2003年2月22日 土曜日

今朝の写真
SONY DSC-F707
撮影枚数38枚

浅草の文脈

 昨日の陽気はいった何だったのでしょ
う。寒い小雨の朝になってしまいました
。こんな陽気じゃせっかく開きかけた桜
の蕾も閉じてしまったのでは、毎年浅草
寺境内で一番最初に開花する弁天山に行
ってみると、この寒さにもめげずしっか
りと開きかけているのです。それも、薄
紅色が鮮やかになっていました。♪もお
すぐ春ですねぇ〜!”ランスウミキ”の
歌なんか歌っちゃったりして・・・。
 土曜日とあって、境内は賑わっていま
す。それも、いつもの台湾観光団ご一行
様に混じって、うら若きご婦人さまの団
体。何の団体なのか、かなり気になるん
ですが、変なオッサンが無闇に声をかけ
て変質者に思われても困るし・・・。
 モモちゃんに声をかけてくれることを
願いながらお詣りを済ませたのでした。
 本堂の階段を降りる途中、案の定若い
女性がモモちゃんに声をかけてきたので
す。お詣りの効果が有ったっていうので
しょうかね。群衆心理ってのは不思議な
もので、一人が声をかけるともう大変な
んです。みんなが、それも数十名の女性
がモモちゃんを取り囲み、記念写真の連
発。その結果、あほまろがみんなのカメ
ラを預かり大変な目にあってしまったの
も事実なんです。
 聞いてみると、彼女達は福岡の看護学
校の生徒さんで、研修旅行にやって来た
、総勢150名の看護婦さん達だったの
です。制服を着ていたらもっと楽しかっ
たのに・・・・。なんて、卑猥な考えか
なぁ?
  あの日浅草にあった「見世」
  ふくらむ「店」が落とす影
  栄え廃りの歴史追い駆け
  我らふたたび見る”夢”
 東京大学都市工学専攻の学生6名によ
って、『浅草の文脈』が完成しました。
昨夜はその出版記念パーティにお邪魔し
てきました。
 ”浅草が最も大衆の心を魅了し、一大
娯楽街としての名を欲しいままにしてい
たのは、明治から、昭和戦前にかけてで
あった。当時の浅草は「浅草公園」とし
て公園指定を受けていた・・・・”
 浅草を都市工学の観点から、栄枯盛衰
を鋭く探った内容の中に垣間見る、浅草
に住む者たちの未来への継承が、本音で
描かれている内容に驚かされました。伝
統と伝承に守られた賑わい、不朽不滅を
誇るかのように変化を望まない老舗の繁
昌ぶり。でも、”美しい日々は、もうそ
れ以上続かなかった”。
 そんな、浅草が浅草でなくなった課程
を、冷静に確かめてみる絶好のチャンス
を与えてくれる一冊です。浅草で商売を
する方々の意識改革、今行わなければ、
もうそれ以上続かないのですよ・・・。
 ”商売は所柄なり老舗なり”近松門左
衛門の浄瑠璃のようには、いかなくなっ
てしまったんですねぇ〜。
 『浅草の文脈』 ヒノデ新聞社 
  定価1200円 
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