第一夜:権太楼の「青菜」

寄席なんて、ろくなもんじゃない。

 昭和三十年の頭に、東京の川向う、深川のガラス職 人の家に生まれ、こどものころから、松竹セントラル や日本橋白木屋(こないだ店を閉めた東急ではない) や両国国技館に行くのと同じような感じで、寄席の木 戸をくぐっていた。  母に背負われて近所の演芸会で、八代目文楽を見た の事始め。物心ついてからは、両親や猿江恩賜公園の そばに住む叔母にねだっては、上野鈴本へ行くように なった。建て替える前の、どこか待合のような風情が、 大人の遊び場を思わせるからだった。母親の機嫌がい いと、東宝名人会に連れていってくれた。  日比谷映画街の南端、宝塚の四階だか五階だかにあ る寄席は、下町の職人のせがれには、ちょっと敷居が 高い。体に合わないよそいきの服を着せられて、扇が 広がったような横広の客席で、 金屏風の前の「名人」 たちを眺めて、このあとは鰻重を食わしてくれれば最 高だなと考えていると、何だかその時だけは金持ち坊 っちゃんのような気がしたものである。  「寛永三馬術」の馬琴、「たいこ腹」の円遊、口の 回らなくなった志ん生、議員になって廃業した貞鳳・・。 今考えると、いろんな名人上手を見ているはずなのだ が、何しろ子供だったし、寄席演芸はそんなに気張っ てみるようなものじゃなかった。ちゃんと見とけばよ かった、と思ったのは、大学浪人になったころであっ た。  生活の一部であり、ごくありふれた遊びにすぎない という環境で育った人間は、たいてい大人になると寄 席や落語より、もっともっとゴージャスでファンタス ティックな楽しみを見つけて卒業していくものである。 それが、どういうわけか、僕の場合、高校、大学と、 どんどん寄席演芸、大衆芸能のとりこになっていくの である。  恥ずかしくって、昔のワルガキ仲間に合わせる顔が ない。  そろそろ、冒頭の暴言に戻ろう。「ちゃんとみよう」 と、東横落語会や落語研究会など、昭和四十年代後半 に流行りに流行った(東横などは当日券を入手するた めデパートの階段に2時間も並ばされるのである)ホ ール落語に通っているうち、寄席に行く気にならなく なった。  まず、出演する芸人の問題である。円生も正蔵も馬 生も、ホール落語に出ている「名人」たちは、正月や 特別な興行以外は、まず寄席に出てこない。で、面子 が落ちているうえに、ひとり十数分、トリですら少な いときは十五分から二十分の場合があるのだ。それで も、出演者がわに意欲や工夫のあとが見えればいい。 十年一日のように「子ほめ」や「二人旅」や「真田小 僧」の前半を聴かされる身になってほしいのである。    そして、客席を見れば・・。ひたすら弁当を食べる 団体、落語の途中で平気で出入りをする年配の女性、 「この人、テレビでみたことある」と大きな声で話す おばさん(本当にいるのには参った)、今だったら携 帯電話で話す人も入れなければならない。こういう連 中は、寄席が初めてなのだろうから、見方聴き方がわ からないのはしょうがない。だが、高座で芸をしてい る者にどういう態度で接するか、そんなことすらわか らない人たちが、どういうわけか入場料を払って(招 待券も多いらしいが)、やってくる。そんな客でもこ ないと、出演者と入場者がほぼ同数という、かつての 池袋演芸場のような事態が、しゃれでもなんでもなく 発生してしまいそうな雰囲気があるのだから、なさけ ないばかりである。  好事家きどりの、いやったらしい落語マニアの、自 分勝手な感想であることはわかっている。だが、それ でも、僕は寄席に通っている。やる気の感じられない 芸人がいて、芸も何もわからない客が騒いでいる。そ れを承知で、安くない入場料を払っているのである。 そのぐらい、心の中で思ったっていいじゃないの。寄 席に行かないで、「だからマニアは」と言っている人 よりも、少しはマシ・・・・・・・ではないな、やっ ぱり。  ろくなとこじゃないと思いながら通っている僕も、 ろくなもんではないのは確かである。その僕が、寄席 で落語を聴く最大の楽しみは、季節感である。ごみご みした下町に育ち、親戚も近所にしかいない。川遊び もとんぼとりも、つりも山歩きもせず、草や木や花や 魚の名前も知らない僕が、唯一季節の移り変わりを感 じるのが、寄席なのである。  落語家たちは、季節に応じたネタを演じるが、そう した季節限定ネタを少しでも長持ちさせようと、の実 際の暦よりも早めに演じることになる。二月初めに「 長屋の花見」で近づく春を思い、「船徳」の「四万六 千日、お暑いさかり」で、半袖に着替え、「二番煎じ 」の夜回りに「今夜は鍋でも」と襟元を合わせる。  「植木屋さん、ご精が出ますね」  五月の連休明け。数日前の満員がウソのようにがら んとした鈴本の客席に、いきなり夏の西日がさしこん で来た。トリの権太楼が、「青菜」をかけたのだ。  暑さに参って早仕舞いかかっていた植木屋に、屋敷 の旦那が声をかける。  「大阪の友人から柳影をもらったので、おやりなさ い」という勧めに、酒好きの植木屋が腰をおろす。  「柳影」、鯉の洗い、ぶっかき氷といただいて、「 菜のおひたしを」ということになるが、あいにく切れ ており、奥方が「鞍馬山から牛若丸がいでまして、そ の名(菜)を九郎(食らう)判官」と隠し言葉で返答 するーー。  植木屋と旦那のやり取りだけで、外の暑さと、座敷 の涼しさが表現される。そして後半、隠し言葉を植木 屋夫婦がそっくり真似をするくだりの汗のしたたり。 夏の暑さが、これほどさまざまな顔を持つのだという ことを落語から教わるのである。  権太楼は、昨年九月、池袋で月一回開く「おさらい 会」で、この「青菜」をかけている。してみると、あ まり口なれたねたではないのだろう。座敷で二人がや り取りするはずの柳影の瓶を、植木屋の手元において しまったため、以後酒をつぐたびにやりにくそうにし ている。得意のはずの、後半の漫画チック名な展開も やや不発である。旦那も人はよさそうだが、あまり金 持ちには見えない。留保点は多いのだが「旦那はああ 言ってくれるけど、精なんか出ないんだ」という植木 屋の一言が絶妙。「夏」を表現しようという、権太楼 の料簡がほの見えて、気持ちがいい落語だった。  九時ちょっと前にはねて、外に出ると、五月の風が 暖かい。この風は、裏の飲み屋街のはきだめあたりを 通ってきたのだろうか、などとぼんやり考えていたら、 着替えをすませた権太楼がもう木戸口に現れた。  「おつかれさまでした」と声をかけると、あの満面 の笑顔が帰ってくる。  「いやー、青菜、久しぶりだからミスばっかり。や る時期が限られているからいつまでたってもくちなれ ないや」と頭をかく。  よもやま話をしながら、仲町通りの入り口を過ぎ、 横断歩道を渡って、アブアブの前を左に折れた。  「もう青菜の季節なんですね」  「うん、芸人だってそう思うんだよ。今夜ね、そろ そろ、青菜かなって思っちゃったんだ」  「じゃあ」と手を振って、上野駅前で別れた。  

今夜の演目 平成十一年五月七日
上野鈴本演芸場上席夜の部(途中から)   
円窓洒落番頭
ニューマリオネットあやつり人形
さん喬子ほめ
扇橋二人旅
小せん町内の若い衆
仲入 
のいるこいる漫才
円太郎権助芝居
金馬よっぱらい
二楽紙切り
権太楼青菜

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