たすけの定点観測「新宿末広亭」

その五十七 たすけ復活! 番組 : 平成十二年三月上席・昼の部 主任 : 三遊亭遊三(昼) 日時 : 三月五日(日) 入り : 約百五十人(午後一時入場時)  正月に心筋梗塞で倒れて以来、二か月ぶりに新宿三丁目に戻ってきた。薄日射す日 曜日の昼下がり、久々に見る末広亭は、相変わらず古臭くてかび臭くて、しかし懐か しく温かい。こちらの勝手な感傷などには目もくれず、いつも通りのたたずまいをみ せているのであった。  テケツで二千八百円なりを支払い、モギリで半券とプログラムを受け取り、木戸を 入ると、水色の上っ張りを着たお茶子さんが、空いてる席を指差してくれる。何もか もが、去年と同じ。違うのは、悪友Xが、勝手知ったる様子で僕の前をずんずんと歩 いていくことだけである。    と、ここまで書いた中に、ひとつ重要なウソがあるのを告白しなければならない。 三月五日の午後、たしかに僕はXと末広亭に行く約束をしたのだが、この時点では末 広亭に到着していない。この日十二時半からの柳家喬太郎真打昇進披露パーティーに 出席するため、ホテルオークラに行っているのである。  僕が退院後、初めて寄席に行ったのは、二月二十九日のこと。自宅周辺をひたすら 歩くリハビリウォーキングに飽きたし、体調も良いし、調子に乗って電車で池袋まで 遠征した。西口付近を歩いていると、自然に池袋演芸場に足が向き、ちょいと昼席を 冷やかして行こうと言う気になってしまった。しかし、悪いこと(?)はできないも ので、演芸場のロビーでうろうろしていたら、エレベーターの前で、出勤してきたさ ん喬と鉢合わせをしてしまった。  「長井さん、こんな寒い日に出てきていいの?マスクもしてないし」としかられて しまったが、僕の顔色が良いのを見て取って、一週間後に迫った喬太郎の披露パーテ ィーに誘ってくれたのだ。「当日体の具合がいいと思ったら、リハビリのつもりで出て きてよ」という温かい言葉がうれしくて、「絶対行きます」と返事をしてしまった。X との約束をすっかり忘れて…。  というわけで、末広亭へたどり着いたのは昼の部の終わりごろ。したがって、以下 の昼の部リポートは、僕の遅刻に腹を立てながら到着を待ちながら一人桟敷席で見物 していたXからの聞き書きである。アンフェアな書き方になってしまったことは幾重 にもお詫びするが、二ヶ月の間「定点」の助っ人を務めてくれたXの目を信用して、 読んでいただきたい。  お茶子の先導を無視して、勝手に下手桟敷の隅っこに上がりこんだXは、下足箱に 汚いブーツを押し込むと、目の前のイス席を見て「あちゃー」と頓狂な声を出した。 Xの視線の先には、カワイイようなかわいくないようなお子様が二十人ばかりかたま っている。めずらしや、小学生の団体なのである。僕やXはヘンな子だったから、ガ キのうちから寄席の木戸をくぐっていたが、遊びのオプションが格段に多い今の子供 たちに、どこまで寄席演芸がわかるのか。引率してきた先生に伺いたいものだ。  高座はといえば、ちょうどノコギリ音楽の歌六が下りたところ。間髪置かずといっ た感じで、枝助が座布団に座った。  「いまのノコギリ、ああいう芸は寄席でただ一人なんですよね。あとの人はばかば かしくて…、いやいや。えー、とにかく代演でして。ほんとは誰が出るかというと…、 だれかが出ることになってまして」と、いつもながらのテキトーな挨拶をしながら、 ぐるりと客席を見渡して「今日はかわいらしいお嬢さんと、小憎らしいガキがおりま すな。ははは」だって。あとは行き当たりばったりの漫談だが、「定点」復帰一番目が、 いかにも寄席芸人という風情の枝助というのが、ちょっとうれしい。  久々の左遊は、「はなし家の夢」。売れない噺家が、田舎の村に迷い込んだが、物価 は安いし、人心は穏やかだしというわけで、そこにいついてしまい、別嬪の奥さんを もらって…、という虫のよいハナシ。Xが「先代円遊が時々やっていたなあ」と遠い 目をしていた。  玉川スミに「そこの桟敷、怠けてないで拍手!」とドーカツされ、「雑俳」で絶句す る柳昇にドキドキはらはら。  「文治師匠、まだ見えてないのですが、こちらに向かっているのかいないのか、ど こにいるんでしょうね」と、早上がりのまねき猫。「猫八の娘でございます」といった だけで満場の拍手を浴びてしまい、ややうろたえ気味。やはり小学生の団体が気にな るようで、「このへんのオトモダチー、『ゲーム王国』見たことあるぅ?あのしかいし てるのが、あたしの兄さんの小猫なのー」と呼びかけると、「知ってるー」とこだまが 帰ってくる。なんだか寄席にいる感じがしないなあ。芸のほうは、得意の「発情期の 猫」。いわゆる一つの「アーウー、アーウー!」というやつである。今日の客層で「ア ーウー」、いいのだろうか。子供たちはやんやの喝采だった。  遅刻の文治が、しらっとした顔で登場するや、「待ってました!」の声。それにこた えて、「アーウー」だって。はははははは、芸協会長の「アーウー」。これだからこの 人、好きなのである。  「今日は可愛いお客様がいますな。ファンで来たのか、親の犠牲で来たのかわかん ないけど、このぐらいから仕込めば、いい噺家ができるかも」といいながら、「牛ほめ」 へ。おじさんの新築の家をほめに来た与太郎が、両手で三角を作って、その中に鼻面 を入れて挨拶するくだりで、「おじょうちゃんはやんなくていいんだよ」。場内大爆笑 である。  小さな団体さんは、桃太郎の芸がお気に召したようで、この日のネタ「結婚相談所」 は大当たり。  「どっから来ました」「家から」「お住まいは」「3DKです」「あんた住んでるとこ ですよ」「家の中です」「生まれたとこ!」「布団の上です」「出生したことですよ」「網 走です」「そうじゃありませんよ。あなたのお住まい!」「自宅です」「自宅はどこにあ るんです」「地べたの上です」――――、字で書くとものすごくくだらない。こういう 芸って、好きだなあ。  仲入後は、スキンヘッド冨丸から。田舎の宿でわずらった鳥やら、これらのブタや らを食わされるという新作だが、時代設定が古いんだか新しいんだか、今しゃべって るのが男なんだか女なんだか、なんともはっきりしない高座である。明るく柔らかい 口調を生かしてないのが残念だ。  Wモアモアの漫才は、最近ちょっとお気に入り。  「それは理屈でしょう」「理屈ってどんな靴?」「それは屁理屈!」「靴がおならする か?」「それは師匠のWけんじのネタでしょう」「しゃーねーじゃねえか、死んじゃっ たんだから、ネタだけでも生かしといてやんなきゃ」。そうかあ、「やんな!」の東け んじ、もういないんだよなあ。  円遊は、ここんとこウケてる「サラリーマン川柳」をマクラがわりに。  「目は一重 顎は二重で 腹は三重」とやったが、いまいち反応が悪く、「今日は子 供会がいるから」と愚痴をこぼす。本題は「みそ豆」から「桃太郎」へとたっぷり。  「お客様のおかげでご飯が食べられるけど、このぐらいの人数じゃろくなもんが食 えない、せいぜいうどんぐらい。みなさんの顔がうどんに見えます」といつものマク ラを振った寿輔、ここで場内を見まわし「そのうち三十本がこどものうどん」。さっそ く小学生いじりをしようと「前のほうでずーっと何か食べてる子がいるね。おじさん、 うどんしか食べてないから気になって…。何食べてんの?」とやると、「ヒミツです」 の答え。「寝ててもいいよ」とすっかりダレた寿輔、それでも気を取りなおして、「し ょーがない、(子供向きのハナシを)やるか」。ネタは「英語家族」。ハナシに入っても、 引率の先生に「あなたがた三人は笑ってくんなきゃ。あなたがたが連れてきた生徒の ためにやるんだから」と注文をつける。家庭内の会話をすべて英語でしようと悪戦苦 闘する中年夫婦の噺だが、寿輔は子供を笑わせようと悪戦苦闘。「石焼いも」を「グッ ドヘーデルポテト」と訳して、ようやく子供たちの笑いを取り、「やっと一人笑ったー」。 ご苦労様です。  ひざ代わりの美由紀もお子様サービス。大津絵「ディズニーランド風景」に「桃太 郎」の踊りをつけて、「よくわかる俗曲」というところか。  昼のトリ、遊三は、何でも怪しげな替え歌にしてしまう「パピプペポ」の芸で笑わ せた後、何を演じてくれるのかと思ったら、なんとなんと前座噺の「子ほめ」。トリで それはないでしょうと思ったが、客席を見ると、しょうがないか。昼の部の大半が、 子供を意識したネタである。団体がいれば、それを意識しないわけにはいかないのだ ろうが、子供以外のフツーの大人客が百人以上いることを忘れてないか。  ――――――。このあたりで、僕たすけがようやく末広亭に到着した。「遅いのにも ほどがあるぜ。今日は早く帰してやろうと思ったけど、夜まで通しで行くぞ。なに、 遅くなったら、オレが面倒見てやるさ」と、怒ったり世話を焼いたりのXである。子 供ネタばかりを聴かされて、かなり欲求不満がたまっているようだ。ストレスは心臓 の大敵であることを身を持って体験した僕としては、ここは最後までXに付き合おう と決めた(どっちが病人なんだか)。さて、実質初めての寄席見物となる上席夜の部に、 どんな芸が待っているのか。パーティーの快い疲れの中で、僕の胸は、病気とはちょ っと違う、快い鼓動を響かせていた。 たすけ


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