たすけの定点観測「新宿末広亭」

その六十六  番組 : 平成十二年四月中席・昼の部 主任 : 江戸家猫八 日時 : 四月十八日(月) 入り : 三十七人(一時五十分入場時)  ようやく、というべきか、今ごろ、と書くべきか、とにかく四月の半ばを過ぎて、 今年はじめての歌舞伎見物である。  ここ数年、毎月欠かさず歌舞伎座の昼か夜をのぞいていたのが、思わぬ大病で三か 月も中断してしまった。楽しみにしていた正月演舞場の三之助(柳家じゃないよ)も、 歌舞伎座の玉三郎の阿古屋も見逃したし、二月はまあいいとしても、三月は団十郎、 菊五郎、幸四郎のオヤジ三兄弟による「車引」があんたんだよなぁ。その時僕はもう 退院していたし、自宅でリハビリなわけだから、木挽町まで行って行けないことはな かったんだけど、四時間半を超す長丁場、あの空気の薄い、脂粉の香りが充満した古 色蒼然とした芝居小屋でじーっと座っていられるかというと、うむむむむむ、体力、 気力とも、今一つ自信がもてなかったのであった。  そんなわけで、「中村勘三郎十三回忌三回忌」という大看板が掲げられた歌舞伎座の 表玄関に立ったときは、感無量だったなー。病後初めて末広亭の前にやってきた時と 比べてどうかというと、……コメントは控えておいたほうがいいかもしれない。  追善公演にふさわしく、昼夜六本、勘三郎ゆかりの演目がぞろぞろと並ぶ。「俊寛」 に「髪結新三」に「一条大蔵」に「鰯売」…。しっかし、あらためて見てみると、勘 三郎ってのは、芸域の広い人だったのね。時代物良し、世話物良し、踊りに風情と滑 稽味があり、色男も三枚目も達者にこなす。寄席の世界に、こんな高レベルでのオー ルラウンドプレーヤーがいるかしら。多少のずれはあるが、勘三郎と同じ時代に生き ていたはずの僕は、この名優の真価がわからなかった。ほんとうに恥をしのんで言う のだけれど、クサイ芝居をする下ぶくれのおじさんで、これまたクサイ芝居をする勘 九郎のおとっつぁんというぐらいの認識で、勘三郎の出る狂言を避けていたのであっ た。今、勘三郎についてあれこれ言おうとしても、ちゃんとみていないのだからいか んともしがたい。落語でも歌舞伎でも文楽でも、どんなに理屈を捏ねてとしても、「ち ゃんと見る」ということをしなければ、発言に説得力が出てこない。何を言っても後 の祭り、この世にいない人を追いかけるわけにもいかないのだから、今、良くも悪く も気になる人を、きちんと見ておかなければいけないという思いを強くするのであっ た。  当の芝居は、夜の部を見物。与太郎と立派な大名を演じわける播磨屋の柔らかい芸 に感心し、ずらり並んだゆかりの役者たちの口上で亡き十七代目をしのび、「鰯売り」 での玉三郎の意外に達者なコメディエンヌぶりに驚き、ついでに一階桟敷でゆったり 見物の当ページオーナー、あほまろ夫妻に羨望のまなざしをビシバシ送ったりしてい たら、すっかり疲れてしまった。大喜利の勘太郎「鏡獅子」をパスして、劇場を出た ところで、入れ替わりに「鏡獅子」の幕見にやってきた落語友達のS嬢にばったり。 鈴本に歩いて数分の台東区上野二丁目に住み、母校が黒門小学校という、落語ファン の風上にも置けないお嬢様は、僕が担いでいる大きな紙包みを目ざとく見つけ、「あら、 プレイステーション2、手に入れたのね。病み上がりなんだから、根詰めて遊んじゃ だめよ」と説教である。いやいや、テレビゲームも今、きちんと見とかなきゃいかん のだよ、とかなんとか言い訳しながら、久々の歌舞伎見物のほてりをさます間もなく、 地下鉄東銀座駅へのと狭い階段を駆け下りたのだった。  「あ〜ああ〜あ、ここは札幌〜」。木戸をくぐると、「中之島ブルース」が耳に飛び 込んできた。残念、お気に入りの東京ボーイズだが、この歌が出ると残り時間はあと わずかなのだ。歌舞伎座のあほまろ夫妻に対抗して、今日は末広亭に座ろうか。何し ろあっちは一万数千円、こっちはイス席と同じ二千六百円だもんねーと思ったのだが、 上手にも下手にも桟敷には客が一人もいない。そのうえ番組表を見ると、仲入後には 客いじりが得意な玉川スミが控えている。さすがに一人桟敷に居座る度胸はなく、最 近の定位置である下手隅の前から五列目に腰を下ろした。  案の定、東京ボーイズはすぐに終わって、次の冨丸が高座へ。自慢のスキンヘッド を深深と下げて、「今年ご来光を見なかった方、今がチャンスです」。手入れ(?)が 良いのか、きらきらと見事に輝いている。思わず合掌。ネタは、「はなしかの夢」。落 語家のモテモテばなしだが、夢オチのため、めでたさは中ぐらいなり。  時間が押しているのか、小円右の「初天神」は、飴屋に入る前まで。って、主人公 の親子、ほとんど何もしてないじゃないか。  漫談のこくぶけん。いつもの河内音頭による自己紹介もなく、淡々とネタを進める。  孫をフルコーラス(!)歌って拍手をもらうと、「あれ、こんなんで拍手来るんだ。 わたし、別に笑いとろうとしてへんからね」。何かあったのか、やけにクールな高座ぶ りである。  仲入前は、御大・柳昇の「雑俳」。「青空や あなたの財布は シジュウカラ」「JR  目白の次は 池袋」「タンよりも 少しキレイな ツバキかな」…。このくだらなさが たまらないなあと感心してたら、後ろのほうで微かなシャッター音が。振りかえると、 一番後ろに若いカメラマンがいて、脇でちょんまげ頭の背広男があれこれ指示を出し ている。新聞記者という感じではないな、若者向けの雑誌社かと、思わず商売気を出 してあれこれ推測しているうちに、「雑俳」が終わってしまったじゃないかあ。  「僕の名前、こないだ、ケケマルと読んだ人がいるんですよ」という竹丸のツカミ ネタ、ずいぶん前からやってるよね、面白いからいいけど。  林家こん平ばりの大声で畳み掛けてくる、芸能人エピソード集が楽しい。  「初めて時代劇に出演したガッツ石松さん、『あー疲れた。昔の人って、こんな思い カツラかぶってたのか』だって」  「吉幾三さんの太った奥さんがダイエットを思いたって、一年間乗馬を続けたら、 馬がやせた」  マクラは笑えるのだが、本題に入るとちょいとパワーがおちるのが残念だ。この日 のネタは最近よく聴く「旅行日記」。歩く落語検索エンジンの異名もある「ご隠居」H Pの鏑木氏に伺ったところ、「先代林家正楽の作で、今輔系統がやっている」とのこと。 そういえば、竹丸も今輔系だよね。  「あたし、若いでしょ。バケてんのよ。明日やめるっていう前の日にだって、ちゃ ーんと化けて出てくるよ」と、ニヤリ不敵な笑いを浮かべる玉川スミ。粋な都々逸を 聴きながら、この人の素顔はどうなっているのだろう…、あんまりリアルに考えるの はやめておこう。  茶楽の「持参金」、どこかで聴いたなあと思ったら、この間ここ(末広亭)で聴いた、 とん馬のものと一字一句そっくりなのだ。とん馬が茶楽に習ったか、二人して同じと こに稽古に行ったのか、いずれにしても出どこが同じなのは間違いない。こういうこ とが気になりだしたら、落語病も重症ということだ。ご同輩、気をつけましょうね(っ て、だれに言ってるんだ)。  次の笑三と、マジックの北見マキの高座。正直に申告しよう、まったく記憶にござ いません。疲れてんのかなあ、オレ。  昼の部のトリは、浜町の猫八。僕は、この人の住む日本橋浜町の対岸、深川新大橋 の生まれで、子供の頃、隅田川右岸に遊び場所が少ないので、橋を渡って、よく浜町 公園まで遠征をした。その頃から、浜町名物といえば「猫八の家と明治座」なのであ る。  二つ前の芝居の時、昼席に出た猫八が、「こんどのトリには、親父の話をみっちりや るよ」と言ったので楽しみにしていたのだが、小指を曲げて「うぐいすの鳴き方」な どを講釈するばかりで、いっこうに「猫八ものがたり」に入らない。いいかげんしゃ べったところで、「おとっつぁんの話をしようと思ったけど、客泣かせちゃうからな あ」。ここらへんのズボラなところが、この人の味になっているのだが、最近は芸でと ぼけているのか、ほんとにとぼけているのだが、よくわからない時があって、心配だ。 この日も、物まねのリクエストを取るのだが、「馬!」「トキ!」という客席からの注 文がよく聞こえないようなのだ。  「ヒバリをお願いします」「エッ、ナンだって?」「ヒバリ!」「聞こえない」「……、 ウグイスでいいです」。  珍妙なやり取りの後、ようやくウグイスにかかるが、音がかすれ気味で、往年の切 れ味がないのである。物まねばかりではなく、話芸家といても独特の雰囲気を持って いる人だけに、いつまでも元気で、と願わずにはいられない。それにしても、トキの 鳴き声ってどんなのだろう。われらが猫八は、「知りません!」ときっぱり答えていた けれど。 たすけ


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