東京寄席さんぽ十一月中席

 超個人的まいふぇいばりっとフレーズとでもいうのだろうか。噺を聴いていて、本筋とはあまり関係ないような、隅っこのセリフが印象に残ることがよくある。今年後半権太楼がやたらと掛けてる「提灯屋」。この噺の名フレーズといえば、前半部分、長屋のわかいもんが集まって広告見ながらワイワイやってるくだりで、「お二階へごあんな~い」だろう。ところが僕は、同じ場面の「はじめに『て』とくれば、あとは『ぷらや』とくるんだよなあ」に妙に共感を覚えてしまう。ものの弾みといおうのは、あんがいバカにできないもので、あのときあそこでトーンときてしまったために、あとがトトトーンといっちゃった、なんてね、説明になってないか。

 でも、僕は今まで、進学とか就職とかパソコンはどのメーカーのを買うか今日はそばにするかラーメンがいいかなどなど、そういった人生の節目に臨んだ時、越し方行く末をうじうじぐずぐず考えたすえ、最後はたまたま一番先に願書があったから、なんて理由で決めてしまったりする。

「人生の選択は、もののはずみである」

 大事な事を「はずみ」で決めちゃうのはどうかとも思うが、でもそういうはずみの決断をするのは、それまで何年何十年行きつ戻りつ生きてもがいてきた、このワタクシなのである。最終的には「もののはずみ」だが、自分のそれまでの蓄積のようなものが、その「はずみ」に辿り着かせたのだから、そのまま自分を信じて先に進んでも良いかなと思うのである。

 だからね、寄席さんぽもそうなのよ。初日にドーンとヘビィなものを見ちゃうと、明日も、あさってもということになりかねないのだ。ということで、十一中は、十日間で七本。弾みがついたのは、間違いなく十一日の立川談志の会だった。

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 11・11(日)

 <談志ひとり会>(厚生年金大ホール)

 談志:源平盛衰記

  仲入

 談志:ねずみ穴

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 正直な話をしよう。ここ数年、いやもっとだな、談志の高座をみると、いらいらするのだ。テレビやラジオで言いたい放題の談志をみる。それはいい。談志は、噺家とかなんとか、そういうカテゴリーを超えて、談志そのものとして、面白いし、オーラのようなものさえ感じることがある。だが、今の噺家・談志は、僕にとってはつらい存在だ。イリュージョンがどうたらこうたら、落語界がどうたらこうたら、立川流がどうたらこうたら、華麗な弁舌をいくら聴かせてもらっても、噺そのものが面白くない。いやそれは談志そのものに当たり外れがあるからだ今でもいいときはいいよ、という声があるのは知っている。知っているけど、あの昭和四、五十年代の、昔の池袋演芸場での火花の散るような高座を目の当たりにした経験があるものなら、どう理屈をこねようと、今の談志が面白いとはいえないはずだ。その前の「談志ひとり会」はCDでごそっと出てるから聴けばわかるよね。あれもいいけど、あれは、自分だけを見にきた客の前で好き勝手に甘えている談志である。それよりも、寄席の談志である。昔どおりの噺を、昔どおりのままやって、素晴らしい。そういう人並みはずれた落語家的基礎体力があって初めて、わがまま脱線挑発噺ぶっこわし等々、談志のやりたい放題が生きていたのである。しかるに、病気以降、明らかに落ちた声量、幅のなくなった発声で、「どーだ、うめーだろー」と言われても、首を縦に振る事は出来ない。望むことは、他のことはどうでもいいから、高座に出るときは、ふつーに、きちんとやってほしい、ということだけだ。何も落ち着いた談志をみたいといってるわけではない。年輪を重ね、“噺家として”の味をにじませた談志が見たいのである。

 よく晴れた日曜の午後、厚生年金大ホールで見た談志は、小さかった。S席でも、小さかった。「源平」の前半は、声もよく聞こえなかった。S席でそれだから、後ろの方、二階席は、しんどかったのではないだろうか。基礎体力の落ちた談志を、厚生年金の「大」に出す。それを若い皆様がありがたがって聴く。そんな暴挙をやってはいけない。今こそ、談志を寄席で聴きたい。さん喬権太楼が満員の客を集める池袋でトリをとって、「あんな連中にはまけねーよ」とふんぞりかえる談志が見たい。

 レビューにもリポートにもなっていないな。この日の「源平」は、構成も何もない、自由奔放とメチャクチャの境界線のようなもの。一昔前なら狂喜したかもしれないが、ちょっと寝てしまった。後席の「ねずみ穴」は声も良く出て、けっこうな出来。本人も満足だったようだが、全盛期からみれば、潜水艦=波の下である(BYゆめうた)のは、ご本人も承知の上だと思いたい。ああ、今こそ談志を寄席で見たい。

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 11・12(月)

 <扇遊・こぶ平の会>(落語協会2F)

 扇遊:短命

 こぶ平:錦の袈裟

 扇遊:……(忘れた!)

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 六月の読売GINZA落語会の「景清」以来、「こぶ平が本気になった」と評判である。七月の「ぼくらの円朝祭」では「死神」を演じ、高名な評論家からほめられている。でも、ほんとにやる気なのかどうか。いまいち信用できないこぶちゃんが、こんどは滑稽噺に挑戦しているという。はっきり言うが、「景清」「死神」のような人情ばなし系で、噺そのものがよくできているものは、本を素読みにしても面白いのである。こぶ平の素直な力演は認めるが、噺に助けられた部分もかなりある、と言えなくもないのである。そこへいくと、滑稽ばなしは、噺そのものはたいしたことはなく、演じ手の技量、ポリシー、キャラクターなどで、噺の印象がまるで違ってしまう。こぶ平が、滑稽ばなしで、どれだけのものを見せてくれるか、興味しんしんで上野黒門町へ足を伸ばした。

 しかし、会場が落語協会の二階(ここって、協会ホールとかなんとか、名前がついているといいのだが、単なる「協会の二階」なんだよね。書きづらくていけねーや)というのは、よくないな。協会のドアをあけると、いきなり喬之助に出くわした。しばらく立ち話をしていると、奥から協会のY氏が出てきて、お茶をだしてくれたのはいいが、「都民寄席のパンフレットに書く原稿がまだですよね。原稿こないのは、ながいさんと、東京都の某トップの方だけ」とプレッシャーをかけられてしまった。落語を聴く気持ちがずるずると萎えていくワタクシ…。

 余裕を見て来たつもりが、下で寄り道したおかげで、結局開演ぎりぎり~。ほぼ満員の畳席に腰を下ろすや、扇遊が登場した。この人がなぜこぶちゃんと会をやるのか。扇遊にとって、どんなプラスがあるのだろうかと、ついイジワルな考えが浮かんできてしまうが、聞くところによると、扇遊は以前からこぶ平を可愛がっていて、こぶ平の方も質問やら稽古やらで扇遊をたよりにしているとか。トリでよし、スケでよしのオールラウンドプレーヤーで、なんともいえない色気がある。こぶ平には過ぎた指南番かも。

 バレばなしのいやらしさがまるでない、軽快で楽しい「短命」を楽しんだ後、いよいよ、お目当て、こぶ平の登場だ。

 「えー、今日はネタおろしです。三日三晩、ほとんど寝てません。最近は古典をやってまして、おもだった新聞には取り上げていただきました。朝日のOさんという方がいて、書いてくれたんですが、忘れもしません、一行目、『こぶ平、やれば出来るじゃないか』って書いてある。『やればできる』と言われたのは、今までに二度だけ。もう一回は、小学生時代に逆上がりが出来た時ですね」

 「錦の袈裟」のマクラは、江戸っ子論だ。

 「父の出は桶屋で、母の方はちょっと名の知れた棹屋でした。だからずっと『お前は江戸っ子なんだよ』と言われてきたんですが、最近は母から『あまり江戸っ子と言わないように』といわれるんです。どうしてかと聞くと、『お前はしゃべり方がベタベタしてるから』だって」

 で、本題の「錦の袈裟」。破綻なくできた、と言っても良いだろう。たしかに登場する江戸っ子が、ちとベタベタした感じはあるが、これはこぶ平の味。今のままで問題はない。噛んだり、つっかえたり、細かいところでは不満が多いが、俺は落語が好きなんだ、一生懸命やるぞという、こぶ平の真情が伝わってくる、気持ちのよい高座がうれしい。今まで落語でほめられた経験は少ないだろうから、今、本人は気持ちいいだろう。これをはずみに、腕を磨いてほしい。みんな、こぶちゃんをもっともっと褒めたくて、ウズウズしているのだから。

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 11・13(火)

 <池袋演芸場>

 (昼の部)

 小朝:紙入れ

 亀太郎

 歌奴

 主任=勢朝:ねずみ

 (夜の部)

 さん角:???

 太助:金明竹

 和楽社中

 さん光:寄合酒

 菊輔:長短

 ゆきえ・はなこ

 白馬:かわり目

 琴柳:万両婿

 正楽:露天風呂・ガングロ・七五三

 雲助:辰巳の辻占

  仲入

 萬窓:転宅

 三太楼:風呂敷

 のいる・こいる

 主任=権太楼:にらみ返し

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  そうだそうだ池袋の夜は、権太楼がトリなのだ見に行かなければ。あれ、昼は小朝プロデュースの「のほほん寄席」だって。小満ん、小せん、歌奴、いっ平、勢朝……、ううむよくからんがこれもチェックかなーなどと思いつつ、火曜日の三時過ぎに池袋演芸場へ。仕事はどうしたーなんて言いっこなしよ、お互いオ・ト・ナなんだから。

 入っていきなり、御大・小朝。最近、寄席では漫談ばかりでまともに噺をきいてないが、今日は「紙入れ」だぞー。しかし、こんなもんだったっけ?なんだか、軽く流しているような感じがするのは、「のほほん寄席」だからかな。前日見たこぶ平の高座の、あの訴えてくるような意気込みが感じられないのである。もちろん出来は水準以上なのだが。

 「異常気象ですね。アタシなんか、昨日三時に起きちゃって…」と、オチも何もない歌奴の漫談。のほほんだ~。

 トリの勢朝、嘘のようなマコトのような、わけわからんエピソードを連発するマクラは楽しいが、語尾を飲み込むような口調がちょっと聞きづらい。

 「のほほん寄席ですからね、『手を抜け』って、小朝に言われてるん。ま、いっ平程度におさえて…」

 「小円歌さんが、体重百四十キロの歌武蔵に、『七十キロまで落としたら、好きにしてもいいわよ~ん』と言ったんですよ。歌武蔵、その気になったみたいだけど、無理ですね。あいつは骨だけで七十キロあるんですから」

 「小遊三師匠の本名は『あまのゆきお』。ここんちの息子が父親の名前を聞かれて、『ゆきおのゆきは、不幸の幸』って答えた」

 ネタは、ごくかるーい「ねずみ」。いれごとたくさんで、にぎやかなのだが、「ねずみ」本来のほのぼのとした旅情、人情が薄れてしまった。もともと力のある人なんだから、こういうネタはフツーにやったほうがいいのではないか。ギャグのてんこ盛りより、そのほうがよっぽど「のほほん」だぜ。

 一息入れて、夜の部に突入だ。

 前座のさん角がすごかった。

 「ご隠居さんはホントは泥棒じゃねえかって、みんな言ってますよ」

 「八っつあん、そういう時はなんか言ってくれなくちゃ」

 「言いましたよ。泥棒なんて、三年前にやめたって」

 「冗談いっちゃいけねえ」

 ものすごい切れ場で冗談オチ。これじゃ何の噺だかわかんないよー。

 夜の部前半のハイライトは、琴柳、正楽の二本立てだ。

 琴柳が落語でいう「小間物屋政談」、講談の「万両婿」を歯切れよく読んで、いいところで「講談はこれから先が面白いのですが、続きはまた明日」と高座を下りた。

 そのあと登場の正楽。

 「何かご注文は?」

 「七五三!」

 「いくつで切ります?」

 「七歳でお願いします!」

 「七歳…。南喬さんは七歳が好きです」

 不思議なやり取りで三、四枚切ったところで、なんとオチをつけたのである。

 「紙切りはこれからが面白いんですが…、続きはまた明日」

 冗談いっちゃいけねえ。

 仲入前の雲助は、金原亭がよくやる「辰巳の辻占」。女郎屋の二階で女を待つ主人公が、巻きせんべいを食べながら、中に入っている辻占を読むくだりが好きだ。

 「ハナはさほどに思わぬけれど、今もそれほど思わない」

 「富士の山ほどお金を貯めて、端から一文ずつ使いたい」

 「アタシの方からあなたのお手へ、書いてやりたい離縁状」

 後半は、ほやほやの真打二人が並んだ。

 萬窓の「転宅」はやや重たく、三太楼の「風呂敷」はふわふわと軽い。

 「こないだ、カミサンがアタシの顔見てくしゃみしたんですよ。『出てけー!』ったら、結婚四年目で初めて出て行った。涙ひとつ見せないで。ふつう、泣くもんですよ。三日目に帰ってきたとき、アタシが泣きました」

 ようよう、泣きの三太楼。

 トリの権太楼は、なんだか少し疲れ気味か。

 「相撲、九州場所二日目を見ましたが、大丈夫ですかね?空席が目立ってね、テレビでは『大入りです』って言ってるけど、この状況を大入りというかあ、という入りなんですよ」

 「この芝居はね、宿題週間なんですよ。やりたいこと、やらなきゃいけないことがいろいろある。明日ぐらいに『富久』、やりますかね。じゃ今日やればいいじゃないかと思うでしょうけど、今日はやらない」

 で、ネタは「にらみ返し」。明らかに「今日はちょっとつらいんで、軽くいかせてね」という感じで始まったのだが、途中からグングン乗ってきて、終わってみれば四十分の代熱演。結局、自分で疲れてるんじゃないの。寄席であろうがホールであろうが、時と場所とギャラを選ばず、いつも全力投球をしているだけに、たまに手を抜こうとしても、体が突っ走ってしまうのね。俺も気をつけようっと。「何を」って聞いちゃだめよ。

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 11・14(水)

 <池袋・夜席>

 萬窓:宮戸川

 円太郎(代三太楼):転失気

 のいるこいる

 主任=権太楼:富久

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 昨日の夜の権太楼、「明日あたりは『富久』を」というセリフが気になって気になって、結局今夜も来てしまったじゃないか池袋演芸場。さすがにサラからというわけにはいかず、入ったのは仲入後。琴柳、正楽のアヤシイコンビが今日も何かやってたような気がするんだよなあ。

 「宮戸川」の萬窓、相変わらず重い。丁寧なのはいいが、噺が弾まないのである。

 円太郎は、えー、なにー、こんなとこでやるのーと、つい言いたくなるネタだよね。

 「転失気とは、ざっかけなくいうと、おならのことだ」

 「はっ?」

 「は、じゃなくて、へ」

 出来はいいけど、「転失気」なんて噺を途中で切るなよー。

 ヒザののいこい、円太郎の噺をソデで聞いていたのだろう。いきなり転失気の話題である。

 「今の噺、転失気っていうんだよね。(和尚さんは)知らないなら知らないって、言った方がいいんだよねー」

 はははは。その通りその通り。

さてさてトリの権太楼。ちゃんとやるのか「富久」!ちょっとドキドキで聴いていると、マクラは昨日とかわんねーぜ。

 「この芝居はねえ、宿題があるんですよ。あれとこれとあれ…。『富久』も宿題なんです。『提灯屋』もやんなきゃ。『井戸の茶碗』、出来てません…」

 いいわけしいしいではじめた「富久」。笑いどころが多く、あえて人情ばなしに仕上げてないところが、いかにも権太楼落語なのだが、ちょっと重いか。いろんな要素をつめこんでいるため、聴き手の息抜き場所がない。聴いてて疲れるのである。おそらくまだ試行錯誤の途中なのだろう。ひんぱんに高座に掛けることで、どんどんよくなっていく権太楼落語だけに、また聴きたい、と思う「富久」だった。

 終演後、あっという間に出てきた権太楼に「ちょっと付き合いなよ」と言われては、なかなか断われるものではありませぬ。あぶらっこそうな権太楼、スキンヘッドの琴柳、あやしいおじさん二人を先頭に、ジャージ姿で大荷物を持った円太郎と太助、やたら早足で立教大学方面へ向かう連中を、必死で追いかける僕と連れ。うーむ、はたから見たら、どういうグループに見えるのだろう?

 付いたところが、狭い路地の古い雑居ビル。一階に「カップルカフェ」の看板があったりして、なんだかなあの雰囲気だったが、着いた店も、ママと苦労人っぽいバーテン(?)がいて、赤いソファーのボックス席があり、カウンターの隅っこでオンナ連れの軟派なおじさんがカラオケで演歌を歌ってたり。昭和五十年代後半の栃木県今市市のスナックという風情の、懐かしくたそがれた飲み屋だったりして。

 ソファーに腰をおろして、隣に座った太助に、琴柳・正楽コンビの話を聞いてみた。

 「二日目だったかな、琴柳先生が、講談なのに冗談オチやって下りたんですよ。そしたらそのあとで正楽師が紙切りの最後に『冗談いっちゃいけねえ』だって」

 ぎゃはははは、面白い面白いとウケけていたら、急に太助が「ありがとうございます」と礼を言うではないか。僕は特に悪い事もしてないが、礼を言われるようないいことなんて、ここ数年記憶がない。

 「読売の記事で志ん朝師匠の『男の勲章』のこと、書いてくれたでしょ。あの『男の勲章』って題、オレがつけたんですよ。うれしかったんで、日曜版切り抜いてスクラップしちゃいました。ずっとながいさんにお礼言わなくちゃと思ってたんですよー」

 そうだったのかー。ああいう漫談って、はじめはたいていタイトルないんだよね。だからネタ帳をつける前座のセンスがものをいう。「男の勲章」、いい題だよね。中身はアレだけど。

 で、角のボックスソファーに陣取ったおじさんたちはいかに?権太楼と琴柳は、「素人の琴柳が落語家に入門しようとしたのを、当時ヤバイ事情があった権太楼が阻止して講釈師にした」という浅からぬ因縁のある間柄(これ以上詳しくは書けません!)だという。だからもう、話題は二人のとほほな修業時代のことばっかしだ。

 「馬楽さんと、琴柳とオレと三人で、寝たきり青年の会をやってて(「アタシだけ、床ずれ青年の会だった」と琴柳の声)、飯田屋でドジョウ食おうって話になったの。で、で、丸鍋かなんか食べてる時に、有り金を調べてみたら、アタシが二千円、琴柳が四百円だったかな、とにかく三人で三千円しかない。これ以上ドジョウは食えない、ねぎを食おうって、タダのねぎを何度も何度もおかわりしてたら、店のねえさんに『うちはドジョウ屋、ねぎ屋じゃないのよ』っておこられた」

 こんな話で大笑いし、あー楽しかったで終わるはずだった。が、しかし、波乱は、琴柳が洗面所に行ったすきに起こった。権太楼が、「一曲だけ、琴柳のカラオケを聞いて帰ろう」と言い出したのである。「レパートリーはオレが知ってるから」とママにリクエストしたのが「城が崎ブルース」。全然知らない曲だ~。

 席に戻った琴柳、イントロを聞くと、「あれ、兄さん、よく俺のレパートリー覚えてましたね」と相好を崩した。なれた手つきでマイクをもって歌いだすのだが、うまいんだ、これが。声よし、高音の伸びバツグン、講談できたえたメリハリが利いて、しかも歌の最後にオチをつけたりするんだもん。

 調子に乗った琴柳、「じゃ、これも歌わなくちゃ」と、「大利根無情」をやったが、この歌謡浪曲の白眉である、芝居がかりのセリフが、すべて講談調になっていて、かっこいい~~~~~!!!

 「オレさあ、これで市馬のお座敷を一つ二つ盗ってやろうかと思ってるの」

 ははははは。琴柳・市馬のジョイントコンサートが実現したら、すごいことになるだろうなあ。だれか、プロデューサーになってくれないかしら?なんて思ってるうちに、今度は本人が「絶品」と太鼓判を押す「刃傷松の廊下」が始まったりしていて、これもうなるできばえである。こんなのタダで聞いていいのか、ご祝儀を出すべきではないのかと悩みだしたころ、カウンター席の女性客から「あの人、今日お持ち帰りにしたいっ!」と琴柳にもらいがかかった。いつ果てるとも知らない琴柳ナイト。その夜僕は見事に終電を逃した。

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 11・16(金)

 <末広亭・昼席>

 志ん輔:かわり目

 勝之助・勝丸

 さん喬:そば清

  仲入

 さん生:蔵前駕籠

 ゆめじうたじ:うなぎ

 円弥:松山鏡

 歌司:くたばれ円歌

 アサダ二世

 主任=小満ん:宿屋の富

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 琴柳ナイトの余韻で、さすがに翌日の寄席通いはお休み。一日置いた金曜日に、正楽さんの原稿を取りに新宿まで出かけた。

 楽屋で原稿をゲット、ついでに正面に回って、「末広亭友の会」の会員更新をすることにした。

 「社長、友の会、更新しますよ」

 「何口だい?」

 「何口って、ふつー、一口でしょ」

 「正楽さんとこの○○ちゃんは、五口だよ」

 「ひえー」

 仕事も時間も中途半端、昼の部のトリはお気に入りの小満んである。ちょっとだけ見ておこうかなーと思った時に、末広亭の席亭はストップをかけてはくれない。

 「ながいくん、とーぜん見ていくんだろ?」

 はいはい。どうせ僕は落伍記者ですよーだ。

 てなわけで、中に入ると、志ん輔の酔っ払いが、おかみさんに怒られている。

 「もう飲ませません!」

 「うるさいっ!お前なんかに言われると、今まで酔ってたのが、何にもなくなっちゃうー」

 傘の上で鞠をまわす勝之助。客席から鞠を投げてもらうのがいつもの段取りだ。

 「今日は遠くのお客さんに投げてもらおうかな?」

 真ん中より後ろのイス席の客に鞠を預けたが、なれないことはやらないほうがいい。肩に力の入りまくった客が思いっきり投げた鞠は、高座の上の提灯を直撃である。

 誰が言い出したか、「さん喬は末広亭の二時半上がりが一番面白い」と聞くが、さん喬が二時半ぴったりに高座に上がった。

 「最近、白い粉が怖いですね。だからアタシは大福もちは洗って食べるようにしています」と語りだして、末広亭出演時には定番となった場内解説のマクラに入った。

 「(途中略)高座のうしろは戸襖なんですね。歌舞伎で死体をのせるやつ。BGMも生なんですよ。(楽屋を覗いて)今日はおきくさん。びっくりするような美人。お見せしてもいいんですが、本当にびっくりするといけませんから。ここは、お座敷でやってる雰囲気なんですね。今の言葉で言うとシチュエーション。新宿の真ん中で木造建築…。火をつければ一発で燃えます」

 ネタは、「そば清」。今年はずいぶん「そば清」を聴いた気がするが、何度聴いても楽しい。

 「あと何枚たべればよろしんですか?一枚…、食べられるかなあ」

 「わざとらしー」

 「清さんが間違っていたのは、うわばみが舐めた草はー、すべての人をー、溶かすものではない。よろしいですか、みなさん。(後ろの客に向かって)一緒に頷かないでください」

 後半は、「ども」のさん生から。「蔵前駕籠」のマクラは当然、乗り物の話である。

 「運転手さん、急いでください。ひかり、間に合うかな」

 「もう無理ですよ」

 「じゃ、こだまは?」

 「うーん、のぞみはありますね」

 ひざ前の歌司。端正な物腰の本格派だが、どこか屈折したところがあるのだろう、ときおり漫談で、異常にテンションの高い時にぶつかることがある。今日もそれだ。

 「本日おいでの皆さんのみの、ご健康をお祈りいたします」

 「マージャンを覚えたての円歌師、国士無双をテンパって、お茶をぐいと飲んで、『おーい、ペイくれ、ペイ』って言っちゃった。頭の中はペイ(北)でいっぱいだったんでしょうね。で、終わってから『師匠、北で国士テンパってたでしょ』って言われて、『なんでわかったの!?』だって」

 「円歌としたたかのんで、そのまま師匠の家に行った。で、冷蔵庫開けたら、角瓶があるの。二人で朝までチビチビやって、とうとう一本あけちゃった。『俺たちも強いねー』って言い合っていたら、おかみさんが起きてきて『だれー、角瓶に入れてた麦茶飲んじゃったの』」

 「駅で小用を足してたら、発車のベルがなってる。で、あわててチャック空けたままホームを走ってるヤツって、いますな。『もしもし、前空いてますよ』って教えたら、『そーですか』って、一号車の方へ走っていった」

 ひざがわりはアサダ二世のマジック。「今日は調子いいからね」とはじめたのだが、ロープが見事にマイクにからまった。

 トリの小満ん、ゆったりした笑顔がたまらない。こういう人を見ると、仕事をサボってみている罪悪感をきれいさっぱり忘れられるのだ。ははは。

 「しるの部のお掃除役です。アタシの後は、すごいですよ、前座さんですから。前座とは思えない名人芸で。そのまた後の二ツ目さんがすごい」

 前座や二ツ目をヨイショしてどーする。「宿屋の富」は、宿屋の夫婦が「二階の客は二十日滞在して茶代ひとつ置かないのは怪しい」と相談しているところから始まる。短縮型か?柳家らしく客を田舎言葉でやるスタイルだが、この型だと、僕の大好きな「湯から帰るとお膳が出ていて、鰻があって天ぷらがあって卵焼きがあって」「それは(富が)当たった時でしょ。当たらなかったどうするの?」「当たらなかったら…、うどん食って寝ちゃう」っていうセリフがないんだよなー。でも十分堪能、頭のリラックスが出来た、って、今週はリラックスしっぱなしだが。これから急いで会社に帰って、夜までみっちり原稿書きだ。あーあ。

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 11・17(土)

 <三平堂落語会>

 錦平:前説

 どん平:みそ豆

 しゅう平:オー!タカラヅカ

 時蔵:一分茶番

  仲入

 いっ平:芝居の喧嘩

 さん喬:中村仲蔵

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 ねぎし三平堂は、台東区根岸の海老名家の一角にある。ここの展示スペース(ちゃんと高座がある!)を使った「三平堂落語会」は、今日で三十三回目なんだそうだ。一度行ってみたいと思っていたところ、今回は「芝居のはなし特集」で、トリがさん喬の「仲蔵」。鶯谷駅前の交番で場所を確認してから、徒歩でとほとほ。今日は風がつめたいなあ。

 開演時間直前に入ると、詰めて五十人くらい、といった感じの会場は、ほぼ満員だった。ざっと見渡したところマニア度は薄い。つまり、顔見知りが少ない。ちらほら聞こえるお客さんたちの話を聞いていると、大半がご近所の常連らしい。

 低い高座の、下手側隅の前から二番目。よーするに角度は悪いがものすごい近距離で芸人さんが見えちゃうのである。それから、思った以上に音響がいい。高座からの声が天井に当たって広がるというのだろうか、頭の方向で増幅されて、落ちてくる。ということはですねー、しゅう平のミュージカル落語が、そりゃもうすごいのである。額にほとばしる汗、響きわたる米良風カウンターテナー。間近でこれだけの熱演を見せられれば、多少中身はアレでも、好意を持ってしまう。事実、この夜はしゅう平への拍手が一番多かったのではにだろうか。

 いっ平「芝居の喧嘩」は、最近寄席でやたらとかけているネタである。この日は、進行役の錦平(三平門下数少ない古典の本格派。この人の噺も聴きたかった!)が、いっ平の真打昇進を客席に報告したこともあり、みんが「いっ平ちゃん、がんばってー」と心の中で声援しているのが、ひしひしと感じられる。とりたてていっ平ファンでもないこちらまでが、つられて「「ちゃんとやれよー」と思ってしまうのだ。「芝居の喧嘩」は講釈種で、芝居小屋を舞台にした旗本と町奴の喧嘩、というだけでとりたてて面白い物語があるわけではない。聴き所はただひとつ、敵味方による丁々発止の啖呵。それをどれだけ気持ちよく聞かせてくれるかである。滑舌のさほどよくないいっ平が、なぜこのネタに挑戦するのか、いまひとつ納得できないなあ。それでも、会場の熱気の後押しを受けて、いっ平熱演である。スピーディーとまではいえないまでも、なんとか啖呵をこなし、聴いてるこちらもホッと一息。若い噺家には珍しく「私服」のコーディネートに気を配り、なかなかのファッションセンスだという、いっ平。そういう感覚があるのなら、噺の方でも、自分のスタイルにあったものを選ぶという姿勢が必要ではないかと考えてしまう。真打披露興行まであと一年。それまでに、どれだけいっ平らしいネタを仕込む事ができるか、楽しみでもあり、……でもあり。

 トリのさん喬は、得意ネタだけに安定した出来。鳴り物がないので、「山崎街道」を再現する芝居の場面が食い足りない。ないものねだりだけどね。

 終演後、鶯谷のジョナサンで遅い食事。あやしげなホテルのネオンの中に、ぽつんとたたずむファミレスというのも、なかなかの風情である。

      ★ ■ ▲

 11・18(日)

 <柳家さん喬・柳貴家正楽の会>(鈴本)

 さん市:(つる)

 さん喬:(小言念仏)

 正楽:(出刃皿)

 さん喬:(干しガキ)

  仲入

 正楽:小雪:小正楽:太神楽

 さん喬:掛け取り

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 ワタシは埼玉県三郷市の集合住宅に住んでいる。そして、そこには町内会があり、今年は順番でめでたく役員になり、さらにめでたいことに、くじ引きで副会長に選ばれてしまった。だから、毎月第三日曜日の夕方には絶対にサボれない町内会の寄り合いがあるのだ。こんな簡単な事実が、就任後半年を過ぎても頭に入っていないというのが、すべての悲劇の始まりである。ついつい町内会があるのを忘れて、午後五時半開演の「さん喬・正楽の会」の前売りを買ってしまったのである。

 町内会の開会が午後五時。一時間で終わったとして、それから自宅~(徒歩)~新三郷駅~(武蔵野線)~新松戸~(常磐線・千代田線)~湯島~(徒歩)~鈴本と、書くのも面倒くさいような行程で、会場へ行くのである。はああ、いったいいつ到着するやら。

 当日、何とか一時間ちょいで寄り合いが終わり、駅までダッシュで駆けつけたが、こういう祝日の夕方なんつー中途半端な時間の武蔵野線はほーーーーーーーーーーんとに接続が悪いのね。会場に先乗り(というか、時間通りに、だよね)しちゃってる連れが、「今開演」「正楽高座へ」などと途中経過をケータイにメールしてくれるのは大変にありがたいのだが、こういう場合、鈴本の様子がわかってもどうにもならない。ホームに立ちつくすワタクシは、なかなか来ない電車にイライラし、電車にのればのったで「車中を走れば早く着くだろうか」とむなしい可能性を追求するだけなのであった。

 そんなこんなで、やっとのことで湯島に到着。異国のお嬢さんの「飲ミニイキマセンカ~」攻撃を避けながら仲通りを疾走し、鈴本のモギリの横のモニターをみると、幕が下りている。あああああああ、もう仲入休憩だああああああ。

 エレベーターで三階へ上がると、さん喬門下の弟子たちが何か売っている。ごったがえすロビーを歩くと、いたるところで知り合いに会う。なんだよー、みんなちゃんと来てたのね。というわけで、水戸大神楽(太神楽ではないのね、水戸だけは)の親玉、柳貴家正楽の出刃皿をものの見事に見逃してしまったのだった。

 仲入後は、正楽・小雪・小正楽の親子三人の大神楽曲芸。今夜が一般デビューという高校生の小正楽。その緊張しきった顔と、それをヨユーで見守る小雪の表情の対比がおかしい。ちょっとだけしか見られなかった正楽の芸だが、印象としては、芸のスピードがものすごいことである。輪の投げっこひとつとっても、寄席で見慣れた太神楽社中よりもはるかに早いのだ。太神楽が寄席に入って失った荒々しさが、いまだに大道芸の香りをのこす水戸大神楽の世界で息づいているのである。

 鳴り物がたっぷり入った、さん喬の「掛取り」でお開き。終演後、打ち上げに混ぜてもらって、正楽とちょっと話をする事が出来た。

 「芸がすごく早いですねえ」

 「修業時代、オヤジにはもっと早く、と仕込まれました。お客様にみせるので、今は少し遅めにやってるんですよ。一度、水戸に見に来てくださいよ」

 返す返すも、ダブルブッキングが痛い。今日の遅刻を取り戻しに、ぜひ水戸に行ってみたい。できれば、梅の盛りがいいな。

 

つづく

 


お戻り


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