2002年9月9日 月曜日       

今朝の写真
SONY DSC-F707
撮影枚数20枚

あの中座が・・
 雨が止んだタイミングを狙って散歩に出かけた
のだが、雷門前で雨に降られてしまった。勿論傘
なんて持っていない。おかげで、カメラも全身も
ずぶ濡れになってしまう。身体は濡れてもかまわ
ないが、カメラを濡らしては大変。シャツの中で
保護したのだったが、気休め程度だった。おかげ
で、今朝はショートカットコース。写真を撮るき
にもなれなかったんだよ。          
 今朝のニュースで、大阪道頓堀の旧「中座」付
近から出火し、鉄筋コンクリート造り4階建ての
中座の建物約2600平方メートルが全焼したそ
うだ。道頓堀といえば、江戸時代は松本名左衛門
の芝居、大和屋甚兵衛の芝居、大坂屋太左衛門の
芝居、角丸の芝居若太夫の芝居と、道頓堀の五つ
櫓と言われた場所。ちょうど江戸の浅草猿若町の
ような場所だった。             
 中座は、承応元年(1652)塩谷九郎右衛門
が京都から大阪道頓堀に下って創始した”中の芝
居”が初めといわれている。その後、大正九年松
竹株式会社の手により改築されて現代風の劇場と
なり、初世中村鴈治郎を中心に二世中村梅玉、初
世実川延若らで賑わった。20年3月の空襲によ
って焼失。23年1月に再築開場されたのが現在
の中座で市川寿海・十三世片岡仁左衛門らの歌舞
伎。松竹新喜劇などを中心に藤山寛美やミヤコ蝶
々らの活躍でも話題になった劇場だ。しかし、歌
舞伎座が新歌舞伎座として難波駅前に新築された
り、娯楽の多様化から客足が減り平成12年にそ
の長い歴史を閉じ、廃墟となって、繁華街にみす
ぼらしい姿を晒していたのだった。      
 戦前の浅草や、京都の新京極同様、道頓堀は、
それまで大阪中に散々した芝居小屋や遊郭を集中
し、千日寺の門前なので人々は千日前の三昧とし
て集まってきたのだった。当時、大坂の南の端で
しかも道頓堀川にへだてられたこの地。いわばこ
れは新地開発の策であり、大坂人をミナミに引き
寄せ、予定通りの一大歓楽街を造りあげるのが目
的だった。羨ましいことに、芝居小屋が無くなっ
ても、ミナミは今でも大阪一の歓楽地として賑わ
っているのだ。ここが浅草とは大きく違うところ
なんだね。          
 そんな繁華街にこの数年間廃墟と化していた”
中座”。都はるみの”難波恋しぐれ”の歌詞の中
にも登場するように、上方の芸人はみな、”いつ
か中座の華になる”との思いで芸道に精進した、
曰く因縁の”中座”。いつまでもみすぼらしい姿
を晒すのを、嫌った出来事なのかもしれないね。
 さて、こちら浅草では、雨の中にも関わらず台
湾からの観光客が押し寄せ、昨日行われた”交通
安全フェスティバル”の会場が撤去された場所で
は、新門の連中が、元の機材置き場として何事も
無かったかのように整理されているのでした。
 今まで気付かなかったが、神社の花壇にコスモ
スが咲いている。僅か数輪の花ですが、本当の秋
を感じさせてくれるものですね。皮肉なことに、
家に着いたとたん雨は止んだようです。    
 中座の写真は、今年1月11日朝撮影したものです。