2002年5月30日 木曜日       

今朝の写真
CANON EOS-D60
TAMRON SP ZOOM 24-135 F3.5-5.6
撮影枚数43枚

三業地

 仲見世西側の日除け簾の取り付けが終わり、パ
ッと明るくなった感じがする。今朝は、東側の簾
を取り付ける作業が行われている。係員が、約2
メートルおきに簾を屋根に軽快に放り投げる姿は
まるで、何かのスポーツのようにも見えてくる。
あほまろとモモちゃんは、バスケットボールのシ
ュートを見るようなその妙味に見取れるのでした
。ここ浅草寺境内で作業をする鳶職の連中は、こ
のように投げるのが上手だ。三社祭の提灯を取り
付けている時も、下からリズミカルに投げられる
提灯を、不安定な足場も気にせずに受け取ってい
た。まるで大道芸を見ているようなこの技を見ら
れるのは、再来月の四万六千日、ホオズキ市の準
備ですよ。                 
 浅草公会堂の前の柳家小さん師匠の献花が仕舞
われたばっかりの所に、また献花が二つ並んだ。
歌謡漫談グループ「あきれたぼういず」の一員と
して活躍したコメディアン・坊屋三郎さん、92
歳。戦後を通じて庶民的な味わいで人気のあった
女優の清川虹子さん、89歳。二人の献花が仲良
く並んでいる。坊屋さんは昭和11年、浅草・花
月劇場の吉本ショーにボードビリアンとして出演
し、輝かしい芸歴をスタートした。翌年には川田
義雄さんらと「あきれたぼういず」を結成。その
後、益田喜頓さんも加わって一大ボーイズブーム
を巻き起こした浅草出身のコメディアンなのだ。
坊屋三郎さんといえば、昭和50年頃のカラーテ
レビのコマーシャルで、”クリントリックス?”
ってフレーズが、今も鮮明に脳裏に浮かんでくる
のだ。また、清川虹子さんも浅草に縁の有る女優
さんだ。浅草六区全盛期の昭和3年、川上貞奴が
主催する児童楽劇団に入り、初舞台を踏んだ。そ
の後昭和8年には、浅草で古川緑波、徳川夢声ら
による「笑の王国」の旗揚げにも加わった。  
 ”浅草を元気にしよう”と、盛り上がっている
反面、浅草が一番元気だった頃のスター達がどん
どんこの世から去っていってしまう。過去の名声
に頼って浅草に元気を取り戻したいと頑張ってい
る人達も多いのだが、本当に浅草芸能を復活させ
たいのなら、過去のイメージは捨て、現代の若者
に受ける事を採算度返しで真剣に取り組まなけれ
ば、元気には成らないのだ。そんな奇特な人が浅
草にでてきてきれると良いのですがねぇ。
 浅草神社の石囲いの角に「浅草三業會」っての
が目立っている。三業地とか、三業組合なんて言
葉。この三業の意味は、料理屋・待合・芸者屋の
3種の営業を称しているのだが、今では死語にな
ってしまったようだ。昔、親から「子供は三業地
に足を踏み入れたらいけない!」なんて言われた
事も記憶する。子供の頃の三業地のイメージは、
”飲む打つ買う”の三業なのだと真剣に思ってい
たこともあったっけ。これら三業の営業を許可さ
れた一定の地域を「三業地」と称して、別社会を
築いていたのだった。この石囲いには、芸者さん
や地方さんの名前に並んで、明治の浅草に生まれ
た文学者、三業地のお客さんだった久保田万太郎
などの名前も並んでいるのが滑稽だね。仲見世に
並んだ”簾”を見ていると、幼い頃の三業地を思
い出してしまったんだよ。