平成16年(2004)8月20日 金曜日

- 貴重な時間 -

 北海道に台風が向かっています。おかげで、雨の朝になってしまいました。浅
草に居るときは、雨が降ろうが雪が降ろうがモモちゃんとの散歩は欠かせないの
ですが、さすがに一人ではこんな日の散歩なんて出かけたくないですよ。窓から
の写真で今朝の空気だけお伝えいたしますね・・・。
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 父の時は涙も無く、母に変わって立派に喪主の挨拶を務めることが出来た・・
・。でも、母の時は我慢が出来なかった・・・。
 何をして良いのやらどうしたら良いのやら手探りで過ぎてしまったこの2日間
でした。こんなの慣れている人なんて居なくて結構なのでしょうね。でも、葬儀
場や焼き場の職員の手慣れさには、ちょっと怖さを覚えてしまいました。
 荘厳な飾りを施した霊柩車のクラクションで遺族の悲しみを一層盛り上げてく
れた演出。これから向かえる葬儀最大のセレモニーに向かえられた巨大な施設。
 整然と並ぶ焼却炉に次から次に送り込まれる悲しみの隊列。そんな悲しみを余
所に、テキパキと流れ作業のように進行する手慣れた係員の一連の作業。肉体の
最後を惜しむ時間も与えられず、まるで巨大なパン焼き機のような無粋な釜に棺
桶を入れる手付きはまさに手慣れた職人技です。
 慣れとはいえ、もし彼らの親族の不幸に際しても同様な態度で接しられるので
しょうか。そんなことを考えながら故人を偲びながら待った時間の長さ、あほま
ろの人生の中でいったい何回経験したでしょう。
 20年前に父が亡くなった時、葬式はあほまろの故郷のお寺でした。焼き場は
粗末な釜が一個の町営。小さい町なので係の人も役場の人もみんな知り合い。み
なさんが真から悲しんでくれたのです。焼き場の係員が涙を流しながら丁寧に作
業をしていたのを今でも覚えております。その前の祖父の時も一緒でした。
 待っている間、煙突から出てくる白い煙を見ながら天に昇っていく父の姿をみ
んなで見送ったのでした。
 そこに居るみんなが悲しんでくれた・・・。札幌の巨大施設ではそんな悠長な
ことは言ってられないのも確かです。ここでの受付は先着順だそうで、遅くなる
と焼き順を待たされてバスの中で延々と待機することも有るそうです。
 そんなことから、母の出棺も早められてしまったようです。それとも、次の準
備をするための式場の都合なのかもしれません。死んでしまったのだからもう別
れを惜しんでもしょうがないでしょう・・・。同情を込めた作り悲しみ顔の係員
、 顔と態度の違いは誰もが読み取れるような・・・。
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 我が家ではご存じの通り犬が4匹います。モモちゃんの散歩もあります。こん
なの他人に預ける訳にもいかず、今回の葬儀はあほまろと子供たちだけで参加。
女房は家で犬の世話をすることになったのです。
 あほまろには長男長女の二人の子供が居ます。二人とも四捨五入をすると30
才に成るっていうのに未だ独身。家ではほとんど顔を合わすことなんて無いので
すが、母の葬儀の総てが終わり、札幌の自宅に戻ってきた三人。久しぶりに母を
偲ぶ親子の会話を楽しむことができました。これも母が与えてくれた不幸中の幸
いなのでしょう。
 新しくなった札幌駅を見に行こうと、地下鉄に乗って夜の観光旅行です。ぶら
ぶらと大通りからすすきのまで歩いてききました。目的は札幌一のジンギスカン
屋さんでしたが、お店の前には長蛇の列。支店にも行ってみたのですが状況は同
じ、しかたが無いので近くのあまり有名じゃないのにどのガイドブックにも載っ
ているお店に入ったのでした。味はやはり別物。こんなんじゃ、浅草に出来た北
海道物産店で売られている松尾ジンギスカンの方がまだまし・・・、なんて考え
るのは、本当の味を知っているあほまろだから言えるのでしょうね。でも、子供
たちは初めて生肉ジンギスカンをおいしいおいしいとお変わりしておりました。
今度は、札幌一おいしいお店に連れていってあげるからね。
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 懐かしい思い出と、母が残してくれた写真アルバムを見ながら、母が与えてく
れた子供たちとの貴重な時間を楽しみました。
 ありがとうおかあさん、そして、さようならおかあさん。

今朝の写真
SONY DSC-T1