第二夜:文治の「親子酒」


真打披露興行は、寄席の華だ。

 トリの名を白く染めぬいた鮮やかな後ろ幕、高座の 上下に並ぶ角樽や花束、そして普段は寄席に出ない幹 部連中の名前が並んだ番組表。生ぬるく、それだけに 心地よく停滞している寄席の「空気」の中に、ピーン とひとつ、張りつめたものが混じる。高座が下座が楽 屋が客席が、新真打ちを歓迎しているかのようで、さ して贔屓にしていたわけでもない若手の襲名であって すら、木戸をくぐったとたん、うきうきした気分にな るのである。 「チョン、チョン、チョンチョンチョンチョンーー」  幕が上がると、黒紋付姿が五人。  新宿末広亭の仲入後、新真打桂平治の昇進披露口上 の始まりである。  顔ぶれは、舞台下手から順に、伸治、鶴光、平治、 文治、柳昇。伸治の司会で、和やかに口上が進んでい く。  「大阪代表として、本来なら師匠の松鶴が上がらな ければなりませんが・・」と鶴光。平治がいかに将来 有望であるかを強調して「というようなことを喋って くれと、本人に頼まれまして」と笑わせ、平治の師匠、 桂文治につなぐ。「さあ、顔をあげさせてもらえ」と、 ”親”らしい心遣いがうれしい。  口上はこのあと、協会副会長の柳昇が、あいさつも そこそこに「平 治は物まねがうまいが、師匠の文治もうまい。特に先 代可楽は絶品です。さあ、文治さん、どうぞ」とやっ たもんだから、本当に文治が金語楼や可楽をやってし まった。これがあとを引いて、続く出番の東京ボーイ ズ・仲八郎が長島監督を披露、挙句の果てにトリの平 治までが「本当はこういう席ではやらないのですが」 と楽屋を気にしつつ「さしすせそをはっきり発音しな いのがコツ」という柳昇の「春風亭柳昇といえば、今 やわが国では」というアレ(これがネタよりいい出来) をサービス、真打披露が物まね大会になってしまうの だが、収拾がつかなくなるので、いったん文治の口上 に戻る。  「あたしがコイツとはじめて会ったのは、大分合同 新聞の仕事で・・・」と、平治との出会いを語りだす 文治。話はこれで終わらず、平治の人となりや、落語 に向き合う姿勢、ネタの多さなどをこと細かに説明す る。文治の手放しのほめようを、まわりの幹部連がに こにこしながら聞いている。  ちょっと待ってほしい。一般に、真打披露の口上で は、身内である師匠があまりでしゃばるものではない。 口上の華は他の幹部連に譲り、本人は一歩引いて「ご 贔屓お引き立てを」と頭を下げる。これが、師匠とし てのたしなみというものだと、僕は思っている。  文治は人一倍、礼儀作法、噺家としての立ち居振る まいにうるさいと聞く。普段の高座でも、冗談に紛ら わせてはいるが、日本語、特に江戸言葉の乱れに警鐘 をならしているではないか。その落語会の御意見番が、 弟子の披露目でデレデレしているというのはいかがな ものだろうか。と、苦言を呈しながら、あの口上の場 面を思い出すと、ついつい頬が緩んでしまう。口上と しては型やぶりではあるが、あの文治が、いかに平治 を愛しているか、そして芸協に久々に現れた大器にい かに期待しているかがストレートに伝わってきて、う れしくなってしまうのが、我ながらだらしない。  頑固オヤジも、丸くなったなあ。そんな感慨は、文 治自身の高座で吹き飛んでしまった。 この日のネタである「親子酒」が、そいほどよかった のである。  昭和三十年代生まれの落語ファンにとって、文治と いえば、テレビ「末広珍芸シリーズ」の大喜利「お笑 い七福神」である。伸治といってたそのころは、髪の 毛も黒く、職人刈りにどんぐり眼、すっとんきょうな 声を出す、やや滑舌の悪い中堅どころである。桂文治 という大名跡を継いだ後も、先代の留さんの文治が軽 い芸風だったせいもあって、特に大物になったという 感じもしなかったというのが、本音である。それが、 角刈り頭がごま塩になるころから、なんとも言えない 味が出てきたのである。長屋の住人的容貌にに磨きが かかり、甲高い声も枯れてくる。滑舌の悪さがかえっ て独特の間を生み出した。特におっちょこちょいの職 人が出てくる長屋物がよく、「二十四孝」、「あわて もの」、「やかん」などは、この人ならではである。  この日の「親子酒」も好きな噺である。息子と禁酒 の約束をした商家の旦那が、いいわけしつつ酒をのみ 出す。もともと好きだから、飲みだすととまらない。 ベロベロになったところで、息子が帰ってくるが・・。  筋はこれだけ。大した噺ではない。だから、酒を飲 むところを、酔っていくさまをどう表現するかで噺家 の力量がわかるのである。この勝負どころで、文治は、 見事に酔っぱらってみせた。酒を飲んでではない。 もちろん飲むさまの描写は入るのだが、それよりも肴 である塩辛を食うことで、鮮烈なほどに酔いを表現し ているのである。  ちびりちびりの銚子に合わせて、箸で一本つまんで はピチャピチャとやっている。次第に酔いがまわると、 箸を持つ手があやしくなり、食いながら話ながらのロ レツもまわらない。ついには、塩辛をこぼし、その手 を意地汚くなめあげるところまでみせる。塩辛で見せ る一人酒盛。まさに文治の真骨頂である。  今、七十半ば。八十、九十になったら、どんな高座 ぶりになるのだろうか。弟子の真打昇進に喜んでいる よりも、もっともっと長生きして、こうるさいじじい になって、よっぱらいのじじいや、おっちょこよいの じいが活躍する、むねのすくような落語をきかせてほ しいと思うのである。

今夜の演目 平成十一年五月八日(土)
新宿末広亭・夜の部 (途中から)   
伸治弥次郎
北見マキマジック
柳昇カラオケ病院
仲入   
真打披露口上  
東京ボーイズ歌謡漫談
鶴光くず湯
文治親子酒
ボンボンブラザーズ曲芸
平治愛宕山

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