平成16年(2004)8月22日 日曜日

- 観光客に・・・ -

 週末になると、浅草には一攫千金を狙って強者どもが集まってきます。こんな
状況もいまや浅草の常識となってしまいましたね。彼らが場外馬券場に集まるこ
とで商店街に経済効果があるのなら良いのですが、観光地としてもイメージダウ
ンも大きいのじゃないでしょうか。
 今朝も、六区の場外馬券場の横で台湾からの観光客が酔っぱらい3人に絡まれ
、言葉が解らないので困っています。何のことない“どっから来たんだ”みたい
なこと言っているだけなのですが、中国語で“止めてください”という意味の言
葉をまくし立てる女性の声を聞きつけ、更に暇人たちが大勢集まって来るのでし
た。そして口々に中国人を罵倒するような言葉を浴びせかけているのです。
 場外馬券場が9時開門なので、暇を持て余している連中にとって、通りすがり
の観光客が暇つぶしの餌食になっているようです。こんな嫌な思いをした観光客
は二度と再び浅草に足を向けることは無いでしょうね。
 また、浅草寺境内でガイドの説明を聞いているアメリカからの団体、そこにも
朝から焼酎の瓶を持った男が、“サンキューベリマッチ、マッカーサー”などと
訳の解らないことを言いながら輪の中に入っていくのです。酔っぱらいは友好的
に接しているつもりなのでしょうが観光客にとっては迷惑です。酔っぱらいから
逃げるように、説明の場所をあちこちと変えてガイドをしているのが気の毒でし
たよ。この連中も始めての浅草のイメージとして生涯脳裏に残ることでしょう。
 浅草寺の警備員が自転車で通りかかっても、見て見ぬふりです。ここの警備員
っていったい何のために勤務しているんでしょうね。境内で酒を飲んで観光客に
絡み付く酔っぱらい、取り締まりの対象には入っていないのでしょうかね。酔っ
ぱらいのおかげで説明を聞くのを諦めた連中が境内に散っていきました。
 その中の一人のごっつい男性が近づいて来て、自分もアメリカで柴犬を飼って
いるんだよと、言いながらモモちゃんの頭を撫でてくれましたよ。あほまろは、
同じ日本人として、今の出来事をごめんなさいと謝っておきましたけど、“ノー
プロブレム”とは言いながら、きっとこの連中の思い出の中にも浅草は嫌な場所
としてメモリーされてしまったでしょうね。またこの後、絶対に六区の方には行
かないようにと、注意してあげました。しかたないけど・・・。
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 明治36年、東京馬車鉄道から改称して東京電車鉄道となった路面電車が、新
橋〜品川で営業を開始した記念日です。でも、日本で初めて路面電車が走ったの
は明治23年5月4日、上野公園で開催されていた内国勧業博覧会の会場内でし
た。その後、日本で最初の一般の道路を走る路面電車は明治28年2月1日に開
業した京都電気鉄道で、小路東洞院〜伏見京橋を走ったのでした。
 あほまろが集める古い都市の絵葉書の中には必ず写っているのが路面電車。今
と同様の渋滞に巻き込まれているものや、人で鈴なりになって走っている満員電
車など当時の風俗が良く理解できるのです。
 今、再び路面電車を復活させようという運動が盛り上がっているようです。そ
れは単に懐かしいとか鉄道マニアなんて俗的なものとは違い、環境問題や利便性
から「車社会に行きづまった都市の再生を図るため、無公害の路面電車の活用を
考え、交通体系全般の見直しを図る活動をしたい」との理念をもって運動してい
るようです。
 日本国内にはまだまだたくさんの路面電車が走っています。中でも、広島や高
知などでは、観光の一貫として世界中の路面電車を買ってきて走らせているとこ
ろもあります。
 浅草に観光客を呼び戻そう、観光客の滞在時間を増やすようにしよう。等々、
観光協会などでは努力しているのでしょうが、そんな浅草にするためには例の公
営ギャンブルなんてのがネックになっているのではないでしょうか。追い出すの
が無理であったら、六区地区を無視して新しく雷門通り沿道の活性化が良いので
はないでしょうか。田原町から吾妻橋までの間にだけでも路面電車を走らすとか
、週末だけでも毎週全面歩行者天国にするとか。活性化の土壌は揃っているので
すからね。
 酸化炭素の放出量は、自動車の5分の1で、エネルギー効率も、乗用車やバス
より優れている地球環境にやさしい路面電車をもう一度浅草を走らせてみたいで
すね。
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 でも・・・、更に浅草に競艇の場外船券売り場を誘致する計画も進行中なので
すよ。地域の発展のため色々考えても、所詮個人からの一つの参考意見で終わっ
てしまうんですよね。路面電車構想なんてのは夢のまた夢。

今朝の写真
SONY DSC-F828
撮影枚数22枚