東京寄席さんぽ九月上席

   ・・・・・ついに恐れていた事が起きた。なんと、「さんぽ」の原稿が一か月遅れになってしまったのである。今までも何度か周回遅れに陥り、周囲の励ましやら督促やらイヤミやらに追い立てられるようになんとか更新をしてきた。しかし、仏の顔も何とやらで、周回遅れもあまりたびたびになると、読者もあきれて何も言ってこなくなる。そうなると、こっちは反省するどころか、もうちょっといいだろうと甘えたりして、なかなかパソコンにむかわなかったりして。真打披露パーティーなんかがあるし、久々の大阪出張で色々準備があるしぃと、いいわけをしながら九月上旬が過ぎた。中旬は、日曜版に書く原稿は急増したのと、前週の一泊出張では足りずに再び大阪行きをしなければならなくなったりで、精神的余裕がないのよねーと言ってるうちに二十日が過ぎ、下旬になったら上野鈴本で真打ち披露興行がはじまっちゃったもん、これはしょーがないやね。

  愚痴をこぼす訳じゃないけど、「さんぽ」の原稿はクソ長いだけに、グワーーーーーーーーーーッと一気呵成に書き下ろさないと形にならない。一つ見るたんびにチョビチョビと一段落ずつ書いていくというやり方もあるのだが、そうすると文章のノリが悪くなって、読んでて面白くないのだ。そういうもんじゃないよーと思われる方もいるかとは思うが、書いてる本人がそういってるのだから間違いないんだもんねー。読売日曜版「寄席おもしろ帖」に載せてる正楽さんのカラー紙切りも、あまり遅いので催促した時も「寄席の紙切りは一分、二分で切ってるけど、あれは二、三時間かけてるんだから」と言われてしまった。さもありなん。僕だって、あの長さの「さんぽ」を書く際には、まとまった時間と、精神的な余裕が必要なのである。

月が変わって、十月の初め、ようやく時間がとれたので、「さんぽ」を書こうと腰を上げずにパソコンの前に座ったら、「古今亭志ん朝逝去」という信じられないニュースが入ってきた。時間を見れば、夕刊の締め切りギリギリではないか。談話とる人は談話とって、当番デスクが一面と社会面を書き分けて、ええと、ああ、ながいくん、出稿前にもいちど固有名詞のチェックしてね、早く早く!なんてやってるうちに午後になってしまった。一息ついて、仕事モードから普通の人モードに切り替わったとたん、悲しさ悔しさ喪失感が一気に押し寄せてきて、モノを書ける精神状態ではなくなってしまった。ええい、この件については、「十月上席」の項で書くことにして、九月上席、つらいけど幕を開けよう。

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九月二日(日)

<国立・昼席>

 (京子:講談)

 春馬:宗論

 マッピー:漫才(代北口幹二彦)

 右団治:酢豆腐(代歌助)

 ひでや・やすこ:漫才

 馬琴:黒田節の由来

 仲入

 五月一朗:太閤記

 楽輔:黄金の大黒

 花島皆子:奇術

 主任=可楽:短命(代円右)

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国立演芸場、それも定席に行くのは本当に久しぶりだ。小劇場の文楽、大劇場の「古い

ネタ虫干しの通し歌舞伎」はたびたび見に行くが、演芸場にはなかなか足が向かない。前は海、後ろはハトヤの大漁園~、あ、失礼、前は濠、真横は最高裁判所、後ろのコンビニが日曜休みという、巧んでもなかなかこうはいかない立地条件なんだよなー。閑散とした永田町のスロープを下っていくアプローチ、終演後人気のない通りを、開いてる店を探しながら麹町あたりまで遠出をしなければならない虚脱感・・。ああ、いいなあと思う人はいないよねー。

でも今日は国立演芸場。番組表をみた時に、講談、浪曲、聴いたことがない色物という三点セットに、なぜか心ひかれてしまったのである。ああ、守備範囲の広いワタシ・・。

日曜日の昼下がり。のどが渇いたからコンビニで飲み物を仕入れていざ突入のはずが、しまった忘れていたコンビニは日祝お休みだった。乾いたのどをハアハア言わせながら演芸場にはいると、ととと、けっこう入っているんだよね、お客さんが。

神田京子の講談の終わりころに席に着いたら、すでに到着していた連れが「はいこれ」と、実にいいタイミングでコーヒー飲料をくれた。こういううれしいことをしてくれると、三日ぐらいは言うこと聞いてもいいぞ。「コーヒーの恩、三日忘れず」と孔子も言っていたではないか。「いってない、いってない」と連れのツッコミが聞こえるようだとかなんとか言ってるうちに、春馬のマクラがおわってしまった。ネタは「宗論」である。

 この春馬という人のレパートリーは少し変わっている。去年の真打披露興行での勝負ネタが「鷺とり」、「お玉牛」なのである。どちらも上方産で、東京の寄席で聴くと、何とも不思議な感じがするネタである。そんな珍品を「サルです」(BY本人)というような容貌の春馬が、体を張って熱演するのだ。

 この日の「宗論」は、信心深い真言宗の父親を思い切り地味に描くかわりに、耶蘇教にかぶれた若旦那をめいっぱいヘンテコにして、親子の断絶ぶりを漫画チックに描いた。ところが、意外や客席の反応が鈍い。オーバーアクションを多用したり、三三七拍子を客に強制したりと、あの手この手で笑いをとろうとする姿勢は天晴れなのだが、まだちょっと客に対する遠慮があるようだ。一つ型破りな演出をするたびに、ちょっと間を取って客席の反応を伺うさまがはっきりとわかってしまうのだ。これでは、間も悪くなるし、客もリラックスできない。「うけてもうけなくてもオレはやることはやるんだ文句あっかー!」という、いい意味での開き直りがあれば、もう一皮むけるような気がする。芸協期待の若手真打、もうそろそろ、はじけてほしいが。

 「どーもー、マッピーですぅ」と出てきた漫才コンビを見て、考え込んでしまった。茶パツもスエットシャツもスカートも顔立ちも、ごくごくフツー。どこをどうみても普段着の女の子が二人で出てきて、地下鉄や駅前広場や居酒屋で漏れ聞こえてくるような、カレシがそうのこうの、ルミコがどうしたこうした、みたいなハナシをしている。大阪吉本や松竹芸能系の若手コンビの中に、こういう普段着風が時々いるが、それにしても、これでは小劇場のスタッフのおねーさんである。人の顔を覚えるのが苦手な僕は、この二人が高座を下りたら、確実に顔を忘れてしまうだろう。芸人は目立ってナンボ、という原点を、もう一度考えた方がいいと思うぞ、おじさんは。案の定、今ではまったく顔を忘れてしまったが、どういうわけかギャグが一つだけ記憶に残っている。彼と彼女がレインボーブリッジかどこかをデートする場面である。「夜景がきれいねー」「そうだね、君よりずっときれいだよ」「君のがキレイっていうんじゃないのかい!」オソマツ。

 右団治の「酢豆腐」、初めて聴いたが、ううむ、これはなんというか、一聴の価値はあるかも知れないぞ。いわゆる古今亭の型どおりの演出で進んでいって、いよいよ本編の主役、あのキボジワルイ若旦那の登場だ。右団治が発した「すんちゃん!」の一声でサブイボが出た。実にアヤシイのである。甲高い女性声をわざと押さえているのか、中途半端な低音で、しなを作り、ねっとりと話し始める若旦那。女性なのに努力で男を演じてきた右団治が、ややカマっぽい男性を演じたらどうなるのか。これはもう、倒錯の世界である。右団治はもちろんそんなつもりは毛頭なく、いつも通りの熱演している。こんな受け取られ方をしたら心外だろうなとは思うのだが、やっぱり感想は「珍しいものを見せてもらった」である。できれば女性の落語ファンの感想を聞いてみたいと思う、問題作が、休日の三宅坂で人知れず演じられたのであった。うーむ。

 仲入前は、ベテラン馬琴の「黒田武士」。講談というと、若いファンは神田北陽をおもいうかべるだろう。いわゆる講釈場ではなk、ごくふつーの落語会で、昇太やら喬太郎やら彦いちやらの異才奇才と共演し、存外達者な古典、新作で見事に笑いをとっている。あれがいわゆる講談だと思って聴くと、馬琴のハナシはぬるいと感じるかもしれない。北陽にくらべればテンポが遅いし、入れごとも今風ではないのである。だが、馬琴の語る一言一言には、北陽にはない重みがあるのだ。講談の修羅場は、早ければいいというものではない。緩急、強弱を自在に使いながら、意味は分からずとも耳に心地よい言葉の波を作る。急がずあわてず、どっしりと腰を据えて、意味と重さのある言葉を紡いでいく馬琴。講釈師としての蓄積が少ない北陽に、現時点でそこまで求めるのは酷というものだが、今の馬琴ほどの年期を積んだ北陽を思えば・・・、講談の未来は明るい。

 休憩をはさんで、本日のお目当て、五月一朗の登場だ。普段の寄席ではまずお目にかかれない派手なテーブルかけ。さっそうと登場する五月一朗の袴姿がまぶしいぞ。八十を超えて、中央高速をマイカーぶっとばして木馬亭に出勤する不死身の超ベテラン浪曲師。今日は得意の「太閤記」から、秀吉が前妻と再会するくだりをほのぼのと描く。おおらかで、楽しげな舞台姿からは、なんの屈託も感じられない。聴いているこちらまで、あったかな気持ちになってくる。これなら多少たたいても壊れることはなさそうだ。九十、百になった五月一朗をぜひ見てみたい。おそらく実現してしまうだろうと思えるのがスゴイ。

 五月のパワーの後では目立たないが、楽輔の「黄金の大黒」もかなり個性的だった。せっつくような、間を詰めた口調、オウム返しの多用、漫画チックな展開。うまさ、粋さには縁がないが、知らず知らずに笑ってしまう。破調の芸とでもいうのだろうか、大人しい人の多い芸協のラインナップの中では、確実に異彩を放っている。

 トリの円右はお休みで、可楽の代演。特に書くことはないというのは、ひざがわりの奇術、花島皆子の印象が強いせいだろう。

 ひとことでいえば、よくしゃべる、派手作りのおねーさんである。奇術のこと、交友関係のこと、演芸会のエピソードなど、高座を動き回りながら、しゃべるしゃべる。ふと気がつくと、あんまりネタをやってないじゃないか。後半は、以前に奇術の公演をしたことのある小学校の生徒からの感想文を読み上げながら、それに関わりのあるネタを披露するというもの。ナレーター(もちろんテープだが)が永六輔、遠藤泰子というラジオの名コンビなので、つい聞き入ってしまうのだが、そのぶんネタの方への注意がおろそかになって、なんとも中途半端な感じである。かなりのベテランのようだが、みたことないなーなんて考えてるうちに、終わってしまった。二十分近い高座で、どんだけネタをやったんだろう。久々に見た国立演芸場。普段の定席には出演しない、落語以外の芸人たちの高座を、ツッコミを入れつつ鑑賞する、これが、この不思議な立地の演芸場の正しい楽しみ方ではないだろうか。

 帰り道、「ちょっと一息」する店は・・・、やっぱり見つからないので、有楽町線で市ヶ谷に出た。ここでも駅周辺は「本日休業」ばかり。日テレ通りの「素材屋」でチョー長居して、帰りの電車で初めて国立のパンフレットを見た。花島皆子の写真は、本人より若いとか、髪形が違うとかではなく、明らかに別人ではないかっ!と思わずにいられないものだった。謎の人である。

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九月四日(火)

<読売GINZA落語会>(ル テアトル銀座)

 (彦いち:みんな知っている)

 市馬:堪忍袋

 権太楼:幽霊の辻

 仲入

昇太:ちりとてちん

文珍:親子茶屋

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 今夜は、今年九月にスタートした「読売GINZA落語会」の第二回目。朝、出勤するやデスクの電話が鳴った。

「ながいくん、また招待者受け付け、お願いしますね。君がいないと誰が誰やらわかんないから。あ、それから、今日は飲み食いナシだからね、そいじゃ会場で」

 事業部からの電話でわかったのは、僕がサラ口の彦いちを見られないのと、豪勢な打ち上げをやるほど利益がない、つまり超満員ではないということだ。

九月の第一回「小朝とサラブレッドたち」は、豪華な出演者に、第一回という話題性もあって、七百を超す客席は満杯だった。内容の方も、トリのこぶ平の「景清」を大熱演して、各方面からかなりの評価を受けた。この大成功で、関係者は安心したのだろう。いくら評判のいい会であっても、七百の小屋を常時満席にするには、それなりの努力が必要だ。今回は、いい教訓になったはずである。なんてなことを言ってると、「んじゃ、お前がしっかりやれ」としかられそうだな。考えてみれば、僕も関係者のはしくれなんだもんね。

とりあえず今日は、しっかり受け付けをやらせていただきませうと、劇場エレベーター前で、「あ、どうも、おひさしぶりです、よろしくお願いしまーす」と頭を下げ続けていたら、目の前にやたら大きな肉体がそびえたったのであった。

「あのー、楽屋に遊びに来たんですけど、どういったらいいんすか?」

 歌武蔵だ。だれのとこに来たのかは知らないが、この「ル テアトル」という劇場は、正面ロビーから入ってしまうと、楽屋までのルートが実に複雑なのである。いったんエレベーターで上の階に上がって、違う階段で一階下りて、厨房の横の道を通って・・・、ああああ面倒くさい。それじゃワタクシメが案内しましょう。と、すでに彦いちが高座に上がって暇になった受け付けを事業部のスタッフにまかせて、歌武蔵を先導した。複雑な経路だが、比較的スイスイと進む。ああ、さっき昇太の事務所のスタッフと一緒に道筋を確認しておいて(このときは一瞬迷った)よかったぜー。歌武蔵とは面識がないので、一応あいさつね。

 「あのー、ワタシ、文化部のながいといいまして」

 「あ、日曜版読んでます。こないだ(僕のこと)書いてもらって、ありがとうございます。実家では記事を仏壇に飾ってます」

 「ひやー、仏壇はやめてー」

 楽屋では、次の出番の市馬が着物に着替えて、なぜか足踏みをしている。メーンの文珍はすでに楽屋入りして、鳴り物担当で上方から同行している染語楼、内海英華らと打ち合わせをしているようだ。開演前からやってきて、彦いちと遊んでいた昇太は・・・、まだ普段着でうろうろしている。みんな、がんばってね。

 歌武蔵をエスコートして、僕の仕事は一応おしまい。彦いちが下がるのを待って、ダッシュで席に着いた。さあ、見るぞ聴くぞー。

 さっき足踏みして入れ込んでいた市馬が、さっそうと、ではなく、背中を丸めて、少しがに股気味にのそのそと登場する。小さん直系の本格派、高座姿はりんとしてすっきりしているのだから、この「出」だけ、なんとかならならんかなー。

 マクラもろくに振らずに、「堪忍袋」。前が押し気味で次が権太楼の「辻」というとこを考えての、コンパクトな高座なのだろう。内容は、もう、この手のハナシは、市馬の独壇場である。ほとんど失点のない、優等生的な高座である。この端正な噺に、あの長篇歌謡浪曲「俵星玄蕃」のスケールが生かせないものかと、いつも思ってしまう。いや、今のままで十分いいんだけどね。

 権太楼の「辻」は、八月末の「おさらい会」で聴いた「サゲ違いバージョン」ではなく、従来の形。もうこれは、権太楼十八番といってもいいんだろうな。「不動坊」「たちきり」など、ここ数年、シェイプアップを繰り返しているネタがあるが、それらの中でも、噺自体が面白く、本人のニンにもあっているという点では、この「幽霊の辻」が一番である。この日も自信に満ちた高座で、客席を圧倒した。客席に散らばっている我が社の少しえらい人々も「権太楼、いいねー」と手放しだった。

 権太楼、文珍という東西の爆笑派にはさまれると、昇太の噺はいかにも軽い。その軽さが、頼りない、ではなく、カワイイ、と映ってしまうのが、昇太の人徳というか、得難い個性なのだろう。軽く明るくカワイイ「ちりとてちん」が、前後の大物二人をつなぐ格好のかすがいになった。かすがいだからといって、昇太の頭を打つヤツはいないだろうが。

 トリの文珍「親子茶屋」は意外な選択ではないか。読売落語会初見参、「笑わせる」ことが求められる高座なら、新作あり、古典でも爆笑噺はいくらでも持っている。「親子茶屋」は、鳴り物がビシバシ入って、いかにも上方噺といるものだが、これでいいのかなー。そんな思いは文珍がしゃべりだして五分もしないうちに吹っ飛んだ。マクラたーっぷり。「ちろとてちん」を食べてもだえ苦しむ昇太のさまがオカシイと、さんざんいじって共感の笑いをとり、客席をすっかり暖めてから、上方情緒の横溢する噺に入る。その呼吸のよさに感服するしかない。権太楼でギャハハハ、昇太でクスクス、文珍でムフフフ。多種多様な笑いを並べた読売落語会。二回目もまずは成功と言いたいが、いかがなものだろうか。

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九月六日(木)

 <浪花座・第二部>

 ロビンス

 ミヤ蝶美・蝶子

 朝起太郎

 マジック中島&ひろみ

 仲入

林健二:演歌

シンデレラ・エクスプレス

春駒:一人酒盛

主任=寛太・寛大

      ▲ ■ ◆

 本業の取材で、「道頓堀行進曲」という歌のルーツをさぐるべく、久々に大阪の繁華街を訪れた。「赤い灯、青い灯」という甘く切なくノスタルジックな響きは、まさに大阪の歌。さぞやたくさんのエピソードがみつかるだろうと肩に力を入れて早朝の「のぞみ」に乗ったのだが、いざ道頓堀で取材を始めるや、どうもうまくいかない。考えてみれば、「道頓堀行進曲」は昭和三年の歌。当時を知る関係者が生きているわけはないし、大阪人にとってはあまりに「当たり前の歌」なので、あらためて「なにかエピソードを」と言われても困ってしまうらしい。だいたい、未だに著作権保有者がどこのだれなのかも判然としないのだった。歩き回って、文楽の新作「夫婦善哉」の中で「道頓堀行進曲」が歌われていることを知り、国立文楽劇場で公演記録のビデオを見せてもらえることになった。御堂筋線を難波で乗り換えて一駅で日本橋。そこから歩いてすぐ、黒門市場のはす向かいに劇場があった。ビデオをみると、「夫婦善哉」の夫婦、ぐうらた夫と芸者上がりのしっかり女房が下寺町でカフェーを始めるくだり、全編にあのメロディーが流れている。そればかりか、冒頭、太夫の義太夫の調子が突然変わって「赤い灯~」と歌い出すのだ。これはいける。床で朗々と歌っている豊竹嶋大夫にインタビューして、その後に松竹で教わった昭和初期の道頓堀芝居事情の蘊蓄を入れ、と考えているうちに、ぼんやりとだが原稿の全体像ができあがった。やっぱり大阪に来て良かったー。

 仕事のめどがつくと、遊び心がむくむくと頭をもたげてくる。今日の宿は日本橋にとるつもりだ。ワッハ上方や吉本がある千日前も、浪花座がある道頓堀も歩いていける距離じゃないか。上方芸能研究も怠りなくこなしてこそ、新聞社の文化部記者といえるのではないだろうか。てきとーな言い訳をつぶやきつつ、もう二件ほど取材をすました後、翌日の午後二時過ぎに千日前の「なんばグランド花月」に行ったら、ありゃー、これはスゴイ行列ではないか。おばはんおばはんじじばばおっさんおっさんおばはんじじばばおばはん、というような配分の行列がぐるぐると吉本ビルを取り囲んでいる。先頭付近にちらりと見えたすき間からテケツを見ると、「立ち見です」。(いかりや長介風に)だめだこりゃ。あわてて千日前筋を北へ。道頓堀で西へ折れれば「演芸の浪花座」である。時間をみれば第一部が終わるころだ。出演者の確認もせずに、二千五百円のチケットを買って、妙に急な階段を上って浪花座に入った。

 さすがに客席は埋まっているようだが、よくみるとチラホラ空席もある。もう終演時間が過ぎているはずなのに、高座では、トリの「いま寛太はな寛大」が熱演している。ビルに立てこもった犯人を、警察やら肉親友人らが説得するというシチュエーション・コントをやっているようだが、これがいつまで立っても終わらない。説得が失敗して、さあサゲかと思うと、寛大が「はい、今度は近所のコロッケ屋のおっちゃんな」と、寛太に注文を出す。「まだやるんかいなー」と文句をいいつつ、寛太が「きよしー、ええかげんにせーよー」と説得を開始する。「はい、お次は鶴橋の焼き肉屋の大将」「カンサハムニダ!」・・・。「暑いわー」と寛太が高座のカーテンで汗をふいている。どうやら調子に乗った寛大が、アドリブでどんどん寛太に芝居をやらせているようだ。客席もそれを知っているので、」やんやのかっさい。寛太が汗だくでギブアップしてようやく第一部の終演である。いやー、笑った笑った。

 時間が押しているので、すぐに第二部の開幕。と、あれれれれ、お客さんがどんどん帰っていくではないか。みるみるうちに客席は半分以下。僕の座っている列などは、他に一人もいなくなった。やだなーと思っていると、うれしや新しい男性客が腰を下ろした。顔を見ると、うわっ、今度の取材で写真をお願いしているH井カメラマンではないか。

 「いやー、ここに来れば、ながいくんに会えると思って。これが終わったら、道頓堀の夜景を撮影するんだよー」

 しっかり見透かされている・・・。

 寄席見物に戻ろう。一番手は若手コンビのロビンスだ阿倍野生まれの佐野君と淡路島出身の上野君、舞台に出てくるなり、閑散とした客席を見回して「少なー」。丸刈りにグレーの背広の佐野君と、金髪、赤いジャケットの上杉君。田舎の子と都会の子という役割分担なのだろうが、どちらもとってつけたような雰囲気で、ちっともそれらしく見えない。ま、格好はともかくとして、二人のやりとりに独特の間があって、僕は面白いと思ったが、客席はしーんとしたままだ。

 「ちなみにみなさん、僕らのこと、知ってますか?」

 「(客席前方から)しらんっ!」

 「(憤然と)そんなもんかー」

 「(すみっこの方のオバハンが)これからがんばりー」

 再び沈黙が・・。気を取り直して、「審判に憧れている佐野君」というコント風のやりとり。

 「(審判のつもりの佐野、手を上、中、下と動かして)アウトっ!」

 「何しとんねん」

 「客席のアウト、セーフ」

 「おい、オレはこんなんやりに出てきたんやないで!いつまでやるんや」

 「最大延長九時二十六分まで」

 がんばっているんだけどなあ。

 二番手は、ミヤ蝶美・蝶子。一方はショート、片方はロングの金髪。ぱっと見たら、天王寺の裏道のスナックにいる元ヤンキーのねーちゃんと言った感じの二人組だが、どっかで見たことあるような・・。

 「あたしらミヤコ蝶々先生の弟子なんです。これでも昔は若手漫才のホープ言われて、いろんな賞をもらったんですよー。今年十七年ぶりに復活したんですわ」

 「何で復活したんかいうとー、二人ともバツイチになってしもて・・。旦那に捨てられて暇なんです」

 「身も蓋もないやん」

 「この子、女の子三人かかえてがんばってるんです。若く見えるけど、十七の娘がいるんですよー。アタシは子供いないんですけどね」

 「オカマが子供生むはずないやん」

 「なにーっ」

 かつての栄光(?)がしのばれるような、実にいいテンポ。きけば隔月ペースで独演会のようなものもやってるとか。層の薄い松竹系では、いきのいい中堅どころとして活躍で来るはずだ。

 次の大吾・小吾には、全く知らないコンビである。

 「みなさーん、あたしたちのこと、知ってますぅ?浮世亭三吾の弟子なんですわ」

 本人たちはおろか、師匠も聴いたことがない。すごいなーと思ったら、もっとびっくりすることがあった。短髪で、じゃがいものような顔にあか抜けないスーツ。どうみてもどっかの青年団のパシリといった感じの大吾が「アタシ、こうみえても女なんですよー」と言い出すんだもの。

 「きっと男の癖にえらい高い声やなーって、思ってたやろ」

 すみません、その通りですぅ。で、大吾、小吾は、「男、女」の話題だけで十分以上持ってしまった。「大吾=オンナ」という事実は、この日の客にとって、それほど、しょーげきてきだったのである。面白くてもウケない若手やら、十七年ぶりの復活やら、男と思ったら女だったり。いろんなコンビがいるなあ、上方演芸は奥が深いぞ。

 「私たち、これで七年たつんですが・・・、いっこも売れません」

 「我々のこと、知らない人」

 「(パチパチパチと大きな拍手が起こって)今まで死んでたんが、生き返ったわー」

 「(すぐにまた客席が静かになって)どうしたんですか、みなさん。金縛りにあったみたいですよー。はい、肩の力を抜いてー」

 「(しーんと沈黙が走って)このあと、どう進めればいいんじゃ!」

 がんばれよーとしか言えない。

 次はチャンバラコントの「じゃんけんぽん」。これも初めてみたぞ。

 「みんな知らんと思うでー。親もこんなんやってんの、知らんのやから」

 みんな同じこと言ってるじゃん。考えてみれば、平日の昼間から浪花座でのべつ漫才見ているおじさんおばはんたちが知らないのである。この純情な僕が彼らを知らなくて、何が悪いというのだろう。だれも悪いとは言ってないけど。

 で、次の朝起太郎(あさ・おきたろう)が、これまたきょーれつだった。突然、客席後方に現れたと思うと、ぬぬぬぬぬっと高座に駆け上がる。どさ回りの剣劇の端役にありそうな侍の扮装で、手には、刀と三味線と手提げひもがついたフツーの紙袋を持っている。高座に上がると、客からもらった缶ジュースをひとのみ。「ありがと。ちょうどノドがかわいてたの。アタシ、朝起太郎。本名は、夜寝太郎といいますー」。なんじゃこいつは。

 おもむろに紙袋から白粉と鏡を取り出して、顔半分を白塗りにしてしまった。次は紙袋を三角に畳んで、クリップで留めている。何をするのかと思えば、三角になった袋を頭にかぶった。これで烏帽子の代わりなのだ!あとは長いビニール袋をい長袴に見立てて、一人芝居が始まった。テーマはおそらく「刃傷松の廊下」。体を反転しながら、吉良と浅野を演じ分け(半分白塗りはこのためだった)、息を切らせながら、とんだりはねたり。面白いとか面白くないとか考える前に、あっけにとられて声も出ない。なんちゅー芸なのだろう。

 一通り芝居が終わった後は、紙袋を畳み直して、後かたづけだ。起太郎が「ほうき、ほしいなー」と言うと、すぐに舞台の袖からほうきが投げ込まれた。「ちろとりもほしいなー」というと、約束通り、ちりとりが投げられる。きちんと舞台を掃除して、最後に「黒田節」のあてぶりをして、バック転(!)をしたら、舞台がどーんと揺れた。いやあ、まあ、なんというか、ものすごい芸だった。ひとに見せたいが、僕はもうみなくていいかも。

 仲入前は、中年おそらく夫婦コンビの「マジック中島&ひろみ」。マジックやるのに「マジック」という名前ってのはいかがなものか。中島&ひろみ、と名字と名前を並列するのも変な感じ。なんとも思わないのだろうか。芸の方はというと、これは奇術と言うより、イリュージョンという方がいいのだろう。派手な演出で、道具をいろいろ使った大がかりなマジックである。舞台の上に数十本の傘がならんだが、「ほんとはこの倍ぐらい傘を使うんですよ」だって。ほんとかー?

 後半一番手は、なんと演歌歌手。芸をみせるのではなく、ひたすら歌うのである。林健二という、和歌山のあの事件の容疑者のような名前の歌手は「日本クラウン専属でーす」。茶パツの優男でレパートリーは股旅モノ。そう、氷川きよしの五番せんじのようなヒトであった。しかし、これがけっこうな人気なのですよ。林がワンコーラス歌い終えるたびに、舞台の両わきから「けんちゃーん」とおばはんたちの声が響く。おっ、すごいじゃんと思っていたら、「大井追っかけ音次郎」を歌いながら舞台に下りてきて、ひとりひとり握手をはじめたではないか。これは大変だ、僕の列まで来たら握手しなければならない。どうしよう、今席を移るのはヘンだしなあと焦っていたら、前列のおばはんたちが花束やらご祝儀やらプレゼントやらを次々渡すので、時間がなくなったらしい。最前列だけで拍手作戦がおわりメデタシメデタシ。「次の日曜は通天閤劇場にでまーす」なんて言いながら林が引っ込むと、おっかけのおばはんたちもそそくさと引き上げていった。

 シンデレラエキスプレスは、松竹系ではちょっとは知られたコンビのはずだ。だが、うけない。林健二の半分もうけない。Tシャツ姿の二人組のクールな会話。今日、今まで見てきたコンビの中では、最も洗練された芸だと思うが、浪花座のおばはんたちには、おそらく「元気のない若い衆やねー、もうちょっと大きな声で話さんかー」ぐらいにしか映らないのだ。あれ、客席で電話が鳴り続けている。

 「いーですよ。(電話に)出てください」

 「(客席中程で)だいじょうぶですよ」

 「ほな、切っとくはなれ」

    ・・・・・・。

「今、学級崩壊が話題やんか。三十人中、三人休んで学級閉鎖やて。なめとんのかー」

「何怒ってんてん」

「この現状考えろ。(客席を見回して)三百五十人中、七十人や。これこそ学級閉鎖や。みんあ、転校するでー」

「どこにいくんや」

「なんばグランド花月」

 おそまつさまでした。

 さて、ちょっと楽しみだった桂春駒の登場だ。本日の番組中、落語はこれ一本だけ。ほんとはもう一本あったらしいのだが、今日はお休みで、なんと朝起太郎が代演だったのだ!

 延々と漫才を見てきた目には、紋付き着物姿の噺家が出てきただけで「古くさー」という感じがしてしまう。客席もしーんとしたまま、「なんや落語か」という感じなのだ。そんな反応を知ってか知らずか、若いような年食ってるような年齢不詳の春駒は、マクラもそこそこにネタに入った。なんと「一人酒盛」である。こういう状況では、難しいネタだと思うが、客席の反応を気にせず一人芝居風に出来るという点ではむしろやりやすいのかも知れない。声を張り上げるでも、くさい演出をするでもなく、淡々と演じているのだけなのだが、次第に引き込まれてきた。あちこちからクスクスという笑いがわき、「この主人は絶対友達に酒を飲ませないだろうな」とわかってきたあたりからオバハンたちが身を乗り出して聴くようになった。春駒がサゲをいい終わると、盛大な拍手が来た。正攻法の勝利か。今日初めて聴いたフツーの芸だった。

 トリは第一部と同じ寛太寛大。「てなもんやないかないか道頓堀」という浪花小唄にのって、今やベテランの域に達したコンビがのそのそ出てきた。

 「ちょっと待ってね、というアタシのギャグ、何回言ったか数えて、帰るときに支配人に言うと、特別にですねー、『それがどうかしましたか?』と言ってもらえます」

 ネタは「あなたに向く職業」。第一部とがらり違ったネタで、きっちり笑わせて午後六時に終演である。打ち上げの声は「ありがとうございましたー」に決まっているが、個々では「遅くまでありがとうございましたー」。大阪の芝居は、午後六時にはもう遅いのである。そういえば、吉本でレイトショーというのがあったが、これは午後七時開幕だったよーな。大阪の夜は早い。

 「これからこの界隈を撮影」というHカメラマンと別れて、新大阪に向かう。まだチケットも買っていない気ままな旅程、これから帰ると、家にたどり着くのは十一時ごろになるだろう。

      ▲ ■ ◆

 さんぽ九上、これでおしまいだが、遅れたおわびに、一つだけおまけをつけよう。九月九日、お台場で開かれた柳家三太楼真打披露パーティーである。寄席さんぽの趣旨にのっとり、「芸」の部分だけレポートする。近来まれにみる余興たくさんのパーティーだったのだ、これが。

 まずは、横広のでっかいパーティー会場。正面舞台の他に、下手側にもうひとつ、小さな舞台がある。前半はこのサブ舞台が活躍した。

まずは太神楽連中による寿獅子。獅子の頭が小楽、後ろに和助。鳴り物は、仙三郎の笛、和楽の鐘、太鼓はだれだったか・・。正月二之席、新宿末広亭でみたのと、ほぼ同じ顔ぶれだが、病気休養集の仙之助の顔が見えないのが寂しい。

続く舞台は、落語もできる色物歌手・柳家喬太郎である。縞のカッパに三度笠、絵に描いたような股旅姿で、新曲「日本全国ドットコム音頭」を振り付きで熱唱だ。やんやの喝采で、そのまま下りる人ではない。「東京ホテトル音頭」を十六番フルで歌っちゃって、テーブル席は大喜びだったが、ホテル関係者はあきれたろうな。

同じ舞台に出てきたのは、落語もできる(って、こればっかし)バーテンダー、小田原丈。本芸(どっちだ)ではなく、オリジナルカクテルの実演販売だそうだ。「黄色いのがいい」という三太楼のリクエストで作った「三太楼スペシャル」、どんな味だったんだろう。酒を飲まない僕はパス。この時点で酔っぱらっていては、後の余興を楽しめないもんねー。

そういえば、今日の招待客は五百人ほど。いたるところに芸人がいる。一人一人「芸」をやらせていてはいつおわるかわからないという判断か、司会の円太郎が名前を呼び上げ、順番に高座に出てきて一言ずつお祝いを述べることになった。しかし、噺家のパーティーである。素直に終わるわけがない。

権太楼が舞台の袖で頑張っていて、芸がありそうなヤツにその場で注文を出す。

左橋の肩に手を回して、「うぐいす」の注文。猫八流に、小指をくわえたポーズで「ホーホケキョ」。う、うまい。最近はこの余興でけっこう人気と聞くが、これはプロはだしである。志ん馬には「こおろぎ」のリクエストが。言われた志ん馬、口を丸めて必死でまねようとするが、「ぐぐぐぐ」とくぐもった音しかでない。「できないなら、やるなよー」と叱声が飛んだ。続いてたい平が出てきたら、「花火やれ」。かわいそうに、たい平、立ったままじたんだ踏むような形で爆発音を出す。痛そうだなー。続いて「修羅場」の注文を受けたスキンヘッドの宝井琴柳、祝いの口上を名調子で語って満場をうならせた。

芸人以外のゲストも多彩である。まず、この間まで日本ハムファイターズにいた野球解説者の広瀬。スキンヘッドでサングラス、開襟シャツにジャケットといういでたちは、どう見たって松山千春である。

「オレが日ハムの一軍と二軍を言ったり来たりする程度の選手だったころ、権太楼師匠と知り合いました。『あんたは肩に力が入りすぎている。もっと野球を楽しんだ方がいい』と言われて、気持ちが吹っ切れた。で、最後は一億円プレーヤーにまでなれたんです。だから、権太楼師匠のためならなんでもします。日ハムは残念ながら最下位です。きっと来年も最下位でしょう。そうなると、オレに出番が訪れるんです。野球をやってる以上、一度は監督をやってみたい。ご期待ください」

おいおい、何の挨拶なんだー。最近、女性歌手とデュエット曲を吹き込んだそうで、今夜はそれを披露するとか。ゲストの女性に頼んで即席デュエットを組んで歌い始めたが、客はみな広瀬の方などみていない。舞台の両わきに、バックダンサーとして、太助、ごん白が登場したのだが、これがつばの広い帽子の他は、蝶ネクタイと黒いブリーフしかつけていないという、とんでもないスタイル。踊るたび波打つ太助のおなかがセクシー、なわけないじゃん!歌の途中で客の視線の先のモノに気がついた広瀬、「きいてないよー」と絶叫したりして。

「次は新沼健治さん、お願いします」という円太郎のアナウンスに会場がどよめいた。どこにいるんだと探したら、目の前のメーンテーブルにちんまり座っているではないか。あまりにフツーのおじさんなので、ぜんぜんわからなかったのは、僕だけではないはずだ。久しぶりに見るが、少し髪の毛が寂しくなった以外は、あまりかわっていない。

「今日は何歌うかなー。『嫁に来ないか』ってのもヘンだしねー」

という事で「北のナントカ」という歌を歌い出したが、いきなり音程を狂わせて、「すみませーん、もう一度初めからお願いしまーす」と叫んでいる。

続いて上がったのは、大相撲の大至。「さっきまで、どきどきだったのですが、目の前でプロの歌手のヒトが間違えてくれたので、ほっとしました。新沼さん、ちいさいころからテレビで見ています」と、なんだか頼りない挨拶だったが、祝儀の「相撲甚句」は絶品。よく伸びる、艶のある声で「三太楼ものがたり」を歌い上げた。市馬の「どすこい、どすこい」も効いていた。

噺家勢は、お約束が二本。国歌をバック音楽にしての「さる高貴な人のモノ真似」は柳家さん八ならではの芸だが、今年はそれだけではなく、新芸「プロジェクトX」を披露。あのNHKの人気番組の、田口トモロヲ(だったっけ?)のナレーションをまねしつつ、三太楼の生い立ちを紹介する。

「畠山太郎(三太楼の本名)は、生徒の大半が現役で大学へ行くという船橋高校を出て二年浪人して日本福祉大学に入った。愛知県知多半島では有名だが、関東では・・・・・、だれも知らない」

「太郎は、大学を中退して柳家権太楼の門をたたいた。権太楼は・・・、とまどった。当時、権太楼の娘は十二歳。もし、こいつが娘とどうにかなったら・・。しかし・・・、『その時は、結婚させちゃえばいいのよ』という妻の一言で、太郎の入門を許した」

聞けば、さん八は、この新ネタを橘家文吾改め文左衛門のパーティーでもやったそうだが、乱暴な逸話の多い文左衛門バージョンは爆笑モノだったそうだ。

最後は、やはり「歌う馬頭観音」。柳亭市馬の長篇歌謡浪曲「俵星玄蕃」である。毎年、演芸界のおめでたとなると、ひっっぱりだこの余興なのだが、今年は方々に招待されているのに、「やってくれという注文がない」(本人談)。やる方も聴く方も、待ちかねた~という大ネタ。たっぷり聞けました。満足満足。

フルコースのディナーが終わっても、延々と続く余興。最後の挨拶が始まった時には、みんなそうとうくたぶれていたが、お礼の挨拶を述べようとして絶句した三太楼を見て、もらい泣きをしそうになった。

「(あふれる涙を抑えながら)すみません、すみません。しゃべる商売なのに、こんな時に何もできないなんて・・・。勉強して、次はなんとか・・・」

見かねた三太楼の父親がマイクの前まで出てきて、

「こいつは昔から泣き虫で」

 ぎゃははははと笑いが起こる中、さっきまで口をへの字にして、懸命に涙を来られていた権太楼がマイクを奪い、

「こういうときは、親が出しゃばるんじゃねえ!」

温かくて、にぎやかで、楽しい、いいパーティーだった。

 

つづく

 

 


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