たすけの定点観測「新宿末広亭」

その六十七   番組 : 平成十二年四月下席・夜の部  主任 : 古今亭志ん橋(古今亭右朝の代バネ)  日時 : 四月二十四日(月)  入り : 三十六人(六時五十分入場時)  平日の六時過ぎ、開演時間をかなりすぎた末広亭の夜の部へ向かう時の段取りは、 いつも同じである。  大手町から丸の内線で新宿三丁目へ。後方の出口から地下通路に出て、そのまま 目の前の伊勢丹地下一階売り場に入る。目指すは惣菜売り場の奥の「米八」。タイ ムサービスで百円引きになった和風弁当を注文、「おこわは、栗ね」と付け加える のを忘れない。それから階段で一階へ出て、明治通りを渡るのだが、今日はここで、 にわかの夕立である。  「(成田屋気分で)あ、そんなら今のは空じゃくか」  「(とーぜん成駒屋で)雷様はこわけれど、二人のためには結びの上」  こんなところで「湯屋番ごっこ」をしている場合ではない。傘がないのだから、 濡れるばかりじゃないの。あわてて通りを渡って、角の映画館のビルに入りこみ、 自販機で「なごみ笹緑茶」を買って様子を見ていたが、雨脚は強くなるばかり。意 を決して、末広通りをひた走ると、弁当を入れたビニール袋が邪魔にある。やっと たどり着いた末広亭。テケツの脇に「本日、右朝休演、代演志ん橋」という張り出 しがーー。代バネかあ。志ん橋が悪いわけではないが、すっきりしないなあ。右朝 のディープな長講も楽しみだったのに。どうしよう。そのまま帰るか、出直すか。 考える余地はない、これから駅まで戻ったら、びしょぬれの二乗である。なーんて 考えている間も、テケツの前には屋根がないから雨は降り続けているのことを忘れ ていた。ばかだねー(ここは森川信調だな)。もうジャケットの肩がテカテカ。ひ とまず思考停止して入場しようじゃあーりませんか。  最後列のイスで身繕いをしながら、二楽の紙切りを見る。注文は「桃太郎」「藤 娘」「松坂」「鯉のぼり」。うーん、若い紙切りに楽をさせちゃいけない。簡単な のばっか。特に「藤娘」なんて、正楽のお家芸じゃん。「藤娘の持っている藤の葉 っぱの数って、決まってるんです。六十四枚。ハッパですからね。・・・・後は何 も申しません」。仕事が楽だから、こういうベタなしゃれの一つも出るんだよと、 小言モード全開である。  今松のネタは、珍しや「てれすこ」だ。漁場に揚がった不思議な魚。誰も名を知 らぬのをいいことに、珍魚の名を「テレスコ」と言って、褒美の百両をせしめた茂 兵衛だったが、またまた見たこともない魚が水揚げされて・・・。 題名通りの妙な噺だが、今松は淡々と語って、噺の無理を感じさせない。これも芸 の力だろうが、せっかくの話芸、もっと筋のよい噺で発揮してほしいなあ。  高座に釈台が出て、何事かと思えば、面白講談の琴柳の登場である。この人、落 語が好きで好きで噺家になりたくて近所に住む前座(若き日の権太楼!)に相談し たら、「落語家は今いっぱいいる。講談なら少ないから早く出世できる」といわれ て、小金井芦州門に入ったという人だから、はなしが面白くないわけはない。「講 釈師の言うことは半分が嘘。こうして、罪のない釈台をパンパパンとたたきながら ・・」と言いながら「義士外伝」。中山安兵衛の江戸行状記、道場やぶりの顛末を おおらかに読みきった。  「同じ方向見て話してる夫婦」遊平かほりの漫才の間、なんともなしに上手の障 子の隙間を見ていたら、楽屋の奥で何やらピカピカの物体がうごめいている。これ は奇怪なと、高座そっちのけで目を凝らしていたら、幽霊の正体見たり枯れ尾花、 出番を終えた琴柳が帰り支度をしているらしく、着替えで動くたびにスキンヘッド が障子の穴を横切るのであった。漫才の内容は、まったく覚えていない。  古い木造建築の末広亭は、外の雨の状況が手にとるようにわかる。雨は今がピー クらしく、ごうごうという響きが場内を包み、時々ゴロゴロゴロなどという不気味 な音まで聞こえてくる。寄席の客席というより、台風の避難小屋で毛布をかぶって いるような気持ちになってしまうのが、風流とは・・・・言えないよな。  騒然とした中を登場の小満んは、いつもの柔らかな笑顔を浮かべている。「雨も 雷も、ここにいれば大丈夫。ゆっくりしてってくださいよ」と言いながら、「出来 心」へ。声を張りあがることもなく、淡々とした話しぶりなのに、小満んの声が見 事に雨音を消した。良い出来である。  続く権太楼も、雨音を消す熱演だ。  「最近ちょっとウツなんですよ。野球がね、あたしはどこのファンというわけで はなくて、ベースボールそのものが好きなんです。でもね、阪神に三タテはないじ ゃないですか、上原までやられて。ガルべスなんてクビにしちまえ。 昨日は勝ったからいいけど。別にどこのファンというわけではないんだけど・・・」  はいはい、わかりました。で、今日のネタは先代の売り物「猫と金魚」だ。この 演目、僕の世代では、先代円鏡(つまり今の円蔵ね)の十八番という印象がある。 もちろん、権太楼で聴くのははじめてである。ベースはやはり円蔵版のようだが、 すべてのネタを権太楼流にしなければ気に食わない人だけに、「猫金」も独自の工 夫があちこちに。特に面白いのは、終盤、猫退治に担ぎだされたトラさんが、逆襲 されて湯舟にはまるくだり。「キ○タマ食いちぎられた。片っぽ持ってます」「死 んだ金魚だ!」のやり取りの後、「お待たせしました。この金魚を飲みこんで」と いきなり人間ポンプ(古いなー)の真似になる。もう場内爆笑の渦、雨なんか完全 に吹き飛んでしまった。  元九郎の津軽三味線、「『禁じられた遊び』入りのじょんがら」が終わるころ、 「どうも」と僕に声をかけながら、ちばけいすけさんが前のイスに座った。インタ ーネットを利用する落語ファンの間では、「最強の落語リンク集を作った男」とし て知られる演芸通だが、僕は、彼のことをひそかに「客席王」と呼んでいる。なに しろ、落語会への出没頻度が並大抵ではないのである。都内の寄席、地域寄席は定 期的にチェックし、さらに毎月のように大阪方面へ出没して、上方落語の聴きだめ をする。当然、どんどん落語に造詣が深くなるわけだが、彼が立派なのは、客席の 隅っこで顔をしかめながら「最近の若手は」などと小言を言う”ご常連さん”には ならず、いつも最前列で身を乗り出して、たわいない芸にも拍手と笑いを惜しまな いなのだ。ちょっと誉めすぎのような気もするが。  僕がこの「定点観測」を続けている中で、気を付けているのが、自分のスタンス である。文化部の記者という仕事柄、たまには演芸関係の記事を書く事もあるので、 そう言う意味では「関係者」と言えなくもない。だが、「定点」に関しては、自腹 で入場券を買い、普通の客と同じ目の高さで定席を楽しみ、その日見た芸や考えた ことを書いているだけなのである。寄席の空気を目いっぱい吸い込み、面白い演芸 には拍手を惜しまず、手抜きの芸には憤慨し、落語家に祝儀は切らないが、「通う 」という行動で寄席をバックアップする。あえていうなら、プロの客。これが僕の 目標の一つなのだ。そう言う意味で場内を見渡すと、ちばさんの客席の風情に、心 ひかれるものがあるのだ。  で、この夜のちばさんである。  「どうしたんですか、こんな半端な時間に」  「いや、ちょっと仕事が半ちくになって」  仕事が半ちく。粋だねえ。五月の連休の予定を尋ねると、「関西方面に言って、 (桂)吉朝さんの落語教室の発表会と、某大学の落語研究会のイベントを見ます」 だって。ものすごいマニアック。さっき褒めたの、一部取り消しね。  仲入り前は、志ん駒の代演、さん八の間男物「紙入れ」。「間男って、まだ死語 になってませんよね。『あたし、間男しちゃって』なんて使ってるもの」。うそだ い、そんなの聞いたことないぞ。本題の方は、妙に色っぽい演出で、「新さん、じ らしちゃやだってば」なんてお上さんに鼻声出させたりして。演じるのが、お世辞 にもキレイとはいえないさん八だけに、怪しさはますばかりである。  後半の一番手、小ゑんは人気の自作「即興詩人」。池袋から十二分、山手線日暮 里駅で常磐線に乗り換えて、取手から常総鉄道で水街道、そこからバスで十五分の 「つくばからっ風タウン」に住む夫婦が、即興で詩を作りっこするという、なんだ かすごいお話。十数年前、円丈らの新作運動が脚光を浴びたころの代表作品の一つ、 当時はメルヘン新作とかなんとか言ってような気がするが、今聞いても十分面白い。 これ、おすすめかもしれないぞ。  ゆめじうたじの代演、小猫は、小指をくわえて「ウグイスの鳴き方教室」。前で ちばさんが、言われた通りに小指を折り曲げている。僕は後ろの方の席に移動して、 弁当をぱくつく。  扇橋のとりとめのない漫談がオカシイ。ロマンスカーで親孝行をした話から、文 朝の悪口、暴走賊批判の後は竹薮をもらった話と思えば、このごろそばが好きで、 「ざる」より「もり」がいい。それぞれが何の関連もなく、唐突に話題が変わる。 扇橋、ついに壊れたかと思うが、これはこれで不思議な味があるから面白い。「今 日は若円歌さんが送ってくれるそうで、これからあの人がみっちりやりますから、 アタシはこれで」と、さっさと高座を下りちゃった。で、後をまかされた若円歌。 「扇橋師匠とは同じ町内で。今日は車で来たので『師匠、送っていきますよ』と言 ったら、高座で褒めてくれた」だって。  「したい、とイタイの差は、男がしたい、女はイタイ」  「昔はBー29がな・・・」「おじーちゃん、そんな濃い鉛筆つかってんの?」  扇橋の名残か、ナンダカワカンナイまくらをふって、「桃太郎」をたっぷり。 師匠の円歌と、兄弟子の歌奴を合わせたような、って確かに円歌門下の芸でした。  代バネの志ん橋は、大ネタ「井戸の茶碗」である。登場人物がぜーんぶ善人とい う、今時浮世離れした噺なので、下手にやると間延びしてしまう。そのかわり、呼 吸が良いと、実に気持ち良く聴くことが出来るんだな、これが。「正直のこうべに 神宿るというけど、誰のアタマにも神は宿るんです。ただ、悪い奴のとこには長居 しないんですな」と簡単なマクラをふって、すっと本題へ。ドスのきいた、メリハ リ十分の口調だから、当然武士がうまい。今日の「井戸茶」では、そのうえに「武 士は食わねど」という清貧さまで見事に演じきって、「志ん橋の武士」の格が一段 上がった。噺にまけない、良い出来である。  「いい寄席でしたね」  ちばさんと語りながら外に出ると、濡れた通りに涼風が吹いている。いつ雨が上 がったのかは、二人ともさっぱり見当が付かなかった。 たすけ


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