2002年8月1日 木曜日       

今朝の写真
SONY DSC-F707
撮影枚数24枚

権力の象徴

 歌手の加藤登紀子さんが昭和47年に「獄中結
婚」して話題になった、元反帝全学連委員長、藤
本敏夫氏が昨日の午後3時、肺炎で58歳の生涯
を終えた。あほまろが学生時代、過激な学生運動
が展開された頃の有名人でもある。彼は、環境問
題にも真剣に取り組み、昔は参議院選挙にも出馬
した事もあったっけ。
ご冥福をお祈りいたします。
 全学連の誕生は、戦後間もない昭和23年の9
月であった。この全学連は、左翼系学生を主体と
した全国的な共闘組織であり、良くも悪くも戦後
の学生・新左翼運動の中心となった組織なのだ。
現在では民青系、中核派系、革マル派系、解放派
系と四つの全学連が存在する。これに至る経緯は
複雑で、元活動家の藤本氏も関与を避けていたよ
うだ。それにしても、あのころの学生はパワーが
有ったね。当時ノンポリ学生だったあほまろも、
仲間の誘いで面白半分に参加した「佐藤訪米阻止
」闘争。羽田空港に向かう弁天橋で機動隊に追い
つめられ、ドブ川に飛び込まざるを得なかった嫌
な思い出が、藤本敏夫氏の死亡記事で蘇ってしま
ったのです。懐かしく振り返ってみると、学生が
元気だった昭和40年代って、日本全体も元気だ
ったんですね。今の学生さん達も、世直しのため
にもう一度元気に成りませんか?  
 ”反権”闘争の時代、警察官は直接学生運動家
に関わる権力だった。当時お茶の水駅付近を解放
区と称して占領した時、交番の上に掲げた革マル
派の旗を今も鮮明に覚えている。この時の学生達
が燃えたのは、権力の象徴である警察の施設、”
交番”を乗っ取って、前線基地としたことなのだ
ろう。この時、約反日間は、完全に日本国から独
立した学生自治区を形勢していたのだった。  
 そんな”権力”の象徴が勤務する雷門前の”交
番”に、警視庁警察官募集の公告が貼られた。 
”花の東京の警視庁に入ったら、毎日雷門前で楽
しい暮らしが出来ますよ・・”、とでも言いたげ
なポスター。レトロ調で、富山の売薬の袋を連想
させるイラストが楽しいのだ。こんなポスターを
見ていると、もはや警察官には、当時の”権力”
なんて、全く感じなくなってしまったね。   
 さて、ここから本題。相変わらずクソ熱い境内
では、相変わらず台湾の観光団が押し寄せ、いつ
もとなんら変わったことは無い。観音堂裏では、
今月27日に行われる”台東薪能”の桟敷席の設
置工事が行われている。昨年の”台東薪能”は、
雨で、浅草公会堂に場所を移して開催された。今
年こそ、せっかく準備をしているこの場所で行い
たいですね。                
 今日は、今年二度目の土用丑の日。みんなでウ
ナギを食べて暑さを吹き飛ばしましょう。