たすけの定点観測「新宿末広亭」

その六十三   番組 : 平成十二年四月上席・夜の部  主任 : 柳家喬太郎  日時 : 四月七日(金)  入り : 約百二十人(午後六時五十分入場時)  今月初めから、会社に通い始めた。元旦から一か月半の入院生活、その後一か月半 の自宅療養をへて、三か月ぶりの職場復帰である。  入社以来二十年余、こんなに長く仕事を休んだのは初めてである。堅気の人の出勤 時間をとっくに過ぎた午前十時過ぎ(僕らにはまだ早朝なのだが)、大手町に到着。一 階玄関を入る動作が何ともギコチナく、受付で止められはしないかと、思わず「棄て 犬のようにおどおどした喬太郎の上目遣い」(BY なぎらけんいち@ホテルオークラ 真打披露パーティー)で警備員を見あげてしまったじゃないか。  無事に検問を突破(?)して、五階の編集局エリアへ。エレベーター前、トイレの 前、禁煙スペースで、三人の先輩に呼びとめられ、「おお、出てきたか」「はあ、暖か くなりましたから」などと、冬眠開けの熊のような挨拶を交わし、その後、病状説明 をえんえんとさせられる。暴飲暴食ストレスの坩堝である新聞社で働くおじさんたち には心臓病は他人事ではないらしく、明らかに「オメ−のことよりオレの体が心配な んだよ、最近胸が痛いような気がするし」といった風情で、嵐のような質問を浴びせ られるのであった。  意外なことに、会社側は病み上がりの僕に、かなり配慮をしてくれたようで、「当面、 夜勤や出張はなし。テキトーにやっててね」というようなことを言ってくれたりする のである。これって、いわゆるひとつのブラブラ勤務じゃないの。会社公認のブラ勤 なんて、夢のようだ。よーし、毎日映画や芝居や寄席に行っちゃおーと思ったのはい いが、実際は、仕事先への挨拶回りや快気祝の手配、たまりにたまった郵便物&メー ルの整理に、同僚先輩後輩への病状説明と、雑用が多い。そのうえ久々の電車通勤は けっこう体にこたえたりして、とてもブラブラしている雰囲気ではないのであった。  そんなわけで、懸案の末広亭「たい平・喬太郎真打披露興行」に行ったのは四月も 七日たってから、というテイタラクなのであった。  特別興行の高座は華やかである。色あせた戸襖は鮮やかな後ろ幕で覆われ、上手に たい平、下手に喬太郎へのお祝いの品がずらり並ぶ。日ごろが地味な末広亭だけに、 日ごろがジミーな末広亭だけに、色とりどりの装飾が期待以上に映える映える。上席 後半(六日〜十日)は、喬太郎のトリとあって、ピンク色の後ろ幕は「日大経法商落 語研究会OB会有志一同」と母校の仲間たちのココロザシである。  二時間近くの遅刻で、どうなることやらと思ったが、入りはまずまずといった程度 か。イス席はほぼ埋まっているが、桟敷がすかすかである。上手桟敷の中ほどに陣取 ると、前は若い父親に連れられた、小学校低学年ぐらいの男の子と女の子。すでに退 屈しているようで、前の手すりにもたれかかって、けだるそうに缶ジュースをすすっ ている。  さて、高座はとみると、喬太郎の師匠、さん喬得意の「締め込み」である。鈴本初 日のインターネット生放送では、きちんと正座してクソ真面目に受け答えをしてしま い、聞き手の二ツ目(前座かな?)を恐縮させたらしく、楽屋では、明らかに主役の 喬太郎本人より緊張しているとささやかれているらしい。この日の高座も全力投球。 空き巣ねらいが荷物をこしらえて逃げようとしたときに家人が帰宅してしまい、泥棒 はあわてて台所の羽目板を剥がして隠れてしまう。置き去りの風呂敷包みを見た主は 「女房が男と逃げる準備をした」と早合点。折り悪く女房が帰ってきたから大変だ。 所帯道具が飛び交う大喧嘩に、たまらず仲裁に飛び出した泥棒氏、なんとか騒ぎを収 めた後、「ところで、おまえさん、何者だい?」の問いに、「…、そこです」。答える前 の一呼吸が、絶妙な間となって、爆笑を誘う。変幻自在、機知に飛んだ喬太郎の新作 とは、正反対のところにあるオーソドックスな演出。こういう本格派を師匠にもった ことが、喬太郎の新作に、さらに豊かな奥行きを与えることを期待したいよね。  協会幹部の日替わり交互出演、本日の出番は、円歌会長と、理事の木久蔵である。 まずは、円歌だが、最近疲れ気味なのか、高座にもうひとつ冴えがない。「さっき出た 歌之介がね、川口に家を建てたんだよ。これが二億四千万円だって。弟子にしてくれ って言って来たときは、家の前で寝袋に三日いたんだよ」と笑いをとった後は、中沢 家のショートバージョンを流しただけ。と、待てよー。歌之介の川口の新居がにおく よんせんまん〜?ほんとなら許せないな、三郷でへっぽこマンションでン千万のワタ シ。  幹部二番手、木久蔵の方は「きのうニューヨークに言ってて」などと言ってたが、 旅の疲れも見せず、「千恵蔵伝」で場内を引っくりかえした。「こないだBSで獄門島 を見たら、金田一役の千恵蔵さんのセリフだけ字幕が出るの。なにいってっか、わか んないから」には大笑い。木久蔵演じる意味不明の「千恵蔵節」は、今村次郎・信雄 親子(昔の演芸速記の第一人者)でも、ノートに書き記すのは不可能だろう。  紋之助の江戸曲独楽も絶好調。輪抜け、刃渡り、末広と次々に芸を繰り出してくれ るのだが、どうも今一つ物足りない。上手くなりすぎなのである。この人が寄席に出 た頃、あぶなっかしい手つきにたまらなくオカしく、観客はハラハラドキドキしなが ら大笑いしたものだ。ぐんぐん安定感が増すのはいいが、あのヘタウマのオカシさが なくなるのがツマンナイと思うちゃうのは、客の勝手な言い分だよなあ。  たい平の師匠、こん平の高座が前半の締めくくり。いつもの「チャーザー村」でそ つなく笑いを取っているが、新真打たい平に対する言葉が何もないのが、ちと寂しい。 すぐ後に口上があるからいいといえばそれまでだが、師弟のつながりを示すエピソー ドが一つでも入れば、贔屓客であふれる場内の空気がさらに暖かくなるはずと思うの だが。  後半すぐに披露口上が始まるので、仲入の間、なんだか落ち着かない。トイレの前 で並んでいいるうちに幕が開いたり、弁当食べきれないうちに「とざい、と〜ざい」 が始まったらマヌケだしと考えているうちに時間が過ぎ、結局何もしないまま幕が開 いてしまった。  後ろ幕が変わって、作法通りの定式幕。「池袋 曽我部与利」と記してあるのは、贔 屓客の名前だろう。  高座に並んで頭を下げているのは、下手から、木久蔵、円蔵、こん平、新真打のた い平・喬太郎、さん喬に、会長の円歌。七人並ぶとなかなかの壮観である。  僕は個人的には、型どおりの古めかしい口上が好みである。ところが、鈴本での披 露口上は、司会役の馬風のワンマンショーだった。プロ野球の展望を延々と語り、幹 部連中をおちょくった挙句、「たい平・喬太郎ファンの女性は一手にアタシが引き受け て」と増長する爆笑篇。これ、一回ぐらいならいいけれど、二度目となるとクサい分、 鼻についてしまう。この日の木久蔵の司会は、オーソドックスな部類に入るのだろう が、ひっか廻し役の円蔵が浮いてしまった。七人抜き昇進のたい平、十二人抜きの喬 太郎に向かって、「抜かされた中にはアタシの弟子はいました」と笑わせたのはいいが、 他の師匠連の口上にチャチャを入れる時の間が悪く、場内が盛り上がらない。当意即 妙のギャグが売り物だった爆笑王円蔵に、ちらりと衰えの影を見た。ともあれ、決り 文句の口上、お約束の三本締めと続く型どおりの進行は、すっきりとして気持ちが良 い。これが最良の型として継承されてきたのだろうなあと思いながら、新真打の門出 を祝って、しゃんしゃんしゃんと手を打った。  華やかな舞台に、ゆきえ、はなこのドレスが映える。自称「台湾芸者の売れ残り」 だが、どうしてどうして。意外な声量でアリアを聴かせてくれる「蝶々夫人」。ベテラ ンの若々しい高座がうれしい。  「アタシはね−、食い物を目標においてましたね。天庄の天ぷらとか、かね万の河 豚なんかを、自分の稼ぎで食えるようになりたいと頑張ってきた」と、若き日を懐か しむ円蔵。思いつくままに小噺をやってから、「おい、与太郎、こっちこい」「今ごろ ネタやるのか?今、道具屋やろうと思ってやめたろ」。で、また小噺へ入るというスク ランブルな展開。高座を下りるタイミングを失したらしく「おい、あと五、六分やら せろよ」だって。「どんな時でもわっとウケさせて下りたいんだ」というのは、噺家の 美学なのだろうが、そういう裏話をみーんなしゃべっちゃうのが、江戸前の裏返しで ある円蔵の芸なのだろう。  さて、いよいよ本日のお目当て、たい平の登場だ。客席のあちらこちらにいる常連 ファン(この日まで十七日間に十二日通った、という猛者もいるのだ)によれば、今 回の披露興行では、喬太郎は日替わりで新作、古典のネタを変え、たい平はネタを絞 って得意ネタ数本を繰り返すやり方とか。  で、今夜たい平が選んだのは「湯屋番」。爆笑系で、若旦那モノで、クライマックス が一人キ○ガイで、成田屋成駒屋の物まねが入る。彼の得意技を全部ぶちこんだ「た い平落語」の典型といえるネタといってもいいだろう。さすがに自信にあふれた高座 で、披露目のプレッシャーなどどこへやら。特別のことをやるわけではなく、いつも やってることを、いつもどおりに演じることで、地域寄席の若い客や地元秩父の身内 客ではない、普通の寄席の客に、林家たい平という新真打をくっきりと印象づけるこ とに成功した。古臭いほめ言葉だが、さわやかな若武者ぶりである。  ひざ代わりは、仙之助仙三郎の太神楽。一つ鞠、傘、バチの取り分けと、軽快な流 れが、披露目興行のクライマックスを迎えようとしている会場の微妙な緊張をほぐし ていく。  もう一人の真打ち、喬太郎が青白い顔でトリの高座に上がった。学校寄席のわけの わかんない生徒たちからガッチガチの落語マニアまで、時と場所と時間と客層に合わ せて、とにかくウケる芸を演じることができるという、稀有なセンスの持ち主が、鈴 本の初日から十七日たっても、その表情に硬さが見せるのが面白い。真を打つという 事実の重さは、僕たちタダの客には計り知れないものがあるのかもしれない。  「さて、ひとつ腹は、腹調べ」と、さきほどの太神楽をもじって、いきなりの腹芸 である。膨らんだ腹を波立たせながら、「これでおしまいって、いいのかな」に、会場 大爆笑。とにかく笑いをとって安心したのか、顔色に生気が戻って、いつもの自在な マクラに入っていく。  新宿駅の恋愛模様から、池袋の待ち合わせ場所の薀蓄へ。独特の観察眼に裏打ちさ れた今風の、しかし一筋縄ではいかない若者像に大笑いさせられながら、今日は何を やってくれるのかを推理する。恋愛モノといえば「純情日記・横浜篇」か「すみれ荘」 だが、池袋が絡んでくると「派出所ビーナス」だし。ううむさすがに喬太郎、簡単に ネタばらしをさせないなと感心していると、ほんとに予想を裏切って「ほんとのこと いうと」に入ってしまった。  長男のフィアンセをはじめて家に招いた平凡な一家。ところが、このフィアンセが とんでもないオンナで、好物はナルト、弟はシャブ中毒で、妹は風俗嬢だったりする。 「こんな立派なおうちには、ワタシお嫁にこれない」と泣き崩れるフィアンセを見て、 男の父母や兄弟は…、というブラックなホームドラマである。  噺の白眉は、喬太郎による人物の演じ分けだろう。平凡な母親、俗物っぽいオヤジ、 ヤンキーがかった弟に、いかにも今時な女子校生の妹。古典落語のテクニック(それ もかなり高度な)を駆使しながら、まったく古典の香りを感じさせない「今時の物語」 を笑いの中に展開していく。おそるべき技量である。ただ、現時点では、この凄さは 新作にしか発揮されておらず、古典落語となると「達者だな」という域を出ていない。 これから、なのである。  「どんな時でもサービス精神を忘れない」というたい平、「新作、古典の区別なく、 喬太郎ワールドを作っていきたい」という喬太郎。これから、新作か古典かなどには 興味もなく、二人の顔なんか見たことない、盆と暮れしか落語を聴かないフツーの寄 席の客の前にして、果てしない真剣勝負を繰り返すのだろう。披露目を終えた後の、 通常興行のトリが待ち遠しい。 たすけ


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