末広亭定点観測<特別篇>下

 どうして僕が心筋梗塞なんてシリアスな病気にか かってしまったのか。本当の原因は、実は今もわか らないままなのだ。  近親者に心臓病患者がいる、喫煙、運動不足、暴 飲暴食、ストレスなどが、動脈硬化を引き起こすと いわれているが、僕自身は、酒も煙草もやらないし、 家族に心臓を患った者もおらず、コレステロールや 中性脂肪などの数値も特別悪くはない。医者は「ス トレス・・、ぐらいしか考えられませんねえ」と首 をひねる。たしかに僕の仕事は忙しいし、本業以外 にもいろいろなことに首を突っ込んでいるわけで、 結構ハードな日々が続いていた。だが、「好きなこ としかしない」という、自分勝手なポリシーで日々 を送っている僕には、仕事も趣味も「楽しみ」以外 のなにものでもないのである。ストレスには無縁だ と思っていたが、知らない内に心や体をストレスが 蝕んでいたのだろうか。つかれていたのかなあ、オ レ。  元旦の未明に救急車で担ぎこまれ、バルーン治療 を受けた僕は、そのまま病院の集中治療室に収容さ れた。いわゆるICUである。  ICUと聞くと、それって国際基督教大学ですか と、ついついベタなボケを演じてしまうが、実際ど んなところか、まるで知識がない。ま、威圧的な医 療機器が並ぶ中、難しい顔をした医師やナースが行 き来している、無機質な空間なんだろうなと思って いたら、本当にそうなのでビックリした。  心臓病患者のなすべきことはただ一つ、絶対安静 である。僕はといえば、顔に酸素吸入器、体に何本 もの点滴とチューブをつけられているので、動きた くても動きようが無い。首を左右に動かす以外は、 何も出来ないのであった。  採血、検温、血圧測定、心電図、注射、そして医 師の診察。これが一日何回か繰り返されるほかは、 黙って寝ているだけの毎日。もちろん食事は取れな いし、水分も制限されている。この、「水が飲めな い」というのは本当にこたえた。酸素吸入のために、 のべつ酸素がのどに当たっているので、猛烈にのど が乾くのだ。唇はざらざら、のどはからから。だか ら、薬の時間が一番の楽しみだった。もちろん、一 緒に水を飲むことができるからだ。  「かーっ、うまいなあ」  小さな水差しからチョロチョロと流れてくる液体 を、いとおしむように味わう僕の姿に、看護婦たち は「普通の水道水なんだけどなあ」と笑いながら、 一口分、オマケしてくれた。  ICUの面会時間は、一日二回で各回五分だけ。 僕は貴重な家族との対面を、仕事先への連絡を伝言 するという、しょーもない案件に費やした。実は昨 年後半から、仕事の範囲が広がってきて原稿量が激 増、その他、単行本の出版の話が舞い込むやらで、 僕の周辺はまことに慌しく、年明けのスケジュール はぱんぱんだった。とにかく、四日の仕事始めまで に、アポの取り消しや打ち合わせの延期を済まさね ば、方々に不義理や迷惑をかけることになってしま うのだ。  「こことそことあそこに電話入れて、担当者がつ かまんなかったら、この人に伝言頼んで」  点滴だらけの腕を窮屈そうに動かして手帳をめく り、酸素吸入器の下から声を張り上げている自分の 姿は、さぞこっけいだったことだろう。やっぱり仕 事人間にみえるのだろうな。体はぶっ壊れかけてい ても、首から上は終始正常で、一度も意識を失うこ とがなかった僕は、ICUに閉じ込められた自分の 情けない状況が手に取るようにわかってしまう。こ れはけっこう辛かった。  安静にしている以外にすることは無いし、環境の 変化やら体の不調やら心の悩みやらで夜も寝られな い。人恋しさもあって、忙しそうな看護婦を無理や り引きとめては、世間ばなしをせがんだ。そんな時、 良く話題に上ったのが、ICU症候群のことだった。 集中治療室に長くいると、心のバランスが狂ってく るというのである。体は拘束されているし、あれは だめ、これはだめと言われてストレスはたまり放題。 そのうえ、いつここからでられるかの見こみもつか ない。そんな日々が続くと、被害妄想が広がり、夢 と現実の区別がつかなくなる。「オレはここに閉じ 込められている。逃げなくちゃ」と、点滴を引き千 切ってベッドからでようとするもの、医者や看護婦 に敵意を剥き出しにして、まったく言うことを聞か なくなるもの・・。医学事典に出ているかどうかは しらないが、「ICU症候群」という病気は、どこ の病棟でも珍しいものではなくなっているのだとい う。  「長井さんみたいな人が、一番アブナイのよ」  何人もの看護婦から同じことを言われた。「僕ぐ らい従順な患者はいないよ」と反論すると、「そう いう、いい患者が危険なのよ。ぎりぎりまで我慢し ちゃうからね、いよいよのときに取り返しがつかな いのよ」というのだ。  へん、何を言ってるんだと笑って受け流していた が、ICUに入って5日目の夜、やけにはっきりし た夢を見た。病院の近所で、大規模なカーニバルが 催され、みんなが楽しそうに出かけていくのだ。僕 も行きたいから、当直の看護婦に許可を求めると、 「ダメです」とにべも無い返事。何度頼んでも、埒 があかないので、自分でベッドを下りようとしたら、 「なにやってんの」と怒られた。  「いやあ、へんな夢を見ちゃって」と、後でなじ みになった看護婦に言ったら、夢ではなかった。無 理やりベッドから出ようとしたのは、現実の出来事 だったのだ。  「私が、なにやってんのといって体を抑えら、長 井サンはこっちの世界に帰って来た。あそこで帰っ てこない人の方が多いのよ」  何日たっても状態が好転せず、いつICUを出ら れるのか見当もつかない。時間や曜日の感覚まであ やしくなってきて、ICU症候群の1歩手前までき てしまったのだ。  ICU生活7日目の午前中、二度目のカテーテル 検査を受けた。ようやく体が快方に向かい始めたら しく、その日の午後、ICUを出て、家政婦付きの 病棟に移った。相変わらず「ベッド上安静」で、食 事もトイレも家政婦さんの手助けがなければできな いのだが、一般病棟の空気は、ICUよりも確実に 暖かく、人間臭かった。この日の夜、水差しをつか って飲んだ重湯とリンゴジュースが、2000年に なってはじめての、僕の食事だった。「味のある」 リンゴジュースが、心身に染みわたった。  それから、僕の容様は薄紙をはがすようによくな って・・、と書きたいところだが、実際の回復ペー スは、歯噛みしたいほどゆっくりとしたものだった。 ある日、点滴が一つとれ、次の日はチューブがひと つなくなって、寝返りが可能になり、また数日たっ て、洗面所への行き来ができるようになる。このこ ろから、お見舞いの方々がやってくるようになった が、実際に笑顔で応対できるようになったのは、一 月も半ばを過ぎたころからだったろう。  ある程度の体の自由が利き、チョー薄味の病院食 にもなれてくると、入院生活はいきなり退屈になっ た。特に、夜眠れないのには往生した。5時に夕食 (!)を食べた後、夜9時の消灯までの時間さえ間 が持たないのに、その後の長い長い夜はどう過ごせ ば言いのだろう。12時を過ぎてから、時間の流れ が猛烈に遅くなる。特に二時ごろから明け方までの 長さは、もうあっぱれというしかない。しょうこと なしにラジオをつけると「走れ歌謡曲」とか「歌う ヘッドライト」なんという、遠い昔の学生時代にち らりと聞いた番組をまだやっていて、「全国のドラ イバーのみなさん、おはようございます」なんて呼 びかけられてしまうのだった。  昼間は、読書とCD鑑賞で暇をつぶした。何を読 み、何を聴くかは、考えるまでも無かった。時間は たっぷりあるのだから、とにかく長いもの、である。 「いつか読もう」「いつか聴こう」と本棚の奥に突 っ込んでいた本やCDを持ってきてもらい、かたっ ぱしから目を通した。  まずは読書から。  三遊亭円生「寄席育ち」長年の積読本、やっと読 めた。  池宮彰一郎「島津奔る」(上・下)島津衆がホン トに奔る奔る、面白い!  永井啓夫「三遊亭円朝」長年の積読本、勉強にな りました。  竹内真「粗忽拳銃」落語家も出るが、元気も出る。 爽快な青春活劇本。  宮城谷昌光「楽毅」(1〜4巻)宮城谷中国本の 白眉だな、これは。  ジェフリー・ディーヴァー「ボーン・コレクター」 文春刊だが、他の出版社の方にいただいた。  手塚治虫「ダスト8」手塚作品の中ではジミー。 「死」がテーマの本を見舞いにもってくるか、ふつ ー。  CDは、もちろん落語中心である。はじめは談志 家元の全集をやっつけようと、ランダムに数枚聴い てみたのだが、ちょうど衆院選当選直後の録音で、 家元がやけに元気がいいのだ。「仕事、いつ復帰で きるのかなあ」「末広亭に行けるのはいつのことや ら」などと考えている入院患者には、あのハイテン ションはつらかった。で、路線変更して、円生百席。 これは良かった、時間を気にせず、ゆったりたっぷ りのスタジオ録音。家で聴いてると寝ちゃったりす るのだが、病院ならいくら寝ても大丈夫、聴きなお す時間は売るほどあるのである。 おしなべて長い「百席」のネタの中でも、特に長い のを選んだ。  「吉住万蔵」これ、生で聴く機会、ないだろうな あと思うほどレアな噺  「ちきり伊勢屋」これもレアな噺だが、波乱万丈 で面白い。生で聴かせろ  「髪結新三」歌舞伎よりも数段良いな。円生の因 業大家はホントにうまい  「双蝶々」前半、長吉の悪行が絶品。ラストの「 雪の子別れ」は正蔵もよかったな。  「子別れ」前半の「強飯」、熊さんの酔いっぷり が鮮やか。  「帯久」噺の内容にしては長すぎる。もっと刈り 込んでくれないとなあ。  「へっつい幽霊」円生の博打はキレイなんだよな あ。イカサマするのに。  「紫檀楼古木」どうひっくり返っても若手じゃで きない、ジジイ噺の逸品。  「三人旅」後半の「おしくら」、具体的描写がな いのに、妙に色っぽい。  「文七元結」目に浮かぶ情景は、花道と書割のあ る、芝居の舞台なんだよなあ。円生落語の様式美と でもいおうか。  長編本と落語CDにつかれると、井上陽水「ゴー ルデンベスト」を聴きながら目を閉じる。そんなこ とをしながら、手術の日を待った。  2月1日の朝、バイパス手術をした。胸を一文字 に切り、その下の胸骨も二分して、骨の内側にある 「バイパスのためにあるような、使い減りしてない 血管」(主治医はこう説明してくれた)をはがして、 患部である左心室の血管にくっつける。1.5ミリの血 管を2ミリの血管に手縫いするという。そんなこと が出来るのかと思いながら手術室に入ったが、あっ という間に麻酔が効いて、目がさめたらICUのベ ッドの上だった。約五時間の手術はひとまず成功だ ったようだ。  それから後は、あまり書くことはない。入院生活 がまた振り出しに戻ってしまったのが、今回はIC Uも一日半で脱出、すぐに一般病棟に移された。ま だ傷口が痛むのに、ベッドで寝ているのは許されず、 歩け歩けとせかされる。思った以上に経過が良かっ たようで、12日には退院ということになった。  2000年の元旦に、何の前触れもなく僕を襲っ た心筋梗塞。43日間の入院生活は、僕に何を残し たのか。今後の生き方にどんな影響を及ぼすのか。 今は何とも言えない。じっくりと考えるには、まだ 病気そのものが生々しすぎるのだ。入院中、同病の 患者たちと何度か話したことが今も心に残っている。  「俺たちは、あっちの世界に行く手前で、まだ早 い、戻って来いと呼び戻された。きっとまだ、俺た ちにはこっちでやるべきことが残っているんだ。そ れが何かを探して、悔いのないようにやりとげなく ちゃね」  退院から、もう二十日あまりたった。自宅周辺を ゆっくりウォーキングして、体力を待つ日々。あれ からまだ、新宿末広亭には行っていない。 たすけ


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