たすけの定点観測「新宿末広亭」

その六十五  番組 : 平成十二年四月中席・夜の部 主任 : 三遊亭栄馬 日時 : 四月十四日(金) 入り : 約四十人(六時二十二分入場時)  麺友(読んで字のごとく、麺食いの友人のことである)のY嬢から、僕の愛機モバ イルギアに「うどんに関する緊急連絡」が入ったのは、忘れもしない去年の暮れのい つのことだったか(忘れとるやないか!)。このベタなギャグは、讃岐のベストセラー 「恐るべきさぬきうどん」中のチョー有名フレーズなのだが、そんなことはどうでも いい。問題は「きんきゅーれんらく」の衝撃的な内容である。  なんと「東京の某所に、本寸法のさぬきうどんを出す店があるらしい」というので ある。年に一度は四国の内子座に文楽公演を見にいっては、帰りに丸亀に寄り道して 「山下」やら「宮武」やら「小懸家」やら、ディープなさぬきうどん店を探検してい る我々にとっては、あの、いりこだしの、しこしこの、ひやひや(あつあつもある) の、うまうまが、東京で味わえるというのは夢のような話である。さっそく、探索に 取りかかろうといってたが、あいにく昨年の後半は鬼のように忙しく、今日は行こう、 明日はでかけようと思っているうちに年が暮れ、あげくはシンキンコウソクでぶっ倒 れて、わが身の方が緊急事態になってしまったのであった。  退院してから一月半たった四月の半ば。春の足音をとともに、僕の体力はすこーし ずつ、すこーしずつ、回復しているようであった。どうしてそんな気がするのかとい うと、「うまいものを食いたい」という気持ちが出てきたからだ。来る日も来る日もほ とんど味のしな病院食を食べつづけていたせいで、僕の食欲はすっかりやる気を失い、 さあ退院、ステーキ焼肉天ぷら鰻に、ラーメン餃子(これが、患者仲間の「退院した らまず食べたいもの」アンケートの第一位だった)など、夢にまでみたこってりギト ギトメニューも食えるぞという段になっても、「体によくないから、酢の物にしとこう かな」てな具合で、ちーとも盛り上がらないのである。その軟弱な食欲くんがこの節、 ようやく本来の元気とまでえはいかないが、多少元気を取り戻してきたようなのだ。 そうなると思い出すのは、懸案のさぬきうどん。まだつぶれずにあるのだろうか、と 花曇りの空を見あげていたら、Y嬢からのお見舞いメールの最後に「そろそろうどん、 行きますか。場所、特定できました」とあるではないか。持つべきものは麺友だ。僕 がダウンしている最中も、うどん探索活動はY嬢の手で地道にこつこつと続けられて いたのであった。  水曜日の夜七時。我々が落ち合ったのは、京浜東北線の東十条駅前であった。この 日のメンバーは僕とY嬢の二人。ほかに何人か声をかけたのだが、「え〜、じゅうじょ う〜?」「遠いじゃ〜ん」「それって、東京〜?」と、東京北部の庶民的かつトラッド な住宅街に対する無知蒙昧な反応が返ってくるだけ。讃岐出身の某女流作家にいたっ ては「なんか丸亀より遠い気がする」という神をも恐れぬ発言をする始末である。結 局、戸田市の原住民であるY嬢と三郷在住の僕の二人、親十条派埼玉県民コンビが、 「東京のさぬきうどん」突撃隊の栄誉を授かることになったのであった。  前置きが長くなった。こんなにグズグズしていては、うどん店はおろか、末広亭に もたどりつけない。さあ店探しだと気合を入れたのだが、ナンの事はない、目的のブ ツはすぐに見つかってしまった。東十条駅と、埼京線の十条駅を結ぶ、一本道の細長 い商店街の真中あたり、めざす「すみた」は、ひっそりと佇んでいた。外観は、ほー ーーーーーんとに当たり前の「うどんや」である。もう、看板を見て、のれんをみて、 品書きを見ているうちに、看板を忘れてしまうほど、あったりまえの店構え。これは いかに、と恐る恐る入ってみると、中はカウンター六席に、テーブル二つ。カウンタ ーの隅には、おおおおおっ、おでんのナベがあるではないか!たかがおでんに何と言 う反応かと思うだろうが、本場の讃岐うどん屋にはおでんは必要欠くべからざるもの。 正しい讃岐の人々は、うどんをメインに、おでん、ばらずし、いなりなどをサイドオ ーダーして昼食をとるのである。  とりあえず、おでんの盛り合わせとビール。「さしみうどん」という変わった品書き につられてこれも注文した。くーっ、こんにゃくぷりぷり。すじ肉もいける。「さしみ うどん」はというと、うどんを平べったく切ってわさび醤油につける、さしみそのも の。おおっ、この歯ごたえは!なーんてね、我々がいちいち感心してるもんだから、 店のおばさんがうろんな目つきで見てたりして。仕上げは、もちろんさぬきうどん。 Y嬢は「きつね」で、僕は「ぶっかけ」。途中でドンブリ交換したりして、いやあ、堪 能しました。うどんやで長居は失礼だから、讃岐気分ですっと外に出ると、はす向か いは、「ドサの殿堂」篠原演芸場じゃあーりませんか。ここで芝居見て、さぬきうどん 食って、一日遊んでも二千円ちょい、こりゃあ、次は演芸うどんの会だねと、ご機嫌 の一夜でした。  で、この十条探索の二日後に、末広亭夜の部である。まだ、ほのかにしこしこな食 感が残っているうちに、「うどんや」なんぞを聴いたら、たまんないだろうなあ、僕の 食欲は完全回復しちゃうんじゃないか、などと考えながら後方のイス席に座る。  高座はちょうど、金遊が本題に入ったところだった。演目はというと、最近よく聴 く「旅行日記」。うどんではないが、食い物ネタである。田舎の宿でブタ鍋を十人前食 って、お土産にブタの佃煮もらって超低料金、味をしめて再訪したら、今度もトリ鍋 を十人前で土産つき。三度目に訪れた宿で、意外な真相が明らかになる…。古いんだ か新しいんだか、時代設定すらよくわからない新作。ちょっと小三治の口調に似た、 金遊のぶっきらぼうな風情によく合っているが、後味の悪さをどうとるかで、評価が 分かれそうだ。  東京ボーイズのリーダーと、怪しい三味線の六さんは、噂の十条から程近い、北区 滝野川の小学校の同級生。たしか何年か後輩に権太楼がいたはずだ。  しかし六さんは良い味だしてるなあ。「ボーっとしてても芸歴三十六年。レパートリ ーは、君が代、日の丸、蛍の光」「今日は暑いや、ワイアンいこうか」「てんやわんや ですか?」「違うよ、ワイアン、ハワイアン」てなやりとりがあって、「小さな竹の橋」 を三味線でさらりと弾いてのける。これがかっこいいの。  この日の六さん、絶好調のようで、高座は次第に六さんのワンマンショーになって いく。「孫」をちょいと歌った後、「さっきのワイアン、良かったよ。次はジャズを弾 け」「そんな、ご無体な」「じゃあ、ブルースを」「えええっ」。結局、いつもの「中之 島ブルース」でサヨウナラ。ドサの匂いのまったくしない、文字通り東京のボーイズ 芸である。  寿輔の「代書」も、このところよくお耳にかかる。「住所氏名は」「江東区亀戸二丁 目、山田二郎。めったにない名前で」が笑わせる。  「お客様のおかげでご飯が食べられる。といっても、このぐらいではうどんぐらい しか食えない」というのは、いつものツカミのセリフだが、この日は途中入場が頻繁 だった。ゆうゆうと通路を歩いて最前列に座った二人の客をジロリとみて、「うどんが 二本」。さらに二人やってきて、「前にどこかでみた光景。デジャブですな」でくすく す笑いが。ところが、またまた新手の客がやってきて「また来た」には大笑いである。  円雀「転宅」をはさんで、ローカル岡の時事漫談。  「こないだ国会中継見てたら、野中さんが鳩山さんにからんでてね、どうでもいい けど、刺のある言い方なんだ。野中のバラかね」。茨城弁であることを除けば、洗練さ れた芸といえるよね。  仲入前は柳橋の「風呂敷」。ひと昔前の色男といった風情に、古風な口調。町内の若 い衆が隠れている押入れの前にどっかと座って動かない酔っ払いを、「杉野兵曹長の銅 像みたい」というクスグリが似合うの噺家は今時そうはいない。  食いつきに登場の小文治が、達者な「金明竹」を聴かせる。ネタは言いのだが、マ クラが問題で、「下呂温泉に行きましてね、土産物屋を見ると、下呂の女、下呂の香り …」。目の前で弁当食ってる客が目に入らないのだろうか。  日本髪の初々しい、うめ吉の俗曲。この夜は、「りんご節」「ちゃっきり節」と、か わいい声で民謡を聴かせ、その後立ちあがって、「奴さん」を姐さんまで。開いた扇を ぬ胸の前でくるくると廻す仕草にプロを感じる。帰り際、上手から客が駆けつけて赤 いバラのプレゼント。下心ありありの贔屓がつくのは、高座に華がある証拠である。  雷蔵の代演、笑遊が、どういうわけかウケにウケた。もともと、不思議な間でのし ゃべりに独特のオカシさあって、この人の高座の途中で客席を見ると、隅の方で下を 向きながらクスクス笑っている女性客がちらほらいるものなのだが、今夜は客席全部 がはまっちゃったとでも言えばいいのか、とにかく何やっても笑いが帰ってくるので ある。「アタシなんか家が大穴。ほんとなんですよ船橋市大穴町」。これでゲラゲラゲ ラ。「でね、滝不動という駅から、新京成使って西船から東西線のってここまで二時間 四十分。そいで、今日の持ち時間が十三分。多忙な生活です」。さらにギャハハハハハ。  ネタの「かわり目」も、主人公の酔っ払いが「ああ面白かった五百万円使っちゃっ たよ」といいながら百円拾う導入から絶好調。「お寝お寝お寝お寝」と、やたら亭主を 寝かしたがるカミサンが大活躍で、「おおい、何かツマミ出せっていってんだよ」「お 前さんをかい?」。もうとまりません。あまりのウケように、笑遊も苦笑しきりである。  笑遊が客席をひっくり返した後に登場の文治は、「鼻ほしい」。あわてずさわがずの マイペースで、しっかり笑いを取る様は、貫禄すら感じる。イヨッ、文治会長!  キャンデーブラザースの曲芸を挟んで、今夜のトリは栄馬。熱演型で、大ネタを目 いっぱいやってくれるのはいいが、力みが目だって、聴いててくたびれるという印象 があった。それがここ数年、微妙に肩の力が抜けて、熱演は変わらないが、とぼけた 味が出るようになった。一皮むける途中といっては、失礼だろうか。  「えーっ、落語ですので…。『時そば』の時代に割り箸があったかどうかとか、小朝 と比べてどうだったか、というようなことは考えずに聴いていただきたいと…」とマ クラを振って、得意の「紺屋高尾」へ。  「花魁はなぜ花魁といったか。というのは、文治師が(「鼻ほしい」で)説明いたし ましたので」という導入には笑った。絶妙のペース配分で、絵草紙に描かれた花魁に 恋わずらいし、三年分の給金をためて吉原ヘ向かう紺屋職人の心意気を丁寧に描く。 丁寧過ぎて、中盤ダレてしまうのが惜しいが、ころころと太った朴訥な風情が、まっ すぐな真情を描いたこの噺に良くあって、好感の持てる高座になった。  寄席がはねて、はて小腹がすいた。ここはうどんと行きたいところだが、惜しいか な、新宿辺りで上手いうどんやを知らない。桂花のターローメンにするか、伊勢丹側 に出て「げんこつらーめん」で我慢するか。麺友を連れてくればよかったと、ちょい と後悔した。 たすけ


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