たすけの定点観測「新宿末広亭」

その六十九   番組 : 平成十二年五月上席・昼の部  主任 : 桂右団治(襲名披露興行)  日時 : 五月八日(月)  入り : 約五十人(一時二十五分入場時)  「今年のゴールデンウィークは、よもやどこにも行かんのだろうな」  ドスのきいた低い声で、上司が僕の顔をのぞきんだ。大病の後、職 場復帰してようやく一か月である。連休は、久しぶりの仕事で疲れた 体を休めるのが当たり前だが、極楽とんぼの僕の習性に不信感を抱い た上司は「一応釘をさしておこう」と思ったのだろう。慧眼である。 そのとき、僕の紺ブレの内ポケットには、読売旅行で買ったばかりの 秋田行き新幹線の往復チケットが入っていたのだから。  十和田湖の秋田県側、かつて炭鉱で栄え、今は・・・・・の小坂町 に、康楽館という素晴らしい芝居小屋がある。外見は洋館風だが、中 は純和風の畳桟敷。立派な花道と人力で動く回り舞台を持った本格派 の劇場なのである。二年前、ここを訪れた僕の文楽仲間のN女史が、 康楽館で文楽の神様の声を聞いてしまった。  「ここで人形浄瑠璃をやりなさい」  N女史はそれ以来、「来年三月年があけたら」じゃなかった「桜の みちのくで義経千本桜を」と繰り返しながら、僕ら仲間を巻き込み、 小坂町をたきつけ、人間国宝をそそのかし、新聞社やテレビ局をよい しょし、二年の歳月をかけて、ついに今年四月二十九日「康楽館文楽」 公演を実現してしまった。夢物語が現実になったのである。こうなっ ちゃったら、病後の何のといってはいられない。桜のみちのくへ行っ てやろうじゃねーか、てなもんである。  かくして連休幕開けの二十九日、ひっさびさに早起きした僕は、一 人大宮から東北新幹線に乗った。ここから一気に盛岡まで約三時間、 駅前で一日数本しかない国鉄バスを捕まえて、小坂の隣町、鹿角市の 大湯温泉まで一時間半。そこで待ち合わせた仲間の車で康楽館まで十 五分。これが最短ルートだと思うのだが、実に実に実に遠い。はるば る遠くに来たもんだと武田鉄矢のような心持で、康楽館前のアカシア 並木と、その向こうの長い桜並木を見上げると、あれれれれれー。花 がないのがさびしかるらむ、などといってる場合ではない。花どころ かつぼみもないのである。かーんと抜けるような春の青空の下、枯れ 木のような桜並木である。「桜のみちのく」は夢のまた夢だったのか。 と、しばし感傷にふける僕の横をぞろぞろぞろぞろと文楽見物客が通 りすぎていく。「もう、大盛況、あたしの本もうれてるわぁ」とうれ しそうなのは、自著「恋する文楽」のサイン会を開催中の作家のK女 史。本日の主役であるN女史はというと、劇場前にしつらえた特設舞 台の上で、人間国宝の吉田簔助操る文楽人形と並んで、眼をうるませ ながら鏡割りである。  中に入って、芝居を見て、それから先は、怒涛の宴会モードである。 誰が何して何がどうなったか、もう断片的にしか覚えていない。”小 さな巨人”豊竹嶋大夫の語る「阿波の鳴門」に女性陣がもれなくオイ 女史の夫で銀座の高級バーのバーテンで世界バーテンダー選手権のチ ャンピオンであるH氏考案のカクテル「簔助桜」を試飲したらこれが ウォッカベースで強いのなんのとか、やみ上がりの僕は三次会の冒頭 までで勘弁してもらったが、みんなは朝方まで酒池肉林(?)だった らしいとか、落語界でただひとり参加した三遊亭竜楽が落語ではなく 狂言の稽古に余念がなかったとか、帰りがけに盛岡駅前で食べた盛楼 閣の冷麺がうまかったとか、ああもうなんだかわかんないうちに一泊 二日の秋田の旅が終わったのであった。  会社に内緒でそんなアバンチュール(?)を楽しんでいたわけであ るからして、連休後半は、さすがに気がとがめて自粛モード。一日二 日は東京でふつーにお仕事して(あ、一日の夜に紀伊国屋の「寄席山 藤亭・漫才大会」にいったのだった)、最後の三連休はどこへも行か ず、静かな黄金週間でしたよYデスク、ほんとに。  というわけで連休明け、考えてみたら五月上席は、のこり三日残っ てないのね。これは大変と、おっとりがたなで出かけた末広亭は、芸 術協会の真打披露興行まっさかりでありました。  まずは、小文改め初代桂右団治の披露目が行われている昼の部であ る。プログラム前半は快治、平治、小文治と続く文治一門が続々登場 だが、遅刻したために軒並み聴けず。中に入ると、可楽の「青菜」も 終盤を迎えていた。  蒸し暑さを和らげようと、場内は、左右の窓を開けはなしている。 客席をかすかなに流れる風の中、キャンデーブラザースの傘の上で回 る駅路(駅鈴)がコロコロと涼しげな音を立てた。  「えー、昨日までは満員だったんですけどね。連休も終わっちゃっ たし、みなさん、働かなきゃなんないんでしょうね」とぼやく伸治。 のんびりした口調は、「初天神」の父親が似合っている。  「あたしはね、八十になったら八十八(やそはち)に名を変えてね、 ほんとに八十八まで生きるんだ。でも、ただ生きてるだけじゃだめ。 ちゃんと芸もやってね」と老後(?)の計画を語る猫八だが、将来よ りも今の芸は大丈夫なのか。何しろ、この人の「猫八ばなし」、毎回 脱線に継ぐ脱線で、頭も尻尾もはっきりしないんだもの。そういう芸 だと言われればそれまでだが、もうちょっと交通整理が出来ないもの か。いきなり、「昔、近所に出羽ヶ獄文吉って相撲がいて、浜町公園 でヘラブナ釣ってんの。これがヘラブナ釣りの名人」とか何とか言い 出した後、「何いってんだろ。さっきから考えているんだけど、自分 でもわかんなくなっちゃった。何にもしないうちに時間になっちゃっ た」だもんなー。で、最後は恒例の物まねリクエスト。「ゴキブリ!」 の注文に「ホイホイ!」は笑った。でも、「楽屋で新真打が買ってき た豆餅かじったらベロ噛んじゃって」ということで、ウグイスの鳴き 声がかすれ気味。「今日はベロ噛んだウグイスで勘弁ね」。長生きし てくれよ−。  日本髪の初々しい俗曲のうめ吉、猫八の芸を受けて、ウグイスの都 々逸を二つ三つ。それから「今流行りの」と前置きして「長崎ぶらぶ ら節」を披露する。まだまだ楷書の芸だが、崩し方を覚えたら、色気 倍増間違いなし、だと思うが。  右団治の師匠、文治会長が「無学者」で前半をぴしりとしめた。新 真打ちに時間を残すため、十八番の「やかん」のくだりの前まででサ ゲたが、知ったかぶりの先生は、今日も絶好調、大きな声で「愚者」 を連発していた。  短い休憩の後、チョーンと柝が入って、お待ちかね、初代桂右団治 の襲名の幕が開いた。「とざい、と〜ざい〜」とよく通る声はだれか と楽屋口を覗いたら、神田ひまわりの元気な顔がちらりと見えた。  高座に並んだのは、下手から、司会役の伸治、一門の兄弟子・蝠丸、 右団治、協会幹部の歌丸、そして師匠の文治、計五人である。  芸協初の女性真打ちというわけで、口上は一様に「落語と女」に触 れている。  「右団治は一時期、女を棄ててましたね。スカート姿なんか見たこ とないし、パンツはトランクスなんですよー(笑)」と伸治。「右団 治が入ってきたとき、面差しがあんまり文治師匠に似ているので、あ、 これは隠し子かと思いました。(大笑)女が男をやるのは難しい。右 団治はまだまだこれから」と歌丸の激励。  ひときわ大きな拍手に迎えられて、師匠の文治の挨拶。「これが入 門したいと言ってきたとき、あたしは『大学の四年間がムダだったな』 といったんです。そしたら『あたしは、怠けるということが大嫌いで す』と答えた。その言葉で、弟子に取ろうと思ったんです。(ここで 背筋を伸ばし、芝居口調で)この右団治、末は大看板になれますよう、 ご贔屓お引き立てを、文治からお願いいたす次第でござります〜」  気を利かしたつもりか、伸治が「演舞場みたいですね」と合いの手 を入れると、それを聞きとがめた歌丸が「(それを言うなら)歌舞伎 座だろう」と苦い顔。  華やかな落語協会の披露目とは一味違って、和やかで、ちょっと古 風で、気持ちのよい口上である。  後半戦はマジックから。「松旭斎八重子、ふじわらのりか、と読ん でくださいね」。はいはい。  続く蝠丸は「代書屋」。このネタ、いろんな人が演じているが、西 で枝雀、東から権太楼のイメージが強い。誰に習ったか知らないが、 蝠丸の「代書」は、聞きなれた権太楼バージョンとほとんど同じ演出 である。異なるのは、代書屋に飛びこんできた素っ頓狂な男の名前。 権太楼は「湯川秀樹」だが、蝠丸は「野口英世」なのだ。サゲも違っ て、「あなたの言うこと、信用できるんですか」「疑うんなら、履歴 書見てください」だった。  歌丸のネタは、ついこの間落語研究会でかけたはずの「厩火事」。 上手いじゃんと感心しているうちに意識が飛んで、気がついたら、ひ ざ代わりのボンボンブラザース、ヒゲの繁二郎が、鼻の頭に紙片を立 てながら、下手桟敷を二往復の大サービス中だった。  トリの新真打ち、右団治。ぴょこんと頭を下げて、第一声は「女で ございます。これでも」。釈迦の一生から、仏教の日本伝来と、型ど おりの長いマクラを振って、「お血脈」へ。生真面目な右団治らしく、 いかにも教科書通り、丁寧な展開は好感が持てる。しかし、クスグリ がいけない。「本を紐解いたら、ばらばらになっちゃった」なんて、 古い古い。地ばなしは、演じ手のセンスが命。応援してやろうという 思いで聴いているのに、こういうとこまでテキスト通りでは、肩透か しを食ったようなものである。どちらかといえば、大作志向の右団治 だが、こういった地ばなしで、「ならでは」の味を出してほしい。と もあれ、華の女性真打ち、門出の春だ。寄席の土からいっぱい養分を 吸って、いつか大輪の花に育ってほしいと願いながら木戸を出た。 そういえば、みちのくの桜はもう咲いただろうかと、雑居ビルのかな たに広がる、およそ五月晴れとはいい難い、どんよりした空を見上げ た。 たすけ


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