たすけの定点観測「新宿末広亭」

その六十 たすけ復活!  番組 : 平成十二年三月中席・夜の部  主任 : 古今亭志ん橋  日時 : 三月十七日(金)  入り : 四十一人(午後五時三十分入場時)  リハビリウォーキングを始めて一か月。最初は恐る恐る自宅の回りを徘徊していた が、調子がいいので徐々に距離を伸ばすことにした。流山街道をのこのこ歩いて二十 五分、江戸川の河川敷にたどり着く。はぁーっと深呼吸すると、まだちょっと寒いな。 あくる日は、河川敷のちょっと手前、JR三郷駅から、武蔵野線アーンド常磐線で松 戸まで。伊勢丹にヨーカ堂。いわゆるひとつのデパート巡りである。そのまた翌日は、 思いきって松戸の先、北千住まで距離を伸ばした。もう地下鉄エリアだぜ。  そして今度は、会社のあたりまでと思ったけど、せっかくだから大手町を通り越し て、ぬあんと築地まで出張ってしまった。今年初めて映画見物。デンゼル・ワシント ン主演の「ボーン・コレクター」の試写を見るためである。本願寺の前を回って、聖 路加病院の脇をすり抜けると、聖路加タワーがどどどーんとそびえている。そのバカ 高いビルの一階にソニー・ピクチャーの映写室があるのだ。僕は一応、映画記者会の 会員だからね、お仕事の一貫として堂々と入ってかまわないよな。ほんとはリハビリ お散歩の途中に立ち寄っただけであり、ヨーカ堂の安売りで買ったセーターにチノパ ンといチープな姿ではあるけれども。  どちらかというと邦画の方が得手で、小津とか山本(薩)とか森田とか黒沢(清の 方だよ)なんてのばかり見ている僕が、バリバリのハリウッド映画を試写で見ようと 思ったかというと、この「ボーン・コレクター」の原作である、ジェフリー・アーチ ャ−の小説本が、あの情けない入院生活の中で数少ない楽しみを提供してくれたから である。  手術を目前に控えた一月の終わり頃、○スペクトという出版社のT社長以下三名が お見舞に来てくれて、「退屈な時はこういうのが一番」と置いて行ったのが、週刊文春、 新潮、宝石、アエラ、ニューズウィーク。明らかにキオスクの前のほうに並んでいる 雑誌をテキトーに買ってきたという感じのラインナップの中に、一冊だけ、ハードカ バーが混じっていた。それが「ボーン・コレクター」だったのである。もちろん僕は 俗っぽい人間だから、まず週刊誌を片っ端から読み散らした後、「あーあ、翻訳本の長 いのって、疲れるんだよな−」とかなんとかいって、ちんたら読み出したら、これが 面白いの。どきどきはらはらわくわく、どきどきはらはらわくわく(以下略)、こんな に夢中になったら心臓に悪いじゃないかと思いつつ、一気に読み終えてしまった。ニ ューヨークに突如現れた異様な連続殺人鬼に立ち向かう、四肢麻痺の天才学者。いや くぁ、最高っす。しかしねー、今考えたんだけど、ついこの間まで集中治療室で首以 外は動けない生活をおくっていた男の見舞いに、四肢麻痺の警官が主人公の小説を持 ってくるか、フツー。そういえば、友人の作家広谷鏡子さんは「アタシの作品が初め て文庫になったの」と、老人介護をテーマにした重―い小説(冒頭、寝たきり老女が いきなり脱糞するの、名作なんだけどね)を持って来たっけなあ。僕の友達っていっ たい…。  とまあ、そういうわけで、病院での恩返し、映画のほうも見なくちゃね−と、三郷 くんだりからはるばる遠征して来たのであった。で、デンゼル・ワシントン。往年の シドニー・ポアチエを二枚目にしたような、全身これ「正義の人」という感じのワシ ントンが主人公を演じた為に、原作のいかがわしいホラーアクション的雰囲気が薄れ て、まっとうな警察アクションになってしまったけれど、これはこれで面白い。ハン ディキャップなんかに負けず、常にベストを尽くさなきゃ。ものすごく単純なテーマ が、病み上がりの僕の胸にじわりとしみこんだ。  映画の話が長くなったが、末広亭の夜の部に行ったのが、試写のわずか二日後。ま だ会社にも出勤していないというのに、毎日遊び歩いていていいのだろうか。いやい や、色々なことにトライして、体に活を入れるのもリハビリの目的だよなと自分に言 い聞かせつつ、ようやく寄席の木戸をくぐったのであった。今日はマクラが長いなー。  高座は、ちょうど右朝の「狸の札」がサゲにかかるとういうところ。あれれ、プロ グラムより右朝の出番が早いぞ。さては「他のちょっといい仕事」(by新山真理)が あるのか。  次の小里んは「二人旅」。このネタ、この場所で、この人と扇橋に何度も聴かされて る気がするのだが。  「相合傘」でご挨拶の小正楽。最初の注文は、昨日引退を表明したばかりの「若乃 花」。不知火型の土俵入りを切って、拍手拍手である。「女子マラソン」「三味線」と続 けて、さっと高座を下りるさりげなさ。これが酒が入ると…、ガラリ違うだよね、こ こだけの話が。  馬桜は「黄金の大黒」を半ばまで。続いては、円菊の代演で、さん喬が登場。得意 の「天狗裁き」だが、今日はかなりの短縮版か。桟敷、床の間、戸ぶすまと、マクラ で末広亭の内部構造を解説(?)する。楽屋を覗いて「今日はおまささん、『雨あがる』 でコジキやってましたね」と必ず下座を紹介するのが律儀じゃないか。  流しの経験もある近藤志げる、「ナツメロコンピューター、なんでも歌います」に、 後ろのほうのご婦人が、恥ずかしそうに「あざみの歌」。前のほうの男性は大きな声で 「川の流れのように」。そのての歌なら「港が見える丘」か「君待てども」がいいな、 僕は(って、いつの生まれなんだ)。  さん福のネタは、めずらしや「五目講釈」。居候の若旦那が講釈にはまって、町内の 連中を集めて一席聴かせるが、これが「忠臣蔵」の中に「真田幸村」が入るようなゴ チャマゼ講釈で…、というオハナシ。さん福の場合、噺の眼目である講釈がやや力不 足。修羅場でビシッと決めてくれなくちゃ。  「客席は冬だな−」。円丈の代演、川柳は、自分のギャグへの反応が気に召さない様 子。「近藤志げるが『赤い靴』やったんじゃないの?あれやると、暗くなるんだよねー」 とやつあたりしつつ、「歌は世につれ」から「パフィー」へ。「寄席のほうも『これか らも〜よろしくね〜』」でサゲた時には、客席は早春ぐらいにはなっていたようだ。  とし松の曲独楽を見ていたら、たまらなく眠くなった。まだ入院生活の名残りがあ るようで、夜になるとすぐに眠くなる。このぶんじゃ、仲入りで弁当食べると確実に 寝るぞなどと思っていたら、次の中トリ、一朝の時、客席後方から大きなイビキが…。 イビキも大きいが図体もでかそうである。高座の一朝は、そんなことはお構いなしに、 得意ネタの「片棒」を演じている。ラスト、ケチ兵衛への弔辞のくだり、件のイビキ が合いの手に入るのが、オカシイやら腹立たしいやら。  休憩の間、 ブリ大根に栗おこわが入った米八弁当で腹ごしらえ。入院中は午後五 時に夕飯(!)だったから、これでも遅いほうなのだ。  さて、後半戦。食いつきの駒三「後生鰻」でとろとろ。ゆめじ・うたじの漫才「シ ジュウカラ」でコクリコクリ。ううううう、まずいじゃないか。病院と違って、世間 はまだ消灯じゃないぞ。  文朝「熊の皮」でようやく目がさめた。このネタ、最近三太楼が工夫して、よくか けているようだが、あまり工夫していないように思える文朝のも面白いんだよね。人 のよい甚兵衛さんと、やはり人のよい医者の先生。どちらも、温かくほほえましく、 きいていてゆったりした気持ちになる。ああ、いかん、ここでホッとしていてはまた 睡魔が…。  「末広亭は安心ですよねー。いつ火事になっても、すぐ逃げられる。どこでも蹴飛 ばせば、すぐあきますから」と、とんでもないことを言いながら、円蔵が登場する。 敬愛する先代権太楼の思い出を語って、ネタ代わりに、権太楼作「猫と電車」のあら すじ(!)をしゃべる。帽子の中に猫隠して電車に乗って、「あのお客さん、猫かぶっ てた」。面白いじゃないの。途中、「志ん橋さーん、いいお客さんだよー」と大声で楽 屋に呼びかけた後、「漫才のとき静かだったからね」だって。トリの後輩に対する心遣 いだろうが、客としては、噺があちこちに飛んで、めまぐるしいばかりである。    仙之助仙三郎の太神楽を挟んで、本日のトリは志ん橋の高座である。円蔵が看過し た通り、頭数は少ないが、「聴こうじゃないか」という客ばかり。志ん橋も、それを肌 で感じているのであろう。マクラもそこそこに、「薮入り」に入った。この人の個性は、 ドスの利いた声と、歯切れのよいタンカだが、今夜の「薮入り」では、お店に奉公に 出した一人息子が三年ぶりに宿りで帰ってくるという朝の、職人気質丸出しの父親の 心の動きを、抑え目な語り口で丁寧に描き出した。「薮入り」といい、「居酒屋」とい い、志ん橋には、先代金馬のネタが合うようだ。メリハリのある口調という共通点が あるうえに、明快な金馬落語と一味違った陰影のようなものがある。志ん橋演じる金 馬ネタ、もう二つ三つ、聴いてみたいと思った。 たすけ


表紙に戻る     目次に戻る