2003年1月16日 木曜日

今朝の写真
SONY DSC-F707
撮影枚数32枚

文学散歩

 昨日同様、とっても寒いんです。こん
な日を真冬日って表現するんですかね。
真夏日とは、30℃を越える日をいうよ
うですが、冬の定義って有るのでしょう
か。きっと0℃を下回る日を言うのでし
ょうね。寒い寒い・・
 浅草寺境内では、いつもの台湾観光団
に人達で賑わっています。いつものよう
に写真撮影を頼まれ、何組かの写真を撮
ってあげていると、流暢な日本語を喋る
老夫婦が、浅草寺には山東京伝のお墓が
あると聞いているけど、売店のお坊さん
に訪ねても良く割らないといわれた、あ
なたは知ってますか。そりゃ渡りに船、
山東京伝といえばあほまろが大好きな江
戸の戯作者ですよ。
 山東京伝のお墓は回向院ですが、浅草
神社裏の駐車場に山東京伝の机塚が有る
のです。この碑の下には京伝が9歳〜5
0歳まで愛用したという古机が埋められ
ていると伝えられております。
 この碑は、京伝の弟京山が文化十四年
に亡き兄を偲んで建立したそうですが、
何度かその位置を変えたため本来建立さ
れた場所は今となっては判りません。
九才の時寺子屋に入った際、親が買って
くれたこの机。百作を越える戯作を書い
たのでしたが、50年近くも使ったので
、ゆがみ、老い込んださまは哀れである
と「耳もそこね あし(足)もくしけて
もろともに 世にふる机なれも老たり」
の句が刻まれております。そんなこんな
、得意になって山東京伝の人となりを説
明してあげたのでした。
 しかし、この老人は台湾の大学の名誉
教授。日本時代に東京大学で教育を受け
奥さんは日本人。今でも夫婦や子供達と
の会話は日本語を使っているそうです。
専門は文学で、それも江戸文学が得意だ
ったとか、偉そうに山東京伝を語ってし
まったあほまろ、赤面の至り・・・ポリ
ポリでした。
 浅草寺境内には他にも、映画弁士塚・
久保田万太郎句碑・川口松太郎句碑・河
竹黙阿弥顕彰碑等々色々な石碑がありま
す。ここだけに限らず、台東区一帯には
、多くの文学者を讃える碑が建立されて
おります。今度五千円札のモデルになる
樋口一葉は大鷲神社境内に、西浅草には
、石川啄木の歌碑もあります。啄木の親
友のおじが啄木の遺体を一時、等光寺に
葬ったことからこの地に建立されたそう
です。最近は、そんな金石碑を訪ね歩く
ガイドブックも有るようですね。
 台湾から観光でやってきた老夫婦も、
ツアーとは浅草寺で別れ、今日一日中、
台東区内の金石碑を歩くそうです。
 山東京伝の机塚の側で、いつも居る猫
。ここが好きなのか、守っているのか、
今朝も寒いのに後ろの日向でモモちゃん
を見ていました。なぜかモモちゃんは、
この猫だけにはおとなしいんですよ。そ
ういえば、江戸生艶気樺焼(えどうまれ
うはきのかばやき)にも、さりげなく猫
が描かれてましたね。
 今朝は台湾のおかげで、文学散歩にな
ってしまいました。