浅草寄席さんぽ
その四「弁当と円朝」

 とき:  平成十二年七月三十日(日)
 ところ: 木馬亭
 ばんぐみ:浅草円朝フェスティバル
 いり:  ほぼ満員
 おみせ: 大黒屋(天麩羅)

 二十世紀最後の今年は、実にいろいろな事が起こる。
 いわゆるY2K問題は大騒ぎしたわりには大した事もなく、なーにが2000年だ、矢も鉄砲
でももってこい!なんて言ってたら、矢も鉄砲も当たってないのに正月早々僕の心臓がバグって
しまい「バイパス手術付きの四十二日間入院ツアー」を強制体験させられてしまった。
 ・・・ま、そんな個人的なことは置いといて、我が愛する落語界に目を向ければ、円朝没後百
年なんぞという大きな節目だったりするのだ。百回目の命日である八月十一日に向けて、ここは
一番、落語界が大同団結し、命日の歴史に残る、空いた口がふさがらないような、未曽有の大イ
ベントが繰り広げられるのだろうなあ、俺は病人だから参加出来るかどうかわからんなあ、など
と病院のベッドで、わくわくしたりがっかりしたりしていたのだが、松が取れ、桜が咲き、梅雨
が明けても、なーんにも始まらないじゃないの。
 アナログありデジタルあり、遊び所が多い現代では、古典芸能なんつーものは、実に肩身が狭
い、というのが演じ手、聞き手双方の実感だろう。その肩身が狭い古典芸能の一分野の、大衆演
芸という小さな塊の中の、そのまた一分野が落語なのである。中興の祖・円朝の百回目の命日ぐ
らい、みんなで寄ってたかって大イベントをでっち上げ、落語ここにあり!の気概を見せて欲し
いと思うのは僕だけだろうか。
 それでも、夏の日差しが日増しに強くなってくると、単発ではあるが、ちらほらと円朝関連の
イベントが催されるようになって来た。その中の一つ、木馬亭で行われる「浅草円朝フェスティ
バル」は、落語・講談・浪曲、三つのジャンルの気鋭が円朝作品を競演するというもので、浪曲
定席「木馬亭」という地の利を十分に生かした意欲的な試みである。日ごろの浪曲興行の入りを
知っている僕としては、枯れ木も山のにぎわいと、日曜日の昼下がり、くそ暑い関東平野をのん
きに走る東武伊勢崎線の準急に揺られて、浅草へ浅草へと向かっていったのであった。

 「ナガイさん、ナガイさん、ニュースですよ、ニュース!」
 木馬亭の木戸口で呼び込みをしていた月刊浪曲(編集部はここんちの二階に間借りしているの
だ)のヌノメ編集長が、僕の姿を見つけると、ドサ回り芝居の二枚目役のような顔に汗をしたた
らせながら近づいて来た。
 「今日出演予定の雲助師匠がね、二日前に倒れちゃったんですよ。三半規管異常で、目の前が
くらくらするんだって。とりあえず入院して安静を保たなきゃということらしいですけどね、八
月は新宿と上野でトリでしょー。どうなるんでしょうかねー」
 こ・れ・は・エ・ラ・イ・こ・と・で・す・よ〜。三半規管というと、過労が引き金になるこ
とが多いようだが、ジムに通ったりダイエットしたりと、人一倍健康には気を使ってたはずの雲
助だ。まさか入院とはねぇ。八月下席の鈴本トリは、連日怪談ばなしを長講するというので、出
来る限り通っちゃおうと思っていたのに。こうなったら、怪談ばなしどころではない。落語の事
など考えずにゆっくり静養して、きちんと直してくださいね、と自分が大病したせいもあって、
ヒトの病気には過剰に反応してしまう僕なのであった。

 早い時間なのに、客席はほぼいっぱい。最後列に雲助ファンのシロキさんが座っている。
 「どうしの、そんな後ろにすわって」
 「だって、入ってくるなり、雲助さんの休演を知らされて。なんか、やる気なくなっちゃった」
 いつも元気一杯のシロキさんが、しょんぼりと肩を落とした。

 気を取り直して、開演を待つ。
 午後一時、トップバッターとして登場は、柳家三三。成長著しい柳家の若年寄、じゃなかった
若手本格派である。この日のネタ「道具屋」は、落語ファンなら飽きるほど聞いている前座ばな
し。だから、本来面白い噺なのだけれど、ストーリーもギャグも覚えちゃってるから、よほどの
ことじゃないと笑えない。いきおい、志ん五のアブナイ与太郎バージョン(最近やってくれない
なあ)、円蔵の超ナンセンス版といったキワモノ系に傾いてしまうのだ。そんなこちらの思いを知
るわけもなく、三三の「道具屋」は基本通り、あったりまえの展開である。で、どうだったかと
いうと、これが、まずまず面白い。あたり前の噺をあたり前に演じて、客を満足させる。簡単そ
うで難しい、力のある三三には、そうした地味な作業をめげずに続けて欲しいものだ。

 久しぶりの国本武春は、明治モノの「大浦兼武」。青雲の志を抱いて上京したものの、金はなし
コネもなし、食い詰めた末に見つけたのが「警官募集」のビラ。地獄で仏と警視庁に押しかけ、
強引に巡査になった。動機は不純でも、警官勤務は手抜きナシ。名前も知らぬ男が残した法外な
借金を見逃す事が出来ず、薄給の中から返済を始めるが・・・。古めかしい立身出世物語を、直
球一本やりの力業で演じきる。ロック三味線など、変化球も切れる武春だが、こういう舞台では
真っ向勝負。節、声、ともに申し分ナシ。あとは、もう少しネタを増やしたいところだが、その
辺は本人が一番わかっているだろう。頑張れ、次代のエース!

 さて、フツーのネタはここまで。これから講談、落語、浪曲の円朝作品三本だてである。体勢
を整えようと、ピーンと背筋を伸ばしたとたんに腹がへった。昼席をサラから見ることはあまり
ないので、飯の時間配分がうまくいかないのだ。
 円朝モノの幕開けは、講談の神田松鯉。「怪談乳房榎」の発端、「重信殺し」である。僕にとっ
ては、あの六代目円生最晩年のハイライトである歌舞伎座公演の演題として、強く印象に残って
いるネタである。師匠の女房に横恋慕した悪党磯貝浪江が、小者の庄助を抱き込んで、絵師菱川
重信を闇討ちにする。クライマックスは蛍狩り真っ盛りの落合の、殺しの場面である。歌舞伎座
の円生は、ここで座布団から立ち上がって歩き出す。と、舞台がまわって、蛍狩りの書き割りの
風景が出現するのである。釈台と張り扇だけが頼りの松鯉に、円生の真似は期待すべくもないが、
浪江の悪党ぶりを凄味たっぷりに描写することで、殺しの予感をじわじわと盛り上げていく。迫
力満点の語りに、知らず知らずこちらも肩に力が入ったのか、聴き終えてどっと疲れた。空腹の
せいもあるだろうが。

 待望の仲入。さっそく東武松屋で買ってきた包みを広げるが、満員の客席で弁当を開くのは、
けっこう恥ずかしい。末広亭の桟敷なら様になっているんだが、木馬の狭い座席では、お茶の缶
を置く場所にも苦労するのだ。しかし、「空腹」は「恥」をどこかに吹き飛ばしてしまった。ジャ
ーン、本日のメーンディッシュは大黒屋の天丼弁当だったりして。松屋の地下を物色していて見
つけたものだが、まさか伝法院通りの名物が、デパートの地下で買えるとは思わなかった。八百
五十円という値段もリーズナブル。もう、みつけたとたんにい買っちゃいましたね。買ってから、
ショーウインドーを改めてみたが、ゴマ油でからりと揚げた天麩羅の色が意外に薄い。大黒屋と
いうと、まっくろけのエビ天という印象があるのに、この薄さはなんだろう。まあいいや。とに
かく、木馬亭の客席で大黒屋の天丼を食べられるのだから、ありがたいことである。二拝三拍手
で敬意を表してから、弁当のフタを開けた。ネタはエビ天、シシトウに、エビと小柱のかき揚げ。
あらら、エビ天の色はショーウインドーでみたのと違い、本来のイメージ通りのコテコテ真っ黒。
あ、そーか。天丼の場合は濃いタレをたっぷりかけるから黒いのであって、たとえ大黒屋であっ
ても、ただ揚げただけの天麩羅は黄金色だったのだ。しっつれいしましたっ。

 客席の隅っこで、周りの視線を避けるように天丼をかっこんでいると、「エ〜、アイスクリ〜
ム」と妙に懐かしい売り声が聞こえて来た。みると、演芸作家の稲田和浩氏が段ボール箱に入れ
たアイスクリームを抱えて、売り歩いているのだ。そういえば稲田氏、モギリの手伝いをしてい
たが、「あついあつい」とぼやくだけで、何の作業もしてなかったよな。根岸のおかみさんにでも
怒られたのだろうか。売り子の姿形は異様だが、アイスの売れ行きは順調で、あっという間に売
り切れ。ゴキゲンで控室に姿を消した稲田氏だったが、すぐに新しい箱を抱えて戻って来た。
 「えーっと、エスキモーのアイスは売り切れました。あとは、○印のアイスクリームしかあり
ませんが、これでよかったらどーぞ」
 ○印ときいて一部引く客もいたようだが、暑さには勝てず、けっこう売れたりして。稲田氏、
大活躍である。

 さて、後半。雲助の代演は、柳家権太楼である。実はこの日の午前十一時から、池袋演芸場で
「権太楼の日曜朝のおさらい会」があったので、この日三席目(それも大ネタばっかし)である。
当然疲れているだろうが、こういう時の権太楼の高座は要注目である。以前、「代演の時は、何考
えてるんですか」と聞いた時、「代演が興行の流れを止めちゃだめ。本来の出番のヤツ以上に客席
をわかすんだという思いで高座にむかう」と言い切ったものだ。
 この日の高座も、手抜きなし。ネタは十八番の「佃祭」である。舞台は、祭でにぎわう佃島。
超満員の仕舞船にのろうとした次郎兵衛旦那が、見知らぬ女に引き留められる。話を聞くと、三
年前に吾妻橋で身投げしようとしたところを助けてやった女だった。今は佃島で漁師の女房にな
っているという。再会を喜び合う二人だが、仕舞船が出てしまって、次郎兵衛は家に帰れない。
どうしようかといっていた所に、「仕舞船が沈んで、客は全員死んだ」という知らせが届いた・・・。
人情ばなし風の前半と、次郎兵衛が死んだと勘違いした長屋の面々のドタバタ騒ぎを描く後半、
二つの全然違う雰囲気をもった難しい噺を、権太楼は巧みに演じ分ける。爆笑系の代表だけに、
聞きどころはもちろん後半の大騒ぎ。トントンと畳み込むような口調でギャグを連発していくの
だが、もっとも笑わせてくれそうな与太郎に心のこもった悔やみを言わせて、ほろりとされる。
緩急の巧みさに舌を巻く。円朝作品ではないが、この日一番の出来。いいものを聴かせてもらっ
た。

 トリは玉川福太郎の浪曲版「文七元結」。「まだ早いかなと思ったんだけど、どうせやるなら文
七がいいかなって。何か月も前にヌノメ編集長に台本もらってて、そんなら早く稽古すりゃいい
んだけど・・」といかつい顔にテレ笑いを浮かべながらの座り高座。
 「江戸っ子は〜、五月の鯉の吹き流し〜」
 見た目のゴツさに似合わぬきれいな高音。吉原「佐野槌」での借金のくだり、吾妻橋上の文七、
長兵衛の五十両の追っつけあいときて、時間の関係か、店に戻った文七が金が出て来てうろたえ
る場面をカットしたのは残念だが、本所達磨横丁の長兵衛の長屋は丁寧に演じている。落語、講
談を浪曲化する場合、節をたっぷりきかえるために、物語のかなりの部分をカットしなければな
らないのだが、落語ファンは、そこのあたりが物足りない。「文七」はそのへんにかなり配慮して
脚色されてはいるが、聴き終わって、長〜い噺を征服したぞーという満足感のようなものが、今
ひとつ足りないのだ。落語を浪曲化するときは、無理に元の噺を忠実になぞろうとせず、テーマ
は同じだが構成はまったく違うものを作るというスタンスの方が、落語ファンにも浪曲ファンに
も納得できるのではないだろうか。
 ともあれ、今回の円朝フェス、アクシデントはあったものの、力演ぞろいで満足度の高いもの
であった。次々と意欲的な企画を立てる「浪曲」編集部、元気にモギリを勤める根岸のおかみさ
ん、木馬亭グループの意気盛んである。


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