たすけの定点観測「新宿末広亭」

その六十一   番組 : 平成十二年三月下席・夜の部  主任 : 三遊亭円雀  日時 : 三月二十六日(日)  入り : 約百二十人(五時四十八分入場時)  今日は大相撲・三月場所の千秋楽である。  東両国・緑町の病院でこの世に生を受け、相撲部屋の中を近道して回向院の近くの 幼稚園に通った経験がある僕だが、相撲自体をそんなに好きになることはなかった。 テレビで見る相撲取りは粋で綺麗でだが、実際に相撲部屋にたむろする出世前の若い 衆をみると、汗くさく暑苦しいだけで、「お相撲さんにはどこよて惚れた 稽古帰りの 乱れ髪」なんて雰囲気はどこにもないのである。大鵬柏戸佐田の山豊山北の富士琴桜 貴乃花(先代だよ)北の湖と、横綱大関が代がわりするたびに贔屓をふやしてテレビ 桟敷で熱狂する親父を横目に「ケッ、つまんねー」と悪態をつきながら、野球盤に熱 中する僕は、下町のガキとしては異端児だったのだろう。  そんな僕が、珍しく今場所は相撲中継を律儀に見ている。思えば二か月、あの入院 生活のさなか、ロビーのテレビで見る夕食後の相撲中継(病院の晩飯は午後五時から なのだ!)は、数少ない”刺激物”だったのである。そのころはまだ、体の状態が良 好とはいえない時期で、本を読んでも見舞いの応対をしても、すぐに疲れてしまう。 その中で夕食後一時間足らずのテレビタイムは、数少ない気晴らしだった。ドラマは 嫌いだし、野球もサッカーもオフシーズン、見るものといったら、相撲の正月場所し かなかった。「しょうがねーなぁ」ぐらいの気持ちで毎日見ていたら、これがけっこう 面白い。大関昇進を狙う武双山の快進撃は実に単純明快で、ふさぎがちな僕の心を、 晴れ晴れとさせてくれたのだった。  恩返しというわけでもないが、三月場所は初日から見ている。若乃花引退で幕をあ けた賜杯争いは、幕尻の貴闘力の健闘で意外な展開を見せている。  千秋楽、貴闘力が雅山に勝てば初優勝、まければ四人とか五人とかの決定戦になだ れこむのである。さて優勝の行方は・・・、といきたいところだが、肝心の千秋楽の 夕方に、国技館ならぬ末広亭の桟敷席にすわろうとしている僕には、知る由もないの であった。相撲も大事だが、お不動様じゃなかった「定点観測」にかなわない。やみ 上がりで再開したとたんに「また途切れました」ではしゃれにならないのである。  そんなことを考えながら、桟敷席の手すりのふたをあけて履物をしまっていると、 高座からいきなりニュース速報が。  「今日、貴闘力が雅山をやぶりました」  驚いて顔をあげると、漫才のひでや・やすこが、満場の拍手を浴びている。やっぱ り寄席はこうでなくちゃ。平幕優勝、それもあとがないドンジリの快挙である。よー し、俺も負けないでがんばろう、と思うほど素直な人間ではないが、なんとなくすが すがしい気分になるじゃないか。よかったなあ、貴闘力。  活気づいた客席に、漫才もはずむ。最近急増しているという女性運転手をネタにし たコントの歯切れがいい。  「運転手さん、新宿三丁目まで」「へーい、まいど」「魚屋か、おまえは!」「いやあ、 江戸っ子の運転手・・・」。茨城弁丸だしのやすこが可愛い。  貧乏連中がやたら元気のよい夢太朗の「長屋の花見」。続いて登場の枝助が、さっそ く貴闘力をネタにする。  「相撲、いいっすねー。アタシも幼少のみぎり、両国には相撲部屋がいっぱいあっ てね。そうそう、アタシは両国の生まれで、緑町から錦糸町に引越したんですよぁ」・・・、 僕と同じじゃないか!  さすが同町内、この日の漫談は、懐かしい地名がぞろぞろでてくる。  「錦糸町、大島、砂町といったあたりは、東洋のベニスっていわれてたんですよ。(ぎ ゃはははの笑い声に)いや、ホント。雨が降ると、すぐ水が出るからね。アタシなん か筏組んで学校行ったもんですよ」そうそう。水が出ると面白くてね、材木で舟つく ったなあ。今考えるとフケツな町だった。  この日の場内は、百人ちょっとの客の半分ぐらいがオバサマの団体。ただでさえよ く笑う女性連中が、ボンボンブラザースの高座で爆発した。ヒゲのにいさんが、鼻の 頭に紙をたてる、あの名人芸をやりはじめたら、もう笑いがとまらないの。ボンボン も調子に乗って、鼻に紙をたてたまま下手桟敷を行ったり来たりすると、さらにテン ションが高くなった。  オバサマたちの盛り上がりは、桃太郎の出番になっても変わらない。桃太郎も、客 層を考えたのか、いつもの「ニュース解説」のあと、漫談調の「裕次郎物語」へ入る。 小樽で生まれ神戸、湘南で育った裕次郎と、長野の田んぼの中で遊んでい桃太郎の「青 春時代くらべ」が漫画チックでおかしい。両人の顔、どことなく似ているといったら、 裕次郎ファンは怒るだろうか。ぽちゃっとしたホッペと坊っちゃん刈りなんか、近い と思うのだけれど。  小円右は、このごろよく聴く「湯屋番」。ニンにあった噺だとは思うが・・。  北見マキのマジックをはさんで、寿輔もこのごろよく聴く「代書屋」。ニンにあって るとは思わないが、ちょっとうれしい。二人のこの差は、何だろう。  「最初から聴いてる人には、ちょうどこのあたりが胸付き八丁ですよね。これを乗 り越えれば・・」。仲入り後の一番手、とん馬のツカミにうなずくオバサマたち。さて は笑いすぎて疲れたかな。とん馬の方は疲れも見せず(当たり前か)、いやみな噺であ る「持参金」をあっさり味で演じて立ち上がり、陽気に「かっぽれ」を踊ってくれる。 眠気覚ましだけではもったいない芸である。  「コホン、今日は雰囲気を変えて、まずフーガト短調協奏曲第一楽章アレグロから」 といいながら、クラシックはやらずに、愛唱歌を歌う東京ボーイズ。意外なハーモニ ーのよさで「ふるさと」を聴かせる。  「ひょっとすると、ダーク・ダックスを超えたか」  「そーんな上手じゃないよ!」  小柳枝の登場にあわせて、「待ってました、師匠!」の声。最近、よく声がかかるな ー。おっかけでもいるのだろうか。気をよくした小柳枝は、大ネタの「小言幸兵衛」 をたっぷり。これで帰ってもいいかなという、弾んだ高座だった。  対象的に、夢丸はご機嫌が悪そうだった。ネタは「看板のピン」。チョボイチに興じ る若い衆の調子が強すぎるのが気になるが、まずまずの出来である。ところが夢丸は、 サゲの後、ムッとした顔で高座を下りた。何が気に食わないのだろうか。  「今は梅のつぼみ。あと五十年たったら・・・、立派な梅干になっているでしょう」 とにっこり笑う、桧山うめ吉。「春はうれしや」を歌った後、自作のおり込み川柳を披 露したのはいいが、色っぽい文句をはっきりくっきり読んで、「こーゆーことになりま す」と解説するのだ。これじゃカルチャーセンター、もうちょっと色気がほしいぞ。 せっかくの日本髪がもったいないよね。ラストは三味線を置いて、「奴さん」と「あね さん」を踊る。かんざしがゆれて、こちらは十分つやっぽい。  トリの円雀は、これまたよく聴く泥棒噺の「転宅」である。若手の場合、末広亭の トリなんて年に何度もないのだから、ふだん演じているのではなく、トリでしかやれ ないネタを聴かせてほしいものだ。口なれた噺で手堅くというのも、ひとつの考え方 ではあるが、せっかくのアピールのチャンスなのにと、この日の「転宅」が平均点以 上行ってるだけに、ついつい小言オヤジになってしまうのであった。  帰ったら大相撲ダイジェストをみなくちゃ、と家路を急ぎながら、そういえば、今 日は相撲ネタがひとつもなかったことに気が付いた。えつや・やすこの「速報」にあ れだけの拍手がきたのだから、後の出番が相撲噺をやればウケるのは確実である。「阿 武松」やら「花筏」やら、トリでもスケでも出来る噺はすぐに思いつくはず。場内の 空気や熱気をよんで変幻自在、それが寄席芸人の面目ではないだろうか。ひとつ物足 りない思いを抱えつつ、新宿駅から大宮行きの埼京線に乗った。 たすけ


表紙に戻る     目次に戻る