった人物や場所などを選び、関心を持ってもらうのが狙いだそうです。
「日本のエジソン」、「電力の父」と評されている藤岡市助氏、ここ浅草においても大いに貢献された方であることをご存じですか。日本初の超高層建築物として注目を集めた1890年(明治23年)完成の「凌雲閣(通称浅草十二階)」。この閣頂にアーク灯を点け、周囲を満月のごとく明るく照らし、閣内には、日本初の電動式エレベーターを設計・設置されました。10人乗りのかご2基が1階から8階を昇降させて観光客を大いに喜ばせた方なのです。ここで使用された電動機はわずか7馬力。当時、「東京電燈」の発電局から電力を供給したことも我が国初の動力用電力供給となったのです。しかし、オープンから半年後、危険なためと、残念ながら行政の指導によって、エレベーターの運転は差し止められてしまうのですが、他にも「第三回内国勧業博覧会」の会場にレールを敷設し、我が国最初の路面電車を走らせたこともで有名な方なのです。
藤岡市助は1884年(明治17年)国の使節に任命されてアメリカに渡りました。その頃、全米では電気時代の到来を告げる盛大な博覧会や電気産業が各地で開催されており、それらの視察後、エジソンの研究室も訪ねています。エジソンは、彼に「日本を電気国にするのは、大変よいことだ。だが一つだけ忠告しておこう、どんなに電力が豊富でも、電気器具を輸入するようでは国は滅びる。まず電気器具の製造から手がけ、日本を自給自足の国にしなさい」と助言、「日本に帰ったら電気事業の創設に我が身を捧げます」とエジソンに自らの想いを語ったことは有名な話しですね。
帰国後、研究仲間と共に「白熱舎」を創設し、本格的な電球製造に着手。本格的な電球製造を始めたのです。後に、エジソンの会社、米国ゼネラルエレクトリック社と提携し、タングステン電球「マツダランプ」を発売、安価で丈夫な国産電球が普及し、藤岡市助が理想とした電気社会が実現したのです。
今の世の中、電気の無い生活なんて考えられませんよね。先日、テレビのバラエティ番組で都会で電気の無い生活を体験する企画をやってました。しかし、電気が無いのは、照明を始めパソコンやテレビと電話が無いだけで悲鳴をあげていましたよ。でも、しっかりトイレやお風呂は使ってましたよ。実は、水だって家まで届くには電気で送られているし、食事だって総て電気が使われて作られている、関節的に使われる電気を電気と見なしていないことに番組としての無理があったようですね。おまけに、その様子を撮影する機材も総て電気で動いているんだよね。そんなことより、電気のない生活に戻ろうなどというばかげた考えは止めて、電気の有効利用で地球にやさしい生活をした方が説得力がありますよね。
第1回「でんきの礎」では、人物として藤岡市助氏、地域としての秋葉原が選ばれました。時代に合わせて電気技術の目覚ましい発展は人類に無くてはならない社会を与えてくれているのです。こでも新たな産業革命が到来するであろう次の世の中には、電気に変わるエネルギーが考え出されているのでしょうね。
「でんきの礎」のニュースを見ながら、改めて電気の偉大さを考えてしまった朝でした。そうだ、たまにはモモちゃんと「でんきを消してスローな夜を」過ごしてみようかな・・・。 |