東京寄席さんぽ 初席


 二年ぶりの正月である。昨年は元旦の未明に心臓発作で倒れて救急車で病院に直行、
その後一週間、体に7本のチューブを入れられ飲まず食わず、という悲惨な状況で集中
治療室に入っていた。二年ぶりの雑煮の味は格別だったが、前年の災難を思い出すと、
どうも臆病になる。久しぶりに初席見物をしたいなあと思いながら、町内を一歩も出ず
に正月休みが終わってしまった。    五日の午後、仕事の合間をぬって、今年初めて
新宿末広亭に行った。寄席見物ではない。昨年暮れに出版した拙著『新宿末広亭 春夏
秋冬「定点観測」』(アスペクト刊)についての、著者紹介記事の取材である。
 インタビュアーは、北海道新聞東京支社のSデスク。年末にふらりと立ち寄った末広
亭で、僕の本を見つけて衝動買いしてしまい、帰りの電車で読んで気に入って「取材し
よう」と思ったという、なんだか信じられないようなハナシだよね。かくいう僕も新聞
記者のはしくれなのだが、自分が他紙の取材を受けるなんてのは、不祥事でも起こさな
い限りは、まずないことだもの。末広亭の前で待ち合わせて、寄席をバックに「著者近
影」写真をパチリ。ちょうど初席の第一部がはねたところで、お客さんがぞろぞろぞろ
ぞろ出てきて、はずかしいったらありゃしない。なんとか撮影をすませて、新宿三丁目
地下のルノアールでインタビューを受けた。子供のころからの寄席体験や、好きな芸、
嫌いな芸のハナシを問われるままに語る。我ながらぎこちない受け答えだったが、相手
のS記者も演芸好きで、良い聴い手だったのに救われた。記事は二月アタマの読書面に
出るという。ヘンな気分だ。でも楽しみ。
 その夜、国立小劇場の落語研究会にでかけた。道新の取材やらなにやらで仕事が押し
てしまい、会場にたどり着いたら、もう仲入り前の出番になっていた。三太楼「かつぎ
や」、円太郎「佐野山」は間に合わず。花緑「初天神」から入って、談春「鈴が森」、
昇太「御慶」と聴く。しかし、なんちゅー顔ぶれだろう。出演者も「なんだか友達同志
の会みたい」といっていたが、アタマからしまいまで、若手ばっかし。落語界きっての
権威筋(?)、あの落語研究会とは思えない番組だ。昭和五十年代の初めごろ、円生、
正蔵、小さんを追いかけて、彼らがレギュラーだった落語研究会の常連席(これを買え
ば半年間同じ席で見ることが出来た)を買うために早朝からTBホール前に並んだこと
がある。本日の出演者で、そのころプロになっていたなんてのは一人もいないだろう。
寂しいような懐かしいような、なんだか不思議な気分になった。  この夜のお目当ては、
昇太の「御慶」だったが、出来は可もなく、不可もなく、かな? 古い形を守りつつ、
新鮮な人物造詣を見せてくれる昇太の古典ネタは、実は彼の売り物の新作よりも気に入
っている。独演会「古典とわたし」シリーズもほとんど欠かさず見ているだけに、見る
前から期待度がかなり高くなってしまっいる。今回の「御慶」も、水準以上の面白さと
は思うのだが、「そこそこ」では我慢できないじゃん。  予想以上の収穫は、談春の
「鈴が森」だ。落語ネタではなく、播随院長兵衛と白井権八が出会う講釈ダネの方なの
だが、笑いは少ないし、人物の演じ分けも難しい。落語としては損な噺を、落語研究会
という大舞台で、あえて出してきた。この前の研究会出演時には「小猿七之助」という、
これまたマニアックなネタで勝負していた。そして、この種のネタを出したことについ
ての、いいわけじみた物言いもなしに(いいわけしても、しかたがなけど)、そっけな
いほどあっさりと演じている。並々ならぬ力量と、ちょっとした天狗ぶりと、江戸っ子
のへそ曲がりが混じりあって、何とも素敵な高座になった
。  7日は、読売日曜版の連載「寄席おもしろ帖」の第一回目の掲載日だ。原稿の出来
はともかく、挿絵がわりの、正楽さんの紙切り「鶴」が映えている。寄席のモノクロ版
とは一味違う、カラフルな紙切りは、紙面的には成功といえるだろう。まだ連載が始ま
ったばかりではあるが、将来的に、正楽さんの仕事が本にまとまればいいなあと思う。
先は長いけどねー。  翌8日、両国の江戸東京博物館に「大江戸らくご展」を見に行く。
大江戸線開通にかこつけてということらしいが、なんにせよ、本格的な落語の展覧会が
開かれるのは本当に珍しいこと。「東京かわら版」の事務所で入場券をいただいたので、
早く見に行こうと思っていたのに、もう14日に閉幕になる。あわてて駆け込んだら、
おんなじように考えた人が多いらしく、会場は大賑わいなのだった。そのうえ、あちこ
ちで知りあいに会う。落語研究家の山本進氏、熊八メーリングリストの仲間、ちばけい
すけさん、おーちゃん、イチローさん。芸人さんもかなり来ているようで、この日も
「あ、あっちに円菊師がいるぞ」などとはしゃいでいたら、正楽さんに出くわした。
「ちょっと勉強に」と熱心に展示品を見ているのが、なにかほほえましい。  橘流寄席
文字の家元、橘右近のコレクションを中心に並べられた展示の充実度はなかなかのもので、
円生が前座に対する小言を書き連ねた楽屋触れとか、正蔵が他の師匠があつらえた蕎麦の
台に落書きしたものとか、ひとつひとつの品物から、いろいろなことを思いだしたり、
考えさせられたりする。一番印象に残ったのは、「寄席の人々」という題だったか、人形
町末広を舞台にした記録映画だた。木造建築のホコリとぬくもりが伝わる末広、初めてみ
る(!)小円朝のくるくる動く目、その小円朝に稽古をつけてもらう円之助の真剣な顔、
「反対車」を元気いっぱいに演じる柳家小ゑんこと若き日の立川談志・・、みんなもうな
くなってしまった(いかん、一人残ってたか)。  連休明け、僕の本の担当編集者であ
る小村さんから電話があった。  「『定点観測』の増刷が決まりました。千五百部です
けど」  以前、演芸本の良書を何冊も出している「うなぎ書房」の稲見社長から「演芸
関係の本は、三千冊が壁」というハナシを聴いたことがある。僕の本は初版四千部。二
千九百四十円という値段を考えれば健闘したといえるだろう。電話ごしだが、小村編集
者に「ありがとう」とアタマを下げた。  午後に所用で浅草に出かけたついでに、五重
塔通りの木馬亭をのぞいてみた。根岸京子席亭にすぐ見つかって、「あーらひさしぶり
ねえ」と声をかけられる。それだけ浪曲を聴いてないということだよなー。僕の本のこ
とを知っていてくれたようで、「(月刊浪曲編集長の)布目さんが面白いっていってた
わよ」だって。そういえば、木馬のおかみさんには見せていなかった。「明日持ってき
ますよ」と約束して中に入る。
 貞花の義士伝「忠僕直助」が終盤にさしかかっている。 月も九日となると、さすがに
客足も落ち着いてしまうようで、ムムムな入りだが、場内の反応はいい。
 浦太郎「平次女難・上」は、銭形平次の長いおハナシの一部なのだろが、展開は遅い
し、山場もないまま、「上」と断っているように、中途で時間が来てしまった。演じ手
の手腕を云々する以前に、台本の構成に難ありというしかない。ネタ数の多い浦太郎だ
が、中にはこういう珍品があるんだなあ。  トリは面白浪曲でファンが多い五月一朗。
もう八十を過ぎているのだから、今のうちに聴いておかなくてはと思っているのだが、
やたらに結局のいい顔や、マイカーで高速道路を運転して木馬に通勤するなんて話を聞
くと、このおじさんは当分大丈夫だろうなと思いなおしてしまう。演題は「禁酒百石」。
子沢山で貧乏暮らしの浪人が、禁酒を誓った矢先に、何やらわけがありそうな捨て子を
拾う。案の定、この子が豊臣秀吉のタネで、大阪城に呼びだされ・・というおめでたい
話。「ボロは着てても心は錦」という浪人の心意気を、スカッと描いて小気味良い。大
ベテランだが、今が聴き頃と太鼓判を押しちゃうぞ。  翌10日、「末広亭」の本を持
って、再び木馬亭へ。席亭にサイン本を献呈したら、「うちに本を置いていいのよ。売
ったげるから」といってくれる。うれしいなあ。さっそくカバンに残っていた一冊をロ
ビーの目立つ所に置かせてもらい、後は出版社の方から連絡させることにした。
 「ちょうど(国本)武春さんの出番だから、みておけば」と言われたので、お言葉に
甘えてちょっと場内へ。 黒紋付に袴姿の武春のネタは、古風ないでたちとは対象的に、
三味線の弾き語りで「ロック&バラード忠臣蔵」。おなじみ「松の廊下」を意外に洒落
たアレンジできかせてくれた。哀愁のあるバラードと判官切腹が実によく合う。客層は
かなり高いが、やんやの喝采。武春節を堪能してロビーに出ると、お席亭が「あれでも
木馬に出るときは、武春さん、(常連客の多い客席に合わせようと)ずいぶん遠慮して
るのよねえ」と笑っていた。寄席の初席は、今日で千秋楽である。

つづく


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