東京寄席さんぽ一月下席

 21日の昼過ぎに、宇都宮駅についた。思えば僕は、駆け出し記者時代を栃木県で過ごし
ている。宇都宮に二年半、今市に二年いて、東京本社に戻ったが、それ以降は二度ほど統一
地方選の手伝いに借り出された以外は、まったく訪れたことがない。懐かしいといえば懐か
しいし、いろいろな思い出があるといえば、あるには違いないのだが、僕はこの町が好きに
慣れない。僕の二十代は、この町でのサツ回りや地方選挙や高校野球の地方予選や県庁取材
に明け暮れた。記者としての基礎を叩き込まれたことには感謝するが、僕の貴重な青春は、
この北関東の適度にきれいで適度に保守的で極度に文化情報が少ない県庁所在地で、燃焼で
きたとは言いがたい。まあ、それは僕自身、あるいは新聞社勤務というの状況のせいであり、
栃木&宇都宮にとっては言いがかりなのかもしれないが。とにかくっ!
 僕にとっては、ときめきのない町だったのである。  そんな宇都宮にどうして舞い戻っ
てきたのか。小朝を聴くためである。宇都宮には、清水一朗さんという、何と説明すれば
いいか、高名な演劇研究家であり、かつ天狗連の元締めでもあるという、栃木県における
ソッチ方面の大ボス的存在の御仁がいる。その清水さんが代表世話人をやってる「落語を
聴く会」の正月例会として、小朝の会が開かれることになり、ひょんなことから機関誌に、
僕が小朝についてのアレコレを寄稿するはめになったのだ。小朝にはあまり面識がなにの
だが、僕と小朝とは同じ年の生まれで、こっちが宇都宮でヘッポコ新人記者をやってるこ
ろから、テレビやラジオで人気者だった小朝には、あこがれとも嫉妬ともいえる、何とも
言えない感情を持ちつづけている。そんなところを「わが生涯のライバル」なんという恥
ずかしいタイトルで原稿に書いたら急に小朝の高座が見たくなったのだ。埼玉県の西の端
っこにある僕の家から宇都宮までは、うまく接続して一時間半。ひとつ地方公演つーのを
見てみるかと、腰をあげたのだった。
 前日の雪はまだ残っているが、宇都宮はからりと晴れて、日差しも思いのほか強い。会
場の文化会館へ行くバス便が少ないので、やむなくタクシーに乗る。千数百円もかかって
しまった。
 髪に白いものが増えたが、相変わらず元気いっぱいの清水さんに挨拶して、満員の二階
席へ。座ると同時に、歌武蔵が大きな体をゆすって登場した。
 <円太郎 歌武蔵:漫談 小朝:がまの油・時そば 仲入 勢朝:漫談 小朝:たいこ腹>
 会場は年配の夫婦連れが多く、歌武蔵、勢朝の漫談がよくウケる。お目当ての小朝は、
オレンジの着物に袴という派手の衣装で、釈台を出しての(講釈ネタでもないのに、なん
で釈台なのだろう)口演である。前席は中トロのネタを続けてニ席、後席は手馴れたネタ
をさらり、という構成である。  二時間ちょっとの会を見た感想は、申し訳ないが、「こ
んなものか」というものだ。漫談と小ネタのオンパレードで、それも寄席で聴きなれたも
のばかり。何の新しさも、冒険もないし、この日の出来も(小朝レベルとしては)可もな
し不可もなし。いわゆる手堅い構成というやつで、全国区人気があり、常に爆笑を要求さ
れる小朝としては「これで何が悪いの」ということだろうが、最近では地域寄席の浸透で、
地方に耳の肥えたファンが増えているという現状を、小朝はどうみるのだろうか。年に一
度あるかないかの「生・小朝」がこれでは、せっかく育ちつつある落語の新芽を摘むこと
になりはしないだろうか。「やっぱ、小朝はテレビと同じ。面白いなあ」と笑う大多数の
善男善女と、「小朝さんって、こんなもんなんですかねえ」と首をかしげる少数派の若い
客。数の比較だけを考えれば、何の問題もないのかもしれないが。
 24日は、銀座・中央会館の「昇太の会」に行く。音協主催で大きな会場ということも
あって、いつもの昇太独演会とは微妙に違う客層である。ことによったら、「生・昇太」
初めて、新作落語初めて、という人も多いのではないか。昇太も前説の段階で、気がつい
たのだろう。ぶっとんだギャグやオーバーアクションをいつもよりは控えめにして、じっ
くりハナシを聴かせる方向へと、軌道修正をし始めた。
<昇太:前説 北陽:芝居の喧嘩&レモン 昇太:人生が二度あれば 仲入 昇太:御神
酒徳利>
 前席は、昇太の新作の中でも、老若男女にまんべんなく受けるネタを持ってきた。後席
は古典落語で、ギャグよりもストーリー展開で聴かせるものを選んだようだ。噺家には、
その日の客層に合わせてネタを選ぶという習性がある。小朝も昇太も、その点は同じなの
だろうが、いつも出来あいの「お手軽安心セット」を持参する小朝と、手堅いくいこうと
しながらも「花緑に習ってまだ二度目の口演」という御神酒徳利をトリに選ぶ昇太、どち
らに肩入れしたくなるかは明白だろう。
 この間、熊八MLの新年会で配った末広亭の古い宣伝ビラが好評だったので、北村席亭
に頼んで、まだ少しもらうことにした。僕が書いた<新宿末広亭 春夏秋冬「定点観測」
>を、暮れの末広亭「さん喬権太楼の会」で”店頭販売”したのだが、そのとき買えなか
ったお客さんのため、池袋演芸場の「権太楼夜のおさらい会」で追加販売されてもらうこ
とになっている。その際のオマケに、宣伝ビラを使いたいというと、北村席亭は「こんな
んでよかったら、どんどん持っていって」と、この間いただいた四十七年のものに加えて、
鶴亀の模様をあしらった五十何年かの正月のビラまでつけてくれた。
 その26日の夜、日暮里サニーホールで開かれた「鳳楽 の会」で、「末広亭」の本を
売らせてもらう。鳳楽さんには、先月の独演会の打ち上げ(!)で十七冊も拙著を売って
もらうなど、お世話になりっぱなし。今回もビラを配らせてもらった上、ロビーに机を持
ちこんでの販売を許可してもらった。
<楽松 鳳楽:かつぎや 仲入 鳳好:町内の若い衆&踊り 鳳楽:妾馬>
 トリの妾馬は、鳳楽の敬愛する六代目円生の十八番ネタ。長屋の八五郎の妹が、赤井御
門守に見染められてお屋敷に上がりお世取りを生む。祝いの席に招かれた八五郎が、慣れ
ない屋敷の作法に戸惑いながら、妹や殿様の前で兄の真情を見せる、という人情ばなしで
ある。鳳楽は、あまり演じられることのない長屋のくだりを丁寧に演じて、それからおも
むろに屋敷での対面に入るという、ゆったりとした構成。やや冗漫に感じる向きもあろう
かとは思うが、前半部分でしっかりと笑いをとり、後半の対面で涙を誘う。抑えるところ
はしっかり抑えて、スケール大きな「妾馬」になった。
 本の方の売れ行きはいまひとつだったが、鳳楽さんは「うちの客はこんなもんじゃない。
来月の独演会でしっかり売ろう」と言ってくれる。ありがたいことである。  翌27日は、
いよいよ「権太楼夜のおさらい会」。権太楼というと「日曜朝のおさらい会」だが、今月
池袋下席で会をやろうという噺家が少ないで、男気を出した権太楼が「俺が土曜日にやる
よ」と手をあげた。会を決めてから考えてみると、「日曜朝のおさらい会」もあるので、
夜、昼の連チャンというハードスケジュールになってしまったのである。  当日はあいに
くの大雪。夕方、どろどろの道をひょこひょこと池袋西口へ。まだ開演には時間があるが、
すでに出版社の人たちが本の包みを持ってスタンバイしている。お弟子さんたちも来てい
るが、肝心の師匠の姿がないではないか。「昼に舞浜のホテルで仕事があってね、雪で車
使えないので、電車で行ったら遅れちゃってさー。もうすぐ着くでしょ。実は今晩、サン
シャインプリンスでもう一件仕事があって、池袋の仲入に抜け出して行くことになってた
んだけど、雪でそれが中止になって、よかったー」と、おかみさんが裏話を教えてくれた。
自分の独演会がある日の昼間に仕事を入れたうえ、会の途中にまで別の仕事があるなんて!
 さすが権太楼・・・って、フツーそんな無茶はやんないよなー。  <権太楼:反対車 
さん光 さん太:寿限無 紋之助:曲独楽 権太楼:代書屋 仲入 東京ボーイズ 権太
楼:芝浜>  冒頭、権太楼は、正月早々亡くなった三木助の思い出を語り、三木助に教え
たという「反対車」を演じた。ついでに僕も高座に引っ張り出され、本の宣伝と、オマケ
の末広亭宣伝ビラの解説をちょぴっと。「おかげさまで本が増刷になりました」と挨拶す
ると、温かい拍手をいただいた。感激。  愛嬌のある高座とは対照的に、楽屋での権太楼
はピリピリとしていて、話し掛けるのもはばかられる雰囲気なのだ。「僕らはもう、なれ
ちゃってますから」と、弟子のさん光たちは平気な顔だが、本日のみ楽屋につめている僕
は居心地が悪くてかなわない。そのピリピリとした権太楼に、おそるおそる「末広亭」本
へのサインをお願いする。ハナシの成り行きで、ゲストの東京ボーイズも、権太楼と並ん
で本にサインしてくれることになった。書き役は、ウクレレの仲八郎さん。三人のマンガ
をあしらったサインが実に洒落ている。聞けば、東京ボーイズは、すでに池袋演芸場の売
店で僕の本を買ってくれたらしい。ということで、僕も実費で一冊自分の本を購入し、八
郎さんとサインの交換 をした。そんなことをしているうちに、トリネタの「芝浜」がクラ
イマックスを迎えてしまう。あわてて舞台の袖に行き、前座のごん白クンたちと耳を澄ま
す。楽屋にいるのはいいが、落語はやっぱり前に回って聴かないとねー。権太楼一門、東
京ボーイズ、それに紋之助(一冊買ってくれた)の皆々様のおかげで、この日二十五冊の
売上を記録。入場者が八十人あまりだから、かなりの確率だ。出版社の連中は、ほくほく
した顔で引き上げていった。終演後は、演芸場の上の「魚民」での打ち上げ。滝野川小学
校と紅葉中学で同窓だったという、権太楼、東京ボーイズのリーダー、ヒゲの六さんの三
人で、東京北区近辺のローカル話に花が咲く。「リーダーが俺の兄貴と同級でさー、一年
上に倍償美津子のにいちゃんがいたよね」「紅葉はワルばかりいてさー、校門のとこでヤ
クザがスカウトしてたよ」と、ハナシはどんどん細かくなっていき、青学出のおかみさん
と、富山出身の八郎さんは「ついてけないよー」と首を振っていた。  週明けの27日、
お江戸日本橋亭で「長講一席の会」を見る。ここんとこ落語ばっかしなので、たまには講
談もチェックしなきゃね、と出かけたのだが、前の週は落語会ラッシュで、しかも本の販
売までやったので、疲れがたまっている。暖かい日本橋亭に腰を下ろし、神田松鯉「左甚
五郎・日光陽明門由来」のマクラを聴いていると、もう睡魔がぁぁぁ・・。はっと気がつ
くとハナシは中盤にさしかかっている。長講一席の会は、ベテランが長尺物を一時間たっ
ぷり演じるという、実にありがたい会なのだが、なにぶん一席だけなので、うっかり寝ち
ゃうと、何しにいったのかわからない。今後この会は、体調を整えて行かなければとおお
いに反省する。会場には、落語研究家の山本進氏の姿があった。大変な権威なのに、まめ
にいろんな会に足を運ぶ山本氏には、ほんとにアタマが下がる。僕が居眠りしているとこ、
見られなかっただろうな。  30日は落語研究会だ。前回の若手中心とは一味違って、
地味だが実力派の中堅を集めたプログラムだ。  <笑志:りんきの独楽 勢朝:荒茶 
鯉昇:ねずみ 仲入 市馬:馬の田楽 さん喬:柳田格之進>  仕事が押してしまい、
笑志には間に合わず、勢朝のほらふきマクラから聴き始めた。
 「みなさん、寄席にも来てくださいね。どことは言わないけど池袋演芸場。いついって
も座れます。あんまり客が少ないので、この前取引先の銀行の方々に座っててもらいまし
た。さくら銀行」というネタには、まだ続きがあって、「このハナシをしてたら、一番前
のおばさんが『うちは住友銀行なんですが、住友ではだめなんですか』っていうんです」。
勢朝の肩の力の抜け具合が絶妙で、ちょっと気取った感じのある研究会の客が、げらげら
と笑いこけていた。
 この日一番拍手があったのは、市馬の馬子唄だろう。「馬の田楽」は民謡自慢の文生の
独断場という感じがあるが、市馬も負けてはいない。十八番の三波春夫「俵星玄蕃」でお
なじみの、あの伸びのある高音を駆使して、実に気持ちの良い馬子唄を聴かせてくれた。
噺の運びもうまいのだが、こんないいノドを聴いちゃうと、馬子唄ばかりが残っちゃうね。
 トリのさん喬。ドラマチックな「柳田」にさらに磨きがかかった。春夏秋冬、移り行く
季節の中での人々の交流が、しみじみとしみわたる静かな噺。クサい、クドいという声も
あろうが、僕は大好き。さん喬のようなアプローチも、「アリ」だと思う。
 終演後、楽屋に回って、着替え途中のさん喬に、日曜版「寄席おもしろ帖」のゲラをみ
せる。今回は、さん喬師弟をモデルにした「前座のしくじり」の巻である。うんうんと、
うなづきながら読み終えて、「いいんじゃない」と一言。研究会が終わったばかりのピリ
ピリした雰囲気に飲まれて、すぐに退散した。中身の濃い十日間だった。

つづく

 

 


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