東京寄席さんぽ八月下席

 毎年この時期になると考えるのだが、夏の寄席用語(そんなカテゴリーがあるのか?)として、定着させたい言葉がある。

 「中席疲れ」である。

 夏場の寄席で最も重要視されるのは、お盆興行が含まれる八月中席だろう。盆と正月は、興行界の<数少ない>かき入れ時である。とーーーーーーぜんのことながら、劇場は「これでどうやー、もんくあったらいうてみー」(多少大阪弁が入っているのは、これをこれを書いている場所が大阪・千日前のミスドであるせいかもしれん、それにしてもピーカンキャラメルロールはべたついて食いにくい。キーボードについちゃうし)と力入りまくりだし、客は客で「年に一度の寄席見物じゃ、ええもん観たいのー」とやはり力みまくってやってくるのである。

 前回にも並べたが、浅草の住吉踊り(ああ、志ん朝さまーっ!)、鈴本の<さん喬・権太楼>、国立の円朝、池袋の怪談に、ちょっとアレだが新宿末広亭のハワイアン。こんだけの企画物がならぶのですよ。浅草に来るのは住吉の時だけという常連さん、今日は鈴本明日は池袋というマニアさん、よくわかんないけどお盆だから一番近い末広亭に来たという東京西部方面 のビギナーさんなどなどなど、いろんな人々が寄席にやってくるので、連日かなりかなりの盛況となり「これが毎月のことであれば」と高座の噺家を嘆かせたりするのである。

 この、嵐のような八月中席が終わり、次に来るのは、八月下席なのである。べつにいいじゃん、順番通 りだもん。そうじゃない、そうじゃない。そんなことを思っている人、八月下席に行ったことあるんですか? これがねー、入らないんですよ。ほんとに。

 でもね、考えてみれば、もっともなことかもしれない。八月中席のチョー強力な番組を見まくった結果 、全国三千万人(三千人か?)の寄席ファンの皆様は、疲れきってしまうのだ。実際、連日狭くて硬い体はだるいし、いろいろ浪費した結果 、懐は、はや秋の空である。そのうえ公休はもう残り少ないのである。今年の場合、九月下席から落語協会の真打披露興行が始まってしまうのだ。ま、しゃーねーから、八月の下席はおとなしくしてるか。こう思うのが、一般 的な正しい社会人というものではないだろうかと、納得できるのである。しかし、しかしなのですよ。親愛なる同志諸君、鈴本の夜の部を忘れてはいないいだろうか?毎年八月下席の夜の部は、五街道雲助がトリで長講をやってくれる、とーってもニヤリな番組なのである。それなのにそれなのに、世間の皆様は「中席疲れ」で腰砕け。日がわりでネタを変え、時にはかなりのレアネタを交え、五十分、あるいは一時間近くも熱演する雲助の前にいるのは、(鈴本としては)ぱらぱらの客なのである。これはもったいないぞー、みんな雲助を見に行こーと、ささやかながら口コミPRをしているんだが、泣く子と住吉踊りには勝てないんだよなー。

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 てなことを考えている僕自身が、今年も中席疲れにおそわれている。住吉に、さん喬・権太楼にと出かける隙に、東京人の落語特集の原稿やら、「正楽寄席かるた」の文案つくりやら、あ、そうそう、本業のほうもなにかと忙しかったのだ。さすがに体はしょーじきで、八月も下旬に入ると、ちょいと疲れが来るんだよなー。

 のこってる公休を土日にくっつけて、五日ばかりの夏休みをとったが、雲助が雲助がとぶつぶつ言いながら、ごろね半分、原稿書き半分で終わってしまいそうなのだ。

 休みの間に一日でもと、鈴本突撃準備をしていた二十二日、思わず来客があった。ぬ あんと、台風さんである。西のほうからのろのろのろのろ。天気予報によると、土日においでになるはずが、のびにのびになって、今日の昼過ぎから夕方ぐらいには東京近辺で嵐を呼ぶ(当たり前か、嵐なんだから)予定という。そんじゃあ鈴本はどうなるのか。取りあえず電話をしてみたが、どうしたことか誰も出ない!あれー、鈴本、学級閉鎖なのかなあと考えているうちに、眠ってしまった。し、しまったー!雨のふる日はよく眠れる。外はどうなっているかとみると、あれれ、雨も風もすっかり収まったようで、穏やかな夜なのであった。

 あーあ、中席三日目も鈴本に行けずかあ。みんなに「鈴本の雲助見に行くぞー」と宣言してしまったのに、もしも一日も行けなかったら、ざまーねーな。そうだ、正楽さんと打ち合わせをしなくちゃ。遅れている「寄席かるた」の残り二十三枚をどーしましょーと電話をかけたら、「あ、そんならあさっての午後、どっかの寄席で渡しましょ」と軽い返事が帰ってきた。今回は仕事、進んでいるらしいぞ。結局、二十三日の鈴本昼席で回収することになった。

 「ところで師匠、今日、寄席やってたんですか?」

 「あ、寄席ね、今日朝の十時ごろに協会から電話があって、協会の出てる寄席はみーんな中止ってことになったの。夕方からひどくなるって言ってたからね。でも、台風、さっさと行っちゃって、夕方にはおさまってたよねー」

 「あ、そーなんですかあ」

 雨がやんだからって、鈴本まで行った正直者たちがかわいそうだ」

 翌二十三日は、新真打十人がそろう、落語協会主催のパーティーが東京會舘で行われたが、お呼びがかからない僕は家で原稿書き。自分でも不思議なほど段取りがよく、夕方上野へ向かう。おお今日は久々に浅い出番から見られそうだと思ったら、なんと五時三十分に鈴本着。いやあ、二ツ目の出番に間に合うなんて何ヶ月ぶりだろうと、ヒソカに感激しつつ入場した。

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 八月二十三日<鈴本・夜席>

 駒七:子ほめ

 とし松:曲独楽

 菊丸:親子酒

 玉の輔:動物園

 円窓:ぞろぞろ

 ゆめじうたじ:ウナギ

 馬の助:手紙無筆

 文朝:錦の袈裟

  仲入

 元九郎:津軽三味線

 佐助:お菊の皿、奴さん

 主任=雲助:猫定

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 夜席の入りは・・・、やっぱし良くない。全部で五十人ぐらいかな?まだ始まったばかりだけど、ほんとに中席疲れなんだよなーと思いつつ、真ん中の席を三つほど確保、だらりとリラックスしつつ、ワープロの打ち過ぎであんまし感覚がなくなっている右手の中指をさすった。さあ今日はゆっくりみるぞー。

 まずは二ツ目、飯田橋に愛の巣を作ってラブラブだとう噂の駒八だ。なんだかちょっとやせたみたい。芸のほうは、かつての雲助完全コピーを抜け出して・・・、やっぱりまだ似てるな。

 「子ほめ」の後半、大人をあきらめて、子供をほめに行くくだりが楽しい。

 「おーい竹、いるかあ?おめえんとこ、子供が生まれたんだってなあ」

 「ああ、やなやつが来た。また後にしてくれ」

 「そんなこと言うねえ。なんとか生きてるうちに見てーじゃねーか」

 いやはや豪快豪快。

 曲独楽のとし松は、いつも紋付袴で、きちーんとしているのだが、芸をする時、そでがめくれて、下から長袖のシャツが出てくる。それが明るいブルーってのは、どうも雰囲気が出ないなあ。キセルの雁首の先に独楽を立てて、ぐるぐる回す「風車の独楽」。紋之助も同じ芸をやるが、とし松の独楽は、紋ちゃんのよりかなり小さい。どっちが難しいのかしら?

 菊丸はまくらは、台風の日の鈴本臨時休業の話題だった。

 「昨日はここも休んだんですよ。十時半ごろ、協会の人から電話があって。おお、そーかって、我々の間では大事件だったんですが、テレビ見ていると東京ドームとか西武球場とかが休みだとニュースで言ってましたけど、鈴本演芸場が休みだとは、どこも言ってなかったですねー」

 はははは、そうだろうなあ、やっぱり。「親子酒」の息子が酒を飲まされるお屋敷が、「麹町の中沢さんち」だった。

 菊丸が下り、めくりを直す前座をなんとなく見ていてびっくり。なんと桂三木助にそっくり。黒ぶちのメガネに大きな鼻、ちょっと野暮ったくなった三木助という感じ。「かぬ う」という名らしいが、三木助がいなくなって、入れ替わりに彼が登場した。なんだか妙な感じである。

 玉の輔がまばらな場内をぐるっと見回して、クールに話し出した。

 「これだけ入ってれば、超満員ですよ。今度来る時は、お友達を連れてきてくださいね。そうすれば倍倍ゲームで、いつかいっぱいになる。でもね、その当人が二度とこない・・」

 ネタの舞台となる珍獣動物園の売り物は、「紅白のパンダ、いい匂いのするスカンク」だと。

 最近、円窓の語りだしは、ほとんど仏教関係の話である。

 「寄席の近くには名のある神社仏閣があるんです。この近くには上野寛永寺があります。神仏にもシャレがあるんですね。お願いをして、その願いが叶う。この叶えるという字は、口ヘンに十ですよ。これは形から来たもので、拝む動作です。両手をそろえて、これが十。それを口に持っていくんです。口ヘンに十でしょ」

 客席が「なーるほど」と感心したところで、不思議なご利益の噺「ぞろぞろ」に入っていく。円窓もそういう噺が似合うようになっまだ老け込む年ではないはずだが。

 次はゆめじうたじの漫才だ。

 「僕はね、昨日、鰻屋に行ったんですよ」

 「なにしにー」

 あ、いつものアレね。

 どなるような大声と、愛嬌のある童顔が特徴の馬の助。「手紙無筆」を元気に演じた後は、いつもの百面 相だ。えびす大黒、花さかじいさん、ぶんぶく茶釜・・。一番ウケたのは、顔を花火にたとえて、おでこにマッチをつけてパチパチパチとやる「線香花火」だった。

 まくらといい、ネタといい、文朝のすっとぼけた高座は、「寄席に咲いた一輪の白百合」(「はなしか横丁」のキャッチフレーズ、なつかしー)である。

 「昔から寄席には格言がありまして、八月二十三日の客を大事にしろというんです。偶然今日が八月二十三日なんですな。(ぎゃはははと大笑いの客席に)笑ってる場合じゃありません。客席には客席のしきたりがありまして、八月二十三日に来た客は、今年中に七日寄席に来ないと、たたりがあるという・・・」

 とぼけたまくらは、さらに続く。

 「女郎買いといいまして、じょーろかい。言ってて気持ちいいですな。じょーろかい。はい、お客様もご一緒に・・。昔は吉原という、これがまた、いいワラでして」

 こんなんで「錦の袈裟」に入っちゃんんだから、文朝はすごい。「錦のふんどしの揃い」という趣向で、町内で吉原に行く話がまとまったが、与太郎が「おかみさんにお伺いをたてないと」と言い出す。

 「だってさ、うちのおかみさん怖いんだよ。あたいが何か言うとね、ぶつ、なぐる、蹴る・・。最近は、あたいもね、血を見ないと嬉しくないという・・」

 文朝のそういう言い方、好きだなあ。

 仲入休憩の後、食いつきに元九郎が三味線抱えて出てきた。本来の出番は、綾小路きみまろだ。僕はこの、きみまろの高座をまだ見たことがない。実は今回の芝居のお目当ての一人なのだが、今日は縁がなかったか。

 ところで、仲入の後の番組は、色物、落語、落語と、かなり変則である。演芸を一本少なくしてトリにたっぷりやらせるというのは、よくあることではあるが、ひざの色物がないというのは、どうにも落ち着かない。特に今回はトリがディーーーーーーープな雲助である。ひざでの気分変えは筆用ではないのだろうか?高座の佐助もそう思ったのだろう。一席終わって立ちあがると、恐る恐る、踊りだそうとするのだ。

 「えーっ、ここでアタクシ、踊らせていただこうと思うのですが、突然決まった事なんで、この中に日本舞踊なんか、習っている人いないでしょうね。ええ、踊ってよろしいでしょうか?(しばし客席に沈黙が流れて)・・・何も反応がないと、やっていいものやらいけないのやら、やっていいですよね?」

 ここでやっとこパラパラと手がなって、ほっとしたように佐助が踊りだした。それにしても、遠慮しいしいである。たしか去年かおととし、雲助、佐助の喧嘩かっぽれを同じ芝居で見せてもらった記憶があるが、あいかわらず血圧が高くて節制中と噂の雲助、もう踊らないのかなー。

 佐助懸命の露払いの後、お目当ての雲助が登場した。

 「えー、今晩のところは由来ばなしというものを。両国の回向院にねずみ小僧の墓がありまして、この脇に猫塚というものが・・」

 マクラを聴いただけで、ネタが分かった。「猫定」である。そんなレアネタを、どうしてマクラを聴いただけでわかるのかというと、これは自慢でもなんでもなく、僕はこの「「猫定」という噺が大好きなのである。

 もちろん、珍しい噺だけにそんなに数を聴いているわけではない。もう、いろんなところで話をしているが、僕は学生のころ、円生を追いかけまわしていた。末広亭の定点観測では居眠りばかりしていた僕ではあるが、円生だけは別 である。出ばやしの「正札付」が流れただけで、背筋がピーンと伸びてしまう。円生の高座だけは、聴くのではなく、聴かせてもらう、のである。

 落語研究会、東横落語会、紀伊国屋寄席と円生を追いかけ、それでも足りなくて家に帰れば、なけなしの金を叩いて入手したカセットテープを聴く。その中で、妙に気に入ったのが「猫定」なのだった。ばくち打ちの魚定が、殺されそうだった猫を助ける。この猫が丁半博打でサイコロの目を当てることを知った魚定は猫を博打場に連れて行くようになる。人呼んで「猫定」。しかし、いい日は長くは続かなかった。若い男を作った女房が、この猫定をなきものにしようとしてーー。

 特に面白い噺ではない。盛り上がりの少ないない、地味な物語で、後半、へんてこな怪談趣向になるなど、全体のバランスも悪い。それでも僕は、「猫定」を何度も繰り返し聴いた。江戸の片隅でひっそり生きるばくち打ちと、はぐれ猫の奇妙な友情。定が猫に丁半ばくちを教える長い独白も、さらりと流してはいるが、噺の「行間」に、何ともいえぬ 古風な味があって、心惹かれるのだ。円生が生きているうちに、生の「猫定」にはめぐり合えなかった。その後、円窓、円弥、雲助で聴いたが、古風な悪なら、雲助だろう。この日の雲助も、ぞくぞくするような、出来だった。おかみさんに魚定殺しを頼まれた、ちんぴらのセリフがいい。

 「おかみさん、あんないいご亭主がいなさるのに、あっしのような風吹き烏と一緒になろうと言ってくださるんですかい?」

 風吹き烏、いい言葉だなあ。

 この人数で、この芸を聴くのは、さびしい。でも、考えてみれば、これは、かなりの贅沢なんだよなーと、人が思っているのに、コラコラ前列のオヤジ、噺の途中で帰るんじゃないよー、ったく。

 終演後、玄関前のそこここで、「よかったねー」「ぜーたくぜーたく」とうなづきあっている。僕も当然その中の一人で、車の雑誌の編集者でおおらかな大食漢であるH田さんと話していた。

 「明日は、雲助師がお休みで、さん喬さんの代バネなんですよねー」

 「そうそう、なんとかやりくりして来ようと思ってるんですよ」

 「僕もなんですぅ。何やってくれますかねー。唐茄子屋(政談)なんて、いいですよねえ」

 「僕は幾代餅だと思うんですよ。このごろ疲れてる見たいだし、安全パイを出してくるんじゃないかなあ」

 競馬の予想のような話をしていると、着替えを終えた雲助が出てきた。

 「師匠、今日はまた猫定なんて珍しい噺を・・」

 「へへへ、たたられないように、気をつけてね」

 続いて出てきたのは佐助である。

 「ごくろーさんでした」

 「いやあ、どうもー。今日の『お菊の皿』、考えてみるとお化けですから、『猫定』とかぶりますよね。師匠に言ったら、『いーよいーよ、そんなのかまわないよ。お化けったって、笑えるやつなんだから』っていってましたけど。それより今日、踊ってよかったんですよね?」

 「なんでそんなこと客に聴くんだよー」

 「いや、その、ひざはなんかないとねー。ほんとは今日なんか怪談なんだから、師匠の後、みんなでかっぽれかなんかやればいいんですけどねー。師匠は、『おれはやんないから、お前何か踊れ』って。でも、師匠の後に僕だけ踊ってもねーと思って、ひざで奴さんやったんですけど」

 「いいじゃんいいじゃん。奴さんだけじゃなくて、明日はあねさんも踊ってよ」

 「そんなのできませんよー、かんべんしてくださいよー」

 明日も来るよと佐助に約束して、家路についた。夏の終わりの風が、さわやかな夜だった。

    ● ▲ ■ ◆

 翌日の二時ごろ、鈴本のロビーで、正楽さんの「寄席かるた」の紙切り原稿をいただいた。いい出来である。これでようやく四十七枚全部がそろった。お礼の言葉もそこそこに、モギリのねーさんに「夜、また客で来ますから」と挨拶だけして、神田神保町の奥野かるた店に、原稿を持っていった。夕方、再び、鈴本へ。「寄席かるた」も、これでとりあえず一段落したし、今日はゆったり楽しめそうだ。今日はさん喬の代バネだ。考えてみると、雲助は初日を務めて、すぐ台風で休み、それで一日やったら、代バネである。四日目にして、まだ二日しかやってないじゃないの。

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 八月二十四日(金)<鈴本・夜席>

  紋之助:曲独楽

  菊丸:親子酒

  玉の輔:生徒の作文

  円窓:後生鰻

  ゆめじうたじ

  馬の助:権兵衛狸&百面 相

  文朝:熊の皮

   仲入

  勝之助勝丸:太神楽

  円歌(飛び入り)

  佐助:粗忽の釘、奴さん

  主任=さん喬:幾代餅(雲助の代バネ)

     ● ▲ ■ ◆

 場内に入ると、ちょうど紋之助の「風車」が終わるところ。ただいまの時刻は、五時四十五分。いやあ、寄席見物は、やっぱり始めからみなくちゃねー。お彩 りの「奴さん」だが、昨日よりはだいぶ落ち着いて、様になっている。

 菊丸の高座は、「寄席もね、この辺まで来ると、『何時までたっても、テレビに出てるやつが出ないじゃないかー』って怒る人もいるでしょうが」なんてマクラから、本題の「親子酒」まで、昨日とまーったく同じ。一字一句といってもいいほど、同じというのが、それはそれですごいと思う。聴いてて、面 白くはないけど。

 玉の輔のマクラも似たり寄ったりなのだが、この人の場合、場の空気を読めるというか、客を見て微調整をするんだよね。

 「高座でうけないとね、くそー、今日は一生懸命にやったのに・・。今度はもっと勉強して、絶対ウケさせてやると誓う噺家は、いません!今日の客バカ、でおしまいです。もしも、もしもですよ、そういう風に思われたくないなら、面 白くなくても笑ってください」

 玉の輔はこのあたりで、最前列と、二列目に陣取ったオバサン客がやけに元気がいいのに気がついたらしく、以後、前二列を集中攻撃である。

 「僕のともだちにね、伊藤君ってのがいるんですよ。(目の前のオバサンに)ご存知ですか?学校にね、二宮金次郎の銅像があったから、『伊藤君、あの人知ってる?」って聞いたら、「二宮金次郎だろー、自殺しちゃったんだろ?』って、田宮次郎と間違えてました。(また最前列に向かって)面 白いですか?まだ、あるんですよ。伊藤君と町を歩いてたらね、工事現場で急にヘルメットかぶって、穴を掘り始めるんですよ。『何やってんの?」って聞いたら、『ほらあれ』って横の看板を指差すの。よく見たら『工事中につき、ご協力ください』って書いてあった・・」

 玉の輔の丁寧なフォローで、オバサン達はやんやの喝采。本題の「生徒の作文」もがんがんウケまくっていた。客席がにぎやかなのはいいのだが、それにしてもオバサンたち、ちょっとはしゃぎすぎなんだよなー。ええい、やかましいぞー。

 円窓は、昨日と話の中身は違うが、やっぱし仏教法話のマクラをたっぷりと。

 「仏教にもマクラがあるんですよ。まくら経といって。それから、前座。法話の前半を受け持つ若い坊さんのことを、前座と書いて『まえざ』というんですね」

 前のほうのオバサンたち、仏教の話はおとなしく聞いているが、途中、円窓が駄 洒落などを挟むととたんに拍手拍手で大喜び。仏教の話だからではないのだろうが、拍手の手の位 置が高くて、なんだか円窓を拝んでるみたいだな。

 「後生鰻」の後は、ゆめじうたじの「鰻は和食かようしょくか?」である。この場合は、ネタがつくとは言わないんだろうなー。

 マクラが昨日と同じかどうか、という考察になると、仲入前の文朝を忘れてはならない。おなじなんだけど、ちがうんだよねー。

 「昔から寄席には格言がありまして、八月二十四日の客を大事にしろというんです。偶然今日が八月二十四日なんですな。(ぎゃはははと大笑いの客席に)笑ってる場合じゃありません。客席には客席のしきたりがありまして、八月二十四日に来た客は、今年中に七日寄席に来ないと、たたりがあるという・・・」

 昨日と違うのは、二十三日が二十四日になったことだけ。こういうマクラをぬ けぬけとふるところが、いかにも文朝である。このタヌキオヤジがー。

 本題の「熊の皮」は、おそらくこの人の十八番ネタ。ものすごくオソロシイおかみさんの待つ我が家に帰ってきたのは、人の良い甚兵衛さん。おそるおそる「ただいまー」と声をかけると、くだんのかみさんが「あら、帰って来たのー?いいんだよ、帰ってきても」。ふふふふふ、文朝、好き。

 仲入休憩がすんで、食いつきの太神楽が終わって、さて、終盤の落語二席である。前座がめくりをひっくり返して、出てきた名前は「円歌」である。なに間違ってんだよー、円歌会長は病後のこともあって、今ほとんど寄席に出てないじゃんと心の中でツッコんでいたら、本物の円歌が出てきてびっくり仰天である。

 「本当に俺が出てくるとは思わなかったろー」と、いたずらっ子のような顔で笑っている。嬉しい飛び入りに、客席は大喜びである。いつものあのネタでわっとわかせ、「今日はこれまで。後は若者二人が頑張りますので、どうぞよろしく」と気持ちよさげに帰っていく。ここらへんのカンロクはさすがである。ん?まてよ、この後の出番は、佐助と、さん喬だよね。若者二人というのは・・・・。円歌の中では、さん喬はまだ「若者」なのか!

 「ええっ、円歌会長の後にアタシが上がるというのは、寄席の世界ではありえないことで・・・」と恐縮する佐助に、前列のオバサンから「がんばれ~」と間抜けなタイミングで声援が飛ぶ。ただでさえやりにくい状況なのに、話の腰を折られて、佐助はいかにもやりにくそうだ。善意の人たちであるだけに困った客なのだが、おそらく本人たちは、気がついてないだろうなあ。

 さて、おまちかねの「若者」さん喬である。とんとんと軽快なマクラで調子に乗ろうとしたとたん、前列のあの人たちが、さん喬の話にこれまた間抜けな相槌を打ってしまった。いったんズッコケたさん喬、すぐに立ち直って、オバサンたちをいじりだしたが、明らかにやる気をそがれた様子。自由奔放なオバサンたちをみながら、さきほどから漠然とした不安を覚えていたのだが、トリの高座でほんとになってしまった。ああ。

 さん喬のネタは「幾代餅」。「目をつぶっても出来る」と本人が公言しているように、さん喬落語の中では、一定のレベルを保ちつつも「逃げ」ネタなのである。

 ああ、「唐茄子屋」が聴きたかったなあと、ちょっぴり失望したが、「幾代餅」がつまらないわけでは毛頭ない。むしろ、さん喬の芸風には最もよく合ったネタの中の一つなのだから、きちんと聴くぞ。と、今日の「幾代餅」は、いつもとちょっと感じが違う。絵に書いた花魁に恋患いをするの清蔵のテンションが、いつもより低いのである。叶わぬ 恋という事実を比較的冷静に受け止め、初の吉原行きにも浮かれた様子は見せない。この、妙に思索的、内省的な清蔵が、身分を偽って幾代大夫にあい、こらえきれずに真実を告げる時に、今まで抑えに抑えていた感情を爆発させるのである。いつもの、甘く優しいメルヘン恋物語が、今日はやけにドラマチックである。前のオバサンたちのチャチャが、さん喬にこういう「幾代餅」をやらせる導火線になったのだとしたら、これはいい客なのかもー。

 終演後、木戸のところには、さん喬ファンのあの顔、この顔がぞろぞろ集まっている。

 後から出てきたさん喬がこの顔ぶれを見て、「なんだ、こんなにいるんだったら、他のネタにすればよかったなー。いや、前の列の客に頭きちゃって」と、言い訳モードだ。

 「でも師匠、今日の『幾代餅』、いつもと感じが違いますよね?」

 「そうそう、途中で、あれ、清蔵がこんな調子が低くていいのかなって、感じだったよね。でも、低調子でやってって、吉原で一気にばーっとやる。こういうのもいいなと思ってね。ま、立ち話もなんですから、これで。疲れたな~」

 前のめりで、せかせかと歩く、あの高座の出と同じかっこうで、さん喬は池之端のほうに歩いていった。

     ● ▲ ■ ◆

 不思議な落語会がある。馬桜、玉 の輔、新潟という、何がどうつながっているのかわからない三人が年一回、もう十三年も続けている「楽屋噂ばなし」である。馬桜が二ツ目時代の玉 の輔の才気を感じ、玉の輔がまだ前座だった新潟の異才に注目したことがすべての始まり。十三年前、馬桜と玉 の輔が、会を開く了承を得るため、玉の輔の師匠である小朝宅を訪ねると、玉 の輔が中座したのを確認した小朝が、馬桜に小声で聞いた。「兄さん、なに、あさ市(玉 の輔)に弱み握られたんですか?」

 その「噂ばなし」の会で、新潟の真打披露の口上をやるという。主役が新潟で、口上を述べるのが馬桜、玉 の輔の曲者二人。これは行かなきゃと、早めに池袋に行った。最近はちゃんと開演時にいることが多いので、自分をほめてやりたい。考えてみれば、当たり前のことなのだが。

     ● ★ ■ ◆

 八月二十七日(月)

 <新楽屋噂ばなし>@池袋演芸場

  さん角:真田小僧

  馬桜:連絡事項

  鼎談:馬桜、玉の輔、新潟

  玉の輔:船徳

   仲入

  口上:玉の輔、小田原丈、白鳥、馬桜

  馬桜:品川心中・上

  白鳥:品川心中・下

     ● ▲ ■ ◆

 前座のさん角、ちゃんと噺を聴くのは、これがはじめてのことだ。師匠のさん喬や、兄弟子の喬太郎が、のべつ、さん角の失敗談をネタにしているので、正直言って「バカ」という印象しかなかったのだが、落語は意外や、きちんとしている。さん喬十八番の「真田小僧」を、妙な癖もなく、すっきりと演じたりしてるのだ。ちゃんと出来るのはけっこうなことだが、何か失敗してくれないと、ものたりないではないか。

 続く鼎談は・・・・、恐ろしくてとてもかけません。三人のうちの誰かが何か言うたびに、他の二人が、「僕はいなかったことにして」「インターネットでは書かないように」「僕だけ反対したことにして」と逃げまくる。何をどう書けっちゅうんじゃー。

 というわけで、もう仲入前の玉 の輔である。「今日が正真正銘のネタおろし」という「船徳」である。

 型どおり若旦那のマクラから入って、船宿の二階の「船頭になる」宣言、他の船頭たちの失敗談と快調につなげて、いよいよ噺は本題へ。「四万六千日、お暑い盛りです」という名セリフを、どこでどう間違ったか「四万三千日・・・」とやってしまった!

 一瞬客席が凍りつきそうになった時、「あははは」という笑い声が。これに救われたのは玉 の輔だろう。さっそく声の主に「笑うとは何事ですかっ!若手が一生懸命ネタおろしに挑んでいるというのに」と突っ込んで笑いを取り戻した。こういうとっさの舵取りが出来るのも、玉 の輔の感度のよさである。

 あとはギャグ沢山の玉の輔ペース。若旦那が竿を使いながら「君が代」を口ずさんだり、大川に出るあたりで船がぐるぐる回る場面 では「この辺は三度ずつ回るんですよ」「三度なんてもんじゃないだろ、もっと回ってるぞ」「ええ、いつもより多く回してます」。 「お客さん、ごらんなさい。橋の上でボーッとしているのがいるでしょ、イナガキくんっていって、船頭仲間なんですが、この間ちょっとごたごた起こして謹慎してるんです。で、しょうがいないから、ふだんは家でゴロゴロ・・。これ、さっき思いついたんで、いいサゲじゃありません」この後、このゴロウちゃんが「徳さんひとりかーい、大丈夫かーい」という、あのセリフを言うのである。まだまだ未完成で、噛むところもあるのだが、近い将来、面 白い「船徳」に仕上がりそうな気がする。

 仲入休憩時、ロビーで、「披露興行二千円チケット+白鳥の歴史読本五百円」計二千五百円の「バリューセット」(玉 の輔の命名)を、新潟改め白鳥本人が店頭販売していた。「白鳥の歴史読本」は、白鳥のネタや昔の写 真などが載った薄っぺらな小冊子。披露興行の割引分は寄席ではなく本人が負担するのだという事実(あったりまえだ)をつい最近知った白鳥が、「チケットの損を埋めなければ」と急遽こしらえたものらしい。

 さて、披露口上。例の三人に、一門の後輩、小田原丈が加わった。しかしカンロクのないゲストである。

 司会玉の輔は、出席者の営業用のプロフィールを見ながらのたどたどしい進行だ。まずは小田原丈から。

 小田原丈「以前私が京都に修業に行って、なかなか帰ってこなかったとき、破門にしようかという話が出たんですが、新潟兄さんが『師匠、ぜひ破門に』と言ったために、へそまがりの円丈が「いや、そこまでは」といって、首がつながったんです。ここで、新真打の秘密を教えましょう。実は・・・、白鳥は肛門の位 置が高いんです。シャワーしてて、後ろから肛門がみえるほどなんですよ。クソする時、パンツはそのままなのに、Tシャツを上げるんです。そーゆーかd体のハンデを乗り越えて、このたび真打昇進という・・」

 白鳥「(あまりのことに立ち上がって)そういうことを口上でいうことないじゃないかー!」

 肛門ネタがあんまし強烈だったので、後の人が何を言ったか、ぜんぜんおぼえてない~。

 後半は、馬桜、白鳥による「品川心中」の上下通 し。もっとも、白鳥演じる「下」は、本来の話ははじめの数分だけで、後はほとんど白鳥の創作。とんでもない、スプラッタホラーなのだ。

 以前に、なかの芸能小劇場で聴いたときより、ずいぶん刈り込んで、時間、内容ともに締まった。前回聴いたむちゃくちゃさが影をひそめたのは残念だが、作品としてはずいぶんよくなっているのだ。さすがに技術はともかく創作力は定評のある白鳥である。死にそこなった金蔵が、心中相手のおそめのところに行って、とーとつに「精霊流し」を歌いだし、相手を気味悪がらせるなんてのもオカシイ。練りこみ方にも、個性があるのだ。

 打ち上げは、東京芸術劇場脇のライオン。案内役の小田原丈は、「みなさーん、僕についてきてください」と自信満々に歩いていって、二十人近い客をまったく違うとことに連れて行った。何の役にもたたぬ 男だ。面白いけど。

 生ビールを上手そうに飲みながら、白鳥が言う。

 「明日の(紀伊国屋サザンシアターの)白鳥誕生祭りでは、『青春残酷物語』をやるんですけどね、『品川心中』と一緒に稽古してたんで、『するってえと』なんて古典の口調が入ってきちゃう。(師匠の)円丈の前でやったら、『お前は古典に魂を売ったのかーっ!」と思い切り怒られちゃって」

 明日も聴きに行くぞ。がんばれよ~。

     ● ★ ■ ◆

 八月二十八日(火)

 <白鳥誕生まつり>@紀伊国屋サザンシアター

  彦いち:聴けず

  喬太郎:聴けず(プチ・フランソワ二号だったらしい)

  昇太:リストラの宴

  円丈:いたちの留吉

   仲入

  口上:昇太、高田文夫、白鳥、円丈、花緑

  白鳥:青春残酷物語

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 夏休みが終わって、方々の会社が動き出すと、さすがに僕らの仕事も忙しくなる。そういう中で連日の寄席通 いは、つらいんだなこれが。じゃ行かなきゃいいじゃんというけど、あの奇人変人異才貧乏自分勝手な白鳥が真打になるのである。この時期彼を見ないで誰を見ろというのだ。あっ、三太楼もいたなあ。

 三十分遅れて会場に到着すると、彦いちも喬太郎もすでに終わっていて、昇太の声がロビーに流れている。慌てて中に入ると、隅っこで立ち見をしている男性にギョロッとにらまれた。目玉 の動きですぐわかる。高田文夫センセイである。あとで、口上に出るんだろう。

 昇太も円丈も、悪いが今日はなんでもいいや。主役は白鳥。口上とトリの高座に期待しようじゃないか。

 仲入後、たどたどしい昇太の司会で、口上の幕開けだ。

 高田文夫「新潟県に『ひょうこ』という湖があって、ここに三種類の白鳥が来るんです。オオハクチョウ、コハクチョウ、三遊亭ハクチョウ。本物のハクチョウは親子の絆が強い。こっちの白鳥は師弟の絆が弱いっ!(脇で円丈が苦笑している)」

 花緑「実は彼とは同期なんですよ(「お前、離されたなー」と高田文夫が白鳥にツッコミを入れている)。家が近いので、よく遊びました。当時から貧乏で売ってまして、よく楽屋から鮭の切り身なんかもらって帰ってました。僕が真打になって、昇太兄さん、志らく兄さんと三人会をやることになった。負けたくないので、白鳥に相談したんですよ(爆笑)。で、志ん朝師匠直伝の『愛宕山』を、白鳥に直してもらいました(大爆笑)。旦那が大の幇間嫌いで、一八が金がすべてというやつ。で、谷の下には幇間の屍がゴロゴロしてるという・・。彼には二つ稽古をつけてもらって、『河童の恩返し』とあと一つ。その時から僕の中の柳家は終わってしまいました」

 円丈「白鳥にはねえ、アタシを乗り越えてほしいです。アタシは乗り越えられたり、踏みつけられたりするのが好きなんです。『円丈、お前、年取ったなあ、ムギュ』『ぐうー』なんてね。最近は、何も知らないころの笑いが影をひそめて、手堅くなってきたのがどうも・・」

 昨日の池袋とはまた違って、爆笑の中にペーソスが漂う、いい口上ではないか。

 さて、超満員で息狂しい、僕も太った男性の隣の補助席でほんとに息苦しい中、やっとこ白鳥の登場である。

 「僕は池袋から徒歩五十歩、びっくりガード脇の平屋のアパートにいたんです。六畳一間で六千円。ここに十年住んでました。ないものが三つあって、ガスに水道に窓。でも、どういうわけか床の間があるんです。住人で日本人は僕だけ。あとは近隣諸国の人ばかり。西武や東武の冷房の熱が流れてきて、夏、外から見るとアパートの周りにかげろうが立ってる。(橘家)文吾と二人で焼きトンの豊田屋で飲んでて、『何か大きい事やるぞー』って、文吾はやきとん屋の看板持って逃げ出した。僕も何かしなくてはと思い、池袋演芸場の「林家こん平」の看板をはがして走ったんです。二人で丸井まで橋って、文吾は『ええい、こんなものー』と看板を投げ捨てたんですが、僕は同業者の看板を投げ捨てるなんてできません。そのまま丸井の塀に立てかけて帰りました。翌日丸井の前を通 ると、人だかりが出来てて、『いつこん平が来るのか』と大騒ぎになってました」

 「青春残酷物語」は、そんな男にぴったりのトリネタ。貧乏学生三人が「青春の証に」と歌舞伎町の高級会員制クラブでタダ飲みしようと企むドタバタコメディだった。

 終演後、脇のロビーを通ると、白鳥の客とは思えない、マニア度の薄い年配の男女が六、七人、「よかったねー」「うまくなったねー」と盛り上がっている。おそらく、新潟・上越市の親戚 縁者だろう。こんなに評判がいいのなら、高田の商店街での真打昇進披露パレードもゆめじゃないぞ。白鳥、上手くなった、のか?

     ● ★ ■ ◆

 三十日。「正楽さんが八月末から一か月、北海道へ旅に行ってしまうので、読売コラム「寄席おもしろ帖」の挿絵紙切りを四週間分、まとめてもらうことになった。いつものごとく、鈴本昼の部の正楽さんの出番の時に待ち合わせ。間に合わなかったら楽屋に置いといてもらうという段取りである。案の定、昼の部に間に合わず。ええい、いいや、今夜はどうせ鈴本で雲助を聴くつもりなのだ。そん時回収すればいいやと思ったが、仕事がたまっていて、夜の部の開演時にも間に合わず、仲入にも間に合わず、結局鈴本に着いたのは七時半過ぎである。すでに、食いつきのきみまろが高座にあがっている模様。あーあ、また彼の芸をチェックすることができなかった。

 そんなことをいってる場合じゃない。入場する前に、正楽さんの原稿をゲットしなくちゃ。テケツのおねーさんにお願いして、正楽さんの「絵」の原稿があるかどーか、楽屋に確認してもらう。

 「(受話器を持ちながら)楽屋では、何も預かってないって言ってますけど」

 どっしぇー。えらいこった。どうしたのだろう。正楽さんが「絵」を持ったまま午後八時ごろまでうろうろしているわけがないし。そうだ、原稿回収場所を末広亭と間違えてのかもしれない。さっそく電話してみよう。

 「末広亭です」

 「げっ、社長。なんでいきなり出るんですか」

 「別にいいでしょー。それよりこんな時間に何の用?」

 「いやあの、正楽さんの絵の原稿がそちらにないかと思って・・」

 「正楽さんなら、さっきまで、この辺うろうろしてたよ。テケツにはないよ。楽屋に直接聴いてみたら?」

 「そうですかあ。じゃまた。失礼します」

 楽屋に電話をかけると、前座さんらしい、はきはきした男の声。

 「正楽さんの絵、そちらに預かってもらってないですか?」

 「お待ちください。(かなり長いことガサゴソ音がした後)すみません、何もないです」

 うわあ、どうしよう。まだ帰ってないとは思うが、自宅にかけてみよう。入場時間が終わったのだろう、木戸を閉めはじめたスタッフが、玄関ロビーでオタオタする僕をふしぎそーな顔で見ている。

 「はい、正楽です」

 「あ、夜分すいません。師匠お戻りですか?」

 「いえまだ。携帯も持ってないし、いつ帰ってくるか・・」

 「そうですか、じゃ電話があったことだけお伝えください」

 こまったなー、明日にはかるた店に耳をそろえてもっていかなくちゃいけないんだけど。ま、こうなったらしゃーないか。明日できることは明日しましょ。今日はこのまま寄席をみて、と思って気がついた。テケツもモギリも閉まってるー。考えてみたら、もともと来たのが仲入過ぎだから、これは当然のこと。さっさと入らない僕がいけないのだ。モギリの横にあるモニターをみると、もうひざがわりの佐助が出ている。

 「あのー、トリだけでもみたいんですけど」

 「もう閉めちゃったから、どーぞ」

 あ、どーもすみません。この借りはいつか必ず。

 エレベーターで三階へ上がり、だれもいないロビーを突っ切って、客席へ入った。

     ● ★ ■ ◆

 八月三十日(木)<鈴本・夜席>

  佐助:締め込み、かっぽれ

  主任=雲助:ミイラ取り

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 そんなこんなで、まともに聴いたのは、雲助のみ。でも今夜は、楽日にふさわしい大ネタ「ミイラ取り」で大満足だった。吉原に居続けで帰ってこない放蕩息子。固い大旦那が、番頭を迎えにやるが、酒と女でたらしこまれて、番頭まで帰ってこない。大旦那は、町内の頭、飯炊きの権助と、次々迎えにやるが・・。単純な筋立てなので、登場人物の演じわけ、酒の飲みわけなど、テクニックの巧拙があからさまにわかってしまう。悪いが白鳥などにはやらせたくないネタである。そんな難易度の高さを少しもかんじさせず、雲助はゆうゆうと「ミイラ取り」を演じている。並々ならぬ 技量は、白鳥の何倍だろうか。もっとも両者を比べる事に、あまり意味はない。どちらも居て、今日の、そして明日の落語界が楽しく、面 白くなるのである。

 八下は、十日間で五日寄席かよいか。

 翌日、正楽さんから「ごめん、昨日はすっかり忘れてた」の電話があった。原稿は、あと数時間で飛行機に乗るという本人が、会社に届けてくれた。「馬」に「イチロー」に「菊人形」に「運動会」。色つきの紙切りは、ほれぼれする出来具合だった。

 つづく

    


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