あほまろとモモちゃんの今朝の浅草日記

平成18年6月1日 (木) 旧暦5月6日仏滅

写真館で三社祭公開中!
-
 衣更え -

日記


『今朝の浅草』
 6月ですね。6月といえば衣更えです。制服組の方々はみなさん涼しい夏服でお仕事が出来るのです。朝の散歩で、最初に間にする制服の職業は雷門前のお巡りさんなのですが、夜勤を終えて帰り支度をしている方々はみなさんまだ冬服のままなんです。きっと、交代の方が夏服で出勤してくるのでしょうね。ちょっと見たい気もするのですが、何も今日皆靴もこれから毎日見ることが出来るので、6月1日の冬服の方が珍しいのかも。そんなくだらない写真にも、あほまろは一応レアモノなんて分類をしているんですよ。
 あほまろも衣更えをした時期がありましたよ。いちばん身近だったのは、中高生のころでしたね。毎年カレンダー通り6月1日になると夏服、10月1日から冬服に替えたものです。この習慣は全国どこでも行われていたお馴染みの習慣でしたが、最近はブレザーの制服が多く、おまけに調整用のベストなんてのもついているので、中高生を見て季節を感じることも無くなったてしまった気がします。浅草の小学校に通う子ども達の服装も替わるはずなのですが、学校によってはその区切りが無いようで、お祭りの終わったあたりから夏冬混在で通っている子も多いようです。
 季節の区切りなので、今朝のあほまろは夏らしくTシャツにジーンズ姿で散歩をしてきましたよ。

 今朝の写真は、衣更えを中心に狙ってみようと意気込んで出かけたのですが、そんな姿に全く遭遇することはありませんでした。仕方が無いので、初夏の緑に覆われる弁天山の姿でも載せておきましょう。ちょうど、同じ位置から撮影した大正期の絵葉書と一緒にご覧ください。この弁天堂と鐘楼は東京大空襲で焼失してしまいましたが、階段や石垣、それに狛犬などは当時と同じ姿で残っていますよ。浅草寺境内の中で、ここだけが往時の雰囲気を残しているところでもあるのです。他は、総て建て替えられたり移設されてしまったりと、絵葉書に見る面影を残すところは無いのです。
 あほまろは弁天山が二番目に好きな場所なのです。特にモモちゃんもここがお気に入りで、毎朝お堂を一周しなければ階段を降りようとはしないんですよ。ちなみに、境内で一番好きな場所はご存じ影向堂のお庭です。でも、今朝の影向堂の池はちょっと生臭い臭いがしてました。水をポンプで循環して使っているので、きっと、この暑さで腐ってしまったのでしょうね。
 話題の少ない日は、このような今昔対照も面白いですね。
------○------

『今朝の雷門』
 雷門前にちょっと恐そうで怪しい黒服の連中がたむろしています。黒服の女性も混じってますよ。
   
 そこに、ミーハーのお姉さんが三人合流し、キャッキャ言いながら歩き出しました。黒服の手には太巻きのメジャーや、街頭アンケートに使うようなバインダが見えています。ミーハーの一人が、“犬屋さんのちょっと先だったかな、あっ、この辺じゃん”。全員が立ち止まりミーハーを立たせて写真を撮ったり、メジャで測ったりやっています。ん〜、黒服の連中は私服の警官だったんですね。ミーハーがどんな事件に巻き込まれたようです。ひったくりとか、痴漢などの軽犯罪じゃ、こんな朝っぱらから私服の警官が5〜6人でこんな作業をする訳無いですよね。もしかしたら、仲見世を舞台に国際組織が暗躍しているのかも・・・。

 それにしても、今日から衣更えですよ。なんで真っ黒の服を着て捜査を行わなければいけないのでしょうね。
   

------○------

『今朝の一写』
 観音様の掛け軸が掛けられました。観音縁日は毎月18日なのですが、毎月1日にも何かの法要を行っているのでしょうね。ここ浅草寺でも、衣更えが行われているようです。座敷の襖や各所の敷物や座布団などを夏仕立てに替え、お坊さんの法服も夏物にするのです。
  

------○------
『今朝の境内』
 このようになってしまうと、これが宝蔵門であったことすら解らなくなってしまいますね。今朝山形県からここを訪れた観光客が驚いてました。東京に来るといつも故郷の村山市から贈られた宝蔵門の大ワラジの前で記念写真を撮っているそうです。
 “残念ね、これじゃ撮ってもしょうがないわ”、カメラを仕舞って帰っていきました。せっかくやって来たのですから、一枚くらい撮って帰っても良いのにね。宝蔵門がまともな姿で見えているよりも、このようになってしまった姿の方が、写真としては貴重な記録となるのにね・・・。
   
 あほまろは完成するまで、毎朝撮り続けますよ。
   
 浅草神社の境内から三社祭の面影が総て消えてしまいまって寂しいですね。早く三社祭が来ないかな・・・。
   
 浅草寺からハトが追い出されて3年経ちました。今では、本堂前で遊ぶハトはまったくといって良いほど居なくなってしまったのです。浅草寺といえば、幼稚園のマークにもなっているハトですが、フンの公害を嫌って追い出そうとしていた矢先の鳥ウイルス騒動。当時は、ハトを毒殺したとの噂も実しやかに囁かれていたほどでした。
   
 下の絵葉書は明治40年の浅草寺本堂前です。戦前までは、このようにハトの豆を売る屋台が並んで出ていたのですよ。どこで買っても同じ値段だったことが、久保田万太郎の「浅草風土記」に記載されています。豆だけじゃ無く、お線香や蝋燭も商っていたので、ここへの出店の権利、けっこう高いものだったようです。
   
 数年前は、ここ橋本薬師堂の前にもハトがいっぱい居たのですよ。
   
 仲見世会館の前に飾られたあほまろの写真です。浅草にいらっしゃったら、仲見世の中ほどに位置する仲見世会館で、御神輿と並ぶ写真で三社祭の迫力をお楽しみください。
   
 六区の大勝館の興業が変わったので、お馴染みの幟が総て無くなってしまいました。こんな寂しい大勝館を見たことありませんね。これも、レア写真かな。
   
------○-----
 浅草に直接関係の無いお話も多いですが。ここは、あほまろの呟きですかね。
『今朝の余談』
 昨日は池袋演芸場の余一会にて、三遊亭圓歌一門会が開催されました。今年は「三遊亭圓歌一門会―古典の集い―」という企画で、三部構成で行われました。トリの圓歌師匠の噺は、「坊主の遊び」でした。この噺は何度も聞いているのですが、毎回違うのは噺の中に出てくる場所や言葉のウンチクです。噺ながら気付いた時にアドリブで入れられるようで、これが他の噺家と違う師匠の余裕なのでしょうね。関心関心。
 終了後は、例によって打ち上げです。
昨夜は演芸場の真裏の中華屋さんで、盛り上がりましたよ。
   
   
 若圓歌・荘太郎君・歌之介・圓歌師匠・小圓歌。
   
 あし歌・歌雀・多歌介・歌司・歌る多。写真には写っていませんが前座を始め出演されたみなさまが出席されました。


今朝の写真
CANON EOS-30D,CANON ZOOM EFS10-22 F3.5-4.5 / EFS17-85 F4/5.6 IS
撮影枚数51枚