2003年5月19日 月曜日

今朝の写真
SONY DSC-F707
撮影枚数48枚

祭りの後は・・

 雨の朝になってしまいました。もう良
いんです。どんどん降って秋の稔りを与
えてください。お祭りは終わりました。
疲れました。と、いっても今回は祭りに
参加した訳でなく、神輿を担いだ訳でも
ないのです。徹底的に祭りの写真を撮り
まくったのです。特に昨日は、午前6時
から始まる宮出しのために午前4時に起
き、それからズゥっつと御神輿の追っか
け。モモちゃんの散歩も、ホームページ
の日記すらおろそかにしてしまいました
。ごめんなさい。
 おかげで、午前4時に起きから午後1
0時半の宮入りの終了まで、今年の三社
祭り記録を撮り終えた満足感は、心地良
い疲れと共に充実感が満ちあふれている
のです。でも、楽しかったって言うより
、苦しかったって表現がピッタリのあほ
まろの三社祭でもあったような・・・。
 この三日間で撮った写真の枚数は優に
二千枚を越え、これからの整理に頭を悩
ませております。勿論、このホームペー
ジ上でも公開をいたしますが、数が数な
だけ、総てをお見せするには暫しのお時
間を要するのは必至。迫力有る三社祭り
の一部始終がご覧になれますので、お楽
しみに。
 今回の三社祭で話題になった町会には
、大勢のニワカカメラマンが押し寄せま
した。NHKの連続テレビドラマ「ここ
ろ」のロケに全面協力し、町会の神輿ま
で登場させた浅草東町会です。今年は、
それを記念して14〜15年前のデザイ
ンの半纏が登場したのです。約3千枚ほ
ど作ったそうですが、町会以外の方は入
手が出来ないレア物なのだとか。
 なんかバカらしくて、あほまろには興
味が無いんです。もちろん、カメラを向
けることも無かったんですよ。強がり言
ってる訳じゃ無いんですよ。だって、こ
の半纏を借りるにも、会員の紹介が必要
で、紹介者の名前を縫いつけ、責任を明
確にしないと貸してくれない・・・、レ
ア物を誇張するかのようなPRまでして
るんです。そんな話題が、町内の随所で
、ニワカカメラマンにポーズをとるニワ
カモデルのお嬢さん達で賑わっておりま
した。勿論モデルのお嬢さん達も14〜
15年前には、お嬢さんと呼ばれたこと
が有った人達ですよ。
 お祭りから一夜明けた浅草寺周辺はゴ
ミの山です。道路は勿論、路地裏まで焼
きそば、たこ焼きの容器、空き缶、そし
て煙草の吸い殻が溢れています。折りか
らの雨で、片付ける者も無い有様。お祭
りの終わりを物語るかのように、切れて
使い物に成らなくなった草鞋の残骸。今
の時代にそぐわないゴミになって、あち
こちに散乱しているのが滑稽でした。
 昔、っていってもうんと昔の江戸時代
。ゴミってのは、こんなのを言ったので
しょうね。当時は、これだってリサイク
ルしてたんです。使い古されて捨てられ
草鞋は、藁を解して銭サシ(穴あき銭を
百枚単位で縛る藁ひも)を作る材料にな
るのです。銭サシに成った元草鞋は、両
替商が買ってくれ、何度も何度も利用さ
れ、朽ち果ててしまうと、それらを古紙
屋さんに売るのです。
 古紙屋さんは、古紙と藁を一緒に沸騰
させてバラバラに成った繊維を、再生紙
に混ぜて漉くのです。それが、浅草紙と
して全国にその名を馳せたんですよ。覚
えてますかね。昔、便所に置いてあった
、半紙サイズの茶色の紙を。あれも再生
紙で、主に新聞紙を利用してたんですが
、強度を高めるためにやっぱり藁の繊維
を一緒に漉き込んでいたそうです。
 浅草紙の製造業者は、今の田原町と千
束町に多かったと記録されております。
当時の三社祭の後は、彼らにとって絶好
の材料稼ぎになったんでしょう。しかし
、今では誰も拾ってくれない寂しいゴミ
なってしまったのです。ただ、たこ焼き
の器などと違って、環境に優しいゴミで
有ることだけは変わってないのです。