2002年9月24日 火曜日       

今朝の写真
SONY DSC-F707
撮影枚数25枚

黙阿弥
 江戸の戯作には、ここ浅草周辺を舞台にしてい
るものが多い。特に歌舞伎に関しては、その脚本
作者、河竹黙阿弥が約40年間、浅草馬道町に住
んで執筆活動をしていたことも理由としては大き
いのだろう。河竹黙阿弥は、20才の時当時の戯
作者として名を馳せていた、五世鶴屋南北に入門
し、78才で没するまでに360篇にのぼる作品
を残している。               
 代表作は、三人吉三・弁天小僧・髪結新三・魚
屋宋五郎・船弁慶、等々、数え上げたらきりが無
いこれら作品は、歌舞伎ファンのみならず、広く
一般に知られていますね。彼の坪内逍遥は、彼の
事を、「真に江戸演劇の大問屋なり・・」と評し
、「日本の沙翁」とも讃えているのです。   
 今朝はなぜ黙阿弥の経歴から書き出したかとい
うと、昨夜、彼の弟子の河竹新七作、「籠釣瓶花
街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)」を観劇し
てきたのです。このお芝居は、新吉原が華やかだ
った江戸天保頃のお話。河竹新七作が20代の頃
、明治20年に書き下ろしたと言われている。明
治の20年といえば、庶民もそろそろ江戸の臭い
を忘れてきた頃で、まだ新吉原は賑わっていただ
ろうが、明治新憲法の下、遊女達の風俗も貨幣制
度も大きく変わってしまい、そこに暮らす遊女の
心境の繊細な描写は、河竹新七にとって師匠であ
る河竹黙阿弥無くしては出来得なかった作品と思
われるのです。     
 野州佐野の農民次郎左衛門と遊女八つ橋の情事
に妖刀「籠釣瓶」をからませた内容は、さすがに
黙阿弥の作品とは違い、河竹新七オリジナルの発
想だろう。黙阿弥の臭いを残したこの作品、明治
21年、東京千歳座で、初代左団次、五代目歌衛
門らによって初演された。昨夜は、吉衛門の次郎
左衛門、雀右衛門の八つ橋で、久しぶりの「籠釣
瓶花街酔醒」を堪能したのでした。来月は、赤穂
浪士討ち入り300年を記念し、「仮名手本忠臣
蔵」が昼夜通しで上演される。これも、絶対に行
かなくちゃね。あほまろは、四段目判官切腹の場
と、七段目の祇園一力茶屋の場が好きですね。 
 また話が浅草から大きく反れてしまった。浅草
の近況といえば、10日ほど前、雷門通りに中華
そば屋がオープンし、中華そば390円、チャー
シューを入れると430円って安さが近所で話題
になっている。安さだけでは無く、深夜営業のお
店なので、居酒屋としても結構流行っているよう
だ。その数軒隣にも、深夜営業をしていたラーメ
ン屋が有るのだが、このおかげで閑古鳥。今朝、
そのお店の前を通ると、内装工事をしている。対
抗策として何か新らしい企画と値段を打ち出すん
だろうかね。ちなみに今までは、ラーメンは52
0円、ねぎラーメン630円、チャシューを入れ
ると、850円にもなってしまうんだよ。 
 100円ショップ、250円ハンバーガー等々
、浅草にも軒並みデフレーションに拍車を掛ける
ようなお店が登場している。安いことは利用する
者にとっては良いことだが、新築店舗に大勢の従
業員を使って、本当に採算が取れるのでしょうか
ね。リストラや倒産で職を求めている人が多いの
で人材募集は簡単だろうが、その人達を、再び路
頭に迷わすような経営じゃないんでしょうね。 
 河竹黙阿弥が暮らしている頃の浅草、”知らざ
あ言つて聞かせやせう。江戸の百味講の蒔銭を、
当に小皿の一文子、百が二百と賽銭の、くすね銭
、悪事はのぼる上の宮・・・”、弁天小僧じゃ無
いけれど、遊びの金に糸目を付けない連中が多か
ったんでしょうね。そんな連中は安いお店なんか
にゃ入らなかったんですよ。