東京寄席さんぽ九月中席

九月十一日(月)

 夕方、文楽の豊竹嶋大夫(フシエモンではないぞBY豊竹屋)にインタビューするため、「本朝廿四孝」上演中の国立小劇場の楽屋に行った。日曜版「うた物語」で、「道頓堀行進曲」(あかい灯~、あおい灯~、である)にまつわる話を集めており、嶋大夫が新作文楽「夫婦善哉」の中でこの曲を歌っていることを知り、先週、大阪の文楽劇場で公演ビデオを見た。あまりの面白さに、「これは本人に話を伺うしかない」と取材を申し込んだのである。

 約束したのは、「夜の部の出番の前がいい」とのことで午後四時。少し早めに楽屋を訪ねたが、待てど暮らせど嶋大夫の姿が見えない。だれかに聞こうと思っても、昼の部の終演間近で、みんなあわただしく動き回っている。あれー、どうしたのかしら。さらにしばらく待って、ようやく嶋大夫のお弟子さんが現れた。

「あのー、嶋師匠は?」

「まだ出番に間があるんで、七時前ぐらいには」

「ええっ!でも、新聞の取材があるんですけど」

「新聞ですか。ああ、そういえば昨日、取材の約束の記者が来ないって、師匠たちがあわててましたけど」

「えええええええええっー!ということは、もしかしたらもしかしたら、いやあのそのつまりですね、その記者というのは多分私のことで、ええとその、私は取材日、今日だと思って、やってきたんですけど、その、つまり、なんというか」

「ああ、そういうことですか、ちょっとお待ちくださいね」

 お弟子さんは、一人納得した顔で、楽屋に引っ込んでしまった。改めて考え直してみたが、どう考えても僕のほうが一日間違ったとしか思えない。原稿の締め切りは明後日。嶋大夫の話は記事の中のメインに使うつもりだったのである。さあどうしよう。

「おまたせしましたー。今、師匠に連絡が取れましたので、急いでこっちに向かうように言っておきましたから、十五分ぐらいで到着するでしょう」

「えーーーーーーーーーーーーーーーーー!?もしかして、師匠呼びつけちゃったんですかあ」

 えらいことになった。取材をすっぽかした翌日に、当の取材相手を呼びつける無礼者がどこにいるんだっ!お弟子さんも、気がきくんだか気が利かないんだか、である。もうこうなったらしかたがない。コオーガンムチを決め込んで、取材を敢行するぞー。職員食堂の隅のテーブルにお茶を用意して、嶋大夫が現れたとたん、「すみませんすみませんすみませんむみません」と息を止めずに三十六回というのは、何の噺だったか。そういう状況ってほんとにあるのねーと思いながら、勢いで取材になだれ込んだ。嶋大夫は実に優しい人で、義太夫の床本のような手帖に、おそらくこの取材のために調べてくれたのだろう「道頓堀行進曲」のデータを書き込んだものを用意してくれていて、あらためて、ああこの「いいひと」をすっぽかしてしまったのかーと思い知らされ、冷や汗を流したのであった。取材は大成功だったが、これほど疲れた二時間は、最近ないよなー。

      ★ ■ ▲

九月十二日(水)

<北陽ひとり会>(国立演芸場)

 北陽:長短槍試合

 口上:昇太、永六輔、北陽

 永六輔:巷談

  仲入

 昇太:客席コンサート(歌とギター)

 北陽:ああ花の応援団

     ● ★ ■ ▲

 翌日に締め切りの原稿を二本も抱えながら、北陽の会に出向く気になったのは、彼から自筆の手紙をもらったからだ。内容は「今回は。ぜひご来場を。ワタクシの成果を見てください」と、ごく普通のものである。だが、会のお知らせこそ何度もいただいているが、自筆の手紙入りなんて記憶にない。会場が国立で、永六輔氏がゲスト…。これは何かあるな、おそらくはあの話、とピンとくるものがあったので、とりあえずは安兵衛もどきに駆けつけた。といっても、仕事がずれ込んでしまい、一席目の終盤ごろに到着するや「すみません、立ち見になります」。ほおおっ、ほんまかいなと入ってみると、客席はぎっしり満員で、ほんとに立ち見が出ている。コロムビアのM柄氏が「関係者席が一つだけ開いてるよ」と声をかけられた。僕はばつに関係者でもなんでもないのだが、大病をして以来、関係者の人たちが気を使ってくれるのである。恐縮しながら「関係者席」に滑り込むと、隣は新文芸座のN田氏、一人おいた並びにシティーボーイズのきたろう氏がいる。あたりを見回すと、放送関係者がかなりまじっているようだ。こういう面子を集めているところをみると、あっぱりアレが決定したに違いない。

 一席終わって幕が下り、もう一度上がると、昇太、永六輔、北陽の三人が頭を下げている。いわゆるひとつの「口上」というやつである。口火を切ったのは、永六輔だった。

六輔「僕は春風亭柳昇から、春風亭六輔という名前をもらっています。でも、六輔ってさあ、ふつう、柳昇の弟子なら柳か昇の字がつくよね?そのうえですよ、僕が名前もらう直前に、この昇太が入門してきたもんだから、昇太が兄弟子になっちゃったの。こんなのを『兄さん』って呼ばなきゃなんない。いやだから、もうやめます。(北陽の方を向いて)この人の弟子になる!」

北陽「えええっ!本当ですか!!」

六輔「うん、北陽の弟子で大北陽」

北陽「そっちのほうが、偉そうじゃありませんかー!」

そんなやり取りがあった後、北陽が姿勢を正して話し出した。さて、何が出るか。

北陽「実は今日は、何も言う事がありません!」

ええっ、それはどういうことなのだ。テレビやラジオの連中から、僕のようなものまで呼びつけておいて、「何もない」というのは…。

北陽「先月(八月)の芸協の理事会で、真打(昇進)の話がありそうだという話が流れましてね。まわりに『だれが言ってるの』と聞くと『みんな言ってる』というんです。それならと、この会をセッティングして、ここで披露しようと思ったんですが、理事会では話題にもなりませんでした!『みんな』っていうのは、誰でもなかったんですね。話し合ったのは、次の寄り合いの弁当をなんにするかというのを二時間話しただけです」

北陽「次の機会には必ず真打の発表が出来ると思います。十二月末の紀伊国屋の会、その前売りの時、確認のコールをください。本人が直接(電話に)でますから」

六輔「ちょっとまって、この人、二ツ目なの?」

昇太「そうですよ」

六輔「じゃ、(弟子になるの)やめた。柳昇一門に残って、昇太の上になる」

昇太「結局、そういうことですかっ!」

 口上の締めは、三本締めが定法だが、「今回はめでたくもなんともない」という昇太の提案で、チャチャチャン、チャチャチャン、チャチャチャンチャンの最後の「チャン」空振りにするという「三本締めない」を挙行したのであった。あー、力が抜けるー。

 後半は、シンガーソングライター昇太のミニライブを膝代わりに、北陽の新作講談だ。

「僕は新作を作るんですが、短いのを作ってくれと、よく言われるんですよ。テレビとか、ちょっとしたところでも使えるからって。でも僕は、ちょっとしたところでやるために講釈師になったんじゃない!今度のも長いです。台本を読んだだけで二時間。今日はところどころ、ぶった切ってきましたが、いいところばかりが残っているとは限りません」

 各クラスから無理やり選ばれた急造の応援団。引きこもり、転校生、いじめられっこなど、なぜかみなドリフターズのメンバーと同じ名字の落ちこぼれたちが、鬼コーチ(すわ、という名字なのだ)に反発しながらも、次第に団結を強めていく。まだ口慣れていないのか、なんどもセリフをかんだり、話の方も随所に消化不良な部分が残ったりと、未完成な作品だったが、「ほとんど実話」という落ちこぼれたちのエピソードなど、なんともいえぬい哀愁とペーソスが漂っていて、後味の良い作品だった。

 終演後、国立はあたりに店が少ないので、半蔵門の裏通りまで遠征して、「すじ肉の辛し煮」「タイ風サラダ」「ナンコツと皮の揚げ物」などで和んでいたら、ぬあんと北陽たちが入ってきて、近所のテーブルで打ち上げが始まってしまった。あの会の客でここまで来るやつはいないだろうと思っていたのに。三宅坂、半蔵門近辺の飲み屋事情は想像以上に深刻のようだ。北陽は僕の顔を見るなり「あれれっ!」と叫んで近寄ってきた。

「今日は申し訳ありませんでした!」

「あれ、何の話ですか(と、とぼける僕)?それより、最後の噺、なんて題名なんですか?」

「いや、特に題というほどのものはなくて、ああ、花の応援団、かな?。あんなネタお見せしてしまって…」

「いやいや、北陽さんはキャラクターの人だなあと改めて感じましたよ」

「いやいやいや、次の紀伊国屋では、キャラクターではなく、芸の人だということをお見せしますよ」

 言ってることは威勢がいいけど、僕の連れの方ばかり見て話している。こら、オレの目を見ろー。しかし、この店は仕上げの釜飯がうまい。何種類かあるので、また来て他のを試してみようね(って、誰に言ってんだか)。

      ★ ■ ▲

九月十三日(木)

 夕刊のマルチメディア面用に、DVDの新作ソフトレビューを書く。今年の春から、隔週で書き続けていて、本来の文化部の仕事を圧迫している。「レビューだからといって、ソフト紹介だけをしろっていうんじゃないよ。好き勝手な事を書いていいから」とSデスクがいうのを間にうけて、ほんとに好き勝手に書いているのだが、読まされる読者のほうはいい迷惑かも。今日のネタは「笑わぬ喜劇王」バスター・キートンのDVD-BOX。四枚組で、短中長編が結構入っている。「1」「2」と二つのセットがあったが、見逃していた「海底王キートン」が入っている「2」を購入、ここんとこ夜中にこつこつと見ていたのである。僕は「面白くて哀しい」チャップリンより、「面白くて何のためにもならない」キートンの方が好きだ。「セブンチャンス」「キートン将軍」「蒸気船」…。大好きな作品を思い浮かべると、それらを追いかけて名画座を巡っていた「暇は売るほどあるが金がない」学生時代を思い出してしまい、レビューだが、思い出話だか、よくわからない原稿になってしまった。ロンドン帰りのSデスクのシブイ顔が目に浮かぶようだ。

      ★ ■ ▲

九月十四日(金)

<ほんまち南光亭>(南御堂会館同朋会館)

 歌々志:阿弥陀ヶ池

 こごろう:向う付け

 南光:べかこ

  仲入

 水谷ミミ:真柄のお秀

 南光:つるつる

     ● ★ ■ ▲

 今日から一泊二日で大阪出張。午前十一時に大阪朝日放送で、「浪花のモーツァルト」キダ・タロー氏とインタビューであるからして、それに間に合う新幹線、それに間に合う武蔵野線(!)と逆算していくと、なんと始発直後の電車で新三郷駅を出発しなければ間に合わない。「早出出勤」が「午前十時」という生活の僕には、大変な苦行である。

 朝飯も食わずに、どこをどう経由したか、なんとかルートを外れることなく、大阪のキタへついた。今回は、日曜版「うた物語」で取り上げる「道頓堀行進曲」のネタ集め。先週一度大阪に来てはいるが、一回百十行、上下二回の連載を、一泊二日浪花座見物ツアーだけでは、とてもしのげない。「と~れとれ、ぴ~ちぴちカニ料理~」とか「有馬兵衛の向陽閤へ」とか「あ~らよ、出前一丁」などという大阪企業のテーマソングを手がけたキダ氏に、大阪の代表曲「道頓堀行進曲」を解剖してもらおうという狙いはまずまず成功したようで、なんとか取材の先に光が見えてきた。

 福島にある朝日放送から日本橋の国立文楽劇場育成課へ向かう途中、四ツ橋で地下鉄を途中下車して、明治軒で昼飯。大阪の洋食屋さんというと、自由軒の名前がまずあがるだろう。カレーとご飯が始めから混ざって出てくる「織田作好みカレー」(ちなみに、ごはんとカレーが分かれた普通のカレーは「別カレー」というらしい)が売り物だが、これは残念ながら僕の口にはあいません。見た目もアレなら、味もコレ。それならと見つけたのが、明治軒である。頼むのはいつも決まっていて、オムライスと串かつ。五百五十円のふんわりオムライスと、甘めのソースにどっぷり使った薄っぺらな串かつのコンビネーションは絶妙で、こういうのをB級グルメと呼ぶのだろう。最近はお店がこぎれいになってしまい、大阪コテコテ洋食の雰囲気が薄れたのが残念だが、味も値段も変わらないのがうれしいのだ。

 午後は資料集めに費やして、道頓堀の「いづもや」で、早い夕食。昭和初期、大阪のファーストフードの草分けとして出現した「うなぎめし」、通称「まむし」の味は、いわゆる高級料理としての「鰻」とは一味違う、庶民のめしである。昔々、まむしの宣伝のために「いづもや」が音楽隊を組織していたことがあって、若き日の服部良一が加わっていた、というのも、なんだかほほえましい話である。

 早メシにしたのは、夜の予定があるからだ。東京と違って、大阪には落語定席がない。たまたま大阪に来たときに、いい会にぶつかればいいが、なかなかそういう幸運には出くわさないのである。今日も今日とて、落語会は無理だろうなあ、明日また浪花座でも行くかと思いつつ、関西版「ぴあ」を立ち読みしたら、おおっ、今回はありました、上方落語の会。なになに、ほんまち南光亭…。本町というのは、船場のことだろう、しかし会場の南御堂というのは…。考えても分からないので、米朝事務所に電話したら「御堂筋の御堂ですわー」と教えてくれた。御堂があるから御堂筋、なるほどー。

 難波から御堂筋線に乗ったら、すぐに着いてしまった。会場に向かう人たちをみていると、意外や若い女性が多い。へー、上方落語会は、こんな華やかな客層なんだーと感心しつつ階段を上り、会場に入ろうとしたが、むむむ、何か感じが違う。映画のポスターが何枚も貼られ、入り口ではがきのようなものを回収している。何か試写会のような感じなのである。

「あのー、試写会みたいな感じですけど、これ、落語の会ですよね」

「落語?それはわかりませんが、ここは試写会です。お連れの方はいらっしゃるんですか?」

「え、いや、その、間違ったかもしれません!」

 改めて回りを見渡すと、誰がどう考えても試写会場である。それに、上映されるのが女性映画のようで、大半が女性連れ、あとはカップルばかりで、男一人の客なんて一人もいないのだ。慌てて会談を駆け下り、周囲を見たら、その建物の裏側に、古臭いというか、やや時代がいたビルがあった。ここじゃないかー。

 ほっとして中に入ると、七十人ぐらいのお客さんは、いかにも近所のおばちゃん、おじちゃんといった雰囲気で、それも大半が知り合い、常連さんらしく、和気藹々の雰囲気。残念ながら若い女性の二人連れなんてのはぜーんぜんいなくて、やっぱりこれが落語の会だよなと納得するやら哀しいやら。あ、当日券千五百円払わなきゃ。

 生のお囃子にのって、一番手は歌々志。

「わしは思ったよりアホなんとちゃうかと、最近悩んでるんです。ケータイメールで画像が送れるようになったそうですが、これが古い型の電話でも出来ると、双子の弟から言われまして、教わったとおりにやってみると、ゴリラの絵が出てきたんですわ。ま、いたずらなんですけど、ワタシ、このシャレがわからんと弟に『出来んわー』とメールをおくってしまいまして、『噺家、やめー』といわれてしまいました」

 ネタは「阿弥陀が池」。東京では「新聞記事」という題でやっているが、話のもっていき方がちょっと違うような。

「新聞って、読むもんですかぁ?」

「何するもんて、思てたん?」

「弁当包むとか」

 しっかりしてるようなボケてるような、ふわふわした芸風が好もしい。

 続くこごろうは、不思議な容貌である。短髪、ややウケ口で、歯並びが異常に悪い。こう書くと悪い印象になってしまうが、実際は、ファンタジー漫画のキャラクターのような、とぼけた愛嬌のある、それでいて異世界の雰囲気があるといった、なかなかに趣き深いカオなのである。

「歌々志は千葉大の出身で、頭ええんですよ。気わるいなー、利口なくせにアホなまねしてって、楽屋で紅雀くんと、アホどうし話してたんです。落語はアホが出てくるほうが数多いんで、アホが有利ですけど。作らんとできるんですから」

 ネタは東京でいう「三人無筆」。ふわふわした容貌に似合わぬ、しっかりした芸。楷書の演出の中に、時折、脱力系のギャグが混じるのが楽しい。

 見台が片付けられ、主役の南光が出てくる。浪花の若大将と自称して久しいが、五十過ぎとは見えない童顔(?)である。

「今日は『べかこ』と『つるつる』です。『べかこ』といっても、ワタシのべかこ時代の半生をかたろうというのではありません。米朝が掘り起こした噺です。米朝、よく掘り起こすんですわ。もう家の周り、ボコボコになってしもて…。ま、珍しいからというて、面白いというわけではないんですよ。ま、噺家が出てくる落語は、珍しいですな。べかこは、あっかんべーのこと。ワタシが子供の時は、どういうわけか、じゃんぐるべーと言ってました」といいながら、両の目の下まぶたをひっぱりつつ、鼻を上に向けて「べっかんこ」の実演が始まった。わけあって武雄温泉に流れた芸人「どうたんぼう・かたまる」が、その土地の城主に呼び出されて、姫様の前で芸をしようというが…。サゲも含めて、変わった噺である。

 そうそう、マクラで、今日取材したばかりのキダ・タロー氏の話が出てきた。

「関順子いうアナウンサーと長いこと番組やってるんですが、この人と仕事するのは、御難ですなー。キダ・タローさんにレポーターをお願いしたとき、彼女、キダ先生に面と向かって『キダさん、今日はもう大抜擢!』やて」。ぎゃははは。

 仲入後は、水谷ミミの出番。一体誰だと思ってみていると、着物姿の弁舌さわやかな中年女性である。三重県生まれで名古屋育ち、五十二歳、独身。めくりの「ミミ」という字を指して、「さんぞうと読まないでください」だって。我々関東者の感覚だと、むしろ「さんざ」と読んでしまうけどなー。

 で、ミミさんが何をやったかというと、講談なのである。張り扇は使わず、右手の小拍子でリズムを取って、達者な芸をみせる。マクラから推測するに、関西ローカルでは名の知れたパーソナリティー&おしゃべりタレントらしいが、講談は一体誰に習ったのか。浪花座に行かなくとも、大阪にはレアなタレントがうじゃうじゃいるようだ。

 トリの南光、「つるつる」は、どうやら初演らしい。

「これは東京落語で、大阪ではやる人はおらんようです。『つるつる、やるんですね』と、楽屋に雀松が聴きに来てます。やな男ですなー。『つるつるて、文楽の噺やろ?』というので、『ちゃうよ、時うどんをつるつる…』て答えたら、怒って帰ってしまいました」

 落語作家の小佐田定雄氏が知恵をつけたらしく、随所に東京落語にはない工夫が隠されている。冒頭は、幇間の一八が、芸者をクドくくだりをはしょって、いきなり一八が贔屓の旦那にあって「実はこれこれこういうわけで」と説明する。ラストも、いわゆる「つるつる」の場面がなく、ハッピーエンドで二人が結ばれ、「色町の純な恋の物語です」とサゲた。

「しまいのところ、サブイボできますやろ?色町の恋って…。それに、あれでは、『つるつる』が何の事やらわかりませんわな。次はサゲから作り直して、題名も変えるつもりですから、東京の人にいわんといてくださいね」

 南光、どうやら本気で「つるつる」に取り組むつもりらしい。その意気やよしということで、東京の人には、言っちゃうもんねー。

      ★ ■ ▲

九月十五日(土)

 朝から湿度が高く、今にも雨が降りそうな空模様である。昨日と同じで、今日も資料集め。敬老の日で、朝から行列が出来ている「なんばグランド花月」を横目に見て、向かいの上方演芸資料館「ワッハ上方」へ。ここは、ビデオ、テープ、書籍を中心にした演芸資料室があり、展示を見ずにここだけ利用するなら無料なのである。先週来た時ちゃんとチェックしてたので、資料室へ直行と思ったが、脇を見ると特別展示の内容が先週と違っている。戦後の大阪演芸を支えた「戎橋松竹」関係資料の展示だというので、四百円(最近大幅値下げしたらしい)払って、そっちも見ることにした。この分では、今日は浪花座見物は無理だろうなー。昼過ぎに法善寺横町のカツどん専門店「喝鈍」(いい名前だ)で、ダブル玉子カツ丼五百五十円を食って(これがチョー美味なのだ)、再び資料室でお勉強。夕方雨が強くなったころに、道頓堀を出て「のぞみ」に乗った。帰りの車中は爆睡。出張は、他の飛び入り仕事がないぶん気が楽だが、出張地が大阪だったりすると演芸関係の寄り道をしてしまうのでいつもよりタイトな日程になってしまう。つかれた~。

      ★ ■ ▲

九月十六日(日)

 一週間ぶりの日曜日(当たり前か)。出張疲れをいやしたいところだが、午後、町内会の寄り合いに出席する。今年は回りもちで、副会長になってしまったので、会議をさぼるにさぼれないのだ。議題は、先月、数百本の焼き鳥を焼かされた地元の「さつき祭り」の総括。ところが、祭り担当の役員が急用で出席できない事になり、会議の進行が出来ない。しかたがないので、今年から発足す自主防災会(これも副本部長になってしまったのだ)の防災訓練をどうするか話し合った。二十一階建ての高層マンショ出来てくれるかなあンなので、避難訓練にはヘリコプターが必要だなあ。ただで来てくれるのかしら、などと話したが、だれも詳しい事を知らないので、結論は何もでず。有意義な休日だった。もっと寝たかったよー。

      ★ ■ ▲

九月十七日(月)

 朝から嬉しくて仕事が手につかない。今日は久々の文楽見物なのである。大阪を本拠にする文楽は、年に四回だけ、東京の国立小劇場で引越し興行をやる。ところが、これが不規則で、二月、五月とやったあと、四ヶ月も間が開いて九月公演となるのだ(のこり一回は年末の若手中堅公演ね)。だから、九月公演は、本当に「待ちかねたぁ~~~~~~~由良助ぇ~~~~~~」の気分なのですよ。というまけで待ちに待った東京公演の演目は、「仮名手本」ではなく「本朝廿四孝」の(ほぼ)通し狂言。「ふだんはやらない段」が出てきて、それなりに意義深いのはわかるが、単なるミーハーファンのワタクシにとっては猫に小判馬の耳に念仏○太郎の三味線漫談である。年に数度の貴重な東京公演であるからして、面白いもの、極めつけを楽しみたいのだ。んで「廿四孝」。いささか乱暴に言い切ってしまえば、この演目に関していえば、「普段やらない」=「つまんない」なのである。歌舞伎でもおなじみの「十種香」「奥庭・狐火」。「本朝廿四孝」は、これだけみればいい。だからもう、前半は我慢我慢。国立二階食堂で「すし弁当」などをつまみ、筋書の後ろのほうにある出演者一覧で「あれれ、吉田勘弥の写真はけっこう昔のじゃないかなー」なんてチェックしつつ「珍しい」段を淡々とやり過ごして、さあ、お目当て「十種香」というところで、一度目のゴロゴロがやってきた。上杉館へ潜り込んだ武田勝頼を、八重垣姫が一目ぼれするくだりでゴロゴロゴロ。勝頼が姫の思いを受け入れる代わりに、盗まれた武田の秘宝奪い返せと迫る場面でゴロゴロゴロゴロ。ああこれは尋常ではない、まずいまずいまずい、このままでは破局への道をまっしぐらだ・・。前の前の床(いい席だったのである)で熱演する嶋大夫・清介をちらちらみながら「今、席を立つと目立つよなあ、そういえば、先週嶋大夫の取材をすっぽかしたんだよなあ、嶋大夫、俺の顔覚えていたらダブルしくじりじゃん」と考えたりして、出るに出られず残るに残れず、一人脂汗を流して煩悶したがもう限界だ。恥をしのんで立ち上がり、腹を抑えて前かがみという、中途半端な姿勢をキープしつつ「すみませんすみませんすみません」と四席分を移動して、ロビーに出るや一目散。…・、しばらく固執から出て来れませんでした。

 こうしてなんとか最大の危機は脱出したものの、何時またゴジラの逆襲があるかわからない。席に戻るのは危険だ。誰もいないロビーのソファに浅く腰掛けつつ(まだ、おそるおそるなのである)、中から漏れてくる音を聞いていると、嶋大夫の「十種香」はすでにおわり、狐の化身が飛び回るクライマックスの「狐火」を、スキンヘッドで一見古今亭志ん橋風の竹本千歳大夫が力演しているようだ。義太夫はすばらしいが、この段ばかりは飛び回る狐を見なければ話にならない。あああ、これまでの二時間半以上、珍しがムニャムニャな前半部分を耐えたワタシは、いったいなんだったんだろう。あわててかっこんだ「すし弁当」が悪かったのか。先週の上方遠征の疲れを引きずっていたのかと、懊悩しつつ、三宅坂の夜は老けていくのだった。帰りの電車でゴロゴロの再発、ないよなあ。

      ★ ■ ▲

九月十八日(火)

 昼二時過ぎに会社の食堂で、細切りうどんを食う。本日初めてのメシ。きのうの国立小劇場での惨劇の名残がまだ腹のどこかに残っているようで、今日もときどき、ゴロゴロというかすかな音が、遠雷のように響いているのだ。くそー、考えるだけで腹が立つ。怒りに任せて仕事をしたら、予想以上にはかどってしまい、夕方には暇になった。夜、亀有駅で日本遊戯史学会員のT橋氏と打ち合わせ。僕の三作目の単行本が、「和風の遊び」をテーマにすることになったため、T橋にゲーム部分の監修をお願いしようということになったのだ。「もうかりませんよ」といいながらの要請に、「それはわかってます。もうからないぶん、好きなことをやらせてもらいますよ」と、協力を快諾してもらった。これから来年の春にかけて、二人三脚の本作りで遊ぼうと気勢を上げたが、お互い忙しい身の上、はたして遊べるかどうかわからないもんなあ。

      ★ ■ ▲

九月十九日(水)

 終日会社でお仕事。書くべきことなし。

      ★ ■ ▲

九月二十日(木)

 昼間は「うた物語」の原稿書き。大阪でのキダ・タロー取材を核にして、作詞者の家族の方の談話などをちりばめて、百二十行ばかり。ベテランH井カメラマンが取った、道頓堀の食い倒れ人形のカット写真が楽しい。

 夜、講談社N201号会議室で、立川志らく監督の三作目「カメレオンの如き君なりき」の試写会があった。今度の作品はインターネット専用ということで、ブロードバンドを使って有料配信をするそうだ。試写会では、パソコンの画面でみることを前提に撮影した映像を拡大して見せてくれた。主演の柳家花緑のほか、三遊亭楽春、志らく門下の前座たち、そした、志らく監督自身も出演した意欲作だが、いかにも金がかかってないというのが明らか。志らく自身がカメラを担いだという映像は構図、編集ともに今ひとつの出来で、全体的には、映画マニアの学生が撮った「意あまって力足らず」の自主制作映画という感じ。花緑の熱演は評価できるが、ヒッチコック映画のキーパーソンを気取ったと思われる志らくの顔面神経痛的演技はいただけない。映画を見ているとき、メインの撮影場所となる取調室が、どこかで見たようなところだとずっと思っていたのだが、最後になって気がついた。なんと試写会場のN201号室が、撮影場所だったのである。ううむ、低予算映画なんだよなあ。志らく監督の評価については、現時点では保留にしたい。もう一、二本見てみなければ、何ともいえない。「映画さえ撮らなければ、いい噺家なんだけど」なんて言われないように、がんばってほしいぞと思いつつ、寄席にいけない十日間が終わった。

 

つづく

 


お戻り


内容及び絵等の無断転載、商業使用複製を禁止します。
ご意見ご感想はたすけ宛に、どしどしお寄せください。
皆様のご意見で益々良くなるおタスケを・・・・・・。
たすけ