東京寄席さんぽ十二月中席

 師走が忙しいのは当たり前といわれるが、みんな本当に忙しいのだろうか?

僕が勤める新聞社には、この時期になると、どういうわけか毎年「年末進行」という名の怪物(コイツ、どこからやってくるのだろう)が出現し、年末年始の前倒し取材と、その原稿のとりまとめでクソ忙しい日々を過ごすことになる。それがわかっていて、師走にバタバタするのが確実と思われるそれも本業以外のお仕事を引き受けてしまう僕は、学習性のないバカ、といえるかもしれない。

一昨年は、新米デスクの仕事と、ライターとしての原稿と、ゲーム関連の単行本の執筆の三連打で調子に乗っていたら、年末年始になって我が心臓がエンストを起こし、その後三か月仕事を休む羽目になってしまった。

去年の暮れは、人によっては労作ともバカ本とも見える『新宿末広亭 春夏秋冬「定点観測」』(アスペクト)が出版されて、宣伝やらPRやら売り込みやら(ってみんな同じだなこりゃ)で、てんやわんやになった。

そして今年は、「正楽寄席かるた」(奥野かるた店)の発売である。

正楽さんと二人、「いいものを作ろう」と夏前から、あーでもないこーでもないとグダグダ作り込みをしていたのが、年末になってやっとこ世に出すことが出来た。「いいもの」にこだわった結果ではあるのだが、任天堂に作らせたり、当初「あればいいや」ぐらいに思っていた解説書を三十二ページぎっちぎちまでボリュームアップさせたりしているうちに、定価二千八百円というビッグな商品になってしまった。消費税をのっけると、にせんきゅうひゃくよんじゅうえん!どこの寄席の木戸銭よりも高いのである。

こんなのを町のおもちゃ屋さんに並べも、誰が買うというのか。やむなく販売ルートを絞り、神田神保町の「奥野かるた店」、都内の寄席、大手書店、江戸東京博物館などの売店などに置いてもらうことになった。寄席好き、演芸好きの人なら、手にとってさえもらえれば、あのラブリー(?)なテイストをわかってもらえるはずだ。問題は、いかにして多くの人たちの目に触れるかなんだよねー。マスコミで宣伝してもらうにも、すでに世間は十二月半ば。雑誌レベルの年末進行はもうエンディングを迎えつつある。今から売り込んでも、一月掲載ですらおぼつかない。

改めて考えてみれば、こういうことに安直な近道なんてないんだよね。チラシをまいて、落語会や寄席で実演販売して、あとは口コミで・・・。これから年末年始、地道な活動をするしかないのである。

しかし、師走の風はツベタイ。生き馬の目を抜く花のお江戸で「かるた」の行商ばかりしていては、おまんまを食のくいあげなのである。

十一日終日大阪出張、十二日午後草月会館で「うた物語・空よ」取材、日曜版の刷りチェック、夜新宿高島屋で密談、十三日は早出、午後からは横浜にぎわい座のレクチャー、新しいデスク編集機の講習、仕事がらみの文楽見物、十四日は江戸家猫八の告別式(合掌!)に行けず午後台東区役所で浅草芸能大賞の最終審査会、日曜版出稿、夜神保町のタイ鍋屋で原稿終わらぬまま職場の忘年会・・・。こーゆー具体的な毎日が続けば、たとえまだかなりの前倒し原稿が残っているとしても、週末に寄席に行きたくなるのは健全な会社員として当然の心理なのである。そうだろ?そうだと言ってくれー!

● ▲ ■ ◆

十二月十五日(土)

<若手花形演芸会>

 駒丸:元犬

 わか馬:紋三郎稲荷

 あさひのぼる:ベイビーブルース

 談春:粗忽の使者

 牧伸二

 仲入

 ポカスカジャン

 三増巳也

 三太楼:七段目

● ▲ ■ ◆

国立の「若手花形」は、不思議な魅力の会である。若手の腕試しに、応援のベテランをまぜるのだが、フツーの演芸会に比べて色物の比重が高く、しかも普段寄席で見られない人々がじゃんじゃん顔を出す。だから、当たればものすごく面白いし、そうでない場合もレアモノ見物(レアなみなさん、ごめんね)が出来ると考えればそれなりに興味深い。今回は、上り調子の三太楼トリに、最近元気なポカスカジャンとまだまだ元気な牧伸二がからむ。おそらく「当たり」と思って前売りを買ったのだが・・・。

しかしまあ、客席には知り合いが多い。昼夜通し見物で知られるKおじさんに、作家のY川センセ、元A新聞のOさん。加えて、こっちも四人連れ。これだけいろんなタイプが集まるというのは、今回の番組がバラエティー豊かだということなのだる。指定席ではあるが、とりあえず早めに現地?入りである。

前座は寄席で出くわす駒丸だ。涼しい目をした、なかなかの男前だが、こういうスッキリタイプが滑稽噺を演じるばあい、どうしても落ち着きが悪い。「元犬」も見た目がまともすぎるせいで、主人公タダシロー君のエキセントリックな風情が、今ひとつ伝わってこないのだ。

続く、わか馬は、最近あまり聴いていないな。正直なところ、僕はこの人によい印象を持っていない。あの厳しいB桜師匠にビシバシしごかれればしかたがないのかもしれないが、前座時代の、声の小さな、おどおどしたような高座姿は、なんともいただけなかった。本日のネタは「紋三郎稲荷」。笑いの少ない、地味な噺である。だいじょーぶかなあ。

久しぶりにわか馬の顔を見たら、「病み上がりの舟木一夫」というキャッチフレーズを思い出した。「本家」の志ん上は廃業してしまったが、わか馬の姿形なら十分後を継げるのではないだろうかなどと、しょうもないことを考えながら聴いていたが、いやあ、反省しました、ワタクシ。わか馬、うまくなっているのである。元気のないのは相変わらずなのだが、おどおどした感じは完全に消え、むしろ自信にあふれているような、落ち着きはらった高座姿なのである。声は小さいが、十分メリハリがあり、口調も安定している。笠間稲荷のイカサマ眷属のセリフに説得力があって、それが狐狸妖怪をテーマにした噺のうそ臭さをキレイに消してしまった。無謀な選択だと思ったネタが、見事に自分のものになっているのだ。年のわりに爺クサイ感じもあるが、そのハンディ?を魅力に転じる力がある。「爺クサイ若手」の一番手として、どんどん地味ネタに挑戦してほしい。注目してるからね。

初めてみた、あさひのぼるは「長渕剛風シンガーソングライター」漫談とでもいうのだろうか。自作の「ベイビーブルース」を延々歌いながら、時々ギャグをかましては「そうだろ?」と客席に呼びかける。で、客に「そうだ!」という答えを強要するのである。どことなく愛嬌があるので、返事の強要もそれほどイヤミにならず、かなりの善男善女が「そうだ!」と答えている。

談春の「粗忽の使者」、うまさが際だつ。最近は独演会を精力的にこなしているようだが、中ネタがこんなにいいのだから、できれば寄席で聴いてみたいなあ。大ネタ中ネタができて、当意即妙のマクラがある。談春が一枚加われば、寄席番組がさらに楽しくなるのは間違いないが、立川流の精鋭に寄席問題を押しつけるわけにはいかないんだよね。

ちょっと太った感じの牧伸二だが、相変わらず達者達者。「あ~あ、やんなっちゃった」をトントントーンとかましてから、ウクレレ演奏、自作の歌披露と軽快につないでいく。シルバー世代を励ます「ダンジイの応援歌」をさかんに売り込んでいたが、牧伸二の元気な高座こそが、熟年オヤジへのエールなのである。だって、僕が子供のころ、すでに「大正テレビ寄席」で売れに売れていて、いまだに全国区なんだもんなあ。ウクレレのコードは増えてないけど。

「オバタリアンの特徴は 手首足首胴回り くびれが全然ないことよ も一つないのが羞恥心 あ~あ~やんなちゃった あ~あ~驚いた」

「インフルエンザが流行っていても 岐阜県長良川地方は大丈夫 だってウガイをしてるもん あ~あ~やんなっちゃった……」

「こんなこと四十年もやってるんですよー。みなさんはたまに聞くからいいなと思うだろうけど、毎日やってたら飽きますよ~」

がんばってねー。

仲入休憩をはさんで、にぎやかな色物が二つ。

まずは客席より仲間うちでオオウケするパターンが多いというポカスカジャン。「浅香光代の物まねで歌うドンド・レット・ミー・ダウン」というわかりやすい芸で調子付いて、ビートルズものをもう一本。「レット・イット・ビーかくれんぼ」というタイトルで、パクリと言うか参考というか「いただき」というか(やっぱりみんな同じだ)「ビートルズのリズム、メロディー、コード進行が隠れている曲」をメドレーで歌うが、これは国立ではちょっと難しかったか。選んだ曲の年代がまちまちで、かつマニアックな曲もあったりするので、ほとんどの客が全曲フォローできないのではないか。ポカスカの連中もさすがにすぐ気がついて、「ワールドミュージック」にネタがえをしてたけど。十八番の絵描き歌は、この日も好調で、「ドラえもんじゃねえ」「エキゾチックやかん」「LSD」とガンガンとばしまくりである。

力技のポカスカジャンのあとは、同じくパワー全開ながら、不思議なノリの三増巳也だ。衣紋流し、ディスクを使った「輪抜けIT版」、派手な仕掛けの「燈籠上り」と、独楽の曲芸は鮮やかなのだが、「さあて、みなみなさまには」といった大時代な口上を聞いていると、ここは本当は二十一世紀の最高裁の隣でなくて、江戸時代後期の浅草奥山ではないのかというヘンテコな気持ちになってくる。この人、普段もこんなふうなのかしらと思わせる、時代錯誤的な雰囲気をにじませているのだ。年齢もよくわからんし。

トリの三太楼は、自らの真打昇進の報告をした後、歌舞伎と寄席の披露目の違い(どっちが華やかか、なんて聞かなくてもわかるが)の説明をマクラに、「七段目」をテンポよく聞かせる。前に歌舞伎座で爆睡しているのに遭遇した事があるが、あれはきっと催眠学習だったのだろう。芝居気分にうきうきするような、明るく華やかな「忠臣蔵ばなし」だった。

国立で何かを見たあとの食事をどうするか。特にそれが週末だった場合、起死回生の手段は存在するのか。ぜひ永田町の達人のみなさまにおうかがいしたい。ほんっっっっっっっとに、ただでさえ少ないお店がどっこもやってないのよね、土日は。この夜は半蔵門駅近くに出来たばかりの「マジックドラゴン」で中華をいただく。一皿が少なめなので、看板の創作料理をいろいろいただけて、正解だったりして。「落語の後はオムライスの大盛りじゃなきゃ」なんて人以外には、おすすめです、この店。

      ★ ■ ▲

 二月十六日(日)

 <浅草演芸ホール・昼席>

 にゃん子と金魚(代ゆめじうたじ)

 志ん輔:相撲風景

 しん平:焼き肉一龍(代たい平)

 ぺぺ桜井(代小円歌)

 小里ん:子ほめ(代さん八)

 扇橋:穴どろ

 仲入

歌る多:漫談&かっぽれ

小猫

小せん

さん喬:そば清

静花

主任=歌武蔵:大安売り(代喬太郎)

 夜の部

彦丸:真田小僧

金兵衛:無精床

● ▲ ■ ◆

 翌日は浅草演芸ホールで落語協会の興行を見物する。僕はまだそれほどではないが(ここ強調しとくけど)、落語好きもマニアといわれるようになると浅草の寄席からは足が遠のくようだ。でも、土日の浅草はお客さんもいっぱいでにぎやかだし、「落語鑑賞」ではなく「色物中心の見物」ぐらいの感じで聴けば、まったりと楽しいものなのだ。と、あれこれ理由をつけながら、ふだんは行かない浅草へ足を向けた。

 途中、牛丼屋じゃないほうの松屋で、「亀十」のどら焼き(一個二百円以上する。うまいがちょっと高い!)をバラで購入、一時過ぎに演芸ホールへ。と、呼び込みのにいちゃんが、声をかけてきた。

 「今日は久々に小猫が出てるんで、拍手してやってください」

 そうか、浅草には、オヤジ猫八の葬儀以来の出演なのね。告別式、行きたかったなあとシミジミしながら木戸をくぐると、なにやら高座が騒がしい。こういうときは笑組かにゃん金だよなと思ったら、はたして後者のにゃん子と金魚。

 「にゃん子ちゃん、何が好き?」

 「あたしはねー、ミッキーかドナルドダック」

 「そうなのー?あたしはクッキーか北京ダックだなあ」

 漫才のテンションがどんどん上がり、にゃん子のどつきにも力が入る。もんどりうった金魚の体が後ろへ倒れ、高座の背景の戸襖が見事に外れてしまった。

 「あわわわわ、すみません~」

 場内大爆笑の中、にゃん子は必死に会話を元に戻そうとするが、動転した金魚は、前座による懸命の復旧作業をふりかえってばかり。いやあ、いきなり笑わせてくれますなー。

 たい平の代演、しん平の漫談がいつもながら楽しい。

 「おれさあ、昨日爪はがしちゃってさー、いてーのいたくねーのって。でも不思議だよね、高座に上がると痛くないんだよ。降りると、また痛いんだけど」

「狂牛病って、牛の痴呆症なんだってね。でも、牛って何覚えてんの?二階の人にも聞くけどさあ、何なんだろうねー」

 「浅草にもあるよー、狂牛病の影響。向かいの『○龍』なんて、すいてるからねー。ものすごい割引やってんのに、客がこないんだよー。でも、仕事の後、焼肉食いながら生ビールをキューっと一杯、これがいいんだよなあ。行ってやってよ、『○龍』」

 小里んの「子ほめ」は、テキスト通りのオーソドックスな演出。これが柳家だよなあと聴いていたら、「隠居さん、世辞ってなんですか?」「相手を持ち上げることだよ」「起重機で?」。起重機なんて言葉にも、トラッドなものを感じるよね。

 お目当ての一人、小猫は、仲入後の二番目だった。

 「オヤジの八十年の生涯、見事だと思います。習い覚えた芸をつないでいくことがうれしいです。初代は最初軒付けみたいなことをやってて、それから寄席に出るようになった。活躍したのが明治三十年から昭和七年ぐらいですから、お客さんの中でも『オレは見たよ』って人はいないと思います。うちの一家には三つの特徴があります。親子三代同じ芸をやってること、真似るのが動物ばかりであること、そして、だんだんいい男になることです。さあ、今日は日曜スペシャルです。なんでもリクエストを」

 「(即座に客席から)じゃあ、ゾウ!」

 「ゾウですか。ふつう、はじめはイヌとかネコですよねー」

 ホオジロ、シジュウカラ、メジロと鳥の鳴きまねが続いたトリは、もちろんウグイスである。

 「小指をコの字形に曲げて、口に含ませる。これ、人差し指でもできるんですが、我が家は代々、小指でやってます。どうして小指なのか。考案者の初代によると、『人差し指より、小指の方がかっこいいから』だからだって」

 さん喬の「そば清」は今年何回聴いたことか。それに引きかえ、代バネの歌武蔵は、寄席で見るたび違うネタである。今日は「大安売り」。トリにしては短い話だが、そのぶんマクラの「事故紹介」からサゲまでゆったり。当たり前だが、勝てない相撲取りがものうごく本物っぽいのだ。考えてみれば、相撲上がりの歌武蔵なのに、この人の相撲ネタを聴くのは初めてだったりして。「花筏」とか「阿武松」とか「佐野山」とか、やるならまとめて聞いてみたい。そういう落語会、やらないかなあ。

 夜の部の二ツ目まで聴いて、テプコでやってるミニ江戸資料館みたいなところ(正式名称忘れた!)を冷やかしてから、どじょうの名店・飯田屋に入った。六時前なのに、かなりの盛況である。抜き鍋、柳川、なまずのから揚げ。うまいうまいと食っているうちに、七時過ぎには客がまばらになってしまった。浅草の夜の早さについていけず、飯田屋をでてから雷門通りの「ナガシマ」に入り、しばしティータイム。それでも十時前には、はや家路に着いた。楽しい芸を見て、うまいものを食う。充実した週末だったが、夜遊び族には、ちょびっと物足りないエンディングだった。

 翌日からは、また師走の即物的日常の再開だ。

 十七日は正楽さんの新聞用カラー紙切りを三週分まとめて処理した後、奥野かるた店に読売落語会&志の輔の会(二十一日)、紀伊国屋北陽の会(二十四日)にまく「寄席かるた」のチラシの作成依頼、十八日DVDソフト「デビッド・コパーフィールド」のレビュー執筆、日曜版ゲラチェック、十九日読売国際マンガ大賞社告作り、夕方NHKで一月二十九日放送の「寄席への誘い」出演打ち合わせ(僕の「定点観測」をヒントに企画された番組なので、客代表として出演が決まったのである)、二十日はソフトメーカーP社スタッフから「DVDの現状」レクチャーを受け、夜は忘年会を一件キャンセルして原稿書き。こうして二〇〇一年は暮れて行くのであった、って、まだ原稿が残ってるよ~。

 

つづく

 


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