2003年12月14日 日曜日


今朝の写真
SONY DSC-F707
撮影枚数39枚

討ち入り

 氷が張っています。昨夜は氷点下まで
気温が下がったようですね。我が家の小
犬たち3匹は、布団の中から出ようとし
ないのです。寝返りをうつたびに、キャ
ンキャンと騒ぐので夜中に何度も目を覚
ましてしまいました。それに引き換え、
モモちゃんは寒いあほまろの書斎で一人
毛布にくるまって寝ているのです。
 それが、本来の犬の姿なのでしょうね
。まったく、子犬たちの育て方が悪かっ
たなんて、反省しても時すでに遅し・・
・。
 浅草寺境内では、NHKが大きなディ
スプレーを積んだトラックで、地上波デ
ジタル放送の宣伝をする準備をしていま
す。いったい何インチのプラズマディス
プレーなのでしょうか、とっても鮮明に
デジタル放送を映し出しておりました。
トラックの後ろには、仮設のUHFアン
テナを立てているところを見ると、ここ
浅草でも東京タワーからのデジタル信号
が受けられるって訳ですね。こんな状況
を見ていると、やっぱり我が家でもアン
テナを上げてみたくなりましたよ。
 現代の生活のなかで最も身近な「テレ
ビ」のデジタル化によって、これらの情
報通信メディアとの連携で、パソコンと
は違った新しい文化が実現できるような
のです。あとで、ゆっくりと説明を聞き
に行きたいな。
 浅草の芸人文化を復活させようと、毎
年夏休みに行われている「六芸人まつり
」が、今年から冬にも行うことになった
ようです。昨日ここを通ったら、何か浅
草の歌らしいのが聞こえてきました。
 「雷門であいましょう」という新しい
歌だそうです。知り合いの作曲家の東海
林氏がパンフレットを配りながらPRを
しておりました。考えてみたら、浅草を
歌った歌って、昔はたくさん有ったよう
ですが、最近では全く聞いたことがあり
ません。メロディーはなんとなく「一円
玉の旅がらす」のパクリのような感じの
曲ですが、歌詞に「雷門・・・」って入
っているだけ親しみが湧きましたよ。
 この「六芸人まつり」は、今日も4時
まで開催しております。新しい演歌ポッ
プ調の浅草の歌に興味が有る方はお試し
あれ。同じ場所で、三陸の物産展も開催
されております。特製ウニ・ラーメンが
500円で食べられますよ。
 今日は「赤穂浪士討ち入り」の日。と
いっても、旧暦の12月14日で、それ
も閏月の12月でしたから、新暦に直す
と一月の末頃でしょうか。事件が、起き
たのは、真夜中。陰暦だと、15日が満
月なので、当夜は、”十四夜”で晴れて
た上、前の日に降った雪が積もっていた
ようなので、夜でも相当、明るかったは
ずですね。新暦に慣れきっている我々で
は日本文化を体感するのは無理なのでし
ょうね。
 それでも、今日は高輪の泉岳寺には大
勢の参拝客が訪れるのです。あほまろも
以前、この「義士祭」を見に泉岳寺を訪
れたことが有りましたが、寒い中、延々
1時間以上も並ばされてお墓の前でお焼
香するだけ。何か意味が有ったのかな。
一方、愛知県の吉良町では上野介の法要
が営まれるそうで、こちらはとっても静
かな法要なのだとか。正に、“勝てば官
軍負ければ賊軍”を絵に描いたような雰
囲気だったと、誰かが言ってました。
 忠臣蔵といえば、歌舞伎狂言で有名で
す。歌舞伎では、「仮名手本忠臣蔵」と
題され、討入までの全十一段の超大作で
す。「いろは四十七文字」が、討ち入り
の四十七士とピッタリ合うため、仮名を
覚えるために作られた「いろは歌」にな
ぞらえて考案されたそうです。
 幕府への手前、時代設定を「太平記」
に借り、登場人物もそれなりに雰囲気を
残しながら仮名を用いてはいますが、こ
れが初演以来の爆発的にヒットとなった
のでした。ところで、この「いろは歌」
は「弘法大師」の作という説もあります
が、平安末ころからの俗言なのです。そ
れよりこのいろは歌を、7文字ごとに並
べて尻を取っていくと「とかなくてしす
」となるのです。つまり「とが(罪)無
くて死す」となり、四十七士の怨念では
ないかとも言われています。こじつけで
しょうが、よくもそんなことを思い付い
た頭の良い人がいたものです。
 今年は「江戸開府400年」でもあり
、四十七士のお墓には、きっと大勢の参
拝客が訪れるのでしょうね。