2003年7月6日 日曜日

今朝の写真
SONY DSC-F707
撮影枚数28枚

朝顔

 あまりに寒さに目覚めてしまいました
。夏だっていうのに、こんな寒さは異常
です。あまりの寒さに、モモちゃんの尻
尾も下がりっぱなしの散歩でした。
 日曜日の浅草寺境内は、早朝から観光
客で賑わいます。特に、昨日はWHOに
よって、SARS感染地域指定を解除さ
れた台湾からの観光客が目立っておりま
す。昨日の今日、すぐにその結果が出る
って訳じゃないでしょうけど、先週初め
からボツボツ観光旅行が再開され、境内
にはいつもの中国語が飛び交う賑わいが
戻ってきたのです。今となっては、浅草
寺朝の風物詩なのです。
 台湾からの観光客も、今朝の寒さが身
にしみるようで、みんな長袖のジャンバ
ーやカーディガンを着ておりました。そ
れもそのはず、体感外気温は22〜3度
なのですよ。“昨日到着した時は、台湾
より暑くてジメジメしていたのに、今朝
は冬のようなこの寒さ。いったいこの時
期の日本はどうなってるんでしょうね”
、流暢な日本語で語りかけてきたおばち
ゃん。産まれてから15才まで日本語で
暮らし、終戦後は日本語の使用を禁止さ
れ、学校で台湾語を習い覚えた矢先に、
中国革命で台湾へ逃げて来た国民党の支
配。他の言語使用を禁止され、中国語の
使用を強制されてしまい、どの言葉が自
国の言語なのか混乱していた青春時代だ
ったそうです。しかし、三つ子の魂百ま
でも、この年になっても日本語が一番自
分を表現するのに適した言葉だって言っ
ていました。
 戦後57年も経っているっていうのに
、まだまだ戦争の影響が現実に残ってい
るんですね。今までにこの日記で何度も
取り上げたように、浅草寺境内でお逢い
する台湾からの老人達、口を揃えたよう
に、日本時代が一番良かったっていうの
です。
 初めての日本旅行だというこのおばさ
ん達は、これから入谷の鬼子母神で今日
から開催されている朝顔市を見物にいく
と喜んでおりました。
 昨夜、あほまろも入谷の友人と鬼子母
神の近所の料理屋で食事を楽しんできま
した。鬼子母神の境内を仕切っている鳶
頭も交え、我々にとっての夏の風物詩と
して恒例になった食事会なのです。朝顔
にちなんだ料理の飾り付けや、下町の話
題で酒の飲めないあほまろも盛り上がり
ました。
 入谷一帯は、昔は入谷田圃(いりやた
んぼ)と呼ばれており、この辺りは入り
海の名残である千束池の底で、雨が降る
と池が溢れ大きな被害が出たのです。江
戸の町づくりをはじめた徳川家康は、諸
国の大名に池を埋めさせ、湿地帯を豊か
な田圃に改良したのでした。昔の池の名
残で、田圃の中には金魚や鯉の養殖池も
点在していたのです。文化・文政のころ
、下谷に住んでいた、金魚職人の与力谷
七エ門という男が、あさがおの竒種を作
っては人に見せていたのがこのあさがお
市の始まりとも。朝顔の花言葉は“はか
ない恋”だそうです。また、あさがおは
台東区の花にもなっているのです。
 ちょっと寒いのですが、せっかくの風
物詩、これから女房と合羽橋の七夕を見
ながら、入谷まで歩いてみましょうかね。
 “朝顔の花のようなるお前の心 日ご
と日ごとに気がかわる”
 「あさがお市」は、今日から8日まで
の三日間開催され、翌日の9日〜10日
は、四万六千日。いよいよ浅草の「ほう
づき市」が始まりますよ。