あほまろとモモちゃんの今朝の浅草日記

平成18年5月19日 (金) 旧暦4月20日先勝

- 雨で始まった・・・ -

日記


『今朝の浅草』
 祭だ祭だ!三社祭だ〜!

 でも、やっぱり雨で始まってしまうんですね。予報では明日の町内神輿渡御も雨、明後日の本社渡御だけはなんとか晴れるようです。やはり、お祭りの醍醐味は町内神輿の渡御なのですよ。普段は挨拶だけで、あまりお話をすることも無い方々とも神輿を中心に一心同体になれるのですから。どこの町でも祭を通じて近所付き合いがより親密になる、これが本来の祭の姿なじゃないのかな・・・。そんなこと考えても、祭は雨天でも決行するのです。たとえ土砂降りになろうと、年に一度のお祭り、この日だけは近所の方々との会話を楽しまなければいけない日でもあるのです。
 
 浅草神社の神輿蔵の扉が開けられ、三基の神輿が並んでいます。雨にもかかわらず、普段より多くの方が神社境内を訪れるのは、御神輿見物にやって来るのでしょうね。まだ、奉納のお酒や飾りが成されていませんが、主役の出番を待かのような御神輿、ちょっと自慢げに鎮座しているかのようですね。
 あちこちに三社祭の提灯が並んでいますが、生憎の雨のおかげで壊れてしまった提灯も見かけます。祭を前に壊れてしまった提灯の姿を哀れと思って良いのか、壊れても必至にしがみついているのを誉めたら良いのか、なんとかあと三日間頑張って欲しいですね。

 始まってしまった祭はひとまず置いといて、昨夜からモモちゃんの調子が悪いのです。昨日からひどい下痢で、あほまろが出かけている間に我慢が出来なかったのか、事務所のトイレで出してしまったのです。朝は、いつも通り健康な便だったのですが、朝食の牛乳が悪かったのでしょうかね。昨夜は、大好きな牛肉に見向きもせず、毛布の上で丸まっていました。
 今朝の散歩もまだ元気が無いのです。あほまろの後ろをトボトボと着いて来るのですが、尻尾が上がっているのは元気な証拠かな。今朝の便はちょっと固まってきたようなので、かなり回復してきたのでしょう。帰ってから食欲も有るようで、ふやかしたドッグフードを一気に食べてしまいました。でも、今日のあほまろはあちこち出かけなければいけないので、モモちゃんは自宅で療養していた方が無難でしょうね。いつもは、三社祭の三日間は事務所にやって来るお客さんと遊んでいるのですが、今年は安静にしておいた方が良いのでしょうね。
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『今朝の雷門』
 三社祭の初日とはいえ、世間は平日です。もちろん浅草も平日ですが、この日は浅草からお勤めに出ている方の中にも有給休暇を取って祭の準備をする方もいらっしゃるようです。雷門前で“モモちゃんですよね?”って声をかけてきたお嬢さん、普段は通勤の時間の都合で逢えないので、今朝は早めにモモちゃんが来るのを待っていてくれたのです。ちょっと元気の無いモモちゃんでしたが、お嬢さんにリードを曳かれ、携帯電話で記念撮影をしましたよ。観音裏にお住まいのお嬢さんも、毎年三社祭の金曜日だけは、どんなに仕事が溜まっていても有給を取っているんですって。彼女の上司も浅草の方なので、とっても理解が有るのですって。もしかしたら上司も休むのかな。
   
   
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『今朝の一写』
 浅草神社の参道の両側に、三社祭をお参りにいらっしゃる方をお迎えする花笠の飾りが並びました。この竹で作られた花飾り、あほまろが最初に経験した昭和40年頃の三社祭には、氏子の家の軒先にも付けられていました。今も似たような花飾りが提灯の上に取り付けられてはいますが、小さな飾りです。いったいいつ頃からこの花飾りは姿を消してしまったのでしょうね。
  
   
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『今朝の境内』
 仲見世を歩いている最中に、突然激しい雨に見舞われてしまいました。今日は、この調子で降ったり止んだり、強かったり弱かったりの繰り返しなのでしょう。
   
 露天商の屋台も出揃いました。今年は、宝蔵門の修復工事のおかげで、出店の数も少ないようです。
   
 いよいよ本番。三社大権現の大幟。この幟は江戸名所図絵にも登場しているのと全く同じ格好ですね。今では権現の表現を使うのは、この幟だけになったようですね。
   
 三社祭の本社神輿をもう一枚。奥に置かれている看板は、「担ぎ手入場口」。宮出しの時に使うものです。
   
 屋台も出来て賑やかになってきた浅草神社境内です。
   
 屋台あれこれ、といいたいのですが、雨なのでみなさんまだ閉まったままですね。
   
   

 浅草神社裏の「被官稲荷神社」横には、馬道一町会の神輿蔵が造られます。
   
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 浅草に直接関係の無いお話も多いですが。ここは、あほまろの呟きですかね。
『今朝の余談』
   
   
 かつて映画や演劇の中心地として栄えた浅草六区。その灯はすっかり消えてしまいましたが、当時からその空間だけはそのまま存在しているのです。映画館よ再び、軽演劇の芝居小屋を復活、もう一度六区にスポットライトを・・・。今まで、様々な運動が行われてきましたが、どれ一つ叶うこと無く消え去っていきます。
 5年ほど前、浅草の劇場を復活なんてことを考えても無駄、ただ、ここで育った歴史を伝えていける施設だけでも。昭和23年から20年間映画雑誌の編集に携わっていた方が収集された、映画のポスター、パンフレット、スチール写真、入場券などおよそ10万点を台東区に寄贈したいと、今はリタイアされて金沢にお住いの方からの申し出が有り、実際に当時の助役が金沢で現物を確かめに行ったり、あほまろも当時の区長を交えて真剣に資料館を見当したことがありました。いざ、実現という時期に区長が急死。新しくなった区長は全く興味を示さず、現実に至らなかったという経緯があります。

 今朝の新聞によると、その方、畑三郎さんのコレクションが親族の住む八王子市に寄贈し、八王子市で中心市街地の活性化に役立てり資料館を創ることが決まったようです。
 「浅草の六区で」、当時の畑三郎さんの想いは通じませんでしたが、これからは八王子で映画の歴史にいつでも出会うことが出来るようになったのは、東京に住む者にとっては幸せなことです。でも、何で八王子・・・。
 ますます浅草から、映画上映の原点が消えていくのですね。


今朝の写真
CANON EOS-30D,CANON ZOOM EFS10-22 F3.5-4.5 / EFS17-85 F4/5.6 IS
撮影枚数68枚